第18話 神を崇めよ
脱出のため用意された五艘の小舟が、波に揉まれながら、遠ざかっていく。
「フランメリック!」
殿を務める一艘に乗り込んだ姫さんは、やっぱり後ろめたい気持ちがあるのか、いつまでも船尾に立って、食い入るようにこっちを見つめてた。
「神々にかけて、約束しろっ! 絶対に死なない、必ず生き延びると誓えっ! 勝手に冥界へ行ったりしたら、許さんぞっ! この……大馬鹿めっ!」
「……へっ。達者でな、姫さん」
苦笑いしながらそうつぶやいて、フォレストラの王女様に軽く手を振ってみせる。ついでに、姫さんの傍らに立つコロポ船長に声をかけた。
「船長! 姫さんのこと、よろしく頼んだぜ!」
「――」
小人の船長は、沈みゆく船に残った俺たち三人をじっと見つめた後、深々と一礼した。
「貴殿らにも、神々の加護があらんことを」
こうして、姫さんやコロポ船長たちと別れた後――俺は二人の仲間と共に、甲板から船内へ下りた。
目的は二つ。一つは、浸水の度合いを調べるため。もう一つは、三人で助かる道を探るため――脱出に役立ちそうなもんが船内にねえか、探すためだ。
浸水の具合は……ああ、こりゃ確かにひでえな。船内に下りるとすぐに、革靴をはいた足がばしゃりと水を跳ね上げた。
今はまだ、足首よりちょいと上のあたりまで濡れる程度だが、この様子じゃじきに膝まで、やがては腰まで水に浸かることになるだろう。
足を濡らす水の冷たさだけのせいじゃねえ、寒気がぞわぞわと背筋を這い上がってくるのを感じて、思わず身震いしちまった。
こりゃ、船が傾き出すのも時間の問題だぜ。早いところ船内を探して、脱出に使えるもんを見つけねえとな。
そう自分に言い聞かせた直後のことだった。耳をつんざく、稲妻の音が響いたのは。
「どわッ?」
突然の落雷により、天井がぶち破られ、大穴が開く。そこからぬうっと顔を出してきたのは、
悪い意味ですっかりおなじみとなった、あの神様だ。
「……ったく。あんたかよ、ゴドロム様」
また俺たちを笑いにきたのか。そう思ったが、意外にも雷神様の表情は、見るからに不機嫌そうだった。
「貴様ら、なぜこのような道を選んだ?」
天井の大穴から、俺たちがいる船内へ飛び降りてくると、開口一番、神は言った。ほとんど咎めるような、詰問の口調で。
「あの場で一人、残る者を決めておれば、他の二人は小舟に乗ることができたはず。あるいは口先だけの偽りでも構わぬ、このわしを崇めると言うておれば、三人とも助かったのだぞ? 然るに貴様らは、愚かにも三人そろって冥界行きの道を選びおった。なぜだ……?」
冥界行きだなんて、まだそうなると決まったわけじゃねえだろうに。この神様の胸中じゃ、俺たちが死ぬのはすでに決定事項らしい。
「どうしてそんなに怒ってるのよ? あなたにとっては願ったり叶ったりじゃない。生意気な地上の種族三人が、絶対絶命の危機に陥ってるんだから」
向き合う奴の足をすくませ、肌にビリビリくるほどの威圧感。それにひるむことなく、魔女っ子が言い返した。
「サーラの言う通りだぜ。不機嫌な面して、一体何が不満なんだよ! まさか、このうえまだ俺たちをなぶらねえと気が済まねえってのか?」
コンスルミラで将棋の勝負をして以来、この神様ときたら、本当にしつこい。もう、俺たちのことは放っておいてほしいんだが。
棘のある言葉を投げつけてやると、短気な雷神様は真っ赤になって大激怒……するかと思いきや、意外な反応を見せた。俺たちから顔を背けて、何やらぼそぼそとつぶやいたんだ。その厳しい横顔に一瞬、傷ついた、寂しげな表情が浮かんだように見えたのは、気のせいだろうか。
「……わしとて、そこまで器の小さい神ではないわ。これでも貴様らのことは、癪だが認めておるのだぞ」
「え……?」
突然、思いもよらねえ言葉が出てきたもんだ。
「俺たちのことを、認めてる……だって?」
「おうとも。半年前に〈樹海宮〉で、貴様らの戦いぶりを見たときからのう」
と、ゴドロム。
「気に入らぬところもあるゆえ、今まで何度も憎まれ口を叩いてきたが、地上の種族にしては気概のある者どもだと思うておる」
「……憎まれ口叩くだけじゃなくて、稲妻を叩きつけてきたこともあると思うんだが」
「コンスルミラでのことか? あれは……将棋の勝負に負けたのが腹立たしくてのう。もっとも、命までは奪わぬよう稲妻の威力は抑えておったゆえ、ありがたく思うがよい」
「……! あんた、あのとき手加減してたのかよ?」
