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第12話 大海蛇ヘッガ・ワガン

「な、なんだって……?」


 暗雲群がる東の空を鼻面で衝き上げ、俺たちの前に姿を現した、あまりにも巨大すぎる海蛇。その名を姫さんから聞いたとき、俺は耳を疑った。

 ヘッガ・ワガン――船乗りはもちろん、海賊も恐れる海の怪物。海神ザバダに仕え、フェルナース大陸を取り巻く七つの海を統べるという大海蛇。海神(ザバダ)その人の息子であるとも、伝説の魔物、世界蛇(ヨルムンガンド)の血を引くともいわれ、ザバダに次ぐ海の支配者として、人々に恐れられてきた存在だ。

 けど……そんな海の大物が、一体どうしてこんなところに?


「海賊嫌いなのだっ、あの大海蛇は」


 俺の疑問を察したかのように、姫さんが教えてくれた。


「昔父上から聞いた話だが……奴は自分が支配する海で無法を働く海賊たちを嫌っていてな。海賊の船を見つけると、すぐに襲いかかって沈めようとするらしい」

「それなら、今の俺たちにとっちゃ、味方ってことになるんじゃねえか?」


 そんな甘い希望を抱いたのも束の間、姫さんはぴしゃりと、こんな答えを返してきた。


「いや、あの大きさだからな。奴がこちらへ向かってくれば、間違いなくこの船も巻き添えをくらうぞっ!」

「や、やっぱりそうか」


 つまるところ、嵐や噴火、地震と同じ。見境なしに破壊を振りまく、天災に等しい存在ってわけか。

 と、そのとき。海賊の親分が、甲板(デッキ)に響き渡る大音声を張り上げた。


「おめェら、奴が現れたぞ! 全員引き上げだ、急げ!」


 なんと、突然の退却命令だ。一体、どういう風の吹き回しだよ?


「こっちの獲物は、どうしやす?」


 子分たちが俺たちを見て、シャー・シュフィックにたずねたが、海賊のお頭はなんの未練もねえと言わんばかりに、ひらひらと手を振った。


「放っておきな、そんな雑魚ども。オレたちが狙う、本当の獲物はただ二つ――そうだろ?」


 去り際に、シュフィックは姫さんの方を見やり、にいっと白い歯を見せた。


「命拾いしたな、お姫サマ。できれば、生け捕りにしたアンタを素っ裸にひん剥いて、その胸思う存分揉みしだいてやりたかったんだが……ま、それはまた別の機会にってことでな。縁があったら、また会おうぜ」


 い、一国の王女様を相手に、なんて破廉恥なことを言いやがる。


「次に会うとしたら、それは貴様が縛り首になるときだ、この海賊めっ!」


 八重歯を剥いてきっとにらみつける姫さんに、シュフィックは「おお、怖いねェ」っておどけた口調でつぶやき、芝居がかった仕草をしてみせた。


「気の強い女は好きなんだがな。それじゃあばよ、お姫サマ。それに……ああ、そっちの坊主、おめェもな」


 最後にちらりと、俺に一瞥をくれる海賊の親分。


「お、おい。待てよあんた。なんで急に……?」


 事情がわからず困惑する俺たちを尻目に、〈波乗り小人号〉に乗り込んできてた海賊たちは、撤退を始めた。〈海神への復讐号〉から次々と投げ下ろされる(ロープ)につかまって、さっさと引き上げていく。そして驚いたことに――奴らの船は大海蛇へ向かって、まっすぐ進み出したじゃねえか。


「馬鹿な……! まさか、戦いを挑むつもりかっ、あの怪物に?」


 こっちの船から離れるなり、船首をヘッガ・ワガンに向け、全速前進し始めた海賊船を見て、姫さんが驚きの声を上げる。


「本気かよ? どう見たって、勝ち目はねえだろ……!」


 海蛇の方も、自分に向かってくる海賊船を視界に捉えたようだ。当初海上に見えてたのは空に鼻っ面向けた頭だけだったが、それがさらに天を押し上げるようにせり上がり、首のあたりが見えてきた。

 恐ろしく太くて、不気味な首だ。筋肉がぼこぼこと、葡萄の房みてえに醜く盛り上がってるうえに、それを覆う鱗も一枚一枚が大きく、しかもささくれ立ってて、まるで獅子の鬣のよう。

 天高く持ち上がった金剛石(ダイヤモンド)形の頭は、やがてぐらりと、ほとんど崩れ落ちるようにこっちへ傾いてきて、鼻面を海賊船に向ける。荒れ狂う嵐の中で、黒真珠(ブラックパール)の瞳が炯々と光り、向かってくる〈海神への復讐号〉をにらみつけた。

 一方、俺たちは――海賊たちが標的を変えたことで、命拾いしたはいいものの、今度は別の脅威と向き合う羽目になっちまった。



 そう――嵐だ。



 今や、雷神(ゴドロム)が天の牧場で放し飼いにしてる黒い羊たちはこっちへ押し寄せ、その息吹が容赦なく吹きつけてくる。おまけに、天上の水瓶――世界中の水という水が集まり、また流れ出すという女神(チャパシャ)の水瓶にひびが入りでもしたのか、大粒の水滴がばらばらと降り出しやがった。

 黒雲が群れをなし、強風と大雨を送りつけてくる空。そこから海上へ視線を下ろしてみると、こっちはこっちで不穏な状況だ。海神(ザバダ)お気に入りの青ざめた馬たち――波の群れが、しきりに白い鬣を振り乱し、地上の種族が木でこしらえたちっぽけな船を蹄にかけようと、繰り返し体当たりをしてきやがる。


