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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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敗戦と再起

 劉縯りゅうえんは宛に進攻することを決めた。


 小長安(宛県の南三十七里に小長安がある)で王莽おうもうの前隊大夫・甄阜、属正・梁丘賜と戦うことになった。


 ついに新軍の精鋭の一角と戦うことになったのである。


 そんな中、あたり一面が霧に包まれた。


「拙いな」


 劉秀りゅうしゅうは霧の中で呟く。


「何が拙いのだ?」


 朱祐しゅゆうが尋ねる。


「この霧が拙い」


「確かに前も見えないほどだが、このあたりの地形は私たちも知っている。まあ相手もだろうが」


「確かにそう見えるが、こちらは不利な状況だ」


「なぜ?」


 霧があるとはいえ、相手も同じ、地形もどちらも知っているなら条件は同じのはずである。


「私たちは知っていても新市と平林はこのあたりを知らない。だから彼らが崩れれば不利になる」


「なるほど」


 しかもこの時、新市と平林は先の財物の一件から自分たちだけで財物を自分たちのものにしようと考え、先鋒を買って出ていた。


 そして、左右を劉氏たちの軍がつけられていたのである。


「先鋒が崩れれば、流れるように私たちも崩れる」


 劉秀はそう考えて、守りを固めつつも逃げ道を作るように指示を出していた。


 彼が考えていたように先鋒の新市と平林は新軍の奇襲を受け、総崩れになった。先鋒が崩れたため、劉氏の軍も一気に崩れ始めた。


「できる限り、耐える。そうすれば多くの味方を生かすことができる」


 劉秀は守りを持ってなんとか踏みとどまる。しかしながら多勢に無勢、劉秀の守りは突破される。


「全力で逃げろ」


 下手に抵抗することよりも全力で逃げることの方が良いと考えての指示である。


 朱祐とも離れ、劉秀は一人馬をかけて逃げる。


 その途中で妹の劉伯姫りゅうはくきを見つけた。


「兄さん」


「手を取れ」


 劉秀は妹を後ろに乗せて、二人で馬に乗って奔走した。


 更に前に進んでいくと姉の劉元に遇った。


「姉上」


 劉秀は手を伸ばし、急いで馬に乗るように言った。しかし劉元は手を振ると、


「行きなさい。あなた達は私を救うことはできません。両者とも没することになってはなりませんのです」


 と言った。


「しかし」


「私の子供たちを見捨てるわけにはいかないのです」


「姉上……」


 劉秀は涙が流れるのを我慢して、馬を走らせた。後ろでは妹が泣いて戻るように言う。


(うるさい)


 この妹を捨てて姉を拾いたいとまで思った。しかしそうはいかない。それでは姉の思いが意味のないものになってしまうからである。


 やがて追兵により、劉元と三人の娘が全て殺され、劉縯の弟であり劉秀の兄である劉仲りゅうちゅうを始め、宗従(宗族)の死者は数十人を数えた。


 なんとか逃げ切った後、そのような情報が伝えられた劉秀は泣きじゃくる妹をなだめながら兄の元へ向かった。


「無事であったか」


「無事と言うには多くの人が死んでいます。叔父上(劉良りゅうりょう)の家族も殺されています」


「知っている」


 劉縯は頷くと劉秀の肩に手を乗せる。


「妹は私が預かろう。あれは喧しいからな」


「はい……」


 劉秀の様子に目を細めると言った。


「恨むなら、私を恨め。良いな」


 その言葉に兄を見る劉秀は呟くように言った。


「兄上はずるいです」


 劉秀は自分の陣営に戻った。


「私はずるいか……」


 劉縯はそう呟くと目を閉じた。その後、劉縯は再び兵衆を集めて引き返し、棘陽を守ることを決めた。


 その頃、甄阜と梁丘賜は藍郷に輜重を留め、勝ちに乗じて精兵十万を率いて潢淳(棘陽県の潢淳聚を流れる川)を南に渡った。


 沘水に臨み、両川(後ろの潢淳と前の沘水)の間の地形を利用して営を築いてから、後方の橋を落として帰還する心がないことを示した。項羽を真似たと言っていい。


 新市と平林の兵は漢兵がしばしば敗戦し、しかも甄阜と梁丘賜の大軍が至るのを見るとそれぞれ解散して去ることを考え始めた。


 劉縯は憤る。


「軟弱な連中めが」


 イライラする兄に劉秀は言った。


「偵察に行ってもよろしいでしょうか?」


「構わん」


 こうして劉秀は朱祐しゅゆうと数人の兵と共に偵察に出ることになった。この動きに平林と新市は疑いの目を向け、こちらからも偵察の兵を同行させたいと申し入れてきたため、偵察に馬武ばぶが参加した。


「馬子張だ」


「よろしくお願いします」


 劉秀は馬武という男の話しは聞いていた。先の敗戦でも大多数の兵を屠し、悠々と撤退したという。


(我々の軍で最も強い武人がこの人であろう)


