第25話 航海日誌①
神々と別れ、メラルカの娘ラティさんと暗殺者ナキシュを新たな道連れに迎えて始まった、俺たちの漂流生活。せっかくだから、俺はそれを記録しておくことにした。ちょうど手元に、先日コンスルミラの市場で買った羊皮紙が一束あるから、そいつを日記帳代わりにして日々の出来事を書き留めておこうと思うんだ。いわゆる航海日誌、みてえなもんだな。
……もし、生きて陸に上がることができたら、思い出の品になるだろうし。万が一海の上で死ぬことになりゃ、そのときは冥界への手土産になるからさ。
それじゃ早速、羽根筆に洋墨をつけて、まずは日付を書かねえとな……。
〈海神の月 第二十九の日〉
漂流生活が始まって、最初の夜が明けた。
嵐は止んだが、まだ風は強いし波も高い。風神ヒューリオスと海神ザバダが、とっとと機嫌を直してくれるといいんだが。
サーラが魔法を使って杖の先から水を噴き出させてくれたおかげで、普段飲み水を入れてる革袋を一杯にすることができた。今後も水が必要になったらいつでも出してくれるそうだから、この漂流中、飲み水の心配はしなくて済みそうだ。
……ただ、一つ気がかりなのは、サーラが魔法を使った後、ちょいとばかり苦しそうな表情をしてたことだ。昨日海賊たちと戦ってたときも、魔法を使った直後に苦しんでたじゃねえか。あのときと同様、今回もすぐ笑顔に戻って「平気、平気♪ なんでもないから」って言ってたけどさ。本当に、大丈夫なのかよ。
……なんだか、心配だぜ。
夜、寝る前に剣術の鍛錬をした。
〈海神の月 第三十の日〉
朝方、ようやく波は静まり、雲の合間から光が差した。昼の世界を照らす、太陽の光だ。
太陽を見てると、ついあの人を思い出しちまう。半年前シルヴァルトの森で出会った、あの神様のことを。
また、あのおっさんが助けにきてくれねえかな……なんて都合のいいことを期待しちまって、慌てて頭を振った。俺たちゃ神々が定める運命に立ち向かうって決めてるのに、こういうときだけ神様に頼るなんざ、身勝手じゃねえか。
昨夜と同様、寝る前に剣術の鍛錬をした。
〈海神の月 第三十一の日〉
三人で仲良く……かどうかわからねえが、とにかく三人で、一つの林檎をかじった。
先日、コンスルミラを治めるナボン太守の館で、水の女神を連れた森の神ガレッセオと話をしたとき、あの神様からもらった林檎だ。あのとき、ガレッセオが魔法で自分の腕を木の枝に変えて、真っ赤な林檎を実らせたときは驚かされたもんだ。
不思議なことに――あれから十日以上経ってるってのに、森の神からもらった林檎は痛みも腐りもせず、まるでもぎたてのようにみずみずしい。実際に食べてみても汁気たっぷりで甘酸っぱく、市場で売られてる新鮮な果物にも勝る美味しさだ。
さらに驚いたことにこの林檎、食べても食べてもなくならねえ。芯だけになっても、放っておけばぱっと緑の光を放って、瞬く間に元通りになっちまう。まさに、魔法の林檎だ。
サーラの奴、俺がこんな「非常食」を持ってたことに驚いたようで、
「あなた、ガレッセオ様からこんなものもらってたなんて、やるじゃない。ずいぶんあの神様に気に入られてるみたいね」
とか言って褒めてくれたが、俺としちゃ正直、複雑な気分だぜ。すごいのは、こんな魔法の果物を実らせたガレッセオの力であって、俺自身が何かすごいことをしたわけじゃねえからさ。
俺も……魔法を使えりゃいいのにな。
ちなみに件の林檎、ラティさんとナキシュに「あんたらも食べねえか?」って勧めてみたんだが、ラティさん曰く、
「ふん、何言ってるのさ。あたいはメラルカ父様の娘なんだからね! 父様がつくってくれた料理以外、絶対食べないんだから!」
とのこと。こんなときまで、そういう贅沢なことを言うなんざ、我がままな人だぜ。
けど、そんな見栄を張った直後に、ラティさんのお腹が「ぐう!」って鳴ったもんだから、危うく吹き出しそうになった。神の眷属でも腹は減るもんなんだってわかって、おかしかったからさ。
仕方がねえから、林檎をどんっとラティさんのそばに置いて「気が向いたら食べなよ」って声をかけた。ラティさんにゃ案の定「ふん、大きなお世話なんだから!」ってそっぽを向かれちまったが、林檎はそのままにしておいた。食べるも食べねえも、あとは本人の自由。好きにすりゃいいさ。
……夜。眠気をこらえて見張りをしてると、何やらしゃりしゃりと妙な音が聞こえてきた。音がする方をそっと見りゃ、なんと! 俺が置いておいた林檎を、ラティさんが夢中になって食べてるじゃねえか。やっぱりぺこぺこだったんだな、腹が。
俺が笑いを噛み殺してじーっと見てると、それにはっと気づいたラティさんの奴、
「ちょいと坊や、何見てるのさ! 見られたからにはただじゃおかないんだから!」
と、それこそ林檎みてえに真っ赤になって、ぎゃあぎゃあ騒ぎやがる。
ったく。腹が減ってるなら、最初から意地張らずに食べりゃよかったのに。俺の周囲にゃ、素直じゃねえ奴が多くて困るぜ。
