第24話 一時休戦といかない?
「ねえ、名残を惜しんでる最中に悪いんだけどさ! あたいたちのこと、すっかり忘れてるんじゃないかい?」
そんな声がしたのは、俺たちが神々と別れた後――水面に立って俺たちを見送る神々の姿がすうっと薄れ、消え失せた直後のことだった。
「……! 誰だ?」
すぐそばから聞こえてきたが、周囲に声の主の姿はねえ。筏に乗ってるのは、俺とデュラムとサーラの三人だけだ。他に筏の上で目につくもんと言えば、食料を詰めた木箱が一つと、水を満たした樽が一つ。それに、三枚まとめて折り畳んだ、寒さをしのぐための毛布。いずれも
〈波乗り小人号〉の船倉から運び出しておいて、筏を海へ放り込む直前に、縄でしっかり縛りつけたもんだ。
いや……待てよ? 木箱の中から、ごとごとと物音がするじゃねえか。ひょっとして、中に誰か入ってるのかよ?
「ねえってば、ちょいと坊やたち! 聞こえてるなら、返事くらいしなよ!」
「……! まさか、その声……?」
「ふふん。そう、そのまさかさ!」
次の瞬間――シャキン! 鋭い音を立ててバラバラになったのは、聞き覚えのある声がした木箱……じゃなくて、その隣に置かれた樽。それが一瞬で無数の木っ端木片と化して弾け飛び、中から黒い人影が飛び出してきた。両手に鉤爪をつけた、黒装束姿の男が。
「てめえは……暗殺者!」
すっかり存在を忘れかけてた、火の神メラルカの眷属。名前は確か……ナキシュ、だっけ。
黒ずくめの暗殺者は六本の鉤爪を閃かせ、飛び出してきた勢いのまま俺たちに襲いかかろうとしたものの、
「ちょいとナキシュ! まずはあたいをここから出しなよ、ほら早く!」
相変わらずごとごと音がする木箱の中から、そう声をかけられて、ぴたりと動きを止めた。
どうやら木箱の中にも一人、隠れてる奴がいるみてえだが、箱を筏に縛りつけてる縄のせいで蓋が開かなくなってて、出られねえようだ。
暗殺者もそれに気づいたらしく、木箱のそばへつかつかと歩み寄り、鉤爪で縄を断ち切る。途端に、木箱の蓋がバン! と勢いよく開いて、中の人が顔を出した。
「ぷはっ! あーもう、息苦しいったらありゃしないんだから!」
「……! あなた、ラティじゃない!」
「火の神メラルカの娘、か」
サーラが目を丸くして、デュラムもかすかに眉を上げる。
「ラティさん……! あんたら一体、いつの間に?」
そう。木箱の中から現れたのは、黒髪に褐色の肌、踊り子風の身なりをした美少女。火の神メラルカの娘、ラティさんだ。
この人と暗殺者が身を隠してた木箱と樽にゃ、それぞれ数日分の食料と水が入ってたはずなんだが。一体いつ、どうやって中に隠れたんだよ?
「ふふん、決まってるじゃない。さっき、あんたらがヘッガ・ワガンに襲われてたときだよ。どさくさに紛れて素早く中身を出して、まんまと入れ替わったのさ!」
「……で、その後あなたが入ってる木箱を、あたしたちが筏に縛りつけて蓋が開かないようにしちゃったと。それであなた、木箱から出られなくなって困ってたってわけね」
「う……」
得意げに語った後で、魔女っ子にそう説明をつけ加えられて、ラティさんはぐさっと脇腹を刺されたような顔をした。
「相方の暗殺者に助け出してもらうとは、神の眷属にしては情けないな」
「う、うぅ……!」
デュラムにまで突っ込まれて恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にするラティさん。
「……っ! なにさ、なにさ! あたいのこと馬鹿にして、絶対許さないんだから!」
ぷんすか、ぷんすか。ふくれっ面になって、俺たちをびしりと指差すラティさん。
「今度こそ、痛い目に遭わせてやるんだから! やっちゃいなよ、ナキシュ!」
「……! お、おい待てよラティさん! まさか今、ここで戦うつもりかよ?」
俺たちに暗殺者をけしかけようとするラティさんに、俺は慌てて待ったをかけた。
ここは波間を漂う筏の上だ。こんな狭いところで戦うなんざ、いくらなんでも無理ってもんだろう。
「大体あんた、なんで俺たちについてきたんだよ? 他の乗客たちに紛れて、脱出用の小舟に乗り込むことだってできただろうにさ」
俺がそうたずねると、ラティさんは小馬鹿にするように鼻を鳴らして、こう答える。
「はん、何言ってるのさ。あんな狭苦しい小舟に乗るなんて、願い下げに決まってるじゃない。それにあたいは、あんたたちを父様のしもべにするって決めてるんだから。こんな筏に乗って、あたいから逃げられると思ったら大間違いなんだからね!」
「いや、別にあんたから逃げようとしてるわけじゃねえんだけどさ……」
「それにしてもあなたたち、なんでわざわざ木箱や樽なんかの中に隠れてたのよ?」
俺に代わって、今度はサーラが疑問を口にした。
「メラルカ様の眷属なら、さっきまでいた神様たちみたいに海の上に立つとか、魔法の乗り物を呼び出して乗り込むとか、できるんじゃないの?」
