第5話 不思議な旅の道連れたち
果たして、ろくに眠れねえまま夜が明けて、朝が来た。
吊り床を出て、薄暗い船内から甲板へ上がってみると、青い世界が広がってた。
雲一つねえ快晴の青空と、朝日を受けて輝く紺碧の海。昨夜よりいくらか強さを増した風が、俺の黒髪をなぶる。風に運ばれてきた潮の香りが、鼻をくすぐった。頭上を飛び交い、クワァ、クワァと欠伸めいた鳴き声を上げてるのは鴎だろう。
視線を下ろすと、甲板で忙しく立ち働く、船乗りたちの姿があちこちに見える。
日焼けした剥き出しの上半身。筋肉隆々の肩や腕に掘り込まれた、大海魔や大海蛇――海の怪物を意匠化した刺青。
どの船乗りも朝から額に汗水垂らして、仕事に勤しんでる。縄を引っ張り、帆の張り具合を調節する者や、長柄つき雑巾で甲板をせっせと掃除する者。船底に溜まった海水を、桶で汲み出す者……。
「メリック! こっちよ、早く来なさい。先に食べてるから!」
デュラムとサーラは俺より一足先に起きて、甲板で朝飯を食べてるところだった。
デュラムは俺の姿を認めると、いつもみてえに「今頃起きたか、貴様」とか嫌味っぽく言いつつ、堅焼きの麺麭と干し肉が入った皮袋をこっちに投げよこしてくれる。
サーラも……昨夜、ゴドロムからおかしなことを言われたときは様子が変だったが、今朝はもう、いつものあいつに戻ってた。さっぱりしてて、世話焼きな魔女っ子に。
「ちょっとメリック、あなた干し肉ばっかり食べてないで、野菜も食べなさいよ。お肉ばかりじゃ、そのうち体壊して病気になっちゃうんだから」
そう言って、肉料理が好物の俺に、檸檬の絞り汁をたっぷり振りかけた玉菜の塩漬けを食べさせようとしやがるサーラ。
「わ、わかった! わかったからサーラ、そうやって俺の口に、無理やり野菜を押し込むのはやめてくれって、もがもごッ!」
「あら、あなたの嫌いな玉葱じゃないだけ、まだましでしょ♪ ほら、その調子でもう一口♪」
「俺は、もぐもぐ、野菜全般が、もぐもぐ、苦手なんだよ!」
「食べながらしゃべるのやめなさいよ。まったくもう、行儀悪いんだから」
「ちぇっ、もぐもぐ……」
まあ、こんな感じで、サーラの世話焼きにゃ毎度辟易させられてる俺だけどさ。今はとにもかくにも、こいつが普段の調子に戻ってくれて、よかったぜ。
それにしても……昨夜のあれは、一体なんだったんだろうな……?
「起きたかっ、フランメリック!」
俺たちが朝飯食べてる間も、仕事に勤しむ海の漢たち。その間を縫って、こっちへ向かってくる人影があった。
「あ……」
悩ましいまでになまめかしい肢体に、水着と見紛う露出度の高い鎧をつけた、気の強そうな美少女だ。サーラも上下一続きの水着みてえな革服に胸当て、外套を重ね着したきわどい格好だが、露出の激しさじゃこの少女が一枚上手だろう。むさ苦しい男たちの中にあって、その姿は場違いなくらい華麗で優雅、そして妖艶に見える。
「そろそろ起こしにいってやろうかと思っていたが、その必要もなかったなっ!」
肩のあたりで適当に切りそろえた緑の髪を揺らし、翡翠の瞳を輝かせて、その少女は足取りも軽やかに駆け寄ってくる。甲板で働いてた船乗りたちは皆かしこまり、左右に分かれて少女が歩く道をつくった。
「姫さん……」
