第5話 コヨーテ
我が社もかつては成長企業だった。
事業の拡大に次ぐ拡大により、売上は右肩上がり。通信から始まり、飲食、小売り、不動産、果ては介護にまで手を出していた。そんな無謀とも言える事業展開を可能にしたのは、私を中心とした人事部の大量再用。そう、一度に何百という亡者を救い上げ眷属とし、その数は時には四百体にも及んだ。それは、予算を遙かに超える再用数だったが、それだけの再用が必要だったのである。我が社の過酷な業務は大量の脱落者を伴うのが理由だった。だから、一度は再生しながらも、再び地獄へ堕ちる眷属どもが後を絶たず、始めは四百体いたとしても、一年後まで残っているのは数十体というのが常態であった。
細々と通信事業のみを続ける現在となっては、考えられない状況だが。
問題は、そんな我が社に再用されたいと希望する亡者をどうやって大量に確保するかに尽きた。そう、それを可能にしたのが、他でもない私だったのだ。私は、《コヨーテ》と呼ばれていた。今では誇ることのできない汚名だが、当時の私にとっては勲章のようなものだった。
コヨーテ。
あるいは、溝攫い。
その頃の私の主戦場は、七月地獄よりも更に過酷な年末地獄、更には年度末地獄だった。いや、主戦場、という言い方は間違いかも知れない。正確には狩り場、あるいは漁場と言った方がいい。
一般的に、亡者の価値は一年で減価償却される。すなわち、年末・年度末の亡者とは価値を失う寸前なのだ。価値を失えば、救済の機会はほぼ失われる。もはや、地獄を彷徨うしか道はなく、その魂は地獄の土になるまで腐るしかない。だから、その時期の亡者共は蜘蛛の糸にも縋る思いでいるのだった。
私は、そこに目を付けた。
折しも企業の倒産が相次ぐ不況であり、他社はどこも再用をしぶる傾向にあったのだ。そこで、大量再用を打ち出し成長企業をピーアールした。事実であるかどうかは、問題ではない。そうであるように見せかければ事足りた。すると、面白いように亡者が群がってきた。
当時のオーダーはただ一つ。サーチ・アンド・セイブ。サーチ・アンド・セイブだ。私がトリガーを引くことは数えるほどもなかった。刺身にタンポポを乗せるかのごとく、亡者に内定を与えるだけの簡単なお仕事だった。以後二度と会うことのない亡者達は、涙を流して喜んでいた。
私はそれで満たされた。
社内での私の評価もうなぎ登りだった。
社長表彰され、誰からも尊敬されていた。
奴隷商人などと揶揄されることもあったが、それすら褒め言葉だったのだ。
今ならわかる。私は狂っていた。そして、自分が狂っているとは毛筋ほども思ってはいなかった——あの時までは。
そう、あの時。
彼女との出会いが、私を正気に戻した——
狂気の中で正気を保つことは、やはり狂っているのだろう。
私はかつて、就職活動の深淵を覗いていた。
次回、就活オブザデッド
第6話「就活畑でつかまえて」
狂気の中で出会った「彼女」。
それは幻か、それとも現実か——。