第8話 海賊船〈海神への復讐号〉
並んでみてわかったが、海賊船〈海神への復讐号〉は、俺たちが乗る交易船〈波乗り小人号〉より一回り、いや二回りも大きい。戦闘体勢の海賊たちがずらりと並ぶ甲板もこっちより高い位置にあって、二隻が並ぶと俺たちゃ、向こうから傲然と見下ろされる格好になった。
あの図体で、こっちに追いついてくるなんて……やっぱり、俊足の風神ヒューリオスの加護でも受けてるに違いねえ。
並んだだけじゃ飽き足らず、敵は徐々に、こっちへ船腹を寄せてきた。
「海賊どもめっ、こちらへ乗り移るつもりだなっ……!」
相手の意図を読んだ姫さんが、ぎりりと歯噛みする。
「皆の者、いよいよだぞっ! 覚悟はできて――」
「覚悟はいいかァ、フォレストラの腰抜け商人どもォ!」
姫さんの言葉にかぶせるように、野卑な銅鑼声が響いた。
「観念するんだなァ! 身ぐるみはいでェ、魚の餌にしてやッからよおォ!」
すぐそこまで迫った敵の船縁から、荒々しい海の略奪者――海賊が十人余り、こっちへ飛び移ってくる。狂ったような、けたたましい笑い声を上げて。
「ひゃッはァーッ!」
頭を覆う色鮮やかな絞り染めの綿布。薄汚れた上着に、膝が擦り切れた脚衣。腰に幾重にも巻きつけてるのは、艶やかな絹の飾り帯。刀身が緩く湾曲した舶刀を振りかざし、革靴で甲板を踏み鳴らして、襲いかかってきた。
「森の神ガレッセオよ、今一度……っ!」
ピシュッ! 弓弦が鳴って、先頭に立つ髭面の男を、姫さんの矢が仕留める。間髪入れずに小人の船長が敵陣へ猛然と突っ込み、東方の鍛冶場で鍛えられた片刃の曲剣を振るった。
「ちえぇえぇーいッ!」
たちまち血煙が上がり、次々と斬り倒される海賊たち。
だが、敵はこっちへ乗り移ってきた切り込み役だけでも十数人。向こうの船上にゃ、ざっと数えたところ六十人はいる。二人や三人倒したところで、焼け石に水なわけで……。
「「「「「うぅおおおおおおッ!」」」」」
次の瞬間、こっちの船乗りたちと海賊たちが激突し、凄絶な斬り合いが展開された。
俺たちも、指をくわえて見てるわけにゃいかねえ。降りかかってくる火の粉は、自分の手で払わねえと。
「死んだれやァ小僧ォーッ……っと、うおおおッ?」
大上段に剣を構え、踊りかかってきた大男を、俺は船端で軽くいなした。ひょいと横へ飛び退き、勢い余ってよろめく相手の背中を、どんっと掌で突き飛ばす。そうすりゃ間抜けな敵は船縁を越え、眼下に広がる海へ真っ逆さま――って寸法だ。
「おゥわああああァッ!」
絶叫に続いて、ざっぱーんと派手な水飛沫が上がった。
「へっ、一丁上がりだぜ!」
敵が今の奴みてえな間抜けばかりなら、楽なんだが。あいにく世の中、そう都合よくはいかねえようだ。
続いて襲ってきたのは、剣術の腕に覚えがある奴らしく、少々手強かった。
こいつは……剣を抜かずにあしらえる相手じゃねえな。
相手が横薙ぎに振るった舶刀を、一歩退いてやりすごし、立て続けに上から降ってきた一撃を、横に寝かせた剣で受け止めた。
青い火花がバチンと、頭上で瞬く。
さらに二合、三合と斬り結び、四合目で敵の手中から剣を跳ね飛ばした。驚きに目を見張る敵の顎めがけて、固く握った拳を下からすくい上げるように――繰り出す!
「ふぐオォッ?」
引っくり返って伸びちまった敵はそのまま放っておいて、次だ次!
とどめを刺すべきじゃねえかって考えが脳裏をかすめたものの、俺はかぶりを振って、そう問いかける心の声を退けた。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、なにいい子ぶってやがるんだ、偽善者が。自分の手が血にまみれるのが怖いだけじゃねえのかよ……?
