第39話 子供っぽい喧嘩
……ぜえ、ぜえ。き、気を取り直して、話を元に戻すとだな――。
「マイムサーラさんの呪いですが、やっぱりとても強いものですね。ぼくじゃ、どうにもできないと思います。お役に立てなくてすみません、本当に――」
サーラの背中に残る傷跡が、炭火みてえに赤、黒、赤と明滅する様を見たアステルは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「さっきメリックも言ってたけど、あなた神様のくせに、どうしてそんなに腰が低いのよ? いいからほら、顔を上げなさいって」
と、アステルに面を上げさせたのは、サーラだ。
「あたしだって魔女の端くれなんだから、神様にお願いしてどうにかなるなら、とっくにそうしてるわよ」
呪いをかけられてる当事者でありながら、恐れを感じてる様子なんざ微塵も見せず、魔女っ子は気丈に胸を張った。
「この呪いは、あたしの義理のお父さんがかけた特別なものなの。チャパシャ様から何度も力を借りて、浄化の魔法で消そうとしたけど、駄目だったわ。だから、こまめに水浴びして進行を遅らせてたんだけど……それだけじゃもう、抑えきれないみたいね」
途中から若干声の調子が落ちたのは、胸の奥底に隠した不安のせいだろうか。
「元気を出してください。打つ手がないわけじゃ、ありませんから」
アステルが励ますように、明るい声を出した。
「この島には今、ぼく一人じゃなくて、天上の主要な神が数人来てるんです。ひょっとしたら、マイムサーラさんの呪いを解ける神がいるかもしれません。あるいは、解けなくてもその方法を知ってる神なら……」
「心当たりがあるのか? ロフェミス神」
「はい。一人か二人、ですが」
神としての名で自分を呼ぶデュラムに、アステルはうなずいてみせる。
「ここから海岸に沿って半日ほど歩くと、イスティユっていう町が見えてきます。たくさんの船が集う港と、父上を――太陽神リュファトを祀る神殿があって、海上交易と巡礼者を相手にした商いで栄えてる町です。近々父上を讃えるお祭りがあるらしくて、ぼく以外の神はみんな、その町を見物してるはずですよ」
「行ってみるか、メリック」
と、デュラムが俺に目を向けた。
「この浜辺に留まっていても、無駄に時が過ぎるだけだ。神に頼るにせよ、別の方法を探すにせよ、人が集まる町へ行けば、進むべき道が見つかるかもしれないぞ?」
「……そうだな。サーラはどう思う?」
「あたしは……呪いが解ける可能性があるなら、もちろん行きたいけど。あなたはそれでいいの? 神様には、頼りたくないんでしょ?」
「う……」
そういう思いがあるのは本当だ。ついさっきも、目の前の神に頼りかけてる自分に気づいて、唇噛んだしな。
けど今は、そんな意地を張ってる場合じゃねえわけで。
神々に頼りたくねえって考えと、サーラを助けてえって気持ち。心の中で、左右二つの皿をゆらゆら揺らす天秤を、俺は無理やり一方へ傾かせた。
「……な、何言ってやがる。今はそんなことより、お前の呪いを解くことの方が大事に決まってるじゃねえか」
どんな神であれ、頼って魔女っ子が助かるなら、俺はその神様に頭を下げて頼み込む。それでも神が俺たちを助けてくれねえなら、剣を抜いて覚悟を見せてやる。仲間を助けるためなら、天上の権力者に刃を向けることも辞さねえって覚悟を。
サーラのために、今の俺にできることって言えば、それくらいだろうしな。
「それに、メラルカが言ってた『ある男』ってのが、その町にいるかもしれねえからな」
そいつを見つけて、火の神の言葉を伝えてやりゃ、メラルカはサーラの呪いを解くのに力を貸してくれるだろうか。「約束の期限はもうすぐだ、そろそろ例のものを渡してほしい」って伝えりゃ、本当に……?
