第42話 強敵、巨岩人
「らあッ!」
巨人の足めがけて、気合の入った一太刀を繰り出す。
相手は岩の魔物だけあって硬いだろうが、俺の剣だって丈夫さじゃ負けやしねえ。なにしろ、半年前にアステルのお袋さん――その正体は太陽神リュファトの妻、月の女神セフィーヌなんだよな――が、刀身に自分の力を込めてくれた剣だからな。おかげでそれ以来、折れたり欠けたりしたことが一度もねえ。しかも、先日コンスルミラで雷神と戦った際にゃ、サーラが身を呈して攻撃の機会をつくってくれたおかげだが――あの神様の禿頭に、痛手を負わせることもできた。
この魔法の剣なら、深手とまではいかねえまでも、巨人の岩肌に一筋、切り傷を刻みつけるくらいはできるだろう。そう期待してた俺だったが、次の瞬間にゃ自分の甘さ加減を思い知らされることになった。
「……ッ! か、硬え!」
俺の気合を入れた一太刀は、巨人の足を切り裂くどころか火花を散らし、甲高い金属の響きを立てて跳ね返されちまう。さながら、火打ち石と打ち合わさった火打ち金のように。
岩の魔物がゆっくりと振り返り、赤い光を宿した虚ろな眼窩で、こっちを見下ろしてきた。その右足が、ゴリゴリと音を立てて持ち上がり――古の王墓に忍び込んだ墓泥棒を押し潰す、吊り天井みてえに一気に落ちてくる!
「だあああッ!」
もう無我夢中。潰されたくない、死にたくねえって一心で身を投げ出して、糸を紡ぐ紡錘車みてえにごろごろ転がった。
二度、三度と転がって、ちょうど仰向けになったとき――巨人の足裏が俺の左肩をかすめ、砂と石と岩に覆われた大地に、特大の足跡をつけた。
轟音が上がると同時に、激震が走る。そうなりゃ俺は、真横から波のように襲ってきた揺れに吹っ飛ばされるばかりか、さらに悲惨な目に遭うわけで――ぐえええッ!
「あいでででッで……!」
揺らぐ地面の上を自分の意思と関係なく、さんざん弾んで転がった俺は、ようやく止まってうつ伏せに伸びちまったところで、声をかけられた。
「しっかりしてください、フランメリックさん!」
いつもみてえに、デュラムかサーラが助けにきてくれたのかと思ったが、違った。今、顔を上げた俺の前に手を差し伸べてるのは、気遣わしげな表情をした金髪碧眼の美少年だ。
「よかった。無事でしたか」
「へっ……あんた、これが無事に見えるのかよ?」
ほっと安堵の溜め息をつく星の神様に、俺は痛みをこらえて、苦笑してみせた。
額から一筋、つうっと流れてきた血を、手の甲でぬぐう。吹っ飛ばされて転げ回ってる間、体のあちこちを岩にぶつけ、石や砂に擦りつけてたから、傷だらけだ。まあ、あのでかぶつに踏み潰されずに済んだわけだし、骨も折れてねえのは不幸中の幸いだけどさ。
だが、休んでる暇はなさそうだ。
「メリック、逃げろ!」
「今のうちに、早く!」
どうやら向こうじゃ、今度はデュラムとサーラが危機に瀕してるらしい。二人の声がした方を見ると、妖精の美青年と魔女っ子が、巨岩人の注意を引きつけようと攻撃を仕掛けてるのが見えた。
デュラムが槍を投げるも、巨人の岩肌にあえなく跳ね返されちまう。サーラが両手を構えて呪文を唱え、水の玉を撃ち出したが、今のあいつは呪いのせいで大きな魔法を使えねえからか、岩の巨人にゃ大して効いてねえようだ。
巨岩人が咆哮を上げて、反撃に出た。でっかい拳を後ろへ引いて、右から左へ、左から右へ、薙ぎ払うように――振り回す!
