第10話 海賊船長シャー・シュフィック
「――おいこら、おめェら。何をそんなに手こずってやがる?」
そんな声が聞こえてきたのは、俺とサーラが暗殺者ナキシュと戦ってる最中のことだった。コンスルミラで戦ったときと同様、素早い動きと巧みな鉤爪さばきで攻めてくる奴を相手に、俺と魔女っ子が反撃の糸口をつかみかねてると――不意に、初めて聞く声が耳に入ったんだ。
「オレが出てこなきゃならねェような、そこまで手強い奴らが相手なのか、えェ?」
騒々しい戦いの最中に――ゴツン。一拍置いて、また――ゴツン。ゆったりとした、それでいて重い足音が、甲板に響く。
敵の船上に、男が一人、ゆらりと現れた。その姿を見るなり、海賊たちが攻撃の手を止め、数歩下がってこっちと間合いを取る。暗殺者も、ラティさんの傍らへ一旦退き、騒がしかった甲板が急に静まり返った。
見たところ、年は二十代後半から三十代前半ってところか。潮風に吹かれてなびく、乱れた黒髪。左目は眼帯に覆われ、むき出しの右目――青玉の瞳に宿る光は、凍てつくように冷たい。左のこめかみから右のほっぺたにかけて、顔を斜めに横切る古傷の跡。触ればザラザラしそうな顎鬚。白い綿の薄上衣を着て、その上に古びた赤黒い上着を羽織ってる。下は、ぶかぶかの脚衣に長革靴、腰に巻きつけた絹の飾り帯に差してるのは、二振りの舶刀だ。
身なりに特別目立つところはねえが、巨人の血でも引いてるのか、異様に背が高い。しかも、その身にまとわりつく空気というか雰囲気が、他の海賊たちとは明らかに違う。奴らの首領格だって、一目で知れた。
「貴様……シャー・シュフィックかっ?」
それまで、押し寄せる海賊たちに向かって必死で弓を引いてた姫さんが短く問えば、
「そうともよ」
と、簡潔明瞭な答えが返ってくる。
「〈人喰い鮫〉〈ウェーゲ海の荒らし王〉〈海神ザバダに挑む者〉――そして〈大海蛇を憎む者〉。海賊シャー・シュフィックってェのは他でもねェ、このオレのことだ」
自分の通り名を並べながら、海賊の首領は「どんっ!」と船縁に足をかけ、悠然と姫さんを見下ろしてきた。
「そういうアンタは、フォレストラ王国のお姫サマ、ウルフェイナ王女ってことで間違いねェか?」
「……いかにもっ!」
「はん、やっぱりそうか。噂に違わず色っぽいじゃねェか」
姫さんのしなやかな体つきや水着も同然の格好を見て、海賊の親分は束の間相好を崩したが、すぐに真顔に戻って、こう告げた。
「もっと別の形で出会ってりゃ惚れてたかもしれねェが……ま、これも神々が定めた運命ってやつだ。悪く思わねェでくれよ、お姫サマ」
軽く手を打ち振り、背後に控える子分たちに指示を出す。
「――やれ、おめェら」
その一言で、手下たちが一斉に動き出した。船端にずらりと並ぶ、物騒な武器を使うために。
〈海神への復讐号〉の船縁にゃ、投石機がいくつも、等間隔に据えつけられてる。船首のもんより一回り小さいが、それでも危険な武器にゃ違いねえ。
シャー・シュフィックの子分たちは、それらを使い出しただ。
「まずいっ! 皆、気をつけろ――来るぞっ!」
危険を察した姫さんが、周囲に警戒を呼びかける。その直後、海賊たちの猛攻が始まった。
海賊船の投石機から放たれた石弾が次々と飛んできては、こっちの甲板にぶち当たる。弾け飛ぶ木の破片、飛散する石の欠片。
それまで多勢を相手に健闘してた俺たちだが、向こうの船から絶え間なく飛来する石の弾丸に対しちゃ手も足も出ねえ。悔しいが今は、甲板にいくつも置かれた積み荷を盾代わりにして、直撃を受けねえようにするしかねえだろう。
そんな中――降り注ぐ石弾の雨にまじって妙なもんが二つ、甲板に落ちた。ごろごろと音を立てて、一つは俺の、もう一つは姫さんのそばへ転がってくる。
「……? なんだこりゃ?」
石弾と同様、投石機を使ってこっちへ投げ込まれたもんらしい。掌大で、見た目は丸っこい素焼きの……壺? けど、普通の壺と違って表面にいくつも棘みてえな突起がついてやがる。先日、コンスルミラで世話になった鬼人のナボン太守――あの人が暗殺者やサンドレオの皇子様との戦いで振り回してた、鎖つきの鉄球みてえな形状だ。
他に気になるところと言えば、一つだけ開いた小さな穴か。そこから外に出た短い紐に火がついてて、何やらバチバチと嫌な音を立ててるんだが……?