甘い期待は禁物だし、あの危険な神様の力なんざ借りたくねえって思いもあるが、一応メラルカからの伝言についちゃ覚えておこう。ひょっとしたら、それでサーラが助かるってこともあるかもしれねえからさ。
「では、決まりだな。明日、夜明けとともに、そのイスティユという町へ向かうぞ」
そう言うと、妖精の美青年はアステルの方を見て――ちょいとためらう様子を見せてから、意を決したように口を開いた。
「ロフェミス神。夜空に幾千幾万の灯火をともす神よ。私は今まで御身に祈りを捧げたことがない妖精だが、どうか願いを聞いてもらえないだろうか? イスティユまでの、道案内を頼みたいのだが」
「デュラム……」
相手は神とはいえ、膝を折って頭を垂れるなんざ、誇り高いこいつにとっちゃ屈辱だろうに。今はサーラの命がかかってるだけに、デュラムも自尊心なんざ気にしてられねえって思いなのかもな。口調や表情も、いつものすました感じは微塵もなく、まさに真剣そのものだ。
「か、顔を上げてください、ウィンデュラムさん……ぼくにそんなことする必要なんて、ありませんから」
「俺からもこの通り、頼むぜアステル――星の神様」
デュラム一人にこんなことをさせるわけにゃいかねえ。俺も心を決めて、妖精の傍らに片膝をついた。とまどいの色が浮かぶ青金石の瞳をまっすぐ見すえた後、神に深々と頭を下げる。
「都合のいいことを言ってるのは、自分でもわかってるけどさ。今は時間が惜しい。あんたの助けが必要なんだ。だから――」
「……メリック、貴様は神に頼りたくないのだろう。ここは私に任せて、下がっていろ」
「一人でかっこつけてるんじゃねえよ。俺だって、サーラを助けてえって気持ちは同じだぜ。それに、お前だけに恥を忍ばせるなんざ、できるかってんだ」
横目でこっちを見やるデュラムに、小声でそう返す俺。
「恥だと? ふん……この程度は恥でもなんでもない。私は貴様やサーラさんに、いつも心を救われているからな。その借りを、これで少しは返せると思えば安いものだ」
「……? なにわけのわからねえこと言ってやがる。俺はお前やサーラに助けられっぱなしで、救った覚えなんざこれっぽっちもねえぜ?」
「心当たりがないというなら、それでもいい。早く下がれ、鬼人並みの記憶力しかない間抜けめ」
「な……間抜けってなんだよ、間抜けって!」
「ふん。間抜けを間抜けといって何が悪い?」
「うぐぐ……!」
なんだよ、デュラムの奴。いくら本当のことだからって、そんなふうに言われちゃカチンとくるぜ。間が抜けてるってのは、自分でも気にしてる欠点なんだからさ。
「……もう許さねえ、この気障野郎。こうなったら俺と勝負しやがれ、今ここで!」
「いいだろう。戦いの神ウォーロの名において――決闘だ」
「上等だ! 神々も照覧あれだぜ、うらあぁー!」
「……あなたたち、なに子供じみたことやってるのよ?」
デュラムが俺のほっぺたをぎゅうっとつねり、俺も負けじとデュラムの頭をぐいぐい押さえ込むのを見て、サーラがげんなりした表情で溜め息をつく。
「あの……止めなくて、いいんですか?」
「いいのよ、しばらく放っておけば。これくらい、いつものことだもの。正直、呆れてるんだけど、そういうあたしもこの二人には迷惑かけてるから。呪いのことだけじゃなくて、他にもいろいろと。だからこんなときは、あたしも二人のことは言えないかって、思うことにしてるの」
「あ、その気持ち、ちょっとわかる気がします。ぼくも、母さんにはいつも振り回されてますけど、いざってときに助けてもらうこともありますし……」
なんだかサーラとアステルが話をしてるみてえだが、こっちは忙しくて聞いてる余裕がねえ。
「あいててて! デュラムてめえ、そんなに強く引っ張るんじゃねえ! 俺のほっぺたが伸びちまうじゃねえか、いてててッて……!」
