第38話 生きてるって、立派なことです
俺はアステルに、サーラが呪いをかけられてることと、火の神が取り引きを持ちかけてきたことを、手短に話した。
「呪い、ですか……」
俺から話を聞いたアステルは、しばらく黙って思案をめぐらせてる様子だったが、やがて口を開いて、魔女っ子に言った。
「その傷跡を、見せていただけませんか?」
「――」
サーラは無言でうなずき立ち上がると、星の神様に背を向けて、羽織ってた外套をするりと腰まで下ろした。
「これでいいかしら?」
「はい。これは――ひどい、ですね」
年齢が本人曰く「星の数と同じくらい」の神様も、サーラの背中に刻まれた虐待の跡を見て、しばらくは言葉もねえようだった。真っ赤に輝いちゃ黒々と鎮まり、そうかと思えばまた赤々と輝き出す――そうやって脈打つように明滅を繰り返す傷跡を目にして、息を呑んだきり長いこと口を開かなかった。
「……なんとか、ならねえのか?」
思わず声をかけちまった後で、俺は唇を噛んだ。
どんなに優しくて親切でも、アステルは神。俺たち地上の種族を気ままに助け、苦しめる、絶対者たちの一人だ。俺たちは、この気まぐれな天上の権力者たちが定める運命に、抗うって決めたじゃねえか。だったら、安易に神頼みなんざするべきじゃねえだろう。
……それなのに。ああ、ちくしょう。
こんなとき、ついつい神に頼ろうなんて考えちまう、弱い自分が情けねえ。結局のところ、今の俺は――口じゃ威勢のいいことを言ってても、実際は神々の世話になってばかりの無力な人間でしかねえ。
うつむいて拳を握り、奥歯を噛み締めながら、コンスルミラの港を出てから今日までのことを思い浮かべた。
〈波乗り小人号〉が沈み出した際にゃ、大地の女神や森の神、水の女神に筏づくりを手伝ってもらった。大海蛇ヘッガ・ワガンに襲われたときにゃ、雷神に救われてる。挙げ句の果てにゃ、目下の敵であるはずの火の神にも、サーラを助けてえなら力を貸す、なんて言われる始末だ。
そして今、俺たちにあれこれ世話を焼いてくれてるアステルにまで、ひょっとしたら助けてもらえるんじゃねえかって期待しちまった自分がいる。普段は生意気に唸って、吠えて、反抗してるくせに、いざ困ったことになりゃ、途端にしっぽを振って構ってもらいたがるなんざ、どこまで身勝手なんだ。甘ったれるのもいい加減にしろって、何度も自分に言い聞かせた。
神々の目にゃ、今の俺はどんなふうに映ってるんだろうか。
「――大丈夫ですか? フランメリックさん」
ふと我に返ると、いつの間にかアステルが目の前にいて、心配そうな顔してこっちを見てるじゃねえか。その後ろじゃ、サーラが外套を肩まで引き上げ、背中を隠してる。
「思いつめた顔をしてますね。どうしたんですか。何か、お悩みでも?」
「いや……別に、なんでもねえよ」
今考えてたことを、まさかこの神様に話すわけにもいかず、俺は目をそらした。けど、星の神様はまたひょこっと視界に入ってきて、気遣わしげにこんなことを言う。
「やっぱり、嫌ですか? 皆さんが立ち向かおうと思ってる相手の一人と、こんなふうに話すのは」
「え……?」
「先日、母さんから聞いたんです。フォレストラ王国の辺境にある町で、フランメリックさんたちと会ったって。そのとき皆さん、母さんに決意を伝えたんだそうですね――神々が定めた運命に、抗うんだって」
「……ああ」
コンスルミラでサンドレオ帝国の使節団を率いるレオストロ皇子と戦って、どうにか退けた後のことだ。アステルのお袋さん――リアルナさんこと月の女神セフィーヌは、俺たちにこれ以上神々や運命に関わらない方がいいって忠告してきた。それに対する俺たちの答えが、アステルが言うところの「決意」ってやつだ。
「今この大陸じゃ、フォレストラとサンドレオ、二つの大国の間で、また戦いが始まりそうになってるみてえだからな。そいつを止めるために、俺たちにできることをしようって決めたんだ。たとえそれが……」
「神々の意思に反することであっても、ですか?」
「……ああ、そうだ」
できるだけ平静を装い、うなずいてみせたものの、内心はとても穏やかとは言えなかった。
この神様にゃ半年前も、いろいろと世話になったからな。俺たちの決意を語るのは、恩を仇で返すようで心苦しい。
「まあ、もっとも……あれから一月も経ってねえってのに、俺たちゃこの有様だけどな」
肩を落として、溜め息まじりに語る俺。
「とりあえずは俺の故郷――イグニッサがフォレストラに戦を仕掛けるのをやめさせようって考えてたんだけどさ。イグニッサへ向かう途中で船は沈むわ、筏に乗って漂流する羽目になるわで、まだ故郷に帰ることもできてねえんだ。出だしがこれじゃ先が思いやられるし、あんたも笑っちまうだろ? そんなざまで、よく神々に喧嘩を売るような真似ができるなって……」
