第35話 デュラム、大暴走!
寄せては返す、波の響きが聞こえる。
海から陸へ吹きつける潮風の口笛と、鴎の眠そうな鳴き声も――。
「ここは……どこだよ?」
意識を取り戻したとき、俺は見慣れねえ場所にいた。
青い海、白い砂浜。照りつける黄金の陽射し。どうやら、どこかの海岸らしい。
「うえっ、ぺっぺっ!」
口の中がしょっぱい。波打ち際に倒れてる間に、いくらか海水を飲んじまったんだろうか。
二、三度咳き込み、口内に残ってた塩辛い水を吐き出した。右手で口許をぬぐうと、手の甲についた砂の、ざらりとした感触が伝わってくる。
「……あの神様、俺たちをどこへ飛ばしやがったんだ?」
意識を失うまで、俺たちゃ筏に乗って海上を漂ってたはずだ。それが目を覚ましたらこんな砂浜に放り出されてるのは、メラルカの仕業だろう。奴が筏に触れた途端に生じた赤い光――あの魔法が俺たちを筏の上からここまで運び、放り出したに違いねえ。となると、ここにメラルカが「ある男」とか「あの男」とかって呼ぶ奴がいるのか。
見たところ、大きな島か、大陸から海へ突き出た半島の浜辺みてえだ。それ以上のことは、俺にゃわからねえ。デュラムやサーラなら、話は別かもしれねえが。
そう言えば……あの二人はどこだよ?
急に不安に駆られて、周囲を見回してると、
「気がついた? メリック」
不意に背後から、するりと細い腕が二本伸びてきて、俺の肩を軽く抱いた。
「……サーラ?」
首をねじって後ろを見ると、見慣れた魔女っ子のきれいな顔――丸みを帯びたほっぺたと、ちょいと尖った顎、それに藍玉の瞳が視界に入る。
「お前、意識が戻ったのかよ!」
「ええ。ついでに言うと、デュラム君も無事だから。今、焚き火に使う流木を集めにいってるところよ。気を失ってる間のことは、デュラム君から聞いたわ。どうやらメラルカ様の魔法であたしたち、三人そろってここまで飛ばされちゃったみたいね」
「サーラ、お前……!」
飛び上がりたくなるくらい嬉しくて、魔女っ子の言葉は途中から全然耳に入らなかった。肩に回された腕を振りほどき、体ごと後ろへ向き直る。そして――今度は俺の方から、なりふり構わずサーラに抱きついた。
「え……ちょ、ちょっとメリック?」
「よかった! 心配したんだぜ、俺……!」
感極まって、サーラを抱き締める腕に、ぎゅっと力がこもる。固く閉じた目の端に、じわりと熱いもんがあふれ出た。
火の神と戦ってる最中に倒れて以来、サーラはずっと意識を失ってたからな。おまけにメラルカからは、サーラが呪詛をかけられてて、このままじゃ命が危ねえなんて話も聞かされてたし。最悪、このまま二度と目覚めない、なんてこともあるんじゃねえかって、不安だったんだ。
だから、とにもかくにも目を覚ましてくれてよかった。本当に、よかったぜ。
「……あのー、メリック? 喜んでもらえるのは嬉しいんだけど……ほら。あたし今、こんな格好だから。いくら弟分のあなたでも、男の子に抱きつかれるのはさすがに恥ずかしいのよね……」
「へ? こんな……格好?」
そう言われて、視線がするすると下がる。サーラの心なしか赤みが差した顔から、細い首。浮き出た鎖骨に、ほどよくふくらんだ胸の谷間……。
「え、えぇえぇッ?」
どうも素肌ばかり目に映ると思ったら、いけねえ、すっかり忘れてた! サーラの奴、メラルカに着てる服を全部燃やされちまって、一糸もまとわねえ姿になってたんだった。今はデュラムから借りたのか、外套を羽織ってるものの、それ一枚で女の子の肢体すべてを隠しきれるはずもなく……。
ただでさえ、恋人でもねえ女の子に抱きつくなんざ無礼だってのに、こんな格好のサーラになんてことをしちまったんだ、俺は。
「す、すまねえ! 太陽神リュファトにかけて、悪かった!」
慌てて飛びのき、砂浜に両手両膝ついて、平に謝る。
「あ、あたしは別に、構わないんだけど。あなたなら……」
ちょいとばかりうつむき加減になって、魔女っ子はぼそぼそと言う。
