第4話 嫌な予感
「メリック!」
サーラが背後から肩をつかんで後ろへ引っ張るが、俺は動かなかった。恐怖で体が固まっちまってたってこともあるが、多分それだけじゃねえ。
こんな雷親父に、サーラを渡したくねえ――いや、渡してなるもんか。そんな男の意地ってやつが、そうさせたのかもしれねえ。
ゴドロムの手が間近に迫り、俺をむんずと捕らえようとした、まさにそのとき。
「下がれ、メリック!」
そんな声と一緒に、白銀の閃きが一筋、俺と神の手の間に割って入った。
「おわっ!」
「ぬう? 槍だと……?」
銀の一閃の正体は、横合いから飛んできた一本の槍。木の葉を思わせる白銀の穂を持つ大身の槍が、俺の鼻先をかすり、雷神の指先をかすめる。そして、俺たちの傍らにあった積み荷の木箱に、すげえ勢いで突き刺さった!
どうやら、相当な力でぶん投げられたらしい。刺さってから胸が三拍鳴ってもまだ、石突きが蜂の翅みてえに震えてやがる。
「戯れはそこまでにしてもらおう、ゴドロム神」
誰が投げたのかと思って、槍が飛んできた方へ目をやると、犯人はすぐに見つかった。甲板から船内へ下りるための階段、その下り口から上半身だけを出して、長く尖った耳を持つ妖精の美青年がこっちを見てる――いや、にらんでると言うべきか。少し前まで槍を握ってただろうその右手は、開いたままこっちに向けて突き出されてる。
「何者であれ、私の仲間に手を出そうとするならば容赦はしない――たとえそれが、神であってもだ」
サーラと同じく俺の冒険仲間で、妖精の槍術使い。名前はウィンデュラムだが、俺もサーラもデュラムって略すことが多い。高慢ちきなすまし屋ながら、意外に仲間思いなところもあるいい奴だ。
まあ……俺とは意見が合わなくて、ぶつかることもあるけどさ。
「デュラム、お前……」
「目が覚めてまわりを見れば、貴様もサーラさんも、吊り床の上に姿がなかったからな。どこへ行ったのか捜そうと、ここまで来たのだが……まさかこんなことになっているとは」
妖精の美青年こと、デュラムは階段を上りきり、こっちへ向かって大股に歩いてくる。
「三人そろいおったか、地上の虫けらどもめが」
俺たち三人が肩を並べるのを見て、雷の神は意地悪そうに口の端をつり上げた。
「邪魔をするか、森の神が樹木を彫り刻んでつくった妖精の若造めが。神の不興をかえばどうなるか、わからぬわけではあるまい?」
「そんなことは百も承知だが、だからといって仲間の危機を見過ごすほど、妖精は薄情な種族ではない」
デュラムは俺の傍らに来ると、木箱に刺さった槍を片手で引っつかみ、ぐいっと引き抜いた。そいつをそのまま頭上で三度、風が唸りを上げる速さでぶん回す。
それから白銀の切っ先を、ぴたりと雷神の胸元に突きつけ、
「そちらがあくまで私の仲間に手を出すつもりなら、是非もない。月明かりの下で研ぎ上げた我が槍の味、存分に堪能してもらうことになるが、さてどうする?」
と、不敵に大見得を切ってみせた。
神の前で、この大言壮語。よっぽど胆が据わってなきゃ、言えるもんじゃねえだろう。
「……わからぬ」
ゴドロムの奴、俺がサーラの前に出たときと同様、鼻で笑うかと思ったが、神はにこりともしなかった。不愉快そうに眉間に皺を寄せ、理解に苦しむとでも言うように、しきりにかぶりを振ってみせる。
そしてぶつぶつと、こんなことをつぶやき出した。
「そこな小僧といい魔女といい、なにゆえ貴様ら、そこまで身を挺してかばい合うのだ。仲間とやらに、命を懸けてまで守る価値があるとでも申すか」
「……? なあゴドロム様。あんた、なに一人でぶつぶつ言ってるんだよ?」
俺がそうたずねても、まるで耳に届いてねえようだ。雷神がこっちに向き直ったのは、胸が十拍余りも鳴った後のこと。ちょうど、この騒ぎに気づいた見張りの船乗りが、船首の方から小走りにやってきたときだった。
