第34話 呪詛
「体を隅々まで調べないと」なんて言ってたわりに、火の神は大して時間をかけることなく、サーラが苦しみ出した原因を突き止めた。
「うん、これだね」
メラルカがそう言ったのは、奴が右の手首をくいっとひねり、仰向きになってたサーラの体を、宙でくるりと半回転させたときのことだ。
北の凍える海を泳ぐ海豹が、海中で身をひねって背中と腹の向きを逆にするように、意識がねえサーラがその裸身を反転させる。
そうやって空中でうつ伏せになった魔女っ子の背中を、俺も近くへ寄って、そっと見た。
本人が気を失ってる間に女の子の柔肌を見るなんざ無礼千万、男としても最低だが、この際仕方がねえ。
苦しみの原因を知るために、ちょいと見るだけ。そう自分に言い聞かせつつ、サーラの背中へ目を向けた俺は――束の間、言葉を失った。
「……っ!」
サーラの背中にゃ、傷跡がある。それも、鞭で繰り返し打たれたか、短剣で何度も斬りつけられたか――そうまでされなきゃつきっこねえ、ひでえ傷の跡が、無数に。本人の話じゃ昔、義理の親父さんに虐待されてたときについたもんだそうだ。
今、その傷跡の一筋一筋が、半ば灰に埋もれた炭火みてえに赤い光を放ち、サーラの苦しげな息遣いに合わせて輝きを増したり、失ったりを繰り返してる。
こんなことは、普通の怪我や病気じゃありえねえ。なんらかの魔法が働いてることは間違いなさそうだ。
「この傷跡から、強い呪詛の力を感じる――呪いをかけられてるね、この子」
赤い光が脈打つ傷跡の一筋を、すっと指でなぞって、メラルカは自分の見立てを口にする。
「今はまだ大丈夫だけど、このままいけば彼女の身も心も蝕まれる。最後には命を落とすことになるだろうね」
「なんだって……?」
呪詛。遠く離れた場所にいる相手の体や心を蝕み、不幸な目に遭わせる魔法。冥界の王ヴァハルの寵愛を受ける邪悪な魔法使いが好んで使うって、昔本で読んだことがあるぜ。
まさかサーラが呪詛をかけられてて、このままじゃ命が危ねえだなんて。そんな話は、絶対信じたくねえ。けど……。
一度目を閉じ、大きく息を吸って――吐き出す。それから目を開け、いくらか気持ちが落ち着いたところで、俺は改めて神と向き合った。
「……嘘を言ってるわけじゃ、なさそうだな」
いつもなら「でたらめ言うんじゃねえ!」って怒りの声を上げるところだが、今は熱くなっちゃ駄目だ。
頭を冷やそうって、ついさっき自分に言い聞かせたばかりだしな。
「もちろん。金と銀、銅と錫、それに鉄――あらゆる金属を創造したこの手にかけて、真実さ。日頃彼女の言動に、何かおかしなことはなかったかな?」
そう言われて思い当たったのは、サーラの脱衣癖。旅の途中、きれいな川や泉を見つけると、人目をはばからず水浴びしようと服を脱ぎ出す、困った癖だ。
それをメラルカに話すと、火の神は、
「ふうん……キミとそっちの妖精にとっては、きっと目の保養になってたんだろうね。ボクも一度、この目で見てみたかったな……」
なんて皮肉を口にした後、
「それは多分、呪いを抑えるためだね」
と、見当をつけた。
「水にはチャパシャの力が溶け込んでる。彼女の力は身を清め、心を洗う浄化の力だ。穢れた呪詛の力を抑え込み、呪いの進行を遅らせることもできるだろう――ある程度はね」
「ある程度……?」
最後につけ加えられた一言が気になるぜ。その真意をたずねると、神は「聞きたいかい?」と薄く笑って、話を続ける。
「見たところ、この子にかけられた呪詛は、彼女が魔法を多用して極度に心身を疲労させると、強まるように仕込まれてるみたいだ。そうなるともう、水浴びだけじゃ抑えておくのは難しいだろう――ってことさ」
「なるほど。ゴドロム神が言っていたのは、そういうことか」
「……? なんだよデュラム、雷神様がどうしたってんだ?」
俺が怪訝な顔して傍らの妖精を見やると、美青年は目を半月の形にして、じとーっとこっちを見つめ、ぼそり、ぼそり。
「鬼人並みの記憶力……」
「あーわかった、それ以上言わなくていいって!」
デュラムの奴が、どこかあきらめたような、それでも呆れずにゃいられねえって顔してつぶやくのを、俺は両手を振って制した。
俺の忘れっぽさに呆れてるってことは、よくわかったからさ。
「……まったく、貴様という男はこれだから困る。先日の夜、ゴドロム神がサーラさんにこう言っていたのを忘れたのか? 『その様子では、ただの禊では抑えが効かぬようになってきておろう。そろそろ、別の手立てを考えねばならぬのではないか』と」
「あ……そう言えば」
遅まきながら、思い出した。先日――〈波乗り小人号〉が海賊シャー・シュフィックの襲撃を受け、大海蛇ヘッガ・ワガンにも襲われて、沈没する前夜のことだ。
あの雷神様、確かにそんなことを言ってた気がするぜ。