俺やデュラムの前でいきなり服を脱ぎ出したり、全部脱いだ後で俺をおちょくってきたりと、普段は自分から大胆なことをしやがるサーラだが、やっぱり普通の女の子らしい一面もあるんだな。男の方から抱きつかれるのは、駄目みてえだ。
「その……本当にすまねえ、サーラ」
改めてわびると、サーラも怒ってるわけじゃねえようで、
「ん……あたしのことは、もういいから。気にしないで」
と、まだ若干恥じらう様子を見せながらも、苦笑いする。
「ちょっと、驚いただけなの。あなたって、いつもはあたしが顔を近づけたり、肩を寄せたりしただけで恥ずかしがるでしょ? なのに、あんなことまでして喜んでくれるなんて、思わなかったから」
「う……確かに」
サーラが目を覚まして嬉しかったからとはいえ、らしくねえことをしたって、自分でも思う。謝るだけじゃなくて、ちゃんと反省しねえとな……。
「それより、デュラム君がぷんぷん怒ってるみたいだから、今は逃げた方がいいかも」
「……? デュラムが、なんだって?」
「メリック、貴様……」
カラン、カラランと、何かが地面に落ちる音。それに地鳴りみてえな声が聞こえてきた方を見やると……げげっ! サーラのこととなると暴走しがちな妖精の美青年が、端整な顔を怒りに歪め、つり上がった半月形の目でこっちを凝視してやがる。奴の足元に散らばり、海風に吹かれてカラカラと音を立ててるのは、波に洗われて白っぽくなった流木だ。多分、デュラムが焚き火用に拾い集めて、小脇に抱えてきたもんだろう。
「美しい裸身をさらすサーラさんと、手足を絡めて睦み合うとは。貴様、一体いつからサーラさんとそんな関係になった? 森の神ガレッセオと風神ヒューリオスにかけて、答えろ」
「む、睦み合ってねえ! ってか、腕はともかく、脚は絡めてねえよ!」
「言い訳は不要だ。貴様はただ真実だけを、拷問台にかけられた罪人のように答えればいい」
べきり、べきっ。足元の流木を踏み折り、ゆっくりとこっちへ歩を進めながら、デュラムが不穏な声色で問いかけてくる。
……こ、怖え。槍を握る右手が、怒りのあまりなのか、小刻みに震えてやがる。
「す、すべての神々に誓って、真実だって!」
「しらを切るなら、力ずくで吐かせるまでだ。覚悟しろ」
「よせデュラム! ここは落ち着いて話をわああああッ!」
「許さんぞ……! 私より先に、サーラさんとそこまで親密になるなど……!」
「誤解だ、誤解だって! だああああッ!」
すっかり嫉妬に狂った様子の妖精が槍を振り回し、猛然と迫ってくる。
もちろん、デュラムは腹が立ったからって、仲間に刃を向けるような奴じゃねえけどさ。槍の切っ先を繰り出す代わりに、反対側の石突きを振り下ろしては振り上げ、振り上げては振り下ろし……いてててッ! 俺の頭をボカスカ叩いてくるところを見ると、相当怒ってるみてえだ。まるで、今まで胸の奥底に溜め込んでた感情が一気に噴き出したかのように、大暴走してやがる。
こりゃもう、奴の頭が冷えるまで、逃げ回るしかなさそうだ。
「わあ……すごい剣幕ですね、ウィンデュラムさん」
「そうなんだよ! あのすまし屋妖精、サーラのことになるとすぐこうなりやがる!」
狩人に追い回される脱兎のごとく駆けながら、傍らから聞こえてきた声に、何気なく答える。
「父上も言ってましたよ。シルヴァルトの森でマイムサーラさんが水浴びしようとしてるのを眺めてたら、槍を構えたウィンデュラムさんに追い回される羽目になって、大変だったって」
丁寧だが、口調が柔らかなこともあって堅苦しい印象を与えねえ、若い男の声。それと一緒になって聞こえてくるのは、金属同士が触れ合って立てる硬質な音だ。
「そうなのか? そりゃ災難だったな。デュラムの奴、普段は冷静なんだから、サーラに何かあったときももっと落ち着いてられそうなもんなのによ。きっと惚れてるんだぜ、サーラにさ。だからあんなに暴走しやがるんだ、ったく!」
「そうなんですか? ぼくにはウィンデュラムさんは、フランメリックさんが自分以外の方と仲良くするのが面白くない――そんなふうにも見えますけど」
