第28話 陸地が見える!
「見てメリック、ねえ!」
雨音を聞いてるうちに、うつらうつらと舟を漕ぎ始めてた俺は、サーラに肩を揺さぶられて目を覚ました。
眠気がこびりついた目を擦りながら、ゆっくりと周囲を見回してみりゃ、いつの間にか雨は上がり、西の空は赤みがかった黄金色に染まってる。
「ふあぁ……なんだよサーラ、もう晩飯の時間か? 俺、もう林檎は食べ飽きちまったんだが……」
「んもーう! 寝ぼけてないで、起きなさいって! 島が見えるのよ、島が!」
「ああ、そうか。島が見えるのか、島が……なんだって?」
サーラが何を言ってるのか理解した途端、眠気なんざ一気に吹っ飛んじまう。がばっと飛び上がり、改めて――今度はあわただしく周囲を見回した。
「どこだよ? その……島ってのは?」
「落ち着け、メリック。よろめいて倒れても、私は助けんぞ」
波に揺られて不安定な筏の上に立つ俺を、デュラムが顔をしかめてたしなめる。それから、すっと右手を持ち上げ、
「島なら、あれだ」
と、指で指し示して、教えてくれる。
「……! 夢じゃ、ねえんだよな?」
デュラムが指差した方を見ても、すぐにゃ自分の目を信じられなかった。けど、試しにほっぺたをつねってみりゃ痛みを感じるし、どうやら夢じゃねえようだ。
南の海に浮かぶ、でっかい島。先日見つけた小島と同じく無人なのか、人が住んでるのかはわからねえが、とにもかくにも陸地が見える!
「……ははっ」
笑い声が、唇の間からこぼれる。このところ強張りがちだったほっぺたが、久しぶりに緩むのを感じた。
お先真っ暗だった行く手に、希望の光が一筋、差したような気がするぜ。
ところが……ところがだ。
「ちょいと坊やたち。島が見つかってよかった、これで助かる――なんて甘いこと考えてるんじゃないだろうね?」
他人様が喜んでるところへ水を差す、無粋な奴はいつでもどこにでもいるもんらしい。
「ラティさん?」
意地悪な声の主、火の神メラルカの娘さんは、胸を反らして腕を組み、不満げにほっぺたをふくらませて、こっちをにらんでやがる。
「言っとくけどね。あんたたちは、あの島には行かせないよ? ここで力ずくでも、誓わせてやるんだから――三人そろって、父様のしもべになるってさ!」
「あなたずっと、そればっかりね」
呆れるあまり頭痛でもしてきたのか、人差し指でこめかみをぐりぐりと揉みほぐしながら、サーラが言う。
「ここまでしつこいと、よく飽きないわねって感心しちゃうんだけど」
「う……」
「あと、ついでにもう一つ。あなた、この子が貸してくれた外套で雨露しのいでおいて、その後にやることがこれなの? 世の中じゃ『恩知らず』っていうのよ、そういうの」
「う、うぅーっ!」
魔女っ子の皮肉と、歯に衣着せぬ物言いに、ラティさんは一瞬怯んだ様子を見せたものの、すぐに気を取り直し、
「う、うるさいんだから! お互い手出しはしないって約束なんかもう知らない、やっちゃいなよナキシュ!」
駄々っ子みてえにまくし立て、相方の暗殺者をけしかけようとする。
「……っ! よさねえかラティさん! 前にも言ったと思うんだけどさ、こんなところで戦うなんざ……おわっ!」
俺の話を最後まで聞かずに、ナキシュが仕掛けてきた。
「暗殺者、てめえっ……!」
今までおとなしかったのが嘘みてえな豹変ぶりだ。こっちとの間合いを瞬時に詰め、両手の甲から伸びる鉤爪で斬りつけてきやがる。
あまりの速さに、俺は剣を抜くどころか、柄に手をかけることさえできねえ。最初の右から左へ薙ぎ払う一撃は身を低くして避け……おっと! 次の頭上から振り下ろされる一撃は……危ねえ! 両腕を交差させて、防ぐのが精一杯だ。
「うっぐ……!」
右腕の上に重ねた左腕から血がほとばしり、一瞬遅れて鋭い痛みが背筋を駆け抜けた。腕を覆う革の籠手を裂かれ、腕そのものもちょいと肉を削がれる程度だが、切られちまったらしい。
波に揺られる筏の上で、この俊敏な動き、苛烈な攻め。今さら言うのもなんだが、こいつぁやっぱり相当な手練だぜ。
ナキシュが三度、俺に斬りつけようと右手を振りかぶる。
「下がれ、メリック!」
