第58話 幕の向こうに、誰かいる
ずいぶん長い間、眠ってたらしい。目が覚めたときにゃ、もう夜だった。
窓から差し込む月明かりがひたひたと、俺の素足を冷たく濡らしてる。
……素足?
夕方、寝台に倒れ込んだときは、革靴を履いたままだったのに。
不思議に思って起き上がってみると、いつの間にか革の胸当てや籠手、脛当ては外されてて、身につけてるのは黒い薄上衣と下穿きだけじゃねえか。しかもその下着まで、ご丁寧に新しいもんと替えられてるようだ。
誰の仕業だよ? ま、まさか……?
眠りに落ちる直前、耳元でささやかれた言葉と、ほっぺたに触れた何かの柔らかな感触を、遅まきながら思い出す。
向かいの寝台に目をやると、毛布にくるまって寝息を立ててる、魔女っ子の姿が見えた。
ひょっとして……サーラに脱がされたのかよ?
そう考えただけで、顔がぼんっと熱くなる。
世話焼きなあいつのことだから、あり得る話だぜ。
「太陽神リュファトにかけて、なんてこった……!」
恥ずかしさのあまり、ぴしゃりと顔面を叩く俺。
年頃の女の子に着てるもんを脱がされ、あられもねえ姿を見られちまうなんて。不覚だぜ。
寝台から下りると、そばに置かれた卓の上で、灯器の火がゆらめいてるのに気づいた。
卓上にゃ灯器の他に、麺麭と骨つき肉、玉菜の塩漬けが盛られた木の皿と、陶器の水差し、筒杯が並べられ、羊皮紙の端切れが添えられてる。
羊皮紙にゃ丸みを帯びた愛らしい字で、こう書かれてた。
――お疲れ様。お腹空いてるでしょ? 一階の食堂でもらってきたから、よかったら食べて♪
簡潔ながら、書き手の優しさが感じられる文だ。読んでて自然と口許がほころんじまう。
その隣に、続けてもう一行――。
――あなたはあたしの弟分なんだから、恥ずかしがらなくてよし! いいわね?
文の終わりまで目を通した途端、がくっとなる。何を「恥ずかしがらなくてよし」なのかは、一瞬でわかった。
「や、やっぱり犯人はお前かよ……!」
まるで、俺が目を覚ましたら自分の格好を見て何を思うか、先読みして書いたような追伸だ。
夜食を用意してくれた魔女っ子の心遣いを嬉しく思いながらも、着てるもんまで脱がすのは世話の焼き過ぎだろうって、心の中で激しく突っ込む俺。
「うぅうぅ……竜が寝てる洞穴でもいいから、穴に入りてえ……ん?」
恥ずかしさのあまり、うーうー唸りながらサーラの隣――俺の斜め向かいの寝台を見ると、その上にゃ妖精の姿があった。
「……おい、デュラム?」
呼びかけてみたが、返事がねえ。
妖精の美青年は、寝台の端に腰かけ、うつむいて背中を丸めてる。肩に槍を立てかけ、一見起きてるみてえだが、よくよく見りゃ……なんだ。こっくりこっくり、うなずいてやがるじゃねえか。
多分、俺やサーラが休んでる間も寝ずの番をしようと起きてたものの、疲れと眠気にゃ勝てなくて、寝ちまったんだろう。
「……ったく、しょうがねえな」
やれやれ、と肩をすくめて、座ったまま眠る妖精に近づく。
「漂流生活は昨日で終わったんだ。もう舟なんざ漕がなくていいんだって」
耳元でそうささやいて、肩から槍を取り上げ、壁に立てかける。それから、そっとデュラムの上体を倒して、寝台に寝かせてやった。
筏で漂流してる間にも一度見たが、デュラムの寝顔は完全に無防備で、普段のすまし顔とはまるで雰囲気が違う。いつもはお高く止まった気障野郎って感じの奴だが、こうして気を抜いてるところを見ると、案外普通なんだな……。
と、そのとき。不意にパシャリと、水音が聞こえてきた。
「……?」
風呂桶が置かれた、部屋の奥からだ。室内を半々に仕切る薄い亜麻布の幕。その向こうに、誰かいる。どうやら卓上の灯器とは別に、もう一つ明かりをともして、湯を使ってるようだ。
ほっそりとした人影が、黒々と幕に浮かび上がってる。
水音は依然、パシャリ、パシャリと聞こえてくる。
デュラムでもなく、サーラでもねえなら、一体誰なのか。
正体を確かめなきゃ、いけねえよな……?
俺は足音を忍ばせ、部屋の奥へと向かった。
幕に手をかけ、ごくりと唾を呑み込む。そして――力を込めて、一気に引いた。




