第52話 望みは一つ、神への復讐
さすがに〈人喰い鮫〉なんて呼ばれるだけのことはある。海賊の首領シャー・シュフィックは強かった。
「どうした坊主、守るばかりで手も足も出ねェか、えェ?」
挑発の声と一緒に、湾曲した刃が右から飛んでくる。
「ぐ……」
上体をひねって、耳を削がれるのを避ける俺。だが、その直後、左から飛来した弓形の刃が、ほっぺたを切り裂こうとする。
「うぉ、っと……!」
まさに間一髪。剣で防ぐのがあとほんの少しでも遅れてりゃ、あの白刃に顔面ざっくり斬られて、頬骨まで砕かれてただろう。
こいつは、文句なしに手強いぜ。
シャー・シュフィックの得物、舶刀は狭い船上や船内でも使いやすいよう、刀身が短くなってて、届く範囲じゃ俺の剣に劣るはず……なんだが。荒くれの海賊たちを束ねる男の足運びと剣さばきは、それを補って余りあるくらい速い。背中に負ってるでっかい革袋――海賊らしく金貨でも詰めてるのか、ずっしりと重そうだ――がなけりゃ、もっと速いんじゃねえだろうか。
しかも、左右の手に剣を一振りずつ持つ二刀流だから、余計に厄介だ。この海賊船長、左右の剣を交互に、連続で繰り出してきたかと思えば、右の剣で誘いをかけつつ左の剣で大振りの一撃や鋭い一突きを放ったり、あるいは二刀を交差させてこっちの反撃を防いだりと、まさに臨機応変、変幻自在な戦い方をしやがる。
ここまで腕の立つ剣士なんざ、そうお目にかかれるもんじゃねえ。けど……。
右から、左から、こっちが息つく間もなく飛んでくる刃を弾き、かわし、受け流しながら、俺は必死に思考をめぐらせた。
確かに強敵だが、決して勝てない相手じゃねえ。問題は……勝負がついた後、この場をどう収めるかってことだ。
「はん、なるほどな――確かにいい腕だ。オレの剣をここまで受けられる奴なんざ、そうそういるもんじゃねェ。神々が気に入るのも、わかるような気がするぜ」
激しく斬り結ぶうちに、シュフィックが口を開いた。
「だが、おめェ……その力で何をするつもりだ?」
賞賛の後に続いたのは、そんな問いかけ。
「力ってのは、それを使う目的があって初めて意味を持つもんだろ? どれだけ力があろうと、なんの願いも望みもなく生きてるようじゃ、宝の持ち腐れだろうが]
「俺の望みなんざ、大したもんじゃねえよ」
海賊の大将に、自分が考えてることを明かしていいもんか。そんな迷いはあったが、ここは率直に答えることにした。
多分、シュフィックは俺を試してる。剣士としての力量だけじゃなくて、地上に生きる人間としての器の大きさを推し量ろうとしてる――そんな気がするぜ。
だったら、包み隠さず堂々と、自分を語ってやろうじゃねえか。
「俺はただ、メラルカが何をたくらんでるのか、明らかにしてえだけだ。それに、俺の故郷がフォレストラと戦になるのを、なんとかして止めてえ。俺が望むのは、それだけだ」
「はん、なんだそりゃ? 神々のお気に入りにしちゃ、ずいぶん地味な願いだな」
やっぱり、というべきか。俺の答えを、海賊の領袖は鼻で笑ってみせた。
「おめェ、冒険者なんだろ? だったらもっと、でっかい夢だの野望だのはねェのか。神話に出てくるような、この世に二つとねェ宝を手に入れる。伝説の魔物を見つけ出してぶっ倒す。そんなでっかい願望を持つのが冒険者ってもんだろうが」
「あんたの価値観で決めつけねえでくれよ。それに……そういうあんたは、何が望みだよ?」
腹を立てるなんざ子供っぽいとは思いながらも、俺は唇尖らせ、問い返す。
こっちは素直に答えたんだから、今度はあっちが答えるのが礼儀ってもんだろう。
大勢の手下。嵐にも負けねえ船――〈海神への復讐号〉。東方伝来の〈チャナタイの魔弾〉。それだけの力を持ちながら、この海賊が望むことってなんなんだ。今まで豪語してきたように、あるいは船の名前が示す通り、やっぱり……?