「然様。脳天に一太刀入れられた後は、痛みと怒りで我を忘れかけておったゆえ、少々抑えが利かぬようになっておったがのう。それでも、あれがわしの本気だなどとは、思わぬことだ」
「……なんてこった」
先日、この神様と戦ったときのことを思い出し、俺は愕然とした。
サーラの気転に助けられて神に一泡吹かせたつもりが、まさか手心を加えられてたなんて。
「ふん――それはさておき、だ」
太い指でこめかみを――稲妻状の青筋が走ってるあたりを揉みながら、雷神は溜め息ついて、こう続ける。
「わしとて貴様らのことは、ここで死なせるには惜しいと思うておる。ゆえに今一度、生きる機会を与えてやろうではないか」
奥底で雷光閃く琥珀の瞳がぎょろりと動き、まっすぐこっちを見据えてきた。
「この際、わしでなくとも構わぬ。リュファトでも、セフィーヌでもよい、神を崇めると誓うのだ。神々に抗い、運命に立ち向かうなどという無謀なことはやめ、我らに助けを請うがよい。さすればわしも、救いの手を差し伸べることにさぶさかではないのだぞ?」
「……」
上から見下ろすような物言いなのは相変わらずだが、ゴドロムの声にゃ、いつものあざけるような響きはなかった。むしろ一言一言、噛んで含めるように訴えかけてくるその口調にゃ、俺たちを説き伏せようと躍起になってる感さえある。
自分じゃなくてもいいから、神を崇めろ――なんて言い方も、見るからに自尊心が高そうなこの神様らしくなかった。多分、誇り高いこの人にとっちゃ精一杯、最大限の譲歩なんだろう。
「――神を崇めよ。我らに救いを求めるのだ」
こっちをじっと見すえたまま、神はもう一度促してきた。必死の思いがにじむ、真摯な声で。
そう言えばこの神様、俺たちが〈樹海宮〉で魔法使いカリコー・ルカリコンに勝ったときは、「よい見物であった」って賞賛してくれたよな。その後、俺たちが強大な竜に追っかけられたときにゃ、疲れ切って動けねえ俺たちに代わって、竜と戦ってくれたりもしたっけ。
このところ、やたらと稲妻を振りかざす横暴な奴って印象が強くなってたが、やっぱりそれだけの神様じゃねえのかもな。
けど、それでも俺は……俺たちは。
「自らの意思で選んだ道だ。貴公を含むすべての神々にかけて、今さら立ち止まるつもりも、引き返すつもりもない」
神の前に一歩進み出て、デュラムが静かに、だが決然と面を上げた。
「あたしも同感だわ。せっかく乗った船だもの♪ どうせなら、沈むまであがいてみるわ――神様の助けなんて当てにしないで、この三人で」
俺の傍らに立って、サーラも毅然と胸を張る。
「ぎりぎりの土壇場まで、自分たちで力を尽くして、知恵も絞って――思いつく限り、できることは全部やってみるわ。それで駄目なら、そこまでの話。後悔なんてしないんだから」
二人とも、考えてることは俺と同じみてえだ。
この流れだと、俺も何か言わなきゃならねえな。
「そうだな……」
頭をがしがしかきながら、ちょっとの間考えて……思いついたせりふが、これだ。
「そういうわけでさ。あんたにゃ悪いがゴドロム様、俺たちゃやっぱり、自分たちで決めた道を行くぜ。もう、決めたんだ」
明確な、拒絶のせりふ。けどその後に、俺はこうつけ加えた。
「――けどさ。なんだかんだ言って、やっぱりあんたにもあるんだな、情ってやつが。ちょいとばかり、見直したぜ」
今のやり取りを通して思ったことだが……この雷神様は、どうしようもなく意地っ張りなんじゃねえかな。内心じゃ俺たち地上の種族に、自ら進んで何かしてやりてえと思ってるのに、神としての自尊心が邪魔をして、なかなか素直になれねえ。あくまでも天上の権力者として、自分を崇め奉り、救いを求めてくる地上の住人たちに慈悲を垂れ、恵みを授けてやる――そういう上から手を差し伸べる形でしか、俺たちに自分の好意を示せないんじゃねえか。
だとしたら……神ってのも案外、不器用なもんなんだな。
「……! な、何を馬鹿なことを言うておるか! おい待て、待たぬか貴様ら! このわしを除け者にしおってからに! まだ話は終わったわけではないぞ!」
一人で真っ赤になって、ぎゃあぎゃあわめき立ててる雷神様を尻目に、俺たちは船内の探索に戻った。
悪いがこれ以上、この神様につき合ってる暇はねえ。不死身の神々と違って、こっちは死すべき定めの地上の種族なんだからさ。
この船が沈めば、俺たちの命は確実に海の藻屑と消えちまう。だから……それまでに何か、脱出に役立つもんを見つけねえとな。