この人はウルフェイナ。半年前、俺たちがシルヴァルトの森の奥深く――〈樹海宮〉の前で出会ったフォレストラ王国の王女様で、俺は「姫さん」って呼んでる。初めのうちは俺たちと敵対してたが、後には手を組んで一緒に戦った。俺にとっては因縁の敵――親父の仇であり、姫さんにとっちゃ自分を裏切った腹心である、魔法使いカリコー・ルカリコンを倒すために。
魔法使いが倒れた後、俺たちゃ姫さんとはまた会うことを誓って別れたんだが、つい先日、商都コンスルミラで再会してさ。本人曰く隣の国、サンドレオ帝国の使者たちと和平について話し合うために来てたんだとか。その話し合いが始まってほどなく決裂しかけたもんだから、俺たちは姫さんに助太刀してサンドレオの皇子様と戦い、なんとか退けたってのは前に話した通りだ。
そんなこともあったが、コンスルミラに滞在してる間、姫さんにゃいろいろと世話になった。今乗ってるこの船も、姫さんが手配してくれたんだ。
「むっ……? おいっ、フランメリック」
俺の前まで来た姫さんが、ずいっと顔を突き出し、じっとこっちを見つめてきた。
「な、なんだよ姫さん?」
サーラの奴にも時々されるんだが、どうも女の子に見つめられるのは苦手だぜ。
「お前、目の下に隈ができているぞっ! このところ他の客たちと大部屋で雑魚寝していて、よく眠れていないのではないかっ?」
姫さん、何を言い出すかと思ったら、そんなことかよ。
現在俺たちが寝起きしてるのは、この甲板から階段を降りて通路をまっすぐ行った先にある、他の乗客たちも使用してる大部屋だ。港を出る際、姫さんは「お前たちにはもっといい部屋を用意させるぞっ!」って言ってくれたんだが、俺たちゃ遠慮した。他のお客を差し置いて自分たちだけ特別扱いってのも、気が引けたからさ。
「ん……まあ、そうかもな」
理由はともかく眠れなかったのは事実なんで、俺は曖昧にうなずいてみせる。
「けどさ。そう言う姫さんこそ、ちゃんと眠れてるのかよ? その……今もいろいろ大変なんだろ?」
この姫さん、王族にあるまじき露出過剰な格好にばかり目がいっちまうが、これでも結構、苦労人なんだよな。半年前、俺たちと出会ったシルヴァルトの森じゃ、信頼してた魔法使いに裏切られてるし、先日は隣国サンドレオから来たレオストロ皇子の身勝手な言動に振り回されてた。今も俺の故郷、イグニッサ王国が姫さんの国に戦を仕掛けようとしてるようで、この人にとっちゃ頭の痛い話だろう。
ちなみに……俺たちが現在、イグニッサをめざして旅してる目的はなんなのかっていうと、実は今の話と大いに関係がある。まあ、要するに――イグニッサとフォレストラ、二つの国が戦うことにならねえよう、姫さんを加えた俺たち四人でなんとかするため、なんだ。。
閑話休題。そんなわけで、過去も現在も、いろいろと苦労が絶えねえのがこの姫さんだが、今はあんまりそのことにゃ触れられたくねえようだ。
その証拠に姫さんは、
「だ、大丈夫だっ! 私のことは気にするなっ! それより、さっきの話だが……」
そう言って、さっさと話を元に戻しちまう。そしてその直後、
「今の大部屋でよく眠れないのなら、今夜は……私の部屋で寝ないかっ? 急いで手配した船だから豪華とまではいかないが、広いし鼠もいないし、快適だぞっ。寝台は一つしかないが、お前となら――」
と、聞いてるこっちがびっくりするようなことを言い出した。
「え……えええええッ?」
ちょ、ちょっと待ってくれ。そりゃ一体、どういう意味で言ってるだよ?