右から来た拳を避け損なったデュラムが、かすっただけだってのに弾き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。助けに走ろうとしたサーラも、左から五本の指を広げて飛んできた手に捕まっちまい、
「ちょっ、苦しい……! は、放しなさいよッ!」
華奢な体をむんずとつかまれ、そのまま持ち上げられて、苦しげに喘いだ。
長革靴を履いた細い足が、じたばたと宙を蹴る。
「デュラム! サーラも……!」
「あ、動いちゃ駄目ですよ、フランメリックさん!」
二人の許へ向かおうとする俺の肩に、星の神様が手を置いた。
「あなたも傷だらけなんですから、無理しないで休んでてください。あの魔物は、ぼくがなんとかします。仲間のお二人も必ず助けますから、この場はぼくに任せて……」
「いや――俺も戦うぜ」
「え……? な、何言ってるんですか。そんな体じゃ、これ以上戦うなんて……!」
なおも俺を引き留めようとする神の前に、すっと掌を突き出してみせる。俺のことなら心配無用だぜ、と言うように。
「フ、フランメリックさん……?」
水面に油絵の具を一滴垂らしたときみてえに、アステルの顔にぱっと驚きの色が広がる。
「アステル……いや、ロフェミス様。俺はあんたのこと、結構好きだし、心配してくれるのも嬉しいけどさ。あんたの親切に甘えてちゃ、俺は駄目な奴になっちまう。そんな気がするんだ、なんとなく」
神に頼りたくねえなんて、そんなつまらない意地を張ってる場合じゃねえってことは、もちろん俺にもわかってる。神の方から助けてやるって言ってきたんだから、ここは任せておけばいいじゃねえかって、考えもした。このお人好しな神様に全部任せりゃ、俺も楽ができるし、デュラムとサーラも助かって一石二鳥だからな。頭の中じゃ、それが賢い判断だって心の声がずっと響いてた。
それでも……俺は。
「自分がやるべきことは、全部は無理かもしれねえが、せめてできることだけでもやりてえんだ。だから今は、俺の好きにさせてもらえねえか。もちろん、あんたも力を貸してくれるなら、頭を下げて頼みてえが。仲間を助けるのを、手伝ってくれってさ」
あいにく俺にゃ、目の前の魔物を一人で倒すような力はねえが、だからって神に万事任せて自分は何もしないなんて、そんなことはできねえ。二人の仲間が危機に陥ってる今、俺が力を振り絞らなくてどうする、ここで必死になれずになにが冒険者だって、思うからさ。
そういうわけで、神に力を貸してくれるよう頼んだうえで、俺自身も引き続き戦う。それが今この場で自分にできる、精一杯のことだ。
「神が手伝ってくれるなら、拒まない。でも、すべてを神に任せたりはしない。あなたも自分の力でできる限り、やるべきことをやりたい――ってことですか?」
「ああ」
神を拒絶するでもなく、神に頼り切るでもなく――どっちつかずの中途半端な態度で、正直言って情けねえ。「仲間は俺一人で助けるから、あんたは手を出さねえでくれ」ってきっぱり言い切れりゃいいのに、それができない非力な自分が不甲斐ねえ。こんな俺の気持ちを天上の権力者たちが知ったら、どう思うだろうか。鼻で笑う神も、いるかもしれねえな……。
けど、幸いなことに、今俺の前にいる神様は、優しかった。
「……おかしな方ですね、フランメリックさんは。ぼくも一応、神ですから、地上に住んでる人たちに助けや救いを求められたことは星の数と同じくらいありますけど……手伝ってほしいなんて頼まれたのは、初めてかもしれません」
驚きの色に染まってたアステルの顔に、ふっと柔らかな笑みが浮かぶ。俺のことを面白がってるようにも、あるいはどこかうらやんでるようにも見える、嫌な感じが全然しねえ微笑みだ。
「わかりました。ぼくでよければ、喜んでお手伝いします。でも、その前に……」
アステルが指先にぽっと光をともして軽く打ち振ると、光が箒星みてえに尾を引いてこっちへ飛んできた。ちらちらと瞬きながら、俺の周囲を七度回る。すると、体のあちこちに負った傷から流れ出てた血が、ぴたりと止まった。
「すみません……ぼくが使える癒しの魔法じゃ、これくらいが限度なんです。きちんと治して差し上げられなくて、申し訳ないです」
「とんでもねえ、恩に着るぜ」
神と人間。種族は違っても、男と男の間にそれ以上の言葉はいらなかった。俺とアステルは、こつんと軽く拳を打ち合わせ、同時に地面を蹴って走り出す。
