第6話 就活畑でつかまえて
過去へ及んでいた意識が、現在へと戻った。
目の前では、未だ私の罪が再現され続けている。女は、かつての私だ。迷い、苦しむ亡者に形式だけの救いを与える偽善者。女は亡者達のことなどまるで考えていない。彼らに待ち受ける運命など、知ったことではないのだ。私がそうであったように、女はただ必要な数の亡者をかき集め、地獄よりも地獄めいたシャバへと送り込んでいるだけであり、その口から発せられる言葉に心はなく、その耳に届く亡者の感謝は魂に響いてはいない。
私はこの場を立ち去ろうと思った。
これ以上は、耐えられない。
ここには、私が祈るべき存在も、救うべき存在もいないのだ。
最後に、女の甘言に魂を売った憐れな亡者たちを見る。彼らのいったいどれだけが、この先生きのこることができるのだろうか。私に同情する資格などないとはいえ、さすがに憐れに思う。そんな彼らを、かつての自分は蔑んでいたというのに。
自ら地獄に堕ちたのなら、それは自業自得だろう——と考えていた。
義務教育により、自らが将来背負わねばならない義務すなわち業の重さに絶望し、逃げるように入死を望み大学に堕ちたのだ。大学に堕ちれば、より過酷な地獄がまっているなどわかりきっているというのに。一度地獄に堕ちたら最後、脱する術は業を修めた後に聖なる内定を得て現世に生き返るしかない。だが運良く内定を得たとしても、待ち受ける現世が地獄よりマシとは限らないし、多くの場合は、地獄の方がよほど天国めいている。そうなのだ。そんな地獄を望んでおきながら、地獄にすら安住できずに現世へ戻ろうなどと虫が良すぎる——だが、今は違う。何も、彼らばかりが悪いわけではないのだ。全入滅時代などといって、大学入死を当然の通過儀礼とする風潮が、彼らの人生を狂わせていないとは言えない。
罪は、そんな彼らを利用することしか考えられない私たち生者こそが背負うべきなのだ。
「せめて、君たちの未来に幸多くあらんことを」
しかし、私は無力だった。祈ることしか、できない。
そうして逃げ出すように立ち去ろうとする私だったが、最後に絶望的な彼らを一瞥した瞬間に、心臓を捕まれたかのように動けなくなった。
現実を見失い、冷静さを欠いた元亡者の群れの中に彼女がいたのだ。
彼女。
いや、彼女がいるはずがなかった。あの彼女は、もう……。
別人だということはわかっていたが、私はその彼女から目を離せなかった。
その女内定者は、他の内定者たちとは様子が違った。その瞳には不安が宿り、周囲に溶け込めずにいる。彼女だけは現実を見ているようだった。見えていても、どうしようもない……そんな様子だ。
私は彼女を放ってはおけなかった。
私にはわかるのだ。このままでは、彼女がダメにされてしまうということが。
そう遠くない未来、彼女は彼女のように、きっと——最悪の予感が脳裏をかすめ、いてもたってもいられなくなった。彼女を救わなくてはならない、などとわき上がってくる使命感は自己満足の罪滅ぼしなのかもしれなかったが、それでも見捨てるなんてできない。ここで彼女を見捨ててしまったら、私は、また彼女を殺すことになる。問題は、たとえこの場から彼女を救い出せたとしても、それで私が彼女に真の救済を与えることができるのかどうかだ。
私にできることは——私は即座に閻魔帳に彼女の情報を問い合わせていた。驚くべきことに、彼女は優秀な亡者を輩出することで知られる大学の卒業生だった。とても、こんな危険な会社に再用されるような人物とは思えない。自己ピーアールの文章も理知的であり、粘り強さと真面目さが読み取れた。情報学科の出身ならば、我が社の欲する人材でもある。
即戦力たり得るかも知れない——私の無意識な人事マインドが囁いた。だが、我が社の暗黒業務を課すなど、許されないのではないか——私の良心が呵責する。
見れば、彼女は今にもこの集団から逃げだそうとしていた。賢明な判断だ。もし、彼女が自らの意思でこの場を脱すれば、私が関わらなくても済む。彼女ならばもっとマシな会社が救ってくれるだろう。
しかし、
「いや、やめて!」
彼女が悲鳴をあげる。
なんと、聖なる内定を額から引き剥がそうとする彼女を他の内定者達が押さえ込もうとしていたのだ。
「君は感謝の気持ちが足りない」「なぜ内定を剥がす」「生き返りたくないのか」「信じられない、ありがとうも言えないなんて」「逃げちゃダメだ。君には夢がないのか?」
口々に詰め寄られて、彼女は怯える。
「私は、違う。みんなわからないの。ここはおかしい。おかしいのよ!」
怯えながらも、懸命に声を上げるが、
「おかしいのは君だ」
「落ち着くんだ、ここ以上に良い会社があるものか?」
「いっしょに生き返ろう。そして働こう」
「夢を叶えるんだ!」
「君との出会いにありがとう!」
キラキラ輝く瞳の内定者たちに囲まれてしまった。
「いや、あ……あ……」
気がつくと、私は駆け出していた。
恍惚とした内定者達をかき分けて、彼女の元へと走る。そして、まさに心を折られそうになっている彼女の腕を掴んだ。
「こっちだ!」
私は無我夢中で彼女を集団から引きずり出す。
「あなたは……?」
戸惑う彼女が私に問う。私は答えず、変わりに言った。
「ここに君の救いはない」
「じゃあ、どこにあるの?」
「わからない。でも、ここじゃない。わかっているはずだ」
その言葉に、彼女は頷く。頷いて、額の内定を引き剥がした。
周囲の内定者どもが驚きと悲鳴と怒りの混じった叫び声をあげる中、私と彼女は走り出す。
「ねえ、何処へ行くの?」
目的地はない。
自分が何処へ行こうとしているのか、私もわかっていなかった。
これは過去への贖罪か、それとも……
次回就活オブザデッド
第7話「面接、逃げ出した後で」
逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ……?