第3話 あたしが時間を稼ぐから
「あなた、そんなところで何やってるのよ?」
金髪を頭の後ろで三つ編みにした少女が、船尾の方からこっちへ歩いてくる。冷たい甲板を裸足でぺたぺたと踏み、素肌から玉のしずくを、ぽたぽたと滴らせて。
裸足で……素肌から?
「サ、サーラお前、なんだよその格好! そりゃ、はだ、はだ……」
「裸だけど、それが何か?」
俺の前で立ち止まると、その少女は小首を傾げて、くすりと笑った。男なら誰でもほっぺたを緩め、ついでに鼻の下も伸ばしちまいそうな、愛らしい笑顔。けど……首から下を見りゃ、肩に亜麻布を一枚かけてる以外は一糸もまとってねえ、生まれたままの姿じゃねえか!
「今、向こうで水浴びしてたのよ。ほらこの船、お風呂がないでしょ? もう三日も体洗ってなかったから我慢できなくて、それでつい♪」
裸の美少女は悪戯っぽく、ぺろりと舌を出してみせる。
「途中であなたの声が聞こえたから、来てみたんだけど……お邪魔だったかしら?」
上目遣いにこっちを見つめてくる、無防備極まりねえ少女を見て、俺は頭を抱えたくなった。
「おいおい……」
こいつは俺の冒険仲間で、水を操る女魔法使い、名前はマイムサーラ。俺ともう一人の仲間は、略してサーラって呼んでる。三度の飯より水浴びが好きで、旅の途中、きれいな川や泉を見かけると、人目をはばからず服を脱ぎ出す困った魔女っ子だ。
……そんな癖さえなけりゃ、さっぱりしててつき合いやすい、いい女なんだがな。
「サーラ、お前さ、いくら大の水浴び好きだからって、川も泉もねえ船の上ですることはねえだろ? 船旅じゃ水は貴重なんだ、節約しねえといざってときにだな……」
「ご心配なく♪ あたしは魔女よ。水浴びに使う水くらい、魔法で用意したわ」
「魔法でって……ああ、その手があったか」
神々から借り受けた力で奇跡を起こす驚異の技、神秘の術――魔法。サーラはそれを使って傷を癒したり、杖から水を噴き出させたりと、いろんなことができるんだ。剣術馬鹿で、他に取り柄がねえ俺にとっちゃ、うらやましい話だぜ。
「そっか。それなら、まあ問題ねえか……って、俺が言いてえのはそういうことじゃなくてだな!」
納得しかけて、突っ込むべきところを間違えたことに気づく俺。
水は大切に使わねえと云々ってことより、まず真っ先に指摘するべき点があるじゃねえか。
「他のお客も船乗りも、大勢乗ってる船の上でその格好! どう考えたってまずいだろ!」
そう、下着もつけてねえ素っ裸! そんな格好で堂々と人前に出てくる女の子を、破廉恥と言わずになんと言えばいいんだか。
「お前の格好見て、ムラッときちまった男にがばーっと押し倒されて、その……あれこれいやらしいことされたりしたら、どうするんだよ!」
「あら、心配してくれてるの? 優しいのね」
「う……」
サーラの顔がぱあっと輝くのを見て、俺は人差し指で鼻の頭を引っかいた。
そのきれいな顔で、しかもその格好で「優しい」だなんて言われちゃ、照れちまうぜ。
「でも、あたしなら平気だから♪ こんな夜中に、起き出してくる人なんて滅多にいないもの。それにこんな傷物の体、見られたって困らないし」
「傷物って、お前な……」
以前サーラが見せてくれた、傷跡だらけの背中が、ふっと脳裏に浮かぶ。
そんな悲しいこと、自分で言わなくたっていいじゃねえか。
「み、見せてるお前が困らなくても、見せられてる俺は困るんだよ!」
サーラの裸身を見ねえようそっぽを向いて、俺はうわずった声を出した。口の中に溜まってきた唾をごくりと呑み込み、こうつけ加える。
「いいからほら、俺があっち向いてほいしてる間に、さっさと服を着てくれよ!」
こんな変わったところもある魔女っ子だが、俺にとっちゃ大切な、絶対失いたくねえ存在だ。だからこいつにゃ、もっと自分を大事にしてもらいてえんだが。
「ふうむ、貴様……先日、その裸身でわしをたばかりおった魔女めではないか」
と、しばらく脇に退いてたゴドロムが、身を乗り出してきた。ぎょろぎょろとよく動く目で、サーラのあられもねえ姿を無遠慮に、なめるように見つめてくる。
「また貴様の裸体を拝めるとは、わしもよくよく運がよいわ……」
見るだけならまだしも、今にも手を伸ばしてきそうな勢いだ。
「ほら、メリック。早く行きなさい」