「へっ、なんだよそれ? なんで俺がデュラム以外の奴と仲良くしたら、あいつが……って、おい。あんた――誰だ?」
そこでようやく、声の主が誰なのか気になった。どうして今の今まで気にならなかったのか、不思議なもんだ。
さっきから声がする右手に目を向けりゃ、そこにいたのは――。
「……! あ、あんたは……!」
驚きのあまり、足が止まる。
そこへ暴走状態――いや、もはやご乱心状態の妖精が、槍を手に突っ込んできた。
「逃がさんぞ、メリック!」
「だあっ、よせデュラム! いい加減落ち着けって……!」
「――下がってください、フランメリックさん。ぼくが、なんとかしますから」
どうにかデュラムをなだめようとする俺を、声の主がやんわりと背後へ押しやり、自分が前へ進み出た。
きらめく金髪に覆われた頭と、夜の闇を思わせる濃紺の甲冑に守られた背中が、俺の視界をさえぎる。その後ろ姿に、半年前シルヴァルトの森で出会ったあの人――牛頭人に追われる俺たち三人を助けてくれた、あの神様の姿が重なって見えたのは、気のせいだろうか。
「危ないですよ、そんなもの振り回しちゃ」
目前まで迫ったデュラムが、槍の石突きを頭上高く振りかぶり――打ち下ろす!
当たりどころが悪けりゃ、昏倒したっておかしくねえ一撃だ。声の主はそれを――なんと、素手で払い除けた。
「眠ってください。少しの間」
眉間めがけて降ってきた石突きを、籠手をつけた左手の甲で軽々と打ち払い、デュラムの額に右手の人差し指で触れる。女性のそれみてえに繊細な指先が、ぱっと青白い光を放った。
「う……?」
伝説の英雄も捕らえるのに悪戦苦闘したという魔の大鹿さながら、猛然と突進してきたデュラム。その体が青い光を浴びた途端、びくりと痙攣し、動きが鈍る。声の主の傍らを通り過ぎ、一歩二歩、三歩と歩いたところで、がくんと膝をついて、そのまま砂浜にぶっ倒れた。
「――ふう。眠りの魔法……母さんみたいに上手くかけられる自信なかったんですけど、なんとかなりましたね」
冷や汗をぬぐうように、手の甲で額をひとなで。蜂蜜色の髪を揺らして、声の主はこっちを見やり、少女と見紛うきれいな顔をほころばせた。柔和で人懐っこそうな青金石の瞳が、星空みてえにきらきらと輝く。
と、そこへサーラが、羽織った外套をはためかせて、小走りにやってきた。
「メリック、大丈夫? 怪我は――?」
「あ、ああ……なんともねえぜ」
「ごめんなさい。あたしが間に入って、デュラム君を止められればよかったんだけど――」
「いや、お前が謝る必要はねえって。デュラムの奴が勝手に暴走しただけなんだしさ。それに……」
サーラと向き合って話をしてるうちに、鼻のあたりがかあっと熱くなってきたのを感じて、俺は慌てて目をそらす。
「えっと、その……なんだ。お前もその無防備な格好じゃ、動くに動けなかったんだろ?」
「え? ええ……まあ」
魔女っ子も俺が赤面してる理由に気づいたようで、羽織った外套を胸の前でかき合わせる。
俺も手許に外套がありゃ、サーラに「これも着てろよ」って渡してやれたんだが。あいにく俺の外套はあの泥棒猫――ラティさんに貸したまま返してもらってねえ。
今度会ったときに返してくれって頼んでも、あの人が素直に応じてくれるかどうか。この先、どこかの町を訪れることがありゃ、市場で新しい外套を買った方がいいかもな……。
「……ところでメリック。そっちの彼はもしかして、星の――?」
「ああ、そうだ」
俺は気を取り直して、この場にさり気なく紛れ込んできた声の主――暴走する妖精を魔法で眠らせた、金髪碧眼の美少年に視線を向ける。
「助かったぜ、アステル。いや……星の神ロフェミス様って、呼ぶべきか?」
「前みたいにアステルって呼んでください、フランメリックさん」
照れたように笑って、甲冑の少年は頭の後ろを右手でかいた。
半年前に知り合ったときと、同じように。
「お久しぶりです。またお会いできるなんて、思いませんでした!」




