第9話 暗殺者の名前は
淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。俺たちが海賊と戦うのを見ても、神々にゃ救いの手を差し伸べてくれる気配はまるでねえ。それどころか船縁で、俺たちの戦いを悠々見物しながら一杯やり始めそうな勢いじゃねえか。
「ガルちゃん、ガルちゃん♪ チャパシャのど渇いちゃった、お酒飲もうよ~♪」
「おぅパシャ、俺様も飲みてぇと思ってたところだぜぇ! ポラ姐も、一緒にどうだぁ?」
「…………人間たちが、苦戦しているようだけれど?」
「大丈夫だってぇ! あいつらは自分のことくらい、自分でなんとかするからよぉ!」
ドンチャンドンチャン、ドンチャンチャン♪ あの連中、本当に一杯やり出しやがったぜ!
どこからともなく取り出された黄金の杯に、チャパシャがいつも抱えてる水瓶から酒を注ぎ、これまたどこからか出てきた白銀の皿――果物や蜂蜜菓子が山盛りの大皿が、神々の手から手へと回される。
……ったくもう! これだから、神々ってのはあてにならねえ。
いら立たしいような、憎たらしいような、それにちょっぴり寂しいような、複雑な気持ちが胸の奥底で渦巻き、俺はぎりりと奥歯を噛み締めた。
ちなみに、当然のことながら――海賊たちは神々にも何度となく襲いかかったが、そのことごとくが返り討ちに遭った。
「おいこらァ、なんだてめえらはァ! なァに呑気に酒なんざ飲んで……ぎゃああああッ?」
酒を酌み交わす神々に近づいた海賊が、横合いから一閃した稲妻に打たれてぶっ倒れ、白目を剥いて、ぴくぴくと痙攣する。
「ひいッ? なんだこいつら、魔法使いかおわあああああッ!」
別の海賊は、突然足元から噴き上がった極太の水柱に打ち上げられて天高く吹っ飛ぶ。また別の海賊は、甲板を突き破って伸びてきた木の根に巻きつかれ、ぐるぐる巻きにされちまう。
一番驚かされたのは、大地の女神トゥポラに手を出そうとした、三人の海賊の末路だった。海の漢が三人がかりで斬りかかってきたってのに、女神様は眉一つ動かすことなく左手で刃を受け止め、右手で海賊たちの腕や肩に触れる。すると――。
「な……! なんだこりゃァ、どうなってやがるゥ?」
なんと、大地母神に受け止められた連中の舶刀が、ぼろっと刃こぼれしたじゃねえか。
それだけじゃねえ。その後、さらに驚くべきことが起こった。
「た、助けてくれェ! 腕が、俺の腕があァ!」
トゥポラに触られた、海賊たちの腕や肩。それらが見る間に土気色になったかと思うと――ぼろり。肉が土と化して、骨からぼろぼろ剥がれ落ちたんだ。
「…………驚くほどのことかしら?」
いつもの無表情のまま、ぼそりとつぶやいたのは他でもねえ、大地の女神その人だ。
「…………母なる大地から生まれたものは、いずれ土となって大地に還るのが運命。そのときが来るのを、私がこの手でほんの少し早めてあげた――それだけのことなのに」
「ひいいいッ! この女、化け物だあァッ!」
「…………化け物ではなくて、女神なのだけれど」
「どっちだっていい! 頼むから戻してくれェ! 俺の肩を、元に戻してくれよおォ!」
海賊たちが泣きわめくのも無理はねえ。素手で金属の剣を受け止め、刃こぼれさせたばかりか、人間の肉体を土に変えちまうなんざ、地味だが恐ろしい魔法だぜ。
「そ、そいつらは放っておけェ! 先にこっちの奴らを片づけるぞォ!」
そんなわけで海賊たちは、近づくと危険な神々はひとまず置いて、まずはこっちへ、俺たちの方へ押し寄せることにしたようだ。
「よぅ人間! 海賊どもがそっちへ行くぜぇ! 後はてめぇらに任せたからなぁ!」
「がんばってね~、人間さん♪」
「……ちぇっ。いい気なもんだぜ、神様方は」
自分たちに火の粉が降りかからねえ限りは、我関せず。そんな様子で酒盛りを続ける神々を見て、俺は嘆息した。
だが、嘆いてる暇はねえ。気合を入れて、戦わねえと。不老不死の神々と違って、こっちは命がかかってるんだからさ。
気を取り直して剣を構えた俺の足元に――不意にでっかい影が、不吉に、黒々と広がった。天空から大地に大粒の雨をばらまき、雷を落とす暗雲のように。
「ふん。てこずっておるようだのう、人間の小僧」
「ゴドロム……じゃなかった、ゴドロム様」