俺たち地上の種族が抱える迷いをあざけり、苦悩をせせら笑う天上の権力者たちにゃ、そう呆れられるかもしれねえけどさ。
……できることなら、他人様の命は奪いたくねえ。
そんな甘いことを、戦いの場で考えてたのがいけなかったのか。横合いから猛然と斬りかかってきた新手に気づくのが、遅れちまった。
「うッしゃアァ! もらったァッ!」
「げっ……!」
こいつぁまずい。腰をひねってかわそうとしたものの避けきれず、右腕に浅手を負わされた。
「とどめだァ小僧ッ!」
勢いづいた海賊が、俺の脳天めがけて剣を振り下ろそうとした――次の瞬間。
「この間抜けめ。これで助けられるのは何度目だ!」
颯爽と現れた妖精の美青年が、槍の一振りで敵の剣を弾き返し、
「もう。世話が焼けるんだから!」
その後に続いて駆けつけた魔女っ子の杖が、青い魔法の輝きを放った。
シュポン! 杖の先から、一抱えもある水の玉が放たれ、俺に攻めかかってた海賊を直撃。そのまま船外、つまり海へと吹っ飛ばす。
槍が一閃してから海賊が船外へ放り出されるまで、かかった時間はたったの胸三拍分。デュラムとサーラ、二人の息がぴったり合った見事な連携だ。
「デュラム、サーラ。その……悪い」
またこの二人に助けられちまうなんて、面目ねえ。
「いちいち謝らないの。それより、怪我を見せなさいよ」
デュラムが槍を振るって周囲の敵を牽制してる間に、魔女っ子が毎度のごとく世話焼き根性を発揮して、俺の傷を手当てしようとする。
「かすり傷だ、どうってことねえよ……って、あいてッ!」
「いいからほら、じっとしてて」
軽い口調とは裏腹に、サーラの表情は真剣そのものだ。
「ああいう手合いの剣には、毒が塗られてたりすることもあるのよ。だから、きちんと治しておかないと」
とか言いつつ、魔女っ子は杖を青く輝かせ、斬られた俺の右腕に近づけた。
「っ……!」
腕がひんやりしたかと思うと、時間を巻き戻すように傷が閉じ合わさり、消え失せていく。サーラお得意の、打ち身や切り傷を治癒する魔法だ。
「……すまねえ、いつも世話焼かせてさ」
「なに言ってるのよ、お互い様じゃない」
と、サーラ。いつもながら、さっぱりしたもんだ。
「さっきはあなたがあたしを助けてくれたでしょ? だから今度は、あたしがあなたを助ける番なのよ♪」
そう言って魔女っ子は、チッチッと指を振りつつ、ぱちっと目配せしてみせる。
その笑顔が――突然、ぴくっと引きつった。
「あ……んっ!」
「サ、サーラ?」
急に体をくの字に折って、肩をびくん、びくんと震わせる魔女っ子。
「おい、大丈夫かよ!」
寒さに震える猫みてえに丸めた背中、胸の前で交差させた両腕。左右の肩をかき抱くように、あるいはかきむしるように、爪を立ててつかむ両手。
こいつは……明らかに尋常な様子じゃねえぞ。
サーラはしばらくの間、固く目をつぶって痛みをこらえるような顔をしてたが、やがて苦痛が和らいだのか、こっちを向いて力なく笑った。
「……ええ、平気。なんでもないわ、心配しないで」
「本当かよ……?」
それにしちゃ元気がねえ、疲れた笑顔だ。俺にゃ、無理してるように見えるんだが。
けど、魔女っ子とそれ以上話してる暇はなかった。敵船から新手がこっちの船へ乗り込んできて、戦いが一段と激しさを増してきたからだ。
見たところ、こっちの船乗りたちは皆屈強で、こうした荒事にも慣れっこらしい。中でも際立って強いのが、小人のコロポ船長。はるかな東方の地で鍛えられた片刃の曲剣を、あたかも腕の延長であるかのごとく自在に打ち振り、次々と敵を斬り伏せていく。
それに、数は少ないものの、姫さんがコンスルミラから連れてきたフォレストラの戦士たちもいて、これまた相当鍛錬を積んでるようだ。姫さんの指揮の下、よく戦ってるぜ。
だが、敵は略奪と殺戮を生業とする命知らずの海賊たち。おまけに、数じゃ断然あっちが上だ。連中、最初に乗り移ってきた十数人が倒れると、すかさず新手を送り込んできやがった。その数、およそ二十人。加えて向こうの船縁にゃ、ざっと数えただけでもまだ四十人は海賊がいて、こっちに攻めかかる機会をうかがってる。
一方、こっちは俺とデュラム、サーラを加えても、せいぜい三十人。ちなみにこの中にゃ、気まぐれな神々は含まれねえ。
あの連中も、手助けしてくれるといいんだがな……。