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ノイズの国のチェシャ猫  作者: 夢藤 叶見
9/10

第9話 帽子屋の心の国

まぶたの隙間から漏れる光が消え、目を開けるとそこは暗い森の中だった。私は辺りを見渡した。周りには私の身長の5倍の高さの木が生い茂り、明かりとなるのは辛うじて木々の隙間から漏れている光りぐらいだ。そのわずかな明かりを便りに近くの木に近寄ってみたが、違和感がしてすぐに離れた。

(この森の木、ただの木じゃない!)

木には人の目と口のような穴があり、私が近づいた時にそれが少し動いたのだ。私が後退ると、周りの木たちはまるで地響きのような声を発し始めた。

「魔法が使えるなんて変だよ」

「化け物!」

「お前は俺たちと同じ人間じゃないんだよ」

私は段々大きくなる罵詈雑言の声に耳を塞いだ。

(これはもしかして、店長の事を気味悪がっていた人たちの声なの?)

私がその場に踞っていると頭の中に声がした。

『・・・菊乃さん・・・菊乃さん、聞こえますか!?』

「・・・玲魔さん?」

『今、どのような場所にいますか?』

「森、なんですけど、周りの木から店長の事を迫害する声がずっと流れてて・・・気が変になりそうです」

『とにかく、その森を抜けてください!今、安らかに眠っている優介さんの意識が自分を痛め付ける場所にいるとは思えません』

私は立ち上がって走り出した。勿論、ここには道なんてない。私は耳を塞ぎながら木の隙間をひたすらすり抜けて走り続けた。しかし、どんなに走っても森は抜けられないし、木の声は止まない。それでも私はただがむしゃらに走った。

すると漸く林道に出て木の声はピタッと止んだ。私がホッとしていると何処かから声が聞こえた。

「君、こんな所で何してるの?」

私はその普通の声に驚いて辺りを見渡した。でも、誰もいない。私が首を傾げるとその声はクスクスと笑った。

「上だよ。木の上」

私がその言葉通りに木の上を見上げるとそこには猫耳を頭につけた時也くんがいた。

「!時也くん!?何でここに?」

「・・・時也?僕はチェシャ猫だけど?」

「えっ?・・・でも」

私はその時思い出した。今自分がいるのは現実ではなく店長の心の中。ここに時也くんがいるはずがないのだ。玲魔さんの声が聞こえた。

『何かありましたか?』

「あの、目の前に時也くんそっくりな人がいるんです。でも彼は自分の事をチェシャ猫としか言わなくて」

『・・・それは恐らく優介さんの意識が作り出した認知上の存在だと思います』

「要するに、店長は彼の事を不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫と認識していたから、チェシャ猫の格好をした時也くんがここにいるって事ですか?」

『そういう事です。これからそっちの世界で会う優介さん以外の人は優介さんが作り出した偶像であり、本人ではないと思っておいた方がいいでしょう』

「・・・わかりました」

玲魔さんの声は私にしか聞こえていないらしく、チェシャ猫の時也くんは首を傾げた。

「さっきから1人で何を呟いてるの?」

「・・・何でもないよ、ただの独り言。ところで、時也くん・・・じゃなかった、チェシャ猫くんにききたい事があるんだけど」

「何?」

「店長、帽子屋さんが今何処にいるか知ってる?」

チェシャ猫くんはキョトンとした。その反応を見て私は心の中で戸惑った。

(・・・もしかして、間違えた?)

店長はいつもバイトの時、「君がアリスなら自分はこの店では帽子屋かな」と言っていたから、帽子屋さんの居場所が分かれば店長の意識の居場所も分かると思ったんだけど。

私がそう思っていると、チェシャ猫くんはクスッと笑った。

「そんな困ったような顔しないでよ。さっき『意味が分からない』って顔をしたのは冗談だから」

私は顔をあげた。彼はまるでいたずらっ子のような笑顔を浮かべて私の頬を優しくつねった。

「ごめんね、君の困った顔が可愛かったからつい」

私はその言葉に顔を真っ赤にしながら思った。

(やっぱり、彼は時也くんじゃないんだ)

時也くんはこんなにハキハキした喋り方はしないし、私相手にいたずらもしない。そのせいか、目の前のチェシャ猫くんは時也くんと同じ顔の他人にしか見えない。その事に私は違和感がした。

(観察眼の鋭い店長が考えた認知上の存在なら、もっと本人に似ててもいいはずなのに、何で店長は時也くんと全く正反対の性格の彼を作ったんだろう?)