 そう思いながら劉秀は彼と共に偵察に出た。その間、馬武はずっと酒を飲み続けた。


「酒臭い男だ」


 真面目な朱祐は忌々しそうに劉秀に言った。


「それだけ余裕があるというだけだよ」


 劉秀はそう答えた。その時、ふと李通りつうの『私は覚悟が足りなかったようです』という言葉を思い出した。


(自分も覚悟が足りなかった……)


 それに引き換え、兄には覚悟があった。


(それが兄との差だろう)


 そんなことを考えていると馬武が話しかけてきた。


「くだらないことを考えているな。餓鬼」


 朱祐はいきなり餓鬼呼ばわりをする馬武を睨みつけるが劉秀は気にしない。


「戦場では何を考えて戦っていますか?」


 逆に問い返すと馬武は酒を一飲みすると答えた。


「あまり考えないが、敢えて考えるならこうだ。堂々と戦い、そして死す」


 馬武の眼光が劉秀を貫く。


「戦場こそが人が本当の意味で平等になれる場所だ。良いやつだろうが、悪いやつだろうが死ぬ。気高いやつだろうが、卑怯者だがろうが死ぬ。だからこそ同じ死ぬのであれば、堂々と戦いそして死ぬ。それぐらいのことを考えるのさ」


 これが覚悟の違いだろうか。自分はそこまでのことを考えることができない自分がいることを思いながら馬武を見る。


「私は果たして戦いの中でそのような死に方ができるでしょうか」


「そんなこと知るか」


 馬武は呆れたように言うと前を見て、宜秋のあたりを見て目を細めた。劉秀も同じように見る。


「新軍……いやどうも違うみたいですね」


「ああ、あれは下江の連中だ」


 ちょうどこの時、下江兵五千余人が宜秋に至っていたのである。


 劉秀は急いで戻り、兄に報告した。


 劉縯はすぐに劉秀および李通と共に下江兵の営壁を訪ねることにし、下河にこう伝えた。


「下江の一賢将に会い、大事を議すことを願います」


 下江の衆は王常おうじょうを推した。劉縯は王常に会って合従(連合)の利を説いた。


 王常はここまで特に理想というものを持たずにきたため、彼の漢王朝復興という理想に共感を抱いた。


「王莽は残虐なため、百姓が漢を思っています。今、劉氏が復興すれば、真主になりましょう。誠に身を出して(身を挺して)用いられ、大功を成就する手助けをしたいと思います」


 劉縯は彼の態度に好ましいものを感じ、


「もし事が成れば、どうして一人でそれを享受できましょうか」


 と答えた。二人は絆を深く結んで還った。


 王常は戻ってから下河の他の将である成丹せいたん張卬ちょうこうに詳しく状況を語った。


 しかし成丹と張卬は劉縯の下に付くのに不満を持ち、


「大丈夫が既に起ったのならば、それぞれが自ら主になるべきです。なぜ人の制を受けるのでしょうか」


 と反対した。


 王常はゆっくりと将帥を諭して言った。


「王莽は苛酷であるため繰り返し百姓の心を失ってきた。民が謳吟(歌唱)して漢を思うのは一日の事ではない。だから我々でもそれを利用して起つことができたのである。民が怨む者は天が除くものだ。民が思う者は天が興すものだ。大事を挙げれば、必ずや下は民心に順じ、上は天意に符合しなければならず、そうすれば功が成就できる。もし強盛を自負して勇猛に頼り、情(欲情)を動かして欲を恣にすれば、たとえ天下を得ようとも必ずやまたこれを失ってしまうことだろう。秦や項羽の勢があっても、なお夷覆(滅亡)に至ったのだ。今、布衣(庶民)が草沢に集まって、そのように行動すれば、なおさら滅亡の道となるだろう。最近、南陽の諸劉が挙兵したが、議論に来た者を観ると、皆に深計大慮があり、王公の才であった。彼らと併合すれば、必ず大功が成就する。これは天が我々を助けようとしてくれているのである」


 下江の諸将は屈強な者が多かったが、見識が少ない者が少なく、かねてから王常を尊敬していた。そこで皆が謝って言った。


「王将軍がいなければ、我々は不義に陥るところでした」


 王常らはすぐに兵を率いて漢軍、新市、平林の兵と合流した。こうして諸部が心を一つにして協力し、鋭気がますます盛んになることになった。


 劉縯は軍士を大饗(酒食で労うこと)し、盟約を設け、士卒を三日間休ませてから、六部に分けた。


 十二月の晦、潜師(秘かに組織した軍)が夜に行動を開始し、藍郷を襲って占拠した。新軍の輜重を全て奪って勝利を収めることになった。


 敗戦で意気消沈していた中、劉縯の軍は再びその勢いを取り戻し始めたのである。



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