第13話 浸水
悔しいが、確かに今はこの雷神様を相手にしてる場合じゃねえ。嵐はますます激しくなってきてるし、船の揺れも大きくなる一方だからな。
それだけでも充分危険な状況だってのに、さらに重ねてまずいことが起こった。
「フェイナ様、船長! 大変です!」
船内から甲板へ上がってきた船乗りが、最悪の知らせを持ってきたんだ。
「船腹に開いた穴から浸水しています! 穴を塞ごうにも、水の勢いが強すぎて手のつけようがありません! このままでは――沈みます!」
最後の一言が、やけにはっきり聞こえたような気がするぜ。
「なん、だと……っ?」
途端にその場は騒然となった。
「し、浸水だって……?」
さっきまで海賊たちが投石機でこっちへ撃ち込んできてた〈チャナタイの魔弾〉が、こっちの船のどてっ腹に当たって穴を開けたんだろうか。
「おいあんたら! 船の中に水が入ってきてるぞ! なんとかしてくれよ!」
「この船、大丈夫なのか? まさか、沈んだりしないよな?」
船内にいた乗客たちが、甲板に出てきて騒ぎ始めた。連中が頭のてっぺんから爪先までずぶ濡れになってるところを見ると、どうやら船乗りの知らせは本当らしい、
姫さんの判断は迅速だった。コロポ船長と目を合わせ、小さくうなずき合うと、矢継ぎ早に命令を飛ばし出す。
「急いで脱出の準備を! それから、まだ下にいる乗客たちに、急ぎ甲板へ上がるよう伝えるのだっ!」
命令を受けた、船乗りたちの動きも素早い。ただちに脱出用の小舟が五つ用意され、滑車を使って海上に下ろす準備が整えられた。
ところがだ。ここでまた、厄介なことが起こりやがった。
「フランメリック。まずはお前たちからだぞっ!」
と、姫さんが言っちまったのがまずかったようだ。
姫さんは俺たちのことを思って言ってくれたんだろうが、他の乗客たちも大勢いるこの場で、口に出すべきせりふじゃなかっただろう。
案の定、それを耳にした乗客たちはと言えば、
「おい待てよ、なんでそいつらが先なんだ!」
「オレたちも乗客だぞ、なのに差別する気か?」
どうやら、自分たちは後回しにされると思い込んじまったらしい。目の色を変え、唾を飛ばして抗議し始めた。
「なあ、あんたフォレストラの王女様なんだよな? おれはあんたの国へ雇い口を求めてきたファルコスの戦士だ。舟に乗る順番まで、異国の王女に決められるいわれはねえぞ!」
「いかにも、こやつの言う通りじゃ。ワシもクランシアで手広く木材を商うておる商人での。フォレストラへレヴァン杉の買いつけにきて、この船で故郷へ帰るところじゃ。異国の王女の指図になぞ、どうして従わねばならんのじゃ!」
「うおおお! 俺たちゃアプリーズから来た冒険者ご一行様よ! 乗せろ乗せろ、他の奴らはどうでもいいから、俺たちを乗せろおぉ!」
どうも乗客にゃ、異国――たとえばファルコス、ウォラウテ、クランシア、それにレスタム、ロッフェル、アプリーズといった、フォレストラ王国を取り巻く小国出身の奴が多くて、連中にゃ大国の王族である姫さんへの反感もあるようだ。奴らは怒号を上げて小舟へと押し寄せ、それを止めに入ったコロポ船長ら船乗りや、姫さん配下の戦士たちと押し合いへし合いし始めやがった。
「おい! やめろよ、落ち着けって! まずは並んで、一人ずつ順番にだな……」
そう言って、両者の仲裁に入ろうとした俺だったが、
「ふざけるな! そんな悠長なこと、言ってられるかよ!」
「順番なんぞ糞くらえだ! 早く乗らねえと、取り残されちまう!」
と、殺気立った目をした乗客たちに、手荒く突き飛ばされた。
「うぉわっ!」
「メリック……!」
のけ反り、背中から倒れかかったところを、デュラムの奴に両手で抱き留められる。
「馬鹿か貴様は。あの様子では、止めようとしたところで無駄だと、見てわからないのか?」
妖精の美青年が、背後からそっと耳打ちしてきた。
「ここは危険だ。少し離れて、しばらく様子を見るぞ」
「う……わ、わかったぜ」
乗客たちの目――あの血走った瞳を見て、呆気にとられてた俺は、短くそう答えるがやっとだった。
「サーラさんも、早くこちらへ」
「え、ええ……そうね」
デュラムに促されて、サーラも一旦、目の前で繰り広げられてる争いから身を遠ざけることにしたようだ。
けど、俺たち三人が離れた後も争いは延々と続き、終わりそうな気配はまるでねえ。
「おいお前、邪魔だどけ!」
「何ぬかしやがる、てめえこそどけよ!」
「いてえ! おいこら、髪をつかむんじゃねえ……!」
船乗りたちや姫さん率いる戦士たちをどうにかして押しのけ、小舟に乗り込もうとする乗客たちの、鬼気迫る顔、顔、顔。白目を剥き、腐った足を引きずって獲物につかみかかる屍魔もかくやという、凄まじい形相だ。
「これ、そこの娘! ワシを先に乗せるのじゃ!」
「何言ってるの、アタシが先に乗るんだから!」
「いいや俺だ、俺様だあぁ!」
まさに阿鼻叫喚。前にいる奴を押しのけ、あるいは押し倒して小船に乗り込もうとする乗客たちは、さながら地上から冥界に垂らされた一本の縄に群がり、しがみつく亡者たちみてえだ。
そのおぞましい光景を、俺は――ちょいと離れたところでデュラム、サーラと身を寄せ合い、呆然と眺めてるしかなかった。
これが……俺たち地上の種族が時折見せる、醜い本性ってやつなのか。そいつをまざまざと見せつけられ、自分の胸の奥底にも同じもんが眠ってるんじゃねえのかと思うと、ぞっとした。
加えていうなら――今俺の前で起こってることは、昨夜夢で見たこととまるで一緒だ。このまま夢の中身がすべて現実になるんじゃねえか。そんな不安が、俺の中でどんどんふくれ上がってきてやがる。
「……メリック」
隣にいたサーラが、そっと俺の手に触れてきて――するり。白魚みてえな細指が、俺の手の内に滑り込んでくる。驚いてサーラを見ると、きゅっと手を握られた。
かすかな震えが、手から手へと伝わってくる。
「さすがにあたしも、こういうのは初めてだわ。あなたは……どう?」
不安の色を湛えた藍玉の瞳が、探るようにこっちを見つめてくる。
いつもはさっぱりしてて、俺の姉貴分気取りで世話焼きで、暗い顔なんざ滅多にしねえこの魔女っ子が、ここまで不安げな顔をするのは珍しい。
こんなとき、サーラの手をぎゅっと握り返してやることしかできねえ自分が、どうしようもなく情けねえ。
こういうときこそ、男の俺がしっかりしねえと!
「……し、心配するなって! きっとなんとか、なるからさ!」
もつれる舌で下手な気休めの言葉を紡ぎながら、俺は万が一のことを考え――そして、腹をすえることにした。
いまだに争い続ける乗客たちをちらりと見て、目を伏せ、左右に首を振る。
……俺は、あの連中みてえになったりしねえ。
たとえ昨夜の夢がすべて現実になったとしても、仲間を犠牲にして自分だけ助かろうなんて思わねえ。
太陽神リュファトにかけて、絶対に。