ラティさんがさんざん騒ぎまくった挙げ句、疲れて寝ちまった後、デュラムと見張りを交替するまで、剣術の鍛錬をした。
〈大地母神の月 第一の日〉
月が変わったが、状況に変化はなし。依然、周囲に陸地は見当たらねえ。
先日、姫さんから聞いた話じゃ、今俺たちが漂流してるこの海――ウェーゲ海は別名〈百島海〉とも呼ばれ、その名の通り大小合わせて百以上の島が散らばってるんだとか。そのうちの一つ、たとえば先日姫さんが教えてくれた、太陽神の神殿があるっていうレクタ島でも見えてくれば、俺たちゃ助かるんだがな。
もっとも……今さら言うのもなんだが、この筏にゃ帆がついてねえし、そもそも帆柱がねえ。〈波乗り小人号〉の甲板でこいつをつくったとき、帆柱を立てて、あり合わせの布でも使って帆を張れりゃよかったんだが、あのときはさすがにそこまでする時間はなかったんだ。
風を受けて進むための帆がねえ以上、この筏は海の流れに身を任せ、波間を漂うしかねえ。
幸い、デュラムの奴が余った細長い木材を何本か積み込んでて、そいつを削って櫂を二本、手作りしてくれた。島が見えさえすりゃ、櫂で漕いで、そこをめざすこともできるんだがな。
それまではただ、海神ザバダに祈って待つしかねえわけだ。
今夜もやっぱり、剣術の鍛錬。いい汗かいたが、ちょいと張り切りすぎたようで、見張りをしてたデュラムに「うるさいぞ、早く寝ろ」って叱られた。とほほ……。
〈大地母神の月 第二の日〉
昼過ぎにこの日記を書いてると、傍らに座り込んでたデュラムが不意にぐらりと身体を傾け、俺にもたれかかってきた。いきなりなんだよ――と思って見たら、なんとデュラムの奴、すうすう寝息を立てて眠ってやがる。お、俺の肩を枕代わりにするんじゃねえよ、無礼者。
押しのけてやろうかとも思ったが、妖精のいつになく無防備な寝顔を見て、やめた。思えばこいつも、俺みてえに忘れっぽくて間抜けな奴といつも一緒にいて、気苦労が絶えねえだろうしな。しかも今は、すぐそばにラティさんとナキシュ――一応、俺たちとは一時休戦の約束をしてるとはいえ、油断できねえ二人がいるんだ。昼も夜も気を張ってて、疲れてるのかもしれねえ。
……それなら今日は、デュラムの奴が起きるまで、このまま膝枕ならぬ肩枕をしててやろう。妖精は気位が高いから、目を覚ましたら「貴様、なぜ起こさなかった!」って怒るだろうけどさ。まあそうなったら、そのときはそのときだ。
今夜も毎度のごとく、剣術の鍛錬をした。昨夜デュラムに叱られたくらいでへこたれてちゃ、強くなれねえからな。月が夜空の頂を通り過ぎるまで、ひたすら剣を振り続けた。
〈大地母神の月 第三の日〉
夕方になって海を眺めてたら、思わず飛び上がりそうになった。
遠くにぽつんと一つ、島が見えるじゃねえか!
デュラムと二人で櫂を握り、筏をあらぬ方向へ押しやろうとする海の流れに逆らって、必死に漕いだ。腕が折れそうになるくらい、死に物狂いで漕ぎまくったが、いざ島に近づいてみると……太陽神にかけて、なんてこった。そこは人影一つねえ、ちっぽけな無人島だったんだ。
無駄骨折ったってわかったときの、脱力感といったら! 波の音が絶えねえ砂浜にぺたんとへたり込んじまって、サーラに「ほらメリック、元気出しなさいよ!」って肩を叩かれるまで、立ち上がる気にゃなれなかった。
俺と一緒に漕いでたデュラムも疲労困憊してるようだし、今夜はこの無人島で野宿するしかなさそうだ。
そんなわけで、今日は身も心も疲れ果てたんで、さすがに剣術の鍛錬はなし。一晩しっかり寝て、心身を休めよう。
〈大地母神の月 第四の日〉
早朝、魔法の林檎をかじった後、太陽の下で島を散策してみることにした。
昨日、上陸してから軽く歩き回ってみたんで、すでにわかっちゃいたんだが……やっぱり、あちこちに転がる岩とまばらに生えた草木の他にゃ、何もねえ島だ。
数少ない収穫は、ちょうど帆柱にできそうな長さ、太さの倒木が二本。それと、浜辺で見つけた流木が少々。流木は焚き火をしたり、松明をつくったりするのに使えそうだ。
それともう一つ……海を臨む小高い丘の頂で墓を見つけた。黒い石に古の文字で短い手向けの言葉を刻んだ、小さな墓だ。かつてはこの島にも人が住んでたのか。それとも俺たちと同様、漂流してこの島に流れ着き、ここで生涯を終えた奴がいるのか。
古い時代の文字に詳しいサーラが、墓に刻まれた言葉を読んでくれた。「『気まぐれなる海に命を奪われし罪なき……の魂、ここに眠る』って書いてあるわね。『罪なき』って言葉の後には、この下に眠ってる人の名前が書いてあるみたいだけど、擦り減ってて読めないわ」とのことだ。近くに咲いてた花を摘んで備え、墓の主に祈りを捧げた。
散策を終えた後、三人で拾いもんの倒木二本を十字に組み合わせて筏に立て、急ごしらえの帆柱にした。帆として使ったのは、寒くなってきたときに必要じゃねえかと思って積み込んでおいた、三枚の毛布。これで一応、風を受けて進めるはずだ。
今度は人のいる陸地に、たどり着けるといいんだが。
気を取り直して、いざ出発だぜ。