「メリック!」
そばにいたデュラムが声を上げ、俺に飛びついてきた。むき出しの腰に手を回されて、きゅっと抱き締められる。そのまま強引に、甲板に押し倒されちまった。
「いっ……てえッ!」
腰を強か打って、思わず悲鳴が漏れる。そのまま妖精と男二人で、もつれ合うように甲板の上を転がった。
その直後、壺が轟音立てて弾け飛び、紅蓮の炎が一気にふくれ上がる。飛び散った火の粉や木っ端、壺の破片が、俺に覆いかぶさった妖精の髪や肩に、ぱらぱらと降りかかるのが見えた。
デュラムに押し倒されるのが少しでも遅れてりゃ、俺はあの炎の餌食になってただろう。
「……無事か?」
妖精の美青年が俺にのしかかった状態から身を起こし、こっちの顔をじっとのぞき込むようにして、たずねてきた。
「……っ!」
ま、前にも言った気がするが、太陽神リュファトにかけて、俺は普通の男だ。けど、大理石の彫像みてえに整いすぎてるデュラムの顔を、真っ向から見返すのはさすがに気恥ずかしくて、ついどぎまぎしちまう。
だから俺は――くるりと横を向き、咳払いを一つして、こう言った。
「こ、腰が痛えよ」
以前、コンスルミラでも似たようなことがあったが、そのときは確か、背中を打ったっけ。デュラムの奴、助けてくれるのはもちろんありがてえが、もう少しお手柔らかに願いたいもんだぜ。
「ふん……そのくらいは我慢しろ。冥王の臣下とならずに済んだのだからな」
一足先に立ち上がったデュラムが、口じゃ冷たくそう言いながら、手を差し伸べてくれる。その手を取って、あいててて……どうにかこうにか、立ち上がる俺。
「あたたた。すまねえデュラム、助かったぜ……って、ええッ?」
まだ痛む腰をさすりながら、突起つきの壺が爆ぜた場所を見て、俺ははっと息を呑んだ。
「なんて破壊力だよ、こりゃ……!」
甲板にぽっかり開いた、人間の大人が一度に二、三人は飛び込めるでっかい穴。その周囲は黒く焼け焦げ、白い煙と硫黄の臭いが立ち込めてる。
明らかに、投石機が撃ち出す石弾以上の威力じゃねえか。まるで稲妻が落ちたみてえだぜ。
思わず、そばにいたゴドロム――雲の上から燃え立つ稲妻を落とすとされる、雷神その人を見ちまう俺。雷神様も俺と似たようなことを思ったのか、
「むう……これは」
と唸ったきり、無言で顎鬚を扱いてる。
「……〈チャナタイの魔弾〉だな」
あまりの威力に、その場の誰もが言葉を失う中、冷静な口調でそう言ったのは、デュラムだ。
「東方の国チャナタイから伝わったとされる魔法の武器だ。錬金術師が調合した秘薬を陶器に詰め、火をつけて投げると今のように爆ぜて、堅牢な石造りの城壁をも破壊する。風の便りに聞いたことはあったが、まさか海賊が使ってくるとはな……」
「ご名答。博識だな、そこの妖精は」
デュラムの話を聞いて、海賊の親玉が軽く拍手してみせる。
「〈魔弾〉なんぞと呼ばれるだけあって、破壊力はご覧の通り。覚悟するんだな、お姫サマ」
「お、おのれ海賊めっ……!」
姫さんも、自分の足元へ転がってきた〈魔弾〉からとっさに飛び退き、難を逃れたものの、甲板に大穴穿つその破壊力にゃ驚きを隠せねえようだ。
姫さんが明らかに驚いてるのを見て、海賊の頭は悦に入ったように口角を上げ、子分たちに再度指示を出した。
「おう、おめェら遠慮はいらねェぞ。〈魔弾〉はまだたくさんあるからな、どんどんぶちかましてやれ。オレたち地上の種族の力を見せつけてやりな――向こうで胡坐をかいてやがる、天上のお偉方にな!」
「へ……?」
このシュフィックって海賊は、気づいてやがったのか。神々の存在に。
「ほう……よく見破ったものよ、我らの正体を」
「ったりめェだろ? 地上の種族を――特に人間サマを、なめるんじゃねェよ」
ぼそりとつぶやいたゴドロムに向かって、シャー・シュフィックは大胆不敵に啖呵を切ってみせた。フェルナース大陸を支配してるとされる、強大な力を持つ神々――その中でも一、二位を争う強者といわれる雷神を前にして、まるで臆した様子もなく、堂々と。
「呪文の詠唱なしで魔法を使えるのは神だけだってことくらいは、オレも知ってるぜ。なにせこの百年、てめェら神々についてとことん調べまくったからな。海神ザバダと、その眷属――オレから家族を奪った海蛇野郎に、復讐するためによ!」
「海神と海蛇への、復讐……?」
そう言えば、向こうの船の名前も〈海神への復讐号〉だし、俺としちゃ気になる言葉だぜ。できれば詳しく聞いてみてえ話だったが、あいにく海賊の長は、一介の冒険者にすぎねえ俺のことなんざ、まるで眼中になさそうだ。
「無駄話はここまでだぜ、お姫サマ」
神々から姫さんの方へと視線を戻し、シュフィックは休戦の終わりを告げる。
「アンタに怨みがあるわけじゃねェが、オレと出くわしちまったのが運の尽きだ。あきらめて、ここで喰われちまいな――〈人喰い鮫〉と呼ばれる、このオレに」
海賊シャー・シュフィックの右手が上がり、すばやく打ち下ろされる。それが、戦いの再開を告げる合図となった。