私が再び考え込んでしまったからか、チェシャ猫くんはつまらなそうに頬を膨らませると、私の顔を覗きこんできた。私は中性的な綺麗な顔が急に目の前に来て驚いた。

「ねえ、また考え事?」

「あっ、ごめんね。この世界の事をちょっと考えてたの」

「・・・考えても無駄だよ。だってここは日々世界が変わる不思議の国だもん。明日には政権者が変わっているかもしれないし、この森がさらに大きくなっているかもしれないんだから」

「世界が変わる?」

「そう。ここは誰にも理解されなかった帽子屋が作り出した幻の世界。この世界の住人は帽子屋の気分次第で死んだり生き返ったりを繰り返すのさ」

(なるほど、店長の心の変化によって登場人物も変わるって事か)

私がそう納得すると、チェシャ猫くんは私の手を取った。

「そんな事よりも、帽子屋の所に行きたいんでしょ?案内するよ、アリス(・・・)

「えっ?」

「だって、君の格好が帽子屋の言ってたアリスっていう女の子と同じだから」

私は自分の服装を見た。私の格好はいつのまにかバイトの時の制服になっていた。

(さっきから予想外の事が起き過ぎて全然気づかなかった)

呆然としている私の手を握り、チェシャ猫くんは歩き出した。

「さあ、行こう!帽子屋の所に」

「・・・・・・」

「・・・ア~リ~ス~、は~や~く~」

「わ、わかったから、もっとゆっくり歩いて」

私は考えている途中だったのに、せっかちなチェシャ猫くんに半ば引きずられるように手を引かれ林道を歩いた。


10分ほど私たちは歩き続け、漸く不気味な森を抜ける事が出来た。私は先程までいた森を振り返り、呟いた。

「結局、ここに店長はいなかったな」

「この森は帽子屋を痛めつけるだけの場所だからね。アイツは滅多にここには来ないよ」

「チェシャ猫くんは帽子屋さんの事、よく知ってるのね」

「アイツと僕は付き合い長いからね」

「・・・そう、なんだ」

響さんの話では、店長は2年前から時也くんを狙っていたらしいから、この世界でのチェシャ猫くんと帽子屋さんもそれくらいの知り合いのはずだ。なのに、彼は帽子屋さんとは長い付き合いだと言っている。この世界での時間の進み方が私が暮らしている世界と違うのだろうか。それとも、もっと以前から2人は(・・・・・・・・・・)知り合いだった?(・・・・・・・・)

(うーん・・・ダメだ、全然分からない)

「アリスって、考え事するのが癖なの?」

チェシャ猫くんにそう言われ、私ははっとした。チェシャ猫くんはため息をつくと続けた。

「まあ、でも仕方ないか。君はこの世界の住人じゃないから、この世界の事詳しく知らないだろうし」

「・・・じゃあ、この世界について何か知ってる?」

私の問いにチェシャ猫くんはうーんと考えた後、笑顔でこう問い返してきた。

「教えてあげたら、何かくれる?」

私はうっと詰まると、服のポケットを探ったりしてみたが、勿論何も持っていない。ブレスレットは着けているけど、これは玲魔さんとの通信用の物なのであげるわけにはいかない。

「ご、ごめん、今は、何も持ってない。・・・タダじゃダメ?」

「ダメ」

「何で!?」

「だって、アリスはこの世界じゃイレギュラーなんだよ。そんなアリスにこの世界について教えれば、明日には僕が消されてしまうかもしれないんだから、何かもらわないとやってられないよ」

(・・・確かに)

その後、どうすればいいのか分からず俯く私にチェシャ猫くんはニヤッと笑うと、私の体を抱き寄せた。

「何も持ってないなら仕方ないね。・・・君にイタズラさせて」

「!ま、待って!」

「待たない。僕、我慢するの嫌いなんだよね」

彼は私の胸辺りまである後ろ髪を払いのけると首筋を舐めた。

「きゃっ!」

「・・・アリス、可愛い」

チェシャ猫くんはさっきと同じ悪戯っ子のような笑みを浮かべて私の顔を見つめてきた。

「も、もういいでしょ!?」

「まだだよ。・・・まだ足りない」

今度は耳を甘噛みされ、声はギリギリあげなかったけど、体が震えた。

(これ以上やられると心臓が持たない・・・こうなったら!)

私は彼の頬に手を当てると彼の頬にキスをした。彼は急に私がキスをしてきたからか、私への悪戯をやめてキョトンとした顔になった。

「・・・これで、いい?」

(どうしよう、すごく恥ずかしい!)

私が真っ赤な顔で俯いていると、チェシャ猫くんは笑い出した。

「フフッ、まさか悪戯仕返しされるとは思わなかったよ。・・・いいよ、この世界の事を教えてあげる」

チェシャ猫くんはやっと私を解放した。私が息をつくと、彼は私の手を取り、ある場所へ案内した。


私は、彼が何処に向かっているかも分からないまま一緒に歩き続け、漸く彼は立ち止まった。そこは色とりどりの花が咲いている花畑でその中央には、大きなテーブルと数個のイスが設置されていて、テーブルの上にはティーセットとたくさんのお菓子が用意されている。

「この時間は帽子屋がお茶会を開いている時間なんだ。もうすぐ、皆来ると思うよ」

(皆?)