「えいっ☆」
「いてっ!」
口調が自嘲気味になってきたところで、アステルに額をこつんと小突かれた。
「駄目ですよ、フランメリックさん。そんなふうに、後ろ向きになっちゃ」
青い瞳の奥できらきらと星を瞬かせて、アステルは言う。
「フランメリックさんは、立派な人です。それに、ウィンデュラムさんも、マイムサーラさんも。運命に立ち向かうだなんて、ぼくが人間だったらそんな決意、怖くて絶対できないと思います」
「へっ……持ち上げるのは、よしてくれねえか」
苦笑しながら、俺はかぶりを振った。神にお世辞を言われても、今は喜べねえ。
「デュラムやサーラはともかく、俺はそんな大した奴じゃねえよ。魔法も使えねえし、得意の剣術だって、あんたら神々にゃ全然通じねえし……」
「でもあなたは、今もこうして生きてるじゃないですか」
「うおっ?」
出し抜けにアステルが、ひょいと身を乗り出して、俺に顔を近づけてきた。女の子と見紛う、きれいに整いすぎた顔を。
「お忘れですか? フランメリックさんは半年前、ぼくの母さんや赤い長衣の魔法使いに打ち勝って、火を吐く竜からも逃げ切ったじゃないですか。すごいです。それに、あれからぼくが知らない苦労も、たくさんあったでしょう?」
「ん……そりゃまあ、な」
相手が同性だとわかってても、ここまで完璧な美少年にほめられちゃ、気恥ずかしくなっちまって、目をそらさずにゃいられねえ。そんなこっちの動揺に気づいてねえのか、アステルは俺をまっすぐ見つめて、真摯に、熱っぽく語り続けてる。
「コンスルミラでも大変だったそうですね。母さんから聞いてます――皆さん、メラルカさんやゴドロムさんに襲われたり、サンドレオのレオストロ皇子と戦ったりしてたって。それでもあなたは、今もこうして生きてる――運命に立ち向かうんだって、強い意思を持って。それはとても、立派なことだと思います」
「アステル、あんた……」
確か、以前もこんなことがあったっけ。〈樹海宮〉で俺たちがリアルナさんと戦ったとき、この天界の王子様は、身を呈して俺たちをかばってくれた。地上の種族を見下すお袋さんに対して、堂々と自分の考えを述べ立てて、こっちの肩を持ってくれたんだ。
あのときといい、今回といい、自分にゃなんの得にもならねえってのに、どうしてそこまでしてくれるんだ、この神様は。運命に抗うってことは、神々に逆らうことでもあるはずなのに、一体どうして……?
本人にたずねてみると、アステルははにかんで、頭の後ろに手をやった。
「ぼく、皆さんが好きなんです。フランメリックさんや仲間のお二人みたいに、がんばってる人たちが。昔、友達に教えられましたから――地上の種族にとって、生きるってとても大変なことなんだって。辛いことや悲しいことばかりの世の中で、人間も妖精も小人も、鬼人も巨人もみんな、力を尽くして知恵を絞って、勇気を奮って必死に生きてるんだって。それは、ぼくたち神々なんかには絶対できないことだと思うんです。だから、フランメリックさん――」
真剣な面持ちになって、言葉に力を込める星の神様。
「どうかあきらめないで――弱気にならないで、自信を持ってください。皆さんには、神々にない強さがあるんですから」
そんなふうに励まされたところで、火の神に対抗できる力が手に入るわけじゃねえ。サーラの呪いを解く方法や、俺の故郷とフォレストラが戦うのを阻止する術が見つかるわけでもねえ。目下の問題に対しちゃ、なんの解決にもならねえだろう。
けど……それでも。
「……ああ。ありがとな、アステル」
そう一言、礼を言わずにゃいられなかった。ちょいとばかり後ろ向きになってたのが、この神様のおかげで、前を向けるようになったからな。
だが、そのとき。
「……あー、こほん! 男の子二人でいい雰囲気になってる最中に悪いんだけど、デュラム君やあたしのことはほったらかしなの? 放置なの?」
「げ……!」
まずい。サーラの奴が長いこと放っておかれて、すっかりおかんむりのようで。
「す、すまねえサーラ、ずいぶん待たせちまって……ぐえっ!」
「えーい問答無用! 月の女神様に代わってお仕置きよ、覚悟なさい!」
後ろに回り込まれ、ほっそりした腕で首をぐいっと締め上げられちまう俺。
「ぐええ苦しい、サーラ苦しいって! ってかお前、呪いが強まってきてるとか言いながら、ぴんぴんしてるじゃねえか、ぎゅええええッ!」
白波が寄せては返す砂浜に、俺の悲鳴が響き渡る。少し遅れて、アステルの心配そうな声と、デュラムの呆れたような声も、小さく響いた。
「あ、あの……大丈夫ですか? フランメリックさん」
「――まったく。いい加減話を戻して、先へ進めるぞ」