影の主は、稲妻の神だった。賑やかに杯を重ねる他の神々から一人離れて、俺の許へ何しにきたんだろうか。
その疑問は、俺に代わってデュラムが口にしてくれた。
「何の用だ、ゴドロム神。また私の仲間に絡むつもりできたのなら、遠慮してもらおう」
「生意気な妖精の若造めが。このわしが、せっかく救いの手を差し伸べてやる気になっておるというのに、無礼なことをほざきおるわ」
「なんですって?」
サーラが驚いた顔をしたが、俺も正直意外だった。救いの手を差し伸べてやるなんてことを、神の方から言ってくるなんて。ましてやこの雷神様がそんなことを言い出すなんざ、びっくりだぜ。
束の間、神の助けに期待しちまった俺だったが、その後ゴドロムが口にした一語を聞いて、身構えた。
「わしが出す条件を呑むならば、貴様らを助けてやろうと言うておるのだ」
「条件……」
やっぱり、神様がなんの見返りもなく地上の種族を助けてくれるなんざ、そうそうあることじゃねえか。
……あのおっさんなら、話は別かもしれねえが。
「ゴドロム様。あんた、俺たちと取り引きしようって腹かよ?」
神が地上の種族に取り引きを持ちかけるなんてのは、神話や伝説なんかじゃよくある話だが、大抵はろくな結末にならねえ。この話、迂闊に乗るのは危険だろう。
「条件って……一体なんだよ?」
「なに、簡単なことよ。このわしを全知全能、至高至善の神として敬い、生涯崇め奉ると誓うのだ。そして将来、貴様が家を持った暁には庭にわしを祀る祠を建て、一日に二度、生け贄を捧げるがよい。生け贄は必ず牛にするのだ、わしは牛の焼肉が好物だからのう。それから……おお、毎日早朝に摘んだ花を供え、芳しい乳香を焚くのを忘れぬように。ちなみに乳香とは、古来より我ら神々を祀る儀式に用いられてきた香料でのう。わしは乳香の香りが好きなのだ。今もわしの神殿では、若く美しい純潔の巫女たちが、毎朝欠かすことなく乳香を……」
うんたら、かんたら。この神様、見かけによらず細かいぜ。
「死ねやァ、小僧ォッ!」
「うおっと?」
話の途中で、海賊が一人、俺に斬りつけてきやがった。やむなく剣で応じる俺。
「むう? おい小僧、わしの話を最後まで聞かぬか!」
「すまねえ! 今取り込み中だから、後にしてくれよ!」
敵の斬撃を二度三度としのぎながら、ぞんざいに言い放つ。しつこく攻め立ててくる海賊に誘いをかけ、乗ってきた相手の体勢が崩れたところで、顎にガツンと横殴りの一撃をお見舞いしてやった。
雷神様に対して、ちょいと無礼だったかもしれねえが、こっちは今、本当に命がけなんだ。長い話ならまた後で、余裕ができたら聞かせてもらおう。
と、そのとき。
「そうそう、坊や! ゴドロムの話なんか、無視しちゃいなよ♪」
楽の音を思わせる、きれいな声が頭上で響いた。見上げてみりゃ、帆柱から滑車でつり下げられた、帆を張るための長い横棒――帆桁の上に人影がある。きらめく太陽を背にして、右手を帆柱に、左手を腰に当て、両足を軽く開いて、悠然とこっちを見下ろしてやがる。
「えいっ♪」
人影は、一声上げて帆桁から飛び降りてきた。一つ……いや、その後に続いて、もう一つ。どちらも猫みてえにしなやかな身のこなしで、着地までの間にくるんと一回転し、危なげなく甲板に降り立つ。
「坊やは父様のしもべになるって、もうとっくに決まってるんだから♪」
「あ、あんたは……!」
俺は驚きのあまり目を見開き、二つの人影のうち一方――浅黒い肌した踊り子風の美少女を指差す。そして――。
「……誰だっけ?」
って一言で、相手をずるっと滑らせた。
「なにさそれ、ありえないんだから! このあたいを忘れるなんてさ!」
「あ……いや、すまねえ」
ぽりぽり。人差し指の先でほっぺたを引っかきながら、わびる俺。
「ほら、俺って生まれつき、忘れっぽくってさ。それで、その……」
「三日前、コンスルミラの港を出たときにも会ってるじゃないのさ! いくらなんでも忘れん坊すぎ!」
ぷんぷん! ほっぺたを極限までふくらませ、怒りを表現する踊り子さん。
「……むう、ラティか。またぞろ、この小僧どもを誘惑しにきおったか」
忘れっぽい俺に代わって、ゴドロムが踊り子さんの名をつぶやいた。
「ああ、そうだった! あんたは……ラティさんか」
