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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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昆陽の戦い 前編

 五月、大司空・王邑(おうゆうと大司徒・王尋おうじんが洛陽の兵を動員し、宛に向かおうとした。その途中、潁川を南に出て昆陽に至った。


 この時、昆陽は既に漢に降っており、漢兵が城を守っていた。そこで王邑と王尋の二人は厳尤げんゆう陳茂ちんもと合流して、攻め込むことにした。


 そんな時、敵に劉秀りゅうしゅうがいることを厳尤は知った。


「あの若者がなあ」


 かつて劉秀が舂陵侯の家のために逋租を訴えたことがあった。その訴えを届けた相手が厳尤で、厳尤は劉秀を見て尋常ではないと思ったのである。


 因みにこの時、朱祜しゅゆうも自分の舅(母の兄弟。または妻の父や兄弟)に代わって厳尤に田租について訴えていた。


 厳尤は劉秀だけと話をし、彼には目も向けなかった。


 劉秀は帰ってから戯れて朱祜に、


「厳公がどうして君を視ることがあるだろうか」


 と言った。実はこの時、劉秀は仕えないかと厳尤に言われたが断っている。


 王邑と王尋が昆陽で厳尤と合流した時、城から出て厳尤に降った者が、劉秀は財物を取らず、ただ兵を集めて策を計っているだけだと語った。


 厳尤が笑って言った。


「それは美須眉の者(鬚と眉が美しい者。劉秀)か。どうしてそのようであろうか」


 かつては田租のために訴えた男であるから財物を取ろうとしないという思いが彼にあったのである。


 劉秀は数千の兵を率いて陽関で新軍を迎えようとしていた。しかしながら昆陽周辺にいた漢軍の諸将は王尋と王邑の兵が百万と聞き、盛んな様子を見て、全て逃げ帰って昆陽城内に入っていってしまった。


「困った。これでは勝てない」


 劉秀は本当に困ったそうな表情を浮かべる。朱祜は言った。


「相手は百万だ。どちらにしても勝つのは難しい。はやく逃げよう」


 劉秀はため息をつき、退却を傅俊ふしゅん王覇おうはの二人に指示を出す。


 昆陽城に戻ると諸将は恐慌して不安になり、妻子を念じて憂愁し、解散して諸城(各地の城。故郷)に帰ることを欲した。


馬武ばぶ殿だったらどうだったかなあ)


 そう思った時、酒を飲んで適当に過ごしている姿が思い浮かんだ。


王常おうじょう殿でさえ、百万に驚いているし、馬武殿がいればなあ)


 劉秀の中で武人として頼りになる人と言えば、馬武になっていた。その彼はここにはいない。


 この状況に劉秀が意見を述べた。


「今、兵穀(兵と食糧)が既に少なく、外寇(外敵)が強大であるため、力を合わせて防御すれば、まだ功を立てられるかもしれない。だが、もし分散を欲してしまえば、全てを保てなくなる。それに、宛城をまだ攻略していないため(劉縯らが宛を包囲している)、互いに援けることもできない。昆陽が抜かれれば、一日の間で諸部(各軍)も滅ぶことになってしまうだろう。今、心膽を同じくして共に功名を挙げることなく、逆に妻子・財物を守ることを欲するのですか」


 諸将が憤怒して罵った。


「劉将軍はなぜそのような事を言うのか。劉将軍が口出しすることではない」


 劉秀は笑いながら立ち上がるとそのまま退席してしまった。


 ちょうどその時、候騎が還ってきて言った。


「大兵がもうすぐ城北に至ります。軍陣は数百里に及び、後ろが見えないほどです」


 諸将はこれに青ざめると以前から劉秀を軽視していたが、緊急事態であるということで、


「改めて劉将軍にこれを計ることを請おう(計を定めてもらおう)」


 と言うようになった。


 劉秀が再び勝敗を謀って説明すると、諸将は皆、憂いと焦りを抱いたまま、


「分かりました」


 と応えた。


 この時、城中には八、九千人しかいなかった。


 劉秀は成国上公・王鳳と廷尉大将軍・王常に昆陽を守らせることにし、夜の間に驃騎大将軍・宗佻、五威将軍・李軼ら十三騎と共に南門から城を出た。昆陽城外で兵を集めるためである。


 既に城下に迫っていた王莽の兵は十万人近くおり、劉秀らは危うく脱出できないところであったが、完全に包囲される前に脱出することに成功した。


 これに乗じて李軼はそのまま逃走した。


「どうしますか?」


「ほっとくしかない。今は時が惜しい」


 朱祜は首を振った。


「同じように逃げよう」


「そうはいかないよ」


 劉秀は苦笑しながら首を振る。


「無駄死になる。高祖は逃げる時は逃げた。それに習おう」


 朱祜が再び逃げるように言うと劉秀はそれにも従わなかった。


「高祖の時は高祖が死ねば、全てが崩壊する危険性があった。しかし私は違う。私には兄がいる」


 彼はそう言ったまま兵を集めるため馬をかけさせた。


 王尋と王邑が兵を放って昆陽の包囲を開始した。


 厳尤が王邑に言った。


「昆陽は城が小さいとはいえ堅固です。今、偽の号を称している者(更始帝を指す)は宛におり、急いで大兵(大軍)を進めれば、彼らは必ず奔走することでしょう。宛が敗れれば、昆陽は自ずから服します」