「貴様こそ、森の神ガレッセオと風神ヒューリオスにかけて、焼き魚の脂にまみれたその手を今すぐ離せ。絹のように美しい私の髪が、汚れてしまうだろう」
「う、美しいとか、自分で言うんじゃねえよ! この、このッ!」
あーだこーだと言いながら、俺とデュラムの子供っぽい喧嘩は続く。
「……ところで、さっきの話なんだけど。メリックのこと、悪く思わないであげて――お願いだから」
「え? さっきの話、ですか?」
「ええ。あなたも神様なんだから、自分たちが定めた運命に抗うなんて言われて、多分いい気はしないでしょ? でも……あたしたち地上の種族にも心があるの。自由を求める心ってものが。運命に縛られて奴隷みたいに生きるなんて、まっぴらごめんだわ。あたしも、メリックと気持ちは同じなの。だからロフェミス様、もし気を悪くしたならあの子じゃなくて、代わりにあたしを――」
「そのことなら心配しないでください。ぼくは全然、気にしてませんから」
「……本当に?」
「はい。というか……皆さんが運命に抗おうとするのを邪魔する権利なんて、多分ぼくなんかにはないと思いますから」
「……ふうん。おかしなこと言うのね、神様なのに」
「あはは。母さんやゴドロムさんにも、よくそう言われます。お前には神らしさが足りない、だから地上の種族、特に人間に甘く見られるんだって。あ、それより……イスティユまでの道案内なら喜んでしますけど、他にぼくがお役に立てることはありませんか?」
おいおい……なんだかあの二人、ずいぶん打ち解けた様子で話をしてるように見えるんだが、気のせいか?
「……いい人なのね、あなた。いい人すぎて、本当は裏で何かたくらんでるんじゃないかって、勘ぐりたくなるんだけど」
「あ……ひょっとしてぼく、疑われてますか? ええ、やっぱりそうですよね……」
「……? やっぱりって、どういうこと?」
「ぼく、誰にでもいい顔して、実は腹黒い偽善者なんじゃないかって、時々言われるんです。ゴドロムさんや、ザバダさんに。自分じゃ全然、そんなつもりはないんですけど……どうしてなんでしょうか?」
なんだなんだ、神が人間に人生相談かよ。
「地上にはね、『完全な善人』なんていないの。『完全な悪人』は……そうね。もしかしたら、いるかもしれないけど。だから、あなたみたいに優しくて親切そうな人って、疑われたりするのよ。外面はいいけど、中身はどうなのよって」
「じゃ、じゃあマイムサーラさんもぼくのこと、そんなふうに思ってるんですか? そうだったらぼく、悲しいです……」
「あたし? あたしは……そうね、とりあえず半信半疑ってところかしら。でも、あなたには以前、シルヴァルトの森で助けてもらったこともあるわけだし……信じたいとは、思うけど」
「本当ですか? よかった! そう言っていただけると、少し救われた気分です。えっと……明日はぼく、がんばりますね、皆さんの道案内☆」
「……なあデュラム」
髪がくしゃくしゃに乱れたデュラムの頭から手を離し、俺はくたびれた声を出した。
「……なんだ? メリック」
デュラムも俺の赤く腫れ上がったほっぺたから手を離して、疲れた表情でつぶやく。
「俺たちが喧嘩してる間に、あっちじゃサーラが上手く話をつけてくれたみてえだぜ」
「そのようだな。あの様子だと、どうやらロフェミス神を味方につけたようだ」
「ああ。今思ったんだけどさ……俺たちが喧嘩する意味なんざ、全然なかったような気がするんだが」
「奇遇だな。私もちょうど今、そんなことを考えていたところだ」
「……」
「……」
顔を見合わせ、沈黙。そして――それから胸が四、五拍鳴った後、
「何やってたんだ、俺たちゃ」
「何をしていたのだ、私たちは」
二人同時にそう言って、俺とデュラムはそろってがっくり、肩を落としてうなだれた。




