第41話 サーラの新衣装
「おわっ……なんだ?」
突然揺れ出した、俺の足元。ふらつき、のけ反り、前のめりになったところでどうにか踏み止まる。飛び退いて間合いを取ると、それまで俺が立ってた場所が、ぼこりと盛り上がった。二、三度瞬きする間に、俺の腰の高さ、いや胸の高さ――いいや、背丈以上の見上げるような高さまで、ぼこぼこと盛り上がっていく。地響きと砂煙を立て、石や岩を振り落としながら。
砂煙の中に浮かび上がった黒い影は人の形に似てるものの、人間よりずっと巨大で歪な輪郭をしてる。その頂近くに、赤い光が二つ、ぼうっとともった。
邪悪な意思を感じる、あの眼光は――。
「ちぃッ……魔物かよ!」
この野郎。地中にもぐって身をひそめ、獲物を待ち伏せしてやがったんだ。
「気をつけろ、メリック!」
「へっ。お前こそ気を抜くんじゃねえぞ、デュラム!」
卵を中から割って雛鳥が飛び出すように、大地という殻を破って、魔物がその全身を白日の下にさらす。
砂煙が晴れて、海辺に傲然とそびえ立ったその威容は――ただただ、俺たちを圧倒した。
「で、でけえ……ッ!」
背丈は優に俺たちの十倍、肩幅も同じくらいありそうだ。全身を岩石に覆われた、あるいは体そのものが岩でできてるかのような外見の、前屈姿勢の巨人とでも表現すりゃいいだろうか。
俺たちの行く手に立ちふさがった、こいつは一体……?
「巨岩人、だな」
デュラムの奴が、槍を構え直して、つぶやいた。
「知ってるのかよ?」
「風神ヒューリオスの便り――噂で聞いたことがある。とてつもなく頑丈な巨体と怪力を誇る岩の魔物だ。その体は金属の刃を受けつけず、魔法でしか倒せないという話だ」
「なんだって……?」
最後の言葉を聞いて、思わずサーラの方へ目を向けちまった。
魔法でしか倒せねえ――それが本当なら、まずい状況だぜ。
「あ、そう言えば……フランメリックさん、ちょっといいですか?」
こんな緊迫した状況の中、アステルが場違いなまでに穏やかな笑顔を向けてきた。
「昨夜、皆さんがお休みになってる間、夜空に星をまいてて思いついたんですけど……ぼく、マイムサーラさんに受け取っていただきたいものがあるんです」
「え? あたしに?」
サーラが自分を指差して、きょとんとする。
「はい。気に入ってもらえるかわかりませんけど、ぜひ☆」
ロフェミスは屈託のねえ笑顔でそう言うと、人差し指の先にぽっと光をともし、光る指先を魔女っ子に向ける。するとサーラの身体が、淡い黄金色の光に包まれ、輝き出したじゃねえか。
「え――ええっ?」
星の神様が突然披露した魔法にゃ、さすがの魔女っ子もびっくりみてえだ。巨岩人も動きを止めて、一体何事かと身構えてやがる。
「ロフェミス神! サーラさんに、一体何を」
デュラムがアステルに、疑念と非難の眼差しを向けて、詰め寄る。
「大丈夫ですよ。実はぼく、マイムサーラさんにお似合いの服を一着持ってるので、それを今差し上げようと思うんです」
「サーラに似合う服を……あんたが?」
「はい☆」
いくら女の子みてえな顔立ちをしてるとはいえ、この神様は男……だよな。なのに女物の服を持ってるなんて、どういうことなんだか。
「……げっ! あんたまさか女装とか、その手の趣味があったりするのかよ?」
急に嫌な予感がして、アステルにたずねてみたが、
「あはは。違いますよ、フランメリックさん」
と、人懐っこそうな笑顔で即、否定された。
「以前、天空の都で開かれた神々の宴に出たとき、余興で魔女の仮装をさせられそうになったことがあるんです」
「ま、魔女の仮装……だと?」
何か妙な想像でもしたのか、デュラムの奴が衝撃を受けたような表情で、アステルを見つめてる。
暇を持て余した神々の余興、恐るべし――だぜ。
「幸いそのときは、麦酒を飲みすぎたゴドロムさんとザバダさんが喧嘩を始めて、余興どころじゃなくなったんですけど。そのとき着るはずだった服を、今も持ってるんですよ。このままぼくが持ってても着ることはないでしょうから、この際マイムサーラさんに着ていただけたらって思ったんです。ほら、この通り☆」
魔法による着つけが完了したのか、サーラを包んでた淡い光が急速に弱まり、消えていく。それまで裸身を隠すのに羽織ってたデュラムの外套が、ばさりと足元に落ちた。そして現れたのは、なんと――。
「な……? サーラお前、その格好……!」
「うぐっ、ふ……ッ!」
あまりに刺激が強くて耐えかねたのか、デュラムの奴が盛大に鼻血を噴き出した。右手で鼻を押さえるも、指の隙間から血がどくどくとあふれ出してやがる。
無理もねえ。なにしろ今のサーラが身につけてる服ときたら、胸のふくらみをどうにか隠すだけの小さな胸当てと、紐みてえな逆三角形の下穿きなんだからな。つい先日までかぶってた品より一回り大きな鍔広のとんがり帽子と、背中を覆う絹の外套、それに踵の高い長革靴がなけりゃ、水着も同然の代物だ。露出度の高さなら、ウルフェイナ王女――姫さんの鎧とだっていい勝負ができそうだぜ。
「ロフェ……じゃなかったアステル、あんたありゃ、いくらなんでも……」