 王邑はこう答えた。


「私は昔、虎牙将軍として翟義を包囲したにも関わらず、生け捕りにできなかった罪に坐して責譲(譴責)に遭った。今、百万の衆を指揮しながら、城に遇っても落とせなければ、威を示すことにならず、言い逃れもできない。まずこの城を屠殺するべきなのだ(皆殺しにするべきだ)。血を踏みながら前進し、前で歌って後ろで舞うのは、愉快なことではないか」


 過去の失敗と百万を号する大軍が彼の戦術の幅を狭めていた。


 王邑が数十層の包囲を設けた。百数の営が連なり、高さ十余丈もある雲車が城壁に臨んで中を俯瞰する。旗幟が野を覆い、埃塵(砂塵)が天を満たし、鉦鼓の音が数十里に響いた。


 一部の兵は地道(地下)を掘り、衝輣(兵車。「衝車」は城門や城壁を破壊する車で、「輣車」は楼車です)が城壁にぶつかり、積弩(連射の弩)が乱発して矢が雨のように降り注いだ。


 城中の人々は水を汲む時も戸を背負って行動しなければならないほどであった・。


 そのため城内の王鳳と王常は投降を乞うたが許されなかった。


 王尋と王邑の二人は功績が目前にあると信じ、軍事で憂いることはなく、完全に油断するようになった。


 そんなある夜のこと、流星が新軍の営内に落ちた。昼には雲が現れて、山が崩れるように新軍の陣営に向かって降りて来た。雲は地面から一尺もないところで散ってなくなった。


 新の吏士は皆、倒れて地に伏した。


「恐ろしい、恐ろしい」


 兵たちはこの流星に恐怖した。恐ろしいことが起きると恐怖した兵たちの中には脱走する者も出てきた。


 そんな中、厳尤が進言した。


「『兵法』には『城を囲んだら闕(欠け。穴。逃げ道)を作る』とあります。城内の者を逸出(脱出)できるようにして、宛下(宛を攻めている更始の兵)を怖れさせるべきです」


 王邑はこの意見も聴かなかった。


 この頃、宛城は棘陽守長・岑彭しんほうと前隊貳(副官)・厳説げんせつが守っていた。


 漢兵が包囲攻撃して数カ月になり、城中が飢餓に苦しんだため、岑彭らはついに城を挙げて降伏した。


 更始帝は入城して宛を都にした。


 諸将が宛を守っていた岑彭を殺そうとしたが、劉縯りゅうえんが止めた。


「岑彭は郡の大吏であり、専心して城を固く守ったのはその節である。今は大事を挙げたところであるため、義士を表彰するべきであり、彼を封侯したほうがいい」


 更始帝はこの意見を元に岑彭を帰徳侯に封じた。


 岑彭は大いに感動と感謝を劉縯に述べた。この感動と感謝が後に劉秀を助ける力となるのである。


 昆陽を出た劉秀は郾や定陵に至って諸営の兵を全て動員させようとした。しかし諸将は財物を貪り惜しんだため、一部の兵を裂いてそれを守ろうとするばかりで、劉秀に従おうとしなかった。


 劉秀はそんな彼らに言った。


「今もし敵を破れば、ここにある珍宝は万倍になり、大功を成せる。逆にもし敗れることになれば、首領も残らなくなるのに(首を斬られるという意味)、何の財物があるというのか」


 諸将は互いに話し合う。いつも大人しい劉秀の言葉とは思えず、百万の大軍に勝てるわけがないという思いが強い。しかしながら、この大人しい男がこれほど鬼気迫る顔で自分たちの力を借りようとしている。


「いっちょやってみるか」


 諸将は従うことにして、全ての兵を動員した。


 六月、劉秀と諸営の将兵が共に進んだ。


 劉秀は自ら歩騎千余を率いて前鋒になり、新の大軍から四五里離れた場所に陣を構えた。


「本当にやるのか?」


 朱祜が問いかける。


「やるさ」


 劉秀とてそう簡単に勝てるとは思っていない。何度も細かく突撃を仕掛けて相手の数を減らしていくことが勝利するべき条件だと考えている。


「数があまりにも足りない。それに一枚岩とも言えない。準備が足りなさすぎる」


「そもそもその時間さえ無いからねぇ」


 劉秀は笑う。


「そんな足りない状況で勝てるはずが」


「大丈夫さ、あとは勇気さえあれば大丈夫」


『堂々と戦い、そして死す』


(それだけを考えればいい。例え負けても多くの敵を削れば、兄は楽になる。それでいい。死ぬつもりもないけどね)


 劉秀は出撃した。伝説となる第一歩であった。
















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