肩や肘、膝はまだ痛むが、アステルのおかげで痛みもいくらか和らいでる。これなら、どうにか戦えそうだぜ。
「アステル。あんたはまず、デュラムを手当てしてやってくれ。その間に、俺はサーラを助けられねえか、やってみるからさ」
「……いいんですか? それじゃフランメリックさんが、一人であの魔物の相手をすることになりますけど」
「ああ。いや、別にあの岩の巨人を倒す必要はねえんだ。サーラを助けることさえできりゃ、あとは逃げてもいいんだから、なんとかやってみるぜ」
「……そうですか。わかりました。ウィンデュラムさんを手当てしたら、ぼくもすぐそちらへ行きますから、それまでどうか、無理はしないでくださいね」
「へっ、そっちもな」
槍を杖代わりに、どうにか立ち上がろうとしてる妖精の美青年をアステルに任せておいて、俺は至急助けが必要な魔女っ子の許へと急いだ。
折りしも巨岩人は、サーラをつかんだ左手を高々と掲げ、五本の指に力を込めて、魔女っ子を握り潰そうと奮闘してる真っ最中。あの豪腕なら、サーラの細い体を押し潰すのに胸一拍分の時間もかからねえだろうに、なぜだかそういうわけにゃいかず、手間どってるようだ。
よくよく見ると、サーラの体が――正確にゃサーラの身を包む服が、ぼんやりと青白い光を放ってる。ついさっき、アステルが魔女っ子に着せてくれた、とんでもなく露出度が高い水着風の衣装だ。確か、お袋さんが魔法の糸を縫い込んでくれたおかげで、見た目よりずっと丈夫なんだって、アステルは言ってたっけ。
それなら今、巨人が魔女っ子を握り潰せずにいるのも、あのきわどい衣装に込められた魔法の力が、サーラを守ってるからなんだろう。
「おい、てめえッ! サーラを……俺の仲間を放しやがれ!」
難しいことを考えるのは後回しだ。魔法の守りがあるうちに、サーラを巨岩人の手から救い出さねえと。
「くらえよ、でかぶつ!」
突進しながら剣を水平に構え、岩の魔物の足首に、渾身の力を込めて突きかかる。
「がッ……!」
またしても硬い岩肌に跳ね返されたが、あきらめやしねえ。遠い昔、決して壊れねえ魔法の石、不壊石に生涯鑿を振るい続けたという伝説の石工みてえに、斬りかかっては跳ね返され、跳ね返されては打ちかかる。体の節々が痛むのをこらえ、同じ場所を――ただ一点をひたすら攻め続けた。
こんなことを繰り返してると、半年前〈樹海宮〉で、魔法がかかってるかのように硬い鱗を持つ水魔と戦ったのを思い出す。あのときは苦労の末に魔物の腕を切り落として、その様子をそばで見てた大地の女神や森の神、水の女神から賞賛の言葉をもらったっけ。懐かしい話だぜ……。
あきらめずに粘ったから、なんだろうか。十数回に渡って剣で斬りつけ、打ち込み、突きを入れた結果――とうとう巨岩人の足に、ぴしりと一筋、小さなひびが入った。いけるかもしれねえ、と思って再度斬りつけりゃ、もう一筋、今度は大きな亀裂が走る。
「よっしゃ――やったぜ!」
のどの奥から、歓声が噴き上がった。鉱山の暗い採掘坑でひたすら鶴嘴を振り続けてた小人たちが、ついに黄金の輝きを探し当てたときに感じるような歓喜が、ぱっと胸の内に広がる。
だが、水魔のときと違って、喜ぶにゃまだ早いってことが、その後ほどなくわかった。この巨岩人って魔物、体の表面ばかりか骨の髄、心臓まで岩でできてるのかもしれねえ。ひび割れ、亀裂ができたところにどれだけ剣を叩きつけても、岩肌がばらばらと崩れ落ちるばかりで一滴の血も流れねえんだ。せめて痛がったりしてくれりゃ、魔女っ子をつかんでる左手が緩んで、あいつを助け出すことだってできるかもしれねえんだが。これだけ斬られて悲鳴一つ上げねえところを見ると、どうやら大した痛みも感じてねえようだ。
「ちくしょう……! どうすりゃいいんだ、こんな化け物……!」
希望の光が見えたように思えたのも束の間、冷たい絶望がひたひたと、脚から腰へ、腰から胸へと這い上がってくる。
しつこく打ちかかってくる俺を鬱陶しく感じたのか、巨岩人はぎこちなく、ゴリゴリと首を回してこっちを見た。空の右手を固く握り締め、拳をつくる。真上から直撃すりゃ、俺なんざぺしゃんこ、頭のてっぺんと足の裏がくっついちまいそうな、馬鹿でかい拳を。
頭上高く、大きく振りかぶって、狙うのはもちろん、足元の俺だ。