そこへ妖精の槍術使いが横合いから突きかかり、白銀の切っ先を暗殺者の右腕に命中させた。
「デュラム……!」
いつもなら、ここで俺が礼を言って、妖精が「次も助けるとは限らんぞ」って、おなじみのせりふを吐くところだ。だが……驚きの女神ラプサにかけて、なんてこった! ナキシュの奴、腕にぐるぐる巻きつけた黒い布の下に、青銅か鉄の籠手でもつけてるようだ。デュラムの槍は暗殺者の腕を貫くことなく、硬い金属の響きを立てて跳ね返されちまう。
ナキシュの首が、轆轤みてえにぐるんと回り、不気味な仮面をつけた顔が妖精の方を向いた。蜘蛛をかたどった仮面の六つ目が、赤い光を妖しく明滅させる。
「あぶねえデュラム! お前こそ下がれって……」
シュッ! 俺が最後まで言い終わらねえうちに、ナキシュの鉤爪が風を切り、危険を察して退いた妖精の前髪を一房、すっぱりと刈り取った。さらに暗殺者は、デュラムに反撃する暇を与えることなく、二度三度と執拗に追い討ちをかけやがる。
……まずいぜ。あの蜘蛛仮面、俺のことはひとまず放っておいて、まずは邪魔者を――横槍入れてきたデュラムを黙らせようって腹だ。
冗談じゃねえ。そんなことは――。
「させるかよッ!」
暗殺者の注意が妖精の美青年へ向いてる隙に、俺は剣を抜き放ち、勢いに任せて斬りつけた。
神の眷属だろうがなんだろうが、俺の仲間をこれ以上、傷つけさせはしねえ――絶対に!
ナキシュは素早く反応して左手で防いだが、俺は構わず立て続けに打ち込んだ。二、三、四……五、六、七度! もう無我夢中で、剣の嵐を叩き込んだ。
さすがの暗殺者も繰り返し剣を打ちつけられて、体勢を崩す。それを好機とばかりに魔女っ子が呪文を唱え、水の女神に祈って、杖を青く輝かせた。
「これでも……くらいなさいよ!」
杖の先からどっと堰を切ったように噴き出したのは、飛沫を振りまく激流だ。鬣振り乱して疾走する白馬の群れにも似たそれは、避ける間もなく暗殺者を直撃し――筏の上から、海へと吹っ飛ばした!
背中から海面に激突し、派手な水柱を立ち上らせるナキシュ。
三人がかりで攻め立てるなんざ、ちょいと卑怯な気もするが、あっちも問答無用とばかりに仕掛けてきやがったんだし、恨みっこなしだぜ。
「ふう……! なんとかなったな」
額の汗を手の甲でぬぐってから、俺は魔女っ子に、親指を上に向け、ぐっと立ててみせる。それから、傍らに立つ妖精を見やり、
「毎度のことだけどさ。助かったぜデュラム、ありがとな」
と、遅まきながら、いつもみてえに礼を言った。
さっきはこいつが助太刀してくれなけりゃ、本当に危なかったからな。
「いや……今回は私も、貴様に助けられた」
「え?」
デュラムのことだから、いつも通り腕を組み、鼻を鳴らしてそっぽを向くだろうと思ってたんだがな。そんなことを言うなんざ、意外だぜ。
「こんな狭い筏の上では、槍のような長柄の武器は扱いづらいからな。先程、貴様が奴に斬りつけていなければ、私は――」
「やられてたかもしれねえ、か?」
無言でうなずく妖精の表情は、いつになく悩ましげだ。本当は何か口に出して伝えてえことがあるんだが、意地や自尊心が邪魔して素直に言えず、どうしたもんかと迷ってる――そんな感じがするぜ。
妖精ってのは気位の高い種族だからな。人を助けてやることはあっても、人に助けてもらうことにゃ慣れてなくて、とまどってるのかもしれねえ。
それならこの場は、俺の方からこう言ってやるのがいいんじゃねえかな。
「いつもは俺が、お前やサーラに助けられまくってるんだからさ。たまには俺に、助けさせてくれてもいいだろ?」
言いながら、すっと右の掌を挙げ、デュラムの方へ向けてみせる。
妖精の美青年はとまどった様子を見せたが、やがて俺の意図を察したようで、
「……ふん。そういう馴れ合いは本来、妖精の好むところではないのだが」
とか言いつつ、俺に合わせて左の掌を挙げてくれた。
パチン! 二つの掌が打ち合わされ、軽やかな快音を響かせる。
「……へっ」
思わず笑みが、口の端に浮かんだ。
いつもデュラムやサーラに助けられてばかりの俺だが、今回は少しだけ恩返しができたかもしれねえな。
ほんの少し……だけどさ。