「禊とは、水や湯で心身の穢れを洗い落とすことだ。それでは呪いを抑えられん段階まで来ていることを、ゴドロム神は見抜いていたのだろう」
「……なんてこった」
まさかあの言葉が、サーラへの忠告だったなんて。
あのとき俺も、ゴドロムが去った後、魔女っ子の様子が変だって、不思議に思いはしたんだ。あの時点で、サーラを問い詰めてでも事情を聞いてりゃ、こんなことにはならなかったんじゃねえか。
それなのに、俺は――。
サーラがやたらと服を脱ぐのは、単なる性癖だと思ってた。水浴びも好きでやってるんだと、ずっと勘違いしてた。けど本当は、あいつにとっちゃ生きるため――呪いを抑えるために必要不可欠な行為だったなんて。
結局のところ、俺は今まで何もわかってなかったんじゃねえか。あいつの悩みも、苦しみも……何一つ。
「……ちくしょう」
落ち着け、冷静になれ。何度そう自分に言い聞かせても、後悔、自責、自己嫌悪の念が繰り返し込み上げてきて、胸の内を引っかき回す。左右の掌でこめかみを押さえてわめき散らすか、頭を抱えてうずくまるか。もう、どっちかをやりたくて仕方ねえ……。
と、そのとき。
「心の中で自分と向き合ってる最中に、悪いんだけどさ。この子を助けたいなら、ボクが力を貸すよ?」
不意にメラルカがそんな言葉をかけてきて、俺は身構えた。神に対する不信感と警戒心が、同時に頭をもたげてきたからだ。
「……その顔は、ボクを疑ってる顔だね」
「あ、当たり前だろ! 信じろって方が無理な相談じゃねえか!」
と、神に噛みつく俺。
何をたくらんでるかわからねえ、この危険印の神様が、なんの見返りも求めずに力を貸してくれるなんて。そんな上手い話が、あるはずねえ。
「やれやれ、嫌われたものだね……もちろん、ただってわけじゃないさ。一つ、条件がある」
もう、嫌な予感しかしねえ。条件ってのは、十中八九間違いなく――。
「ああ、『ボクのしもべになれ』なんて言わないからさ。その点は安心してくれていいよ」
「へ……?」
予想と違うメラルカの言葉を聞いて、間抜けな声を出しちまう俺。
「心外だな、ボクはそこまで下衆じゃない。もちろん本音を言えば、この機を逃さずキミたちをしもべにしたいって気持ちはあるけどさ。それじゃ、ボクを相手にあれだけ健闘した、この子が報われないじゃないか。だから彼女に敬意を表して、その話はまた今度にするよ」
驚きだ。こういうときは大抵当たる俺の予感が、珍しく外れたじゃねえか。
じゃあ、メラルカが言う「条件」ってのは、一体なんなんだろうな……?
「実は一つ、伝言を頼みたいんだ。キミたちに力を貸すのと引き替えにね」
そんなことを言いながら、火の神は片膝ついて身を屈めると、右手の人差し指で筏に触れる。その直後、神の指先が触れた一点に、ぽっと赤い光が生まれた。
「……? なんだよそれ……ってうわ、まぶしいッ!」
最初はちっぽけな点でしかなかったそれは、瞬きする間にふくれ上がり、真っ赤な光の半球となって、俺やデュラム、宙に浮かんだままのサーラを呑み込む。
「……ッ! こいつは……魔法かよ?」
色こそ違うが、この不思議な輝きは、サーラが魔法を使うときに生じる青い光と似てやがる。
「いきなり何しやがる、あんたッ!」
あまりのまぶしさに片目を閉じ、すがめたもう一方の目で、光の中にメラルカの姿を捜した。
「心配はいらないよ。これからキミたち三人を、ボクの力で、ある場所へ送り込むからさ」
まばゆい光の向こうから、神の愉しげな声が聞こえてきた。
「そこである男に、ボクの言葉を伝えてほしいんだ」
「な……おい、ちょっと待ってくれよ! 俺たちゃまだ、あんたの力を借りるって決めたわけじゃねえぞ!」
大体「ある場所」ってのはどこで、「ある男」って誰なんだよ? こっちは行き先や相手のことを何一つ知らねえってのに、どうして伝言なんざできるってんだ。
詳しい説明もせずに、勝手に話を進める神の強引さに抗議するも、メラルカはまるで聞く耳を持たねえ。
「キミたちに選択の余地はないと思うよ。急がないと、その子の命が危ないからね……」
神の声が、次第に遠のいていく。洪水のように押し寄せる、光の彼方へと。
「ああ、そうそう。あの男に会ったら、こう伝えてほしいな――『約束の期限はもうすぐだよ。そろそろ例のものを渡してほしいな』ってね」
「だからッ……そいつは誰なんだよ!」
メラルカの声は、ますます遠ざかるばかり。最後に聞こえたのは、こんな言葉だった。
「大丈夫、行けばすぐにわかるさ。それじゃあ任せたよ、ボクのフラン」
「……ッ! ちくしょう……! 勝手なこと、言いやがって……!」
「約束の期限」だの「例のもの」だのって――そりゃ一体、なんのことだよ?
そんな疑問を口にする間もなく、俺の意識は光の奔流に押し流された。