「心配しないでください。母さんがぼくのために、夜なべして仕立ててくれた逸品なんです。月明かりを紡いだ魔法の糸が縫い込んでありますから、見た目よりずっと丈夫ですし☆」
誇らしげに、ぐっと拳を握ってみせる星の神様を見て、俺は頭を抱えちまった。
「いや、俺が言いてえのはそういう問題じゃなくてだな。見た目がちょいとばかり……ってか、きわどすぎるんじゃねえかって……」
「もちろん、呪いがかかってたりもしませんから、裏地から変な触手がたくさん生えてきたりとか、そういうこともないと思いますよ、きっと☆」
「んだあああッ! 人の話を聞いてくれよ、あんた!」
今度は人差し指をぴしっと立てて、満面の笑顔で語るアステルに、全力で突っ込みを入れる俺。
どうも本人にゃ悪気はなさそうだが、俺やデュラムにしてみりゃ、サーラが以前着てた上下一続きの水着みてえな革服にもまして、目のやり場に困っちまう格好だ。サーラ自身も、これにゃもちろん困惑してるはずだが……。
「あら♪ 動きやすくて、着心地いい服じゃない。お腹が冷えそうなのが少し気になるけど、まあなんとかなるでしょ♪」
前言撤回、まったく困惑してねえぞ。むしろきゃっきゃと喜び、はしゃいでやがる。
「サ―ラ! お前、文句とか苦情とかねえのかよッ?」
「え? 別にないけど? 今までデュラム君の外套一枚だったんだから、それよりはずいぶんましになったじゃない。それにあたし、こういう格好なら慣れっこだし♪」
「あ、あのな、お前……」
うぐぐぐ。慣れってのは、恐ろしいもんだぜ。
「ったく……こうなりゃデュラム! お前からもなんとか言ってくれよ!」
サーラの素肌を周囲の視線から守る最後の砦、妖精の美青年に声をかけてみるが、どうやらこいつもすでに陥落済みのようで。
「ああ……ガレッセオとヒューリオスにかけて、私は今このうえなく幸せだ。もはやこの世で見るべきものはすべて見た。これで、思い残すことは何もない……」
「幸せに息絶えそうになってんじゃねえぇッ!」
太陽神リュファトにかけて、なんてこった! デュラムの奴、鼻からどくどく出血しすぎたらしく、うつ伏せにぶっ倒れてるじゃねえか。
「お、おいデュラム! 起きろよ、生きろよ。こんなところで冥界へ旅立つなって! ってかお前、最近いろいろおかしいだろ!」
出会った頃はただただ冷静沈着なすまし屋だとばかり思ってたが、このところよくも悪くも、感情を表に出すことが多くなってきた気がするぜ。魔女っ子のことでメラルカに対して怒りをあらわにしたり、俺が裸のサーラにうっかり抱きついちまったときに、暴走して追いかけてきたりさ。アステルに眠りの魔法をかけられて目を覚ました後も、暴走しちまったことを激しく後悔して、ひどく落ち込んでたっけ。
そう言えば――さっき俺と喧嘩になったときも、おかしなことを言ってなかったか? 確か「私は貴様やサーラさんに、いつも心を救われているからな」とかなんとか。
あれとこれとは、何か関係があったりするんだろうか……?
俺たちの喜劇めいたやりとりをこれ以上見てるつもりはねえらしく、岩の巨人が大きく一声咆哮して、動き出した。いい加減待ちくたびれた、そっちが来なけりゃこっちから行くぞ――とでも言うように。
「ほらデュラム、いつまでも鼻血出してねえで、しっかりつかまれ! せーのっと!」
「ぐ……不覚だ。私としたことが、また貴様に助けられるなど」
「そんなこと気にしてる場合かって! ほら見ろよ、魔物が――」
鼻の下をぬぐい、どうにか身を起こした妖精に肩を貸して、立ち上がるのを手伝ってやる俺。
全身岩石でできてるだけあって、巨岩人の動きは鈍重でぎこちない。ぎくしゃくと肘を曲げ、膝を上げ、関節を動かす度に、岩と岩が擦れ合い、小麦を挽く石臼の響きにも似た音がする。
鈍重とはいえ油断は禁物だ。俺たちを鷲づかみにできそうな手が固く握り締められ、大きく振り上げられて――。
「来やがった!」
いきなり速さを増して飛んできた岩の拳を、俺たちは散開して避けた。間一髪――俺たちが一瞬前までいた場所に、巨人の鉄拳がズシンと直撃。砂埃が舞い、石や流木、岩の破片が方々へと弾け飛ぶ。
「……危なかったわね」
サーラが左手でとんがり帽子の鍔をちょいと持ち上げ、右手で額の冷や汗をぬぐう。
「ああ。鈍そうに見えたが、拳を繰り出すときだけ急に素早くなりやがった」
「見かけに騙されてはならない、ということか」
めいめい表情を引き締める、俺たち三人。
ゴリゴリ、ズリズリと、岩同士が擦れ合う音を立て、巨岩人が再度攻撃の構えをとる。
構えるまでは鈍重でも、一度構えりゃその後は素早い――どうやらそれが、この魔物の特徴らしい。二度目の拳も……やっぱり速え! 俺たちの頭上から叩き潰すように打ち下ろされたそれを、横へ飛び、後ろへ下がり、あるいは前に転がって避ける。
巨人の股下へ転がり込んだ俺は、そのまま両脚の間をすり抜け、真後ろへと回り込んだ。
よっしゃ、好機だぜ! 今なら攻められる――無防備な背後から、奴の足元を。