「帆を降ろせっ! このままでは帆柱(マスト)もろとも、もぎ取られるぞっ!」


 危険を察した姫さんが、必死の形相で命令を飛ばす。

 一難去って、また一難。船上はてんやわんやの大騒ぎ、船乗りたちはどうにかこの嵐を乗り切ろうと、大忙しで立ち働いてる。

 俺にもできることがあるなら手伝いてえんだが、あいにくコロポ船長も、他の船乗りたちも殺気立ってて、話しかけられる雰囲気じゃねえ。航海の知識に乏しい剣術馬鹿は足手まといにならねえよう、おとなしくしてた方がよさそうだ。

 デュラムやサーラと一緒に船乗りたちの往来を避け、甲板(デッキ)の片隅に身を寄せた――そのときだった。



「ふん。どうも現実となるつつあるようだのう――昨夜の夢が」



 二人の仲間以外にゃ誰もいなかったはずの傍らで、そんな不吉な声がした。


「またあんたかよ、ゴドロム様」


 今じゃもうすっかり見慣れた感がある、禿頭の髭面。雷神ゴドロムの強面を見て、俺は内心げんなりして言った。


「またとはなんだ、無礼な小僧め」


 灰色の襤褸をまとった稲妻の神は、一度は渋面をつくってみせたものの、どういうわけか、すぐににんまりと笑いやがった。


「だが、まあよい。わしは今、格別に機嫌がよいゆえ、許してやろうではないか」

「……機嫌がいいってのは、俺が昨夜見た夢と、同じことが起こってるからか?」


 俺のせりふを聞いて、妖精(エルフ)の美青年と魔女っ子が、怪訝そうに顔を見合わせた。

 ――夢って、一体なんのことかしら? デュラム君は、わかる?

 ――いえ。私にもさっぱりです、サーラさん。

 そんな心の声が、聞こえたような気がするぜ。

 デュラムとサーラには、昨夜の夢についちゃ、まだ話してねえからな。これは俺とゴドロム、二人だけにわかる話だ。


「おうとも。この先貴様らがどうなるか、想像するだけで胸が踊るわい」


 腕を組んでそう語る雷神は、甘い蜂蜜菓子でもたらふく食べたかのように、満ち足りた顔をしてやがる。まるで他人の不幸は蜜の味、とでもいうように。


「ふん……さて。あの夢ではこれから、何が起こるのだったかのう? おお、そうだ――この嵐の中で船が沈みそうになり、皆が脱出のため用意された小舟をめぐって浅ましく争うのだ。そして、貴様ら三人が小舟に乗ろうとしたときには、空席は残すところ……」

「やめてくれ」


 片手を振って、雷神の饒舌をさえぎる俺。

 その先の話が現実になるなんざ、想像するだけでも嫌だった。残された空席が一つだけで、俺たち三人のうち二人は残らなきゃならねえなんて。そんなことにゃ、絶対なってほしくねえ。


「それより、なあ――ゴドロム様」


 こういうときは、話をそらすのが一番だ。

 ちょいと眉根を寄せて、ちらり、ちらり。上目遣いに相手の様子をうかがいながら、慎重に言葉を選んで、口にした。


「俺たちが今こんな目に遭ってるのは、やっぱり……あんたたち神々が、こうなるよう運命を定めたからなのか?」

「突然どうしたのだ小僧、女子(おなご)を口説く男のように真剣な顔をしおって。いくら貴様が人間にしてはなかなかの美少年だからとて、わしは男に言い寄られてときめいたりはせぬぞ」

「はぐらかさねえで、答えてくれよ……!」


 思わず語気が強まった。もし、神様なんて雲の上の存在と言葉を交わせるとしたら、誰もが聞いてみたいんじゃねえかってことを、たずねたつもりだからな。ふざけた態度でごまかされたくなかった。

 これはなにも、今この場で起きてることだけに限った話じゃねえ。俺たち地上の種族が時に災難に遭ったり、不幸に見舞われたりするのは本当に神々のせい、天上の権力者たちが定める運命のせいなのか。さらに言うなら、三年と半年前、俺の親父が命を落としたのも、やっぱり神々が……?

 こんなときじゃなくて、もっとゆっくり、落ち着いて話せるときにたずねようと思ってたんだがな。この先どうなるのかまったくわからねえ状況なだけに、できる質問は今のうちにしておこうって気持ちが働いたのかもしれねえ。

 果たして、神はどう答えるか。


「……ふん。何を言い出すかと思えば、さても陳腐な愚問であることよ。(わし)にそれを聞いて、なんとする?」


 雷神はうなずくでもなく、かぶりを振るでもなく、逆に問いを返してきた。


「わしが『その通り』だの『そうではない』だのと答えれば、貴様はそれで納得するのか。神から『これが答えだ』と投げ与えられたものを、貴様は骨にむしゃぶりつく犬のように嬉々として受け取るのか。それとも……」


 琥珀(アンバー)の瞳がぎょろりと動き、俺の右手を見た。


「わしが首を縦に振るようであれば、その手で剣を抜くつもりかのう?」

「……っ!」


 この雷親父、気づいてやがったのか。俺の右手が、そっと腰の剣をつかもうとしてたことに。

 悟られねえよう少しずつ、本当に少しずつ、剣の柄へと近づけてたんだがな。やっぱり神の目はごまかせねえようだ。


「やめておけ、小僧。先日コンスルミラで戦ったときはわしに油断があったが、同じ手は二度も通じぬわ。第一貴様、今はわしに剣を向けておる場合ではあるまい?」


 以前、俺が思いっきり剣を叩きつけてやった脳天に手をやりながら、神はそう忠告してくる。


「……こらえろ、メリック」


 さっきから言葉少なになってたデュラムが、そっと俺の肩に手をかけた。


「この場は、ゴドロム神が正しい」

「う……」


 それは俺も、内心じゃ認めてたことだった。


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