「そう言えば、確かにそうだよな」
魔女っ子の指摘にゃ、俺も同感だった。
神話や伝説じゃ、神々は思いのままに空を飛んだり、天翔ける船や二輪戦車に乗って天空を旅したりする。そんな魔法が使えるんだったら、ラティさんもナキシュも、わざわざ俺たちの筏にこっそり乗り込んでこなくてもいいだろうに。
「ひょっとして……できねえのか? あんたら神の眷属にゃ、その手のことは」
「……っ!」
どうやら図星だったようで、ラティさんは目に見えて動揺した。泡でも食ったみてえな顔をした後、きっとこっちをにらみ――それから、あきらめたように肩を落として、ぽつりとつぶやいた。
「……父様なら、そういうこともできるけど」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、視線を足元に向けて、ぼそぼそと語り出す。
「父様は最近、お仕事で忙しいんだから。この間だって久しぶりに会えたと思ったら、あたいにあんたたちのことを任せて、またどこかへ行っちゃうし。こんなことで助けにきてもらって、迷惑かけるわけにいかないんだから……!」
どうやらラティさんの奴、家庭の事情で、親父さんに助けを求めるのをためらってたようだ。
……なんでだろう。ちょいとばかり、気の毒になってきたんだが。
と、そのとき。サーラが突然、こんなことを言い出した。
「それなら、仕方ないわね。あたしたちとは、一時休戦といかない?」
「え?」
うつむいてたラティさんが、顔を上げる。
「この筏がどこかの陸地へ流れつくまで、お互い手は出さない。そういうことでいいでしょ、ラティ?」
サーラの唐突な申し出を聞いて、ラティさんは目を丸くしたし、俺も面食らった。デュラムの奴も、これにゃ驚きを隠せねえようだ。
「お、おいサーラ! お前いきなり、何言い出すんだよ?」
サーラは時々、こういうびっくりするようなことを言う。確か、コンスルミラで火の神メラルカと初めて会って、一戦交えることになったときもそうだったな。
「この女は敵――メラルカの眷属でしょう、サーラさん。それを生かしてこの筏に乗せておくなどと、一体どうして……」
「どうもこうも、乗ってきちゃったものは仕方ないじゃない」
さっぱりした顔して、さらりとそう言ってのけるサーラ。
「それともあなたたち、そっちの暗殺者はともかく、こんな女の子を海へ放り出すつもり? 男として最低ね……」
「う……」
そういう言い方されちゃ、男二人は反論しづらいぜ。
「それに上手くいけば、この子からいろいろ聞き出せるかもしれないじゃない。メラルカ様が何をたくらんでるのかとか……」
「あ……」
そうだ。今日一日、シャー・シュフィック率いる海賊たちや大海蛇を相手にしてるうちに、旅の大きな目的を忘れかけてたぜ。
俺たちが目下、立ち向かうって決めてる相手は火の神メラルカだ。ラティさんなら、ひょっとすると「父様」のたくらみについて、何か知ってるんじゃねえか。
一緒にいれば、そいつを聞き出す好機もめぐってくるかもしれねえ。
それに――だな。
ラティさんの方をちらりと見やって、俺はさらに考えた。正確にゃ、ラティさんが我が物顔で身につけてる、二つの装身具を見やって。
虹色の硝子でつくられた翅を持つ、小妖精をかたどった錫の耳飾り。目と鼻、口に黒瑪瑙を嵌め込んだ、かぼちゃ頭の角灯魔の形をした銅の飾りつき留め針。
あの二つは、どっちも俺がコンスルミラの装身具屋で買った品だ。デュラムとサーラへの、贈り物にしようと思ってさ。少しずつ貯えを増やして、やっと買えたもんだったのに。
それをラティさんの奴、わざと俺にぶつかってきて、まんまと泥棒しやがって。不用心な俺が悪いと言えばそれまでなんだが……やっぱり大事なもんを盗まれたままってのは、いい気分じゃねえ。
なんとかして取り戻すか、返してもらうかできねえかな。
デュラムの方を見ると、どうやらあいつもサーラの話を聞いて反対する理由がみつからねえらしく、皺の寄った眉間を押さえて、深々と溜め息をついてる。「仕方ありませんね」とでも言うように。
サーラの提案に、俺もデュラムも反対はせず――か。それなら、後は本人たちの気持ち次第ってことだな。
「そういうわけでさ、ラティさん。あんたらさえよかったら、陸に上がるまで休戦、お互いに手出しはなしってことで、どうだ?」
俺が改めて提案すると、
「ん~~~~っ!」
ラティさんはしばらく返事を渋ってたが、やがて意を決したように、きっとこっちをにらみすえ、
「ふ、ふん! あたいはあんたたちなんかと慣れ合う気は毛頭ないけど、そっちがどうしてもって言うんならしょうがないわね。乗ってあげるわ、その話!」
と、デュラムやゴドロムに負けず劣らず、素直じゃねえ答えを投げつけてきやがった。
「……やれやれだぜ」
どうやら俺たちにゃ、神々と入れ替わるように、またおかしな道連れができちまったみてえだぜ。
果たしてこれから、どうなることやら。




