第7話 海賊の襲撃だ!
「フェイナ様、お耳を」
姫さんの許へつかつかと、足早にやってきたのは、いかつい顔した小人だった。
使い古された傷だらけの板金鎧を身につけ、白髪を頭の後ろへなでつけた、いかにも歴戦の勇士って感じの爺さんだ。腰に佩いてるのは、ほっそりとした片刃の刀身が緩く優美な曲線を描き、こしらえもそこいらの戦士や冒険者が使う剣なんかとは明らかに違う、異国風の剣。
細身で片刃の曲剣と、ずんぐりして屈強そうな小人。こりゃまた、奇妙な取り合わせだぜ。
「どうした、コロポ?」
姫さんが怪訝な顔して、小人の強面をのぞき込んだ。
この人はコロポ。現在俺たちが乗ってる交易船〈波乗り小人号〉の船長で、姫さんの頼みに応じて、俺たちをこの船に乗せてくれた海の商人だ。若い頃、冒険者として東の果てまで赴き、伝説の黄金島ズィーア・パンをその目で見てきたってんで、ついた通り名が〈東方帰り〉。腰につるした曲剣は本人曰く、そのズィーア・パンを治める王様から餞別として贈られたもんだとか。
小人の船長は、姫さんの前で片膝をつくと、余計な前置きは省いて、単刀直入に告げた。
「前方に船が一隻現れてございます。帆柱の頂に髑髏の黒旗を掲げておりますゆえ、おそらく海賊かと」
「なん、だと?」
海賊。船長が口にしたその一言を聞いて、姫さんの顔色が変わる。
「このあたりで海賊と言えば――まさか」
「悪名高き〈人喰い鮫〉、あのシュフィック一味やもしれませぬな」
弾かれたように、姫さんが船首の方へ駆け出した。
「あ、おい姫さん……待てよ!」
束の間呆気にとられた俺たちも、急いで後を追う。甲板をダンダン、ダンと踏み鳴らして、船尾から船首へ。追いついたときにゃ、姫さんは船首にいた見張りから遠眼鏡を引ったくり、前方へ向けてるところだった。
「海賊の船って……どこだよ?」
「あそこだ、よく見ろ」
人間より優れた視力を持つ妖精の美青年が、船縁から身を乗り出した俺の傍らに来て、すっと右手を突き出し、前方の一点を指差す。
「モナヴォフ島の手前に、海面から顔を突き出した大岩が見えるだろう。そのそばだ」
「大岩の近く、大岩の近く……ああ、あれか!」
見えたぜ。俺たちが乗る〈波乗り小人号〉の前方、右手に三本帆柱の船影が一つ。背中から潮を吹き上げる海の怪物、鯨を思わせる威容の大帆船だ。防水のため船体にべったり塗りたくられた、真っ黒い瀝青。コロポ船長の言葉通り、帆柱のてっぺんにゃ黒地に白で髑髏を描いた旗が翻り、目にした奴の胸中に不安をかき立てる。
「あの海蛇を描いた帆は……間違いない。海賊シャー・シュフィックの船――〈海神への復讐号〉だっ!」
「復讐……海神への?」
姫さんが口にした、とても穏やかとはいえねえ船の名を聞き、俺は昨夜、見張りの船乗りが口ずさんでた歌を思い出した。
あれは確か、こんな歌詞じゃなかったか。
「南の海の海賊王、
海神に仕えし海蛇に、妻を殺され、息子を食われ、
挙句に船をも沈められ、怒りに燃えて復讐誓う。
憎き蛇を討ち果たし、その血で神の庭を汚さんと、
誓い立てたり、涙流して……」
「フェイナ様。相手はまっすぐ、こちらへ向かってきております。このまま進めば、襲われましょう」
「くっ……急いで舵を切れっ! 進路を変えて、逃げるぞっ!」
「御意」
「逃げ切れるのかよ? 姫さん」
「わからんっ!」
と、明言を避けた姫さんの表情は、硬く険しい。悩ましげに寄せられた眉根、きゅっと噛み締めた唇が、言外に「おそらく無理だろう」って語ってる。
「こちらは商船だからな、船足はあまり早くないっ。追いつかれるようなら、戦うしかないぞっ!」
遠眼鏡を持つ姫さんの手にぐっと力が込められ、指の関節が白くなる。薄い桃色の唇が意を決したように開かれると、周囲で不安げな顔をする船乗りたちへ、矢継ぎ早に指示が下された。
「皆、弓を持て、槍を持てっ! 乗客たちに事情を話し、甲板へ上がってくるなと伝えよっ! 賊の焼き討ちに備え、水の用意も忘れるなっ! 万が一のためだ、急げっ!」
不幸なことに、姫さんが命じた戦の支度は、無駄にはならなかった。海賊船は図体に似合わねえ船足で、みるみるこっちへ近づいてきたんだ。
風神ヒューリオスの加護でも受けてるんだろうか。とぐろを巻く海蛇描いた帆を、追い風ではち切れんばかりにふくらませ、左右から船体揺する波をものともせずに、青い大海原を突き進んでくる。こっちが舵切って逃げる気配を見せると、向こうもすかさず進路を変えて、後を追ってきやがった。
「……むッ?」
シュッ! 危険を察知したらしく、とっさに首をねじったデュラムのこめかみをかすめて、何かが帆柱に突き刺さる。
「こいつは……?」
矢だ。先端に鉄の鏃をつけた矢が、硬いレヴァン杉の帆柱に深々と食い込み、黒い矢羽根を震わせてる。
一の矢に続いて二の矢、三の矢。さらに続けて四の矢、五の矢も……!