姫さんの言葉に、どぎまぎしちまう俺。そんな俺を見て、姫さんはくすりと笑う。
「おい、しっかりしろっ。今のは冗談だ、冗談。やっぱりお前はからかい甲斐があるなっ!」
「な……! ひでえな姫さん、からかったのかよ!」
半年前、〈樹海宮〉で別れ際に話したときも、似たようなことがあった気がするぜ。
「ははは、悪かったなっ」
「ん……ま、まあいいけどさ」
苦笑いしてみせると、姫さんは屈託のねえ笑顔で応え、俺の右手に来た。左手に立つサーラが、なぜかむーっとほっぺたをふくらませるのにも構わず、
「フランメリック。お前、船旅は始めてかっ?」
と、翡翠の瞳をきらきらさせて、たずねてくる。
どうも姫さん、俺たちともっと話がしたいみてえだ。
「いや、小舟に乗ったことなら何度かあるぜ。けど、こんなでっかい船で旅するのは生まれて初めてだな。このあたりの海のことも、ほとんど知らねえし……よかったら教えてもらえねえか?」
そう頼んでから、俺はたまたま視界の端に映った、近くの島を指差した。
「たとえばさ……ほら、あの島! ありゃ、なんて島なんだ?」
「あれか? あれはウェーゲ海で最も大きな島、レクタ島だなっ」
姫さんは俺のつまらねえ質問にも嫌な顔をすることなく、笑って答えてくれた。
「あの島には太陽神リュファトを祀る神殿があってな。そこで下される神託――神のお告げは、よく当たると評判だそうだっ」
「太陽神の神託、か」
半年前、シルヴァルトの森で俺たちが最初に出会った神様――俺のことを「メリッ君」って呼んでくれた神々の王の名を聞いて、胸に懐かしい思いが込み上げてくる。
もし、俺がその神殿を訪ねて、神託を求めたら……あのおっさんは答えてくれるだろうか?
「じゃあ、あれは――てっぺんからもくもく煙が噴き上がってる火山島は?」
「モナヴォフ島だっ。フォレストラに伝わる神話では、あの島の地下深くに火の神メラルカの鍛冶場があるということになっていてな。〈焼魔の杖〉や〈斬魔の剣〉といった神授の武器はすべて、そこでつくられたそうだっ。今は悪名高い海賊王の根城になっているから、近づく者はいないがなっ!」
「メラルカ……」
リュファトとは違った意味で気になる神様の名前が出てきたぜ。おまけに、神授の武器――かつてメラルカの手でつくられ、これまでに二度、俺たちを危険に陥れた魔法の武器の話まで出てくるなんて。
「ねえねえ、人間さん! なんのお話してるの~? チャパシャもまぜて、まぜて~!」
俺と姫さんのおしゃべりに興味を持ったのか、気づけば周囲にゃ人が集まってきてた。
……いや、「人」ってのは正確じゃねえか。
「…………そこの人間。私もそばで聞いていたいのだけれど、構わないかしら?」
「よぅフランメリック。二人だけで楽しんでねぇで、俺たちと船端会議でもしようぜぇ!」
「ガルちゃ~ん、それを言うなら井戸端会議だよ~♪」
「はっはっはぁ、細かいことは気にするなって言ってるだろぉ、パシャ!」
「ああん、ガルちゃんやめて! チャパシャの髪の毛、くしゃくしゃしないでよ~!」
底抜けに陽気な声を上げて笑う、野性味あふれる顔立ちの青年。無邪気な笑顔が愛くるしい、水色の髪と瞳、瑞々しいほっぺたの少女。二人の背後に立つ、寡黙で無表情な、褐色肌の大女。
「……神々っ!」
姫さんがちょいと顔を強張らせ、つぶやいた。
そう。こいつらは人間じゃねえし、地上の種族でもねえ。昨夜俺たちに絡んできたゴロロムと同じく、神様だ。天空の都ソランスカイアに住み、フェルナース大陸を支配してるとされる不老不死の種族。そのうちの四人が、コンスルミラからずっと、俺たちについてきてるんだ。
森の神ガレッセオと水の女神チャパシャ、大地の女神トゥポラ、そして雷神ゴドロム。
単に面白半分でくっついてきてるのか、何かたくらんでやがるのか。
普段は賑やか好きだが、ゴドロムみてえにおっかねえ一面を見せることもあって、何を考えてるのか今一つわからねえ、不思議な旅の道連れたち――それがこの四人組だ。