第40話 イスティユめざして、海岸を行く
翌日早朝。俺たちは、アステルが教えてくれたイスティユって町をめざして出発した。
町までの道案内を引き受けてくれたアステルは、朝からうきうきした表情で、なんだか張り切ってる様子だ。東の空に昇った太陽に向かって「んんーっ!」と背伸びした後、デュラムとサーラ、俺を順番に見て、
「今日はよろしくお願いしますね、皆さん☆」
と、丁寧に挨拶までしてくるしさ。
「ぼく、いつもは夜空に星をまくくらいのことしかできませんけど……こういうときくらい、少しでも皆さんのお役に立てるように、がんばりますから!」
「お、おう……」
人助けができることを喜んでるのか、それとも俺たちと一緒に行くことになって嬉しいのか。神様ってのは本当に、いろんな奴がいるんだな。
荒ぶる神に冷酷な神、無邪気な神や陽気な神。危険で何をたくらんでるのかわからねえ神もいりゃ、親切な神もいる。
それにしてもこの神様、アステルは変わり者だぜ。天上の権力者である神が、地上の種族に対してこんな低姿勢でいいのかよって、心配になっちまうんだが。
まあ、それはさておき――イスティユまでの道のりは、意外に険しかった。アステルは海岸に沿って半日ほど歩けば到着だって言ってたが、足元が歩きやすい砂浜だったのは初めのうちだけで、ほどなく砂に石がまじり出したんだ。
先へ進むにつれて、革靴をはいた足で踏む石は数を増し、その一つ一つが大きくなっていく。左手に青い海を臨む砂浜は、いつしか右手に険しい断崖がそそり立ち、黒い巨岩がごろごろ転がる岩場に変わってた。
しかも……しかもだ。足場が悪いこんなところに限って、ここぞとばかりに奴らがわんさか出てきやがるなんて。
そう。遠い昔、神々に倒された大悪魔の血肉から生まれたと伝えられる怪物たち――魔物だ。
「メリック、後ろだ!」
デュラムからの警告を耳にして、俺は素早く振り返った。
紅玉の瞳が捉えたのは、こっちへ飛ぶように駆けてくる双頭犬。二つの首を持つ、獰猛な犬の魔物だ。左右に並んだ二つの顎が、耳まで裂けんばかりに大きく開き、よだれを振りまいて俺ののど笛へ――。
「うおっと!」
届く寸前、俺は手にした剣を左から右へと一閃させて、横薙ぎの一撃を繰り出した。二つの頭がほとんど同時に上下に両断され、魔犬の体が真横へ吹っ飛ぶ。
魔物との戦いは久しぶりだ。遭遇したときは背筋に緊張が走ったが、幸い戦い方は体が覚えてた。最初に仕留めた一匹に続いて二匹、三匹と斬り倒し、四匹目を剣の一振りで追い払う。襲ってくる魔物は双頭犬だけじゃねえ。右手の崖に巣があるのか、極彩色の翼を持つ人面鳥がこっちへ飛んできちゃ、一本一本が鎌みてえな鉤爪で斬りかかってくる。左手の海からは、打ち寄せる波濤に紛れて、鬣を振り乱した青ざめた馬――体の後ろ半分が鱗に覆われた海馬が時折飛び出し、こっちを蹄で蹴飛ばそうと突進してきやがる。
あと……道中一度だけ、波間から黄色い目をのぞかせ、吸盤がずらりと並んだ長い足を八本、一斉にこっちへ伸ばしてきた魔物がいたな。蛸みてえな姿をしたあいつは多分、大海魔だろう。船乗りたちに恐れられる海の怪物と、まさか浜辺で出くわすなんて。俺の腰ににゅるりと巻きついてきた触手みてえな足を、妖精の美青年が槍で突いて引き剥がしてくれなけりゃ、今頃は海に引きずり込まれてたかもしれねえ。デュラムの奴に、感謝しねえとな……。
感謝と言えば、アステルにゃ今回も世話になっちまった。普段の優しげな表情や物腰に似合わず、この星の神様は凄まじい拳法の使い手だ。群がる魔物を、籠手はめた両手で片っ端から打ちのめし、叩き伏せちまう。錆びついた剣と盾を持つ骸骨戦士が一度に十体余り現れたときなんざ、アステルに斬りかかった奴から順に、パキンパキン! 枯れ枝でも折るような小気味よい音を立て、骨だけの身体を粉砕されていく様は、見てて爽快ですらあった。
できることなら、神の世話にはなりたくねえんだが。今は余計なことは考えず、アステルの厚意に甘えさせてもらおう。
「いたッ……」
魔女っ子が小さな悲鳴を上げたのは、魔物の襲撃がひとまず止んだ後――俺たちが引き続きイスティユめざして、岩だらけの海岸を進んでたときのことだった。
「どうした?」
「ちょっと足を、そこの岩角で……切っちゃったみたい」
前を歩いてたサーラがそう言いつつ、歩みを止めてかがみ込むのを見て、俺ははっとなった。
しまった――サーラの奴、裸足じゃねえか。砂浜ならまだしも、こんな岩だらけの海岸を革靴も履かずに歩いてりゃ、足を怪我するのは当然だろう。
……そんなことにも気づかず、女の子を素足で歩かせてたなんて。俺って奴は、本当に気が利かねえ。
「大丈夫か? 手当てするから、足見せてみろよ」
遅まきながら荷袋を開け、薬と白い亜麻布の包帯を取り出す。
「平気よ。これくらいの切り傷、魔法を使えばすぐ治せるから――」
「だ、駄目だって!」
魔法。その言葉を聞いて、思わず語気を強めちまった。
「メリック……?」
サーラが驚いた顔してこっちを見たんで、どきっとして、慌てて目をそらす俺。
「いや……大声出してすまねえ。けどお前、今は魔法をむやみに使っちゃいけねえんだろ? 呪いが強まっちまうから……」
実を言うと、道中出くわした魔物たちとの戦いでも、俺はサーラが魔法を使わずに済むよう、さりげなく前に出て、魔女っ子を後ろへ下がらせてた。どの道サーラは、今の外套一枚の格好じゃ満足に戦えねえだろうからな。
「だったらほら、その……なんだ。どうしても必要なとき以外は、なるべく力を温存した方がいいって!」
たどたどしく言いながらサーラの手を引き、近くの岩に腰かけさせて、足の切り傷を手当てした。薬草を磨り潰して油で練った軟膏を、ぎこちない手つきで傷に塗る。
ぺた、ぺた。
女の子の足元に膝をついて、素足にじかに触れるなんざ、もちろんこれが初めてだ。正直、緊張する。胸がどきどきする。サーラがどんな顔をしてるか気になって仕方ねえが……いや、今は手当てに集中しねえと!