「さっきも言っただろ。オレの望みはたった一つ――神への復讐だ!」
右の剣で大振りの一撃を繰り出しながら、シャー・シュフィックは豪語した。
続けて左の剣で二度、いや三度、続けて突きを放ってくる。
「オレも七つの海――特にこのウェーゲ海じゃ、それなりに名を知られた男だ。おめェも噂を聞いたことがあるんじゃねェのか? この前、オレに襲われるまで船旅をしてたなら、船乗りが歌ってるのを耳にしたことくらいあるだろう。巷じゃ〈人喰い鮫〉なんて呼ばれてる、オレの物語をよ」
「……!」
シュフィックの猛攻はどうにかしのぎきったものの、息が切れて、返す言葉が出てこねえ。
剣を構えたまま、肩を上下させて呼吸を整えてると、シュフィックは「はん」と笑って肩をすくめ、
「どうだ、このあたりで一休みしようじゃねェか。休憩がてら、昔話をしてやるよ」
とか言って、両手の剣を鞘に納めた。近くに転がってた岩にどっかりと腰かけ、脚を組むと、懐から細長い煙管を取り出す。
「おい、火ィくれよ」
「あ、へい……お待ちを!」
「早くしな」
「合点、ただ今!」
子分たちに短く命じると、俺と同い年くらいの若い海賊二人が、慌てて松明の用意にかかる。
「メリック。あなたも今のうちに一息入れなさいよ。傷の手当ても必要でしょ?」
この時間を無駄にしちゃいけねえと、サーラが気を利かせてくれた。薬と包帯が入った荷袋を、持ってきてくれたんだ。
「向こうから勝手に一休みだなんて言ってきたんだから、その間に何をしようとこっちの自由でしょ?」
「ん……ああ、すまねえサーラ」
今のところ、シュフィックに負わされたのはごく浅い傷ばかりだが、せっかく時間があるんだから手当てしておくに越したことはねえだろう。
「あ、手当てなら、ぼくも手伝いますよ!」
そう言って、なぜだか嬉しそうに駆け寄ってきたのはアステルだが、
「ロフェミス様……じゃなくてアステル君は、いいからそこで見てて!」
と、サーラにすげなく告げられて、がつんと衝撃を受けた顔をする。
「ええっ、どうしてですか?」
「一休み中とはいっても、まだ決闘は続いてるんだから、神様が一方に肩入れしたら公平じゃないでしょ? それにこういうのは、ずっとこの子の姉代わりをしてきたあたしの役目なんだから」
「そんな! 傷の手当てくらい、別に構わないでしょう。こういうときは、ぼくにできることをさせてくださいよ」
「だーめ。神様は手出し無用、おとなしくしてなさいって!」
「い、いいじゃないですか! ぼくだって少しくらい、フランメリックさんのお役に立ちたいんですよ!」
「だめったらだーめ。えーい、神様なら素直に聞き分けなさいよ!」
「……おいおい。二人とも、何やってるんだよ?」
どういうわけか、どっちが俺の手当てをするかで、あーだこーだと喧嘩になってるようだ。
と、その間に、ようやくいつもの調子を取り戻したらしいデュラムがそっと近づいてきて、サーラが俺のそばに置いた荷袋から、薬と包帯を取り出した。
「……ふん。貴様が望むなら、私が手当てしてやらないでもないが?」
そう言って、きりっとした真顔でこっちを見る。
「あ! ちょっとデュラム君、抜け駆けしないで!」
「そうですよ、ウィンデュラムさんだけずるいです!」
途端にサーラとアステルの二人が仲良く非難の声を上げ、息までぴったり合わせてデュラムに飛びかかった。
「む、サーラさん、ロフェミス神、二人がかりで何を……!」
「足押さえてて、アステル君!」
「はい! あ、ちょっと……ほら、おとなしくしてください、ウィンデュラムさん!」
どったんばったん。美男美女三人がくんずほぐれつする、仁義なき薬と包帯争奪戦、ここに開幕。
「手当てしてくれるんじゃなかったのかよ……」
呆れ顔でそう突っ込みながらも、俺は内心、ふわりと気分が軽くなるのを感じてた。
下手すりゃ命を冥界へ落っことす決闘なんざしてて、気が張りつめてたからさ。こんなおかしな光景を見てりゃ、肩の力が抜けて緊張がほぐれる。気持ちをゆったりさせるにゃちょうどいい。
「……おめェら仲いいな」
どたばたと、急に賑やかになったこっちを遠巻きに眺めつつ、シュフィックが一言、感想を漏らした。小馬鹿にするような、あるいはうらやましそうな――どっちともとれるつぶやきだ。
「へい親分、お待たせしやした!」
「火ィおつけしやす!」
「おう」
子分が差し出した松明に煙管の片端を近づけて火をともし、もう片方の端をくわえて、深々と煙を吸い込む。ふうっと一息吹き出すと、紫の煙が輪をつくり、ぷかぷかと宙を漂った。
「……おめェも吸うか?」
「え? ああ、いや……結構だぜ」
三人の喧嘩を呆れ顔で見ながら、シュフィックから目だけは離さずにいた俺は、奴に煙管を勧められて、断った。煙管ははるか西方、海の彼方から船でもたらされた魔法の嗜好品だが、吸うと気分が和らぐ反面、胸によくねえらしいからな。
「はん。お堅いもんだぜ、近頃のお子サマはよ」
皮肉っぽく鼻で笑いながら、シュフィックはもくもくと煙管をふかし、紫煙をくゆらせる。そうやって一服入れながら、海賊の首領はふっと遠い目をして、ぽつぽつと話し始めたんだ。
自分が海賊になる前の、こんな物語を。




