第1話 剣術の鍛錬でもしよう
「……なんだ、夢かよ」
目覚めて周囲を見回すと、そこは天井や床がギイギイ軋む、薄暗い船室だった。灯器が放つかすかな光の下で、いくつもの吊り床が左右に揺れ、その上で乗客たちがいびきをかいてる。
体を起こしてみると……うわ! 全身ぐっしょり、汗まみれじゃねえか。下着がべったりと肌に張りついて、気持ち悪いったらありゃしねえ。
夜風に当たって涼を得ようと、冷たい月の光が降り注ぐ船上に出た。
「ふぅー……」
夢の中じゃ、嵐が乱舞し、乗客たちが脱出用の小舟をめぐって騒々しく争ってた場所だが、今はいたって静かだ。聞こえるもんと言えば、寄せては返す波の響きと、船の揺れに合わせて甲板が軋む音。それに船首の方で、一人見張りに立つ船乗りが口ずさんでる歌くらいか。
「南の海の海賊王、
海神に仕えし海蛇に、妻を殺され、息子を食われ、
挙句に船をも沈められ、怒りに燃えて復讐誓う。
憎き蛇を討ち果たし、その血で神の庭を汚さんと、
誓い立てたり、涙流して……」
このまま寝床に戻っても、当分眠れそうにねえ。しばらく、剣術の鍛錬でもしよう。
船乗りの歌を聞きながら、腰につるしてきた剣を抜き、大上段に構えた。
「ふんっ!」
かけ声と共に一歩、力強く踏み込み、一気に振り下ろす。革靴を履いた足がダンッと甲板を踏み鳴らし、剣の切っ先が風を裂いた。
後ろへ一歩退きながらまた振り上げ、再び踏み込んで振り下ろす。縦に百回素振りをしたら、次は横に百回、その後は斜めに百回。剣術の基本動作を何度も何度も、しつこいくらいに繰り返して、体に覚えさせる。子供の頃から嫌ってほどやってきた基礎中の基礎ともいうべき鍛錬だが、何事も基本が大切だし、これをやってると気分が落ち着いてくる。雑念を払って、集中できるんだ。
縦、横、斜め、それぞれ百回ずつ素振りを終えて、次はちょいと難しい剣技を練習しようか――なんて思ってたときだった。
「まったく、静かな夜だわい――もっとも、嵐の前の静けさだろうがのう」
不意に、ぎくりとする言葉を背後からかけられ、俺は動きを止めた。振り返って、はあっと溜め息をつく。
「あんたかよ、ゴドロム……様」
背後に立ってたのは、見上げるような禿頭の巨人。その背丈は、優に俺の三倍はあるだろうか。夜道で出会おうもんなら腰を抜かしそうな強面と、筋骨隆々の体躯が人目を惹く大巨漢だ。
「おうとも、人間の小僧。いや、フランメラルドの息子フランメリックと呼ぶべきか。こんな夜更けに剣術の稽古とは、見かけによらず真面目よのう」
雨雲を思わせる灰色の襤褸を夜風にはためかせ、時折雷光めいた光が閃く琥珀の瞳をぎょろぎょろさせて、そいつは俺の名を口にする。
「そんな仰々しい呼び方しなくても、メリックで結構だぜ」
そう。フランメリックって名前はちょいとばかり長いから、略してメリック。歳は十八。元はイグニッサって小国の王子だったんだが、三年と半年前に親父を失い、その後起こった王位をめぐる争いを嫌って国を出奔。賞金首の魔物を退治したり、遺跡でお宝を探したりする冒険者になって、二人の仲間を得た。それからずっと、世界を旅してる。人間や妖精、小人や鬼人、巨人など、様々な種族が共存するこの世界、フェルナース大陸を。
今はわけあって、故郷のイグニッサへ帰る船旅の最中。俺と二人の仲間、それに、半年前の冒険で知り合った大国フォレストラの王女様を加えた四人で、紺碧のウェーゲ海を南下してるところだ。
もっとも……船出のときから、おかしな連中につきまとわれてて、無事海を渡りきれるか、大いに不安なんだけどさ。
「そう言えばゴドロム、じゃなくてゴドロム様。あんた怪我はもういいのかよ。ほら、この前リアルナさんにやられて、包帯ぐるぐる巻きになってただろ。あの傷はもう大丈夫なのか?」
「ふん! 見ての通り、もはや傷跡さえ残っておらぬわ。ひ弱な人間ごときが、わしを気遣うなど百年早いわ」
鼻を鳴らしてそんな憎まれ口を叩く、この大巨人はゴドロム。俺たちにくっついて船に乗り込んできた、おかしな旅の道連れたちの一人だ。その正体は……ずばり、神様だったりする。
こんな話をすりゃ、大法螺吹きだと思われて当然だろうが、誓って嘘じゃねえ。この世界を創造し、支配してる神々の一人で、稲妻を操り、嵐を司る神。それがこの巨人の正体だ。
しかも、この船に乗ってる神様は、ゴドロム一人じゃねえ。
どういうわけか、俺たちゃ今、神々につきまとわれてるんだ。