ぺた、ぺた。
幸い、傷はいたって軽傷。本人の言う通り、ごく浅いかすり傷だ。あとは軽く包帯を巻いておけば、大丈夫だろう。
「これでよしっと……終わったぜ、サーラ」
手当てを終えて、目線を上げてみりゃ――不思議そうにこっちを見つめるサーラの、丸みを帯びた愛らしい顔が視界に入った。目と目が合って、鼻のあたりが急に熱くなる。
「メリック、あなた……急にどうしたのよ? こんな小さな怪我に、大騒ぎしちゃって」
そう言われて、ちょいとばかり後悔した。確かに、これくらいの軽い怪我を手当てするのに、大仰に騒ぎすぎたかもしれねえ。いくら心配だったからって、女の子の手を引っ張って強引に手当てを受けさせるなんざ、淑女に対して無礼じゃねえかって、そんな気がしてきたんだが。
「……悪い。俺、いつもお前の魔法に助けられてばかりだろ? だから、こういうときは気を利かせて、お前の負担をちょっとでも減らせりゃいいな――って思ったんだけどさ。やっぱり、余計なお世話ってか、かすり傷一つに大袈裟だって思うよな」
魔女っ子から視線をそらして自分の頭に手をやり、黒髪をがしがしかき回しながら、わびた。
そう言えば昨日――火の神メラルカに魔法でこの海岸へ飛ばされた後、目を覚ましてサーラに声をかけられたときは、感極まって抱きついたりもしちまったよな。こいつの意識が戻ったとわかって嬉しくて、つい――。
事情はどうあれ、男が女の子の体に、気安く触っていいもんじゃねえだろう。今後はもっと、気をつけねえとな……。
胸の内で、自分にそう言い聞かせてると……うおッ!
「そうそう、大袈裟、大袈裟♪ 呪いが強まってきてるのは確かだけど、まだそこまで深刻な段階じゃないし、ちょっと魔法を使うだけなら別に問題ないんだから。自分の手当てくらい、自分でできるわよ♪」
気まずい空気を振り払おうって考えたのか、魔女っ子がいきなり明るい声を出し、俺の鼻っ面を人差し指でつんつん突いてきた。鼻先に続いて額も、それにほっぺたもつんつん突かれる。
「な……! サーラお前、よせよ、やめろって! あっ、脇腹はよせ脇腹は――ふあぁッ!」
つんつん、つん!
「もう、かわいい声出しちゃって。忘れん坊で間が抜けてる弟分のくせに、姉代わりのあたしに気を遣おうだなんて十年早いんだから♪」
「うぅ……わ、悪かったな! 忘れっぽくて、おまけに間抜けでさ」
からかわれたのが悔しくて、ついつい、むーっとしかめっ面をしちまう俺。
ちぇっ。サーラの奴、相変わらず俺を弟分扱いしやがって。
俺の不満げな顔を見て、魔女っ子はくすりと口許をほころばせた後、
「でも……気持ちは嬉しいから。心配してくれて、ありがと」
俺の傍らへ来て、耳元でそっと、そうささやいた。
俺が驚いて目を丸くすりゃ、サーラは人間をからかうのが好きな小妖精みてえに悪戯っぽく笑って、たたたっと小走りに離れていく。
「ほらメリック! お日様が高く昇らないうちに、早く行きましょ。デュラム君もロフェミス様も、早く♪」
「あ、ちょっと! 待ってくださいよ、マイムサーラさん!」
「サーラさん、一人で先走っては危険です。どうかそのまま、そちらでお待ちを」
サーラを追って、アステルやデュラムも駆け出す。
「……ったく、サーラの奴」
今俺たちの中で一番辛いのは、間違いなくあいつだろうに。呪いをかけられた体で、弱音も吐かずに明るく振る舞えるなんざ、大したもんだ。
俺もあんなふうに、強くなりてえな。神々が定めた運命に毅然と立ち向かえるくらい、強く――もっと強く。
……まあ、そんな思いはひとまず脇に置いて、今は前へ進むしかねえだろう。
「おい待てよ、サーラ!」
気を取り直した俺は、先に行った仲間たちの後を追って、走り出そうとした。
そのときだ――足元の大地が、ぐらりと揺れたのは。