「おい、お前たち! そこで何を騒いでいる!」
船乗りの声を聞いて、神は忌々しげに舌打ちする。もちろん人間の船乗りなんざ、この神様の敵じゃねえだろうが、これ以上騒ぎが大きくなるのも面倒だと思ったのかもしれねえ。
「ふん……興が削がれたわ。今宵はこのくらいで、おとなしく退散してやろうではないか」
肩をすくめてそう言い捨てると、頭をめぐらせ、立ち去る気配を見せるゴドロム。
「感謝するがよい、わしの慈悲深さにのう」
「あ……ちょっと、待てよ!」
自分が言いてえことだけ言って、さっさと逃げちまうなんて、ずるいぜ。
「……ときに、そこな魔女」
俺が呼び止めると、稲妻の神は首を回して振り返り、肩越しにサーラを見た。そして――。
「貴様その様子では、ただの禊では抑えが効かぬようになってきておろう? そろそろ、別の手立てを考えねばならぬのではないかのう?」
嫌にはっきり耳に響く声で、一言一言、ゆっくりとそう言った。
「い、いきなり何言ってるんだよ? あんた……」
神は俺の問いに答えることなく、どすんどすんと足音立てて去っていく。
「……?」
あの雷神様、一体何が言いたかったんだか。
ゴドロムの言葉は俺には意味不明だったが、魔女っ子にゃ思い当たるふしがあったようだ。いつも明るいサーラの顔が、さっと青ざめるのを、俺は見た。
「サーラ? どうかしたのかよ?」
「……なんでもないわ」
「けどお前、顔色が……」
悪いぜ、って続けようとしたところで、きっとにらまれた。
「いいから、ほっといて!」
この魔女っ子らしくねえ、突き放すような、きつい言い方だ。ちょいとばかり、胸にぐさりときたぜ。
「あ……おいサーラ、待てって、おい!」
俺が呼び止めるのも聞かず、サーラはこっちに背中を向けて、足早に船尾の方へ行っちまう。他のお客に見られちゃ騒ぎになること間違いなしの、とんでもねえ格好のまま。
「……サーラの奴、どうしちまったんだよ、急に」
妙だと思いはしたものの、ひとまず魔女っ子はそっとしておいて、デュラムに説明することにした。俺とサーラが危機に陥ってた事情を、簡単に。
「――とまあ、そんなわけで、あの雷神様に上半身鷲づかみにされて、ひでえ目に遭うところだったんだけどさ。またお前のおかげで助かったぜ、ありがとな」
「ふん……勘違いしてもらっては困るな。私が助けようとしたのはサーラさんだ。貴様など、ついでにすぎん」
妖精の美青年は相変わらず素直じゃねえ。俺が礼を言っても、偉そうに鼻を鳴らしてそっぽを向きやがる。それでもその後、横目でこっそりこっちの様子をうかがい、俺と目が合うと、さっと視線をそらすあたりが、いかにもこいつらしい。
「……それより、さっきのサーラさんだが、どうも様子が変だったな」
照れ隠しのつもりなのか、こほんと一つ咳払いして、妖精が再び口を開いた。
「ああ……そう言えば」
サーラのおかしな言動についちゃ、俺も気になってたが、それはデュラムも同感みてえだ。
「嫌な予感がする。どうやらこの船旅、雲行きが怪しくなってきたようだな」
「縁起でもねえ、よせって」
俺は無理に笑って、肘で妖精の脇腹を小突いた。だが、こっちを見るデュラムの表情は硬く、険しい。
「う……」
そんな真顔で見られちゃ、気まずくて何も言えなくなっちまうじゃねえか。
それからしばらく――船内の寝床へ戻るまでの間、俺とデュラムは黙って船縁に立ち、月明かりが照らす夜の海を眺めてた。
今のところ、海神ザバダが銛を振るって海を荒らしそうな気配はまったくねえ。波は穏やかだし、風も強すぎず弱すぎず、帆を張って進むにはちょうどいい強さの追い風だ。空にも三日月がかかって、皓々と輝いてる。
こんなにも平穏な海の上を旅してるってのに、胸騒ぎが収まらねえのはどうしてだろう。
どうも今夜は、ぐっすり眠るのは無理そうだぜ。