最終話 そして、就活へ……
こうして地獄での任務は終わり、彼女との新たな戦いが始まる——そう私は信じていた。
彼女を伴って、私は帰社の途に就く。心持ち晴れやかに、今は地獄の臭気でさえ気にならない。灰色の生活に、彩りを得た気分であった。
部長へ再用成功の一報を入れるべく、近くの閻魔庁出張所で通信装置を借りる。一応、内密な業務連絡になるので、彼女は外で待たせておく。部長は驚くに違いない。まさか、彼女のような存在が地獄に残っていたなど、妄想すらしていないだろう。おそらく、私は失敗すると思っている。それを理由に、私を解雇するつもりなのだ。だが、その計画は達成されない。あの鉄面皮が動揺する様子を想像して、私は愉快になった。
だが、なかなか社に通信が繋がらない。
時間にうるさい部長が、通信を無視するなど考えられないことだった。得体の知れぬ不安が、私の胸をざわつかせた。
ようやく、通信が繋がったかに思われたが、通信装置の向こうから聞こえてきたのは自動音声であった。
『おかけになった番号は、現在使われておりません』
番号を確認する。確認して再度かける。だが、
『おかけになった番号は、現在使われておりません』
『おかけになった番号は、現在使われておりません』
『おかけになった番号は、現在使われておりません』
いつの間にか、私は息を止めていた。気づいて深呼吸をする。動悸が速い。ある直感が脳裏をかすめ、その途方もなさに私は目眩を覚えた。
……ダメだ、まさか。
その時だった。
悲鳴が。
悲鳴が、外から聞こえた。
彼女の悲鳴だ。
「やめろおお!」
私は叫びつつ、外へと飛び出した。何かの間違いだと信じたかった。せめて、彼女が他の亡者に襲われていれば良いと、そう願った。
しかし。
建物の外へ出た私の目に飛び込んできたのは、血塗れになって地面に倒れた彼女の姿だった。
悲鳴を上げるのは、今度は私の番だった。転ぶようにして彼女へ駆け寄る。駆け寄って、抱き起こす。
だが、遅かった。
彼女はすでに虫の息だった。
「人事、さん……わたし……」
額の聖なる内定から真二つに、鋭利な刃物で斬られている。
これほど傷つけられてしまっては、彼女は当分立ち直ることができないだろう。
未だ精神が死んでいないのは、彼女の精神力のなせる業か。
「わたし……働き、たかった……人事さん、と……」
「もういい、喋るな。大丈夫だ。働けるさ、きっと、だから、希望は捨てるな」
「約束を……」
「ああ、約束だ」
私は、二つに裂かれてしまった聖なる内定の一方を、彼女の手に握らせた。残った一方は自分で握る。
「君は、私が再用した。だから、私と働くんだ!」
腕の中で、彼女の体温が失われていくのがわかった。それは、内定を得た彼女が取り戻しつつあった生者の温度だった。それが、失われて、再び冷たい亡者の肉体へと戻っていく。
「よか……っ、た」
そうして、彼女は事切れた。
次に目覚めるときは亡者だ。酷く傷ついた、亡者になってしまう。
「誰が、こんなことを……!」
言いつつも、私はわかっていた。彼女をこんな目に遭わせた、何者であるか。
背後に、気配。
振り返ると、黒ずくめの男が立っていた。
その男を、私は知っている。
「……部長……!」
冷淡な視線が、私に突き刺さる。そこには本社にいるはずの総務部本部長の姿があった。しかも、その手には一降りの刀が握られている。
それは禁断の宝刀《内定斬り》だった。
存在は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。
「どうして、こんなことを……!」
私は彼女の骸を抱きつつ、問う。
部長は答えた。
「時間稼ぎ、ご苦労」
「時間、稼ぎ?」
「そうだ。君には、我が社——いや、そんな会社は既に存在していないが、その再用活動をすることで、我が社の企業活動を演出してもらっていたのだ」
「なんだって……?」
「おかげで、我々役員は上手く逃げ延びることができた」
つまり、はなから会社は再用などするつもりがなかったということだ。私は、ただ、利用された。私が再用するまでに時間をかけると予測した上で、こんな手の込んだことを考えたのか。
「彼女はどうなる!やっと掴んだ内定なんだぞ!」
私の怒声を鼻で笑い、部長は彼女の骸を蔑むように見下した。
「落ちこぼれの亡者など、知ったことか」
目の前が真っ赤に染まる。私は我武者羅に部長に殴りかかっていた。
だが、私の拳が届く前に、部長の手にした刀が私を貫いていた。
腹に突き刺さった刃を、私と彼女の血が混じり合って伝う。
なぜ。
「《内定斬り》は別名、《首切り刀》と言う」
「そんな」
「既に、貴様を雇用していた会社は存在しない。貴様のおかげでな。感謝してやろう」
「感謝なんて、ふざけるな」
「ああ、だからせめて、私の手で首を切ってやろうというのだ」
腹から刀が引き抜かれ、鮮血が噴き出す。私は自らの血だまりへと倒れ伏した。
「だが、そうだな。貴様は優秀だ。優秀な人事だった。望むなら、再び新しい会社で雇ってやっても良いぞ」
それは甘言。
しかし、受け入れるわけにはいかない。私には、彼女との約束があった。最後の力を振り絞って拳銃を取り出す。
「亡者にしか通用しない弾丸だ。私には効かない」
そんなことはわかっていた。それに、残りの弾丸は一発だ。
私は銃口を自らのこめかみにあてた。
「これは私自身の選択だ」
部長が笑っていた。
「ふん。自己都合で中途地獄へ堕ちるか」
「そうだ」
そして、彼女とともに働ける職場を探すのだ。
「バカめ……ふん、好きにしろ」
きびすを返し去って行く部長の背には目もくれない。私は彼女のもとへ這い寄って、その冷たくなった手を握る。手には、私が渡した内定が握られている。
再び銃口をあてて、引き金を引く。
今際に見た幻には、同じ職場で働く私たちの姿——その弾丸は、私と彼女の今後の健闘を祈っていた。