思い出したぜ。この人はラティルケ、俺は短く「ラティさん」って呼んでる。本人曰く、俺たちが立ち向かおうとしてる神様――火の神メラルカの娘なんだとか。先日、コンスルミラの市場で出会って以来、俺たちを「父様」メラルカのしもべにしようと、しつこく誘いをかけてくる困った人だ。
……つけ加えるなら、俺から大事なもんを盗みやがった、小生意気な泥棒猫でもある。
それと、もう一人。ラティさんの傍らに降り立った、もう一つの人影。あいつは、確か――。
「今日は相棒の暗殺者と、二人そろってお出ましかよ」
そう。鉛色の蜘蛛みてえな仮面で素顔を隠した、黒ずくめの暗殺者。コンスルミラの港からラティさんと一緒にこの船に乗り込んできた、メラルカの眷属だ。
「ふん、勘違いしないでよね。ナキシュは父様のしもべで、あたいの相棒なんかじゃないんだから」
「そうなのか? ってかその暗殺者、ナキシュって名前だったんだ」
今になって、暗殺者の名が判明した。本人は終始無言で自分から名乗ることもねえ奴だから、今まで名前さえわからなかったんだ。
「それより坊や、いい加減、父様のしもべになる決心はついたかい?」
左手を腰に当て、右手でびしっとこっちを指差して、ラティさんが偉そうにたずねてきた。
「ついてねえよ! ってか、この先もつかねえって!」
と、即座に全力で否定する俺。
「あんたの親父さん――メラルカにも言っただろ。『俺たちにゃ、あんたの許で働くつもりはねえ』ってさ。だから、あんたもあきらめて帰ってくれよ、親父さんのところへさ」
こっちは今、海賊たちとの戦いで手一杯なんだ。できればこの二人にゃ、穏便にお引き取り願いてえ。
だが、そう上手くいくほど、世の中甘くはねえようで。
「ふーん、そう。いいのかい、そんなにあっさり断っちゃってさ」
俺の返事を聞いて、ラティさんは意地悪な笑みを浮かべた。容姿はあんまり親父さんと似てねえのに、笑い方はそっくりだぜ。
「父様の誘いを蹴るっていうなら、あたいにも考えがあるんだから」
「考え、ね。どういう考えなのか、あたしに教えてもらえないかしら?」
それまで相手にしてた海賊二人を、まとめて魔法の水球でぶっ飛ばし、サーラがラティさんの方へと向き直った。
「う……あんたは」
ラティさんの奴、魔女っ子の姿を見た途端、一歩後ずさりしたぜ。俺にはいつも強気な態度で接してくる人だが、どうもサーラにゃ弱いらしい。以前コンスルミラで、泣きべそかいてるところを魔女っ子に慰めてもらったことがあるもんで、負い目を感じてるのかもしれねえ。
「……っ! あんたには借りがあるから、できれば戦いたくないんだけどさ……父様のしもべになる気がないなら、力ずくでもならせてやるんだから!」
魔女っ子の顔を見て、ちょいと動揺した様子のラティさんだったが、やがて気を取り直したのか、傍らの暗殺者に右手を振って合図した。
「痛い目に遭わせてやりなよ、ナキシュ!」
ラティさんの命令に応えて、黒ずくめの暗殺者がすっと、素早く動く。その顔に張りついた、蜘蛛みてえな仮面の不気味な目――大小合わせて六つの紅玉が、チカチカと明滅した。両手にシャリンと生えた六本の鉤爪が、陽光を受けてぎらりと輝き、魔女っ子を狙う。
「実力行使ってわけね……上等じゃない!」
右から飛んできた鉤爪の一撃を杖の一振りで軽やかにさばき、サーラが不敵に笑う。そこへ俺が加勢に入り、左から飛来した一撃を弾いた。
コンスルミラで二度戦って、この暗殺者の恐ろしさは身に染みてるし、デュラムやサーラがこいつに苦戦を強いられてたことだって忘れてねえ。だから――。
「助太刀するぜ、サーラ!」
「ありがと、助かるわ!」
「おい小僧、わしの話はまだ終わっておらぬのだが……」
「「今忙しいから、また後で!」」
俺とサーラの声が、見事なまでに重なった。
「……やはり仲が良いのう、貴様ら。このわしが……しくなるほどに」
ゴドロムが何やらぶつぶつとつぶやいたが、最後の方は喧騒に紛れて、よく聞こえなかった。
最初から話し合いの余地なしって感じの海賊たちに、ヘンテコな取り引きを持ちかけてくる雷神ゴドロム。例によって高みの見物を決め込む他の神々。そして、俺たちを火の神メラルカのしもべにしようとたくらむ、ラティさんと暗殺者ことナキシュの二人組。
連中を相手に、俺たちゃどう立ち回るべきか――悩ましいところだぜ。