雷神の好色な眼差しを平然と受け止めてたサーラが、ちらりとこっちを見て、小声で言った。
「またゴドロム様に絡まれてたんでしょ? あたしが時間を稼ぐから、その間に逃げて」
それを聞いて、俺はやっと気づいた。なんでこの魔女っ子が、水浴び直後の恥ずかしい格好のまま、この場に割り込んできたのかってことに。
サーラの奴、雷神の注意を惹きつけて、俺を逃がそうとしてくれてるのかよ。
先日コンスルミラでゴドロムと戦ったときと同じやり方だ。あのときもサーラは、文字通り体を張ってゴドロムの気を惹きつけ、俺が神の脳天に一太刀見舞う好機をつくってくれた。
あんな危険な真似を、二度もさせていいのかよ。
「……っ! いいわけ、ねえだろ……!」
ぼそりとつぶやくなり、俺はサーラの前に飛び出して、裸の魔女っ子を背後に押しやった。
「メリック?」
後ろを見ると、驚いた表情のサーラと目が合った。
「何やってるのよ、早く逃げなさいってば!」
「そりゃこっちのせりふだぜ、サーラ」
自分の視線が、魔女っ子のきれいな鼻梁から薄い唇、心持ち尖った顎を通って、胸の谷間へ……行きそうになるのをぐっとこらえ、俺は言った。
「そんな格好でこの雷親父に捕まったら、何されるかわかったもんじゃねえだろ! ここは俺一人で大丈夫だから、早く行って、服着ろって!」
「馬鹿言いなさい。あたしはあなたの姉代わりなんだから、あなたを助けるのに体を張るのは当然でしょ♪」
「また得意の姉貴面しやがって。俺だって、いつまでも子供扱いされちゃ、男の矜持ってやつがだな……ひあっ!」
最後まで言いきらねえうちに、むき出しの腹をなでられた。サーラの奴に、ひんやりとした手で。
裏返った声が、勝手にのどの奥から飛び出てくる。
「なーに生意気言ってるのよ。こんなふうにお腹触られると、かわいい声出すくせに♪」
「んっ……! サーラお前、こんなときに何やって、ふあぁ……っ!」
はあ、はあ。魔女っ子に腹をなで回されて、つい悶えちまったが、俺はどうにか理性を保ち、サーラの魔手を振りほどいた。
「貴様ら、仲が良いのう」
自分だけ除け者にされて面白くねえのか、ゴドロムが眉間にしわを寄せて、露骨に不機嫌な表情をつくる。その左手がバチンと火花を散らし、燃え立つ白熱の撥を握り締めた。雷神その人だけが扱えるという魔法の武器――稲妻だ。そいつを掌の上でもてあそびつつ、神は威丈高に俺を恫喝する。
「そこをのけい、小僧。このわしがせっかく魔女めの裸形を愛でてやろうというのに、邪魔をするでない」
コンスルミラで対峙したときと変わらず、ゴドロムの威圧感は凄まじい。にらまれただけで全身に鳥肌が立って、歯がカチカチと恐怖の律動を刻みそうになる。
それを必死に押し隠して、俺は神の前に立ちはだかった。
「――頼む、ゴドロム様。サーラにゃ手を出さねえでくれ」
「ほう? かばい立てするか、小僧」
ゴドロムは俺とサーラを交互に見ると、右手の親指、人差し指を顎に当て、にんまりとした。俺たちをどうなぶってやろうか考え中って感じの、嫌な笑い方だ。
「さては貴様……惚れておるな、そこな魔女めに」
「……っ!」
どくん。心臓が一拍大きく跳ねて、胸を突き破るかと思った。雷神の口から思いもよらねえ言葉が出てきたのを聞いて、つい動揺しちまったんだ。
「ほ、惚れてるとか、別にそんなんじゃねえけどさ。ただ……」
神の指摘が正しいのか違うのか、自分でもよくわからなくて、俺は視線を宙に泳がせ、言葉を詰まらせる。
背後でサーラがどんな表情をしてるか気になって、振り返りてえ衝動に駆られるが……駄目だ。目の前の憎たらしい神様に、隙を見せるわけにゃいかねえ。
「サーラは俺の、大切な仲間なんだ。だから……っ!」
動揺を胸の奥底に押し込み、どうにか言葉を絞り出す。
「ふん! 仲間、仲間か。日頃腹など出しておるくせに、真面目で面白みのない男よ」
稲妻の神は、小馬鹿にするように鼻を鳴らし、
「あいにくわしは、他人の大切なものほど、力ずくで奪いたくなる性分でのう」
そう言いざま、ぬうっとこっちへ右手を伸ばしてきた。獲物を捕らえる猛禽の鉤爪さながら、五本の指を大きく広げて、ゆっくりと。
俺の頭どころか、上半身を鷲づかみにできそうなでっかい手が、視界一杯に迫ってくる。