「だあああっ!」
タン、タン、タン! まな板の上で野菜を刻む包丁みてえに軽快な音を立て、俺の手元に、足元に、次々と矢が突き刺さる。
敵の船はもうすぐ後ろ、こっちに矢を射かけられる距離まで迫ってやがる。舳先の不気味な船首像――鉤爪つきの両手を胸骨の前で交差させ、虚ろな眼窩でこっちを見すえる骸骨の像と、船首で弓を引く射手たちの姿が、はっきりと見えるぜ。
矢だけなら、まだいい。子供の頃、本で読んだことがあるんだが、こういう海の上での戦いじゃ、頭上に気をつけねえと、矢より危険なもんが降ってきてだな――。
「メリック、下がって!」
不意にサーラが声を上げ、俺の肩をつかんで後ろへ引っぱる。次の瞬間――ズガァーン!
「ど、どわあぁッ!」
本当に降ってきやがった。俺の頭より一回りもでっかい、石の弾丸が。
魔女っ子が後ろへ引っ張ってくれなけりゃ、今頃俺は、頭を鶏の卵みてえに叩き割られてただろう。石弾が直撃した甲板にゃ、ぽっかりと穴が開き、下の船倉が丸見えになってやがる。
「わ、悪いサーラ……助かったぜ」
「どういたしまして♪ それより、今のは……?」
「ありゃ多分……投石機だな」
サーラと並んで敵の船首に目を凝らすと、推測はすぐに確信へと変わった。舳先を飾る骸骨像の上、射手たちの背後に物騒なもんが見える。横から見ると三角形の台座に長い木製の梃子を取りつけて、その片端には重りを、もう一端にゃ石弾入りの網袋をつり下げ、側面に凹凸がついた車輪を回して重りを持ち上げるようにした機械仕掛け――投石機。高く持ち上げた重りを一気に落下させりゃ、その勢いで反対側の網袋が高々と跳ね上がり、中に入った石の弾丸を標的めがけて放り投げる仕組みだ。
「あんなもんまで持ってやがるなんて、ずるいぜ……!」
幸いというべきか、投石機は威力が高い反面、一発打つと次の石弾を放つまでに結構時間がかかるみてえだ。けど、その間に敵が何もしてこねえはずもなく――。
「……っ! また弓矢かよ!」
投石機の前に立つ二人の射手が、片目をすがめて弓を引き絞る。鉄の鏃が狙うのはデュラム……じゃなくてサーラかよ!
「危ねえ!」
太陽神リュファトにかけて、今度は俺がサーラを守る番だ。魔女っ子の前に踊り出て、剣を抜きざま横一文字に打ち振り、飛んできた矢を一本、二本と薙ぎ払う。刀身から伝わってきた衝撃で手が痺れそうになるのをこらえ、再び剣を一振り! 今度は二本、ほとんど同時に飛来した矢を、まとめて叩っ斬った。
「メリック……!」
「へっ。さっき助けてもらった恩は、これで返したぜ!」
「こ、こんなときに何言ってるのよ……!」
藍玉の瞳を丸くして、驚いた顔をする魔女っ子に、俺はぱちっと片目をつぶってみせた。
――いいから、ここは任せろって!
普段、デュラムやサーラの世話になってばかりの俺だからな。こういうときこそ、しっかりしねえと。
そう気張ってはみたものの、敵にゃ攻撃の手を緩める気配はまるでなく、それどころか一層激しく、雨霰と矢を射かけてくる。そいつを払ってるうちに、再び投石機の重りが持ち上がり――。
「メリック、来るぞ!」
デュラムの警告通り、丸く削られた石弾が、唸りを上げてすっ飛んでくる。
もし、俺の手元に革表紙がついた航海日誌でもありゃ、今日の頁にまず、こう記すだろうな。
本日の天気――晴れ後、矢の雨、時々石弾!
弓矢と投石機で激しく攻め立てながら、海賊の船は着実にこっちとの距離を狭めてきてる。こりゃもう、逃げ切るのは無理そうだ。
「姫さんっ!」
かくなるうえは、戦うしかねえ。そう思い切って俺が呼びかけると、フォレストラの王女様は苦い顔してうなずいた。背中の矢筒から一本、矢を引き抜くなり手持ちの弓につがえ、弦をきりりと引き絞る。
「森の神ガレッセオよ――我が矢を導きたまえ、敵の許へ」
薄い唇がかすかに動き、祈りの言葉を紡いだかと思うと――ヒョウ! たわんだ弓の弾力で撃ち出された反撃の嚆矢が、敵船の甲板へ一息に飛び、今まさに次の矢を射ようとしてた射手の眉間に見事――命中だ!
「やるじゃねぇかぁ、お姫様」
敵がもんどりうって倒れるのを見た森の神が、パチパチと軽く拍手して、姫さんの弓の腕を称えた。
「御身の加護あってのことだっ、森の神よ」
「謙遜するなってぇの。今のは間違いなく、あんたの実力だぜぇ」
どこからともなく取り出した林檎にがりっとかじりついて、陽気に笑う森の神。
「けどなぁ、安心するにゃまだ早いぜぇ。敵はまだ、わんさかいるんだからよぉ」
確かに、姫さんが仕留めたのは大勢いる海賊たちの一人にすぎず、連中の勢いが衰えた様子はまったくねえ。むしろこっちが一矢報いてみせたことで、矢と石弾の数が一段と増した気がするぜ。
「皆の者、準備はいいかっ!」
敵の猛攻にも取り乱すことなく、姫さんが采配を振るった。
「海賊どもを、一人残らず返り討ちにするぞっ!」
「「「おおッ!」」」
姫さんの号令に応えて、コロポ船長をはじめとする船乗りたちが気勢を上げる。
それからほどなく、海賊船が追いついてきて、俺たちの船と並びやがった。