私がそう思ったその時、目の前に突然ローブを羽織って煙管を吸っている響さんとバイトの時の白ウサギの格好をした雪兎くんが現れた。

(ああ、多分、響さんは芋虫で、雪兎くんは白ウサギだろうな)

2人の姿が完全に見えるようになると、響さん、じゃなくて芋虫さんがチェシャ猫くんに言った。

「何だ、もう来てたのか。ほんと、チェシャ猫はお茶会が好きだな」

「この時間しかこの世界での至福の時は無いからね」

その時、白ウサギくんは私に気づいた。

「チェシャ猫、この子は誰?」

「帽子屋が前話してくれたこの世界の救世主、アリスだよ」

「ああ、あの話本当だったのか。てっきり、アイツのデマか伝説かと思っていた」

芋虫さんは私の全身を見渡した。

「成程な、確かにアイツが言っていた特徴と一致してる。この子は間違いなくアリスだ」

「そうだ!君も一緒にお茶しよう!ていうかチェシャ猫、そのために彼女をここに連れてきたんでしょ?」

チェシャ猫くんが答える前に、白ウサギくんは私の手を引き、イスに座らせた。その後、3人は好きなイスに座ると、帽子屋さん不在の中、勝手にお茶会を始めた。私は戸惑いながらも3人に尋ねた。

「あの、帽子屋さんが居ないのに勝手に始めてしまっていいの?」

「アイツは今日は来ない」

芋虫さんがコーヒーを一口飲むとそう言った。

「どうして?帽子屋さんのお茶会なのに」

「帽子屋さん、赤い王様に連れてかれちゃったんだ。今頃、城の牢屋の中かもね」

白ウサギくんの言葉を聞くと私は立ち上がった。

「大変じゃない!皆、よくのんきにお茶できるわね!」

「落ち着け、アリス。アイツが王に連れていかれるのはこれが初めてじゃない。今回も適当にあしらって帰ってくるだろう」

「今回はそんな悠長な事言っている場合じゃないの!!」

私の必死な様子に3人はおかしいと思ったのか、食べたり飲んだりしていた手を止めて私をじっと見つめてきた。私ははっとするとイスに座り直した。

「ごめんなさい、取り乱してしまって」

「・・・どうやら、君がここに来た理由は帽子屋に関連しているようだな」

芋虫さんは煙管を吸いながら小さなため息をついた。

「先程から君はソワソワして辺りを見渡していた。あれは、まだ来ない帽子屋をずっと待っていたからだろう。・・・それに、俺も今回の王の蛮行には少し違和感がしているんだ。奴は帽子屋の動向を常に監視している。そして、奴が帽子屋を城に連れていくのは決まってお茶会が開かれない時(・・・・・・・・・・)だった」

「えっ?でも、現にお茶会はこうやって開かれてる」

「うん、前から今日はお茶会やるって帽子屋さんは僕たちに言っていたからね。だから、芋虫さんから話を聞いた時、僕もおかしいなって思ったんだ」

白ウサギくんは耳を動かしながらそう言った。私が押し黙っていると、さっきまで黙っていたチェシャ猫くんが口を開いた。

「アリス、この世界の事について知りたいって言ってたよね?教えてあげてもいいけど、・・・知ってしまったら君はきっとこの世界を救わなくては帰れなくなる。今回、帽子屋が予想外の時に連れていかれたのは、間違いなく君がこの世界に来たからだしね」

(・・・なるほど、きっとこの世界の王様は店長に呪詛を掛けた人の偶像で、私はそいつからしたら要注意人物というわけね。だから帽子屋さんを隠すために城に連れていった。・・・なんだ。私がやるべき事は最初から1つだったんだ)

実は今までどうやって店長を救おうか悩んでいたんだけど、それが無駄な悩みだったと知り、私は落ち着きを取り戻した。その時、私の頭に玲魔さんの声が聞こえた。

『菊乃さん、どうやらやるべき事を見つけたようですね』

「・・・はい」

『僕は止めません。あなたの好きなようにやってください。・・・あなたはアリスですから』

玲魔さんの言葉はそれで途絶えた。私は立ち上がるとチェシャ猫くんにきいた。

「チェシャ猫くん、城の場所を教えて」

「・・・えっ?北にまっすぐ進んだ森を抜けた所に城はあるけど。・・・アリス、君はまさか」

「王様の城に乗り込んで帽子屋さんと会ってくる」

私の言葉にその場にいた人達は呆然とした。しばらくその場に沈黙が降りた後、芋虫さんが口を開いた。

「無茶だ。王はこの世界の現在の政権者で奴にはたくさんの手下がいる。そんな奴の城に潜入するなんて」

「勿論、私が圧倒的に不利だって事はわかってる。でも、帽子屋さんが自分を苦しめている王様の支配を望んでいるだなんて思えない。そして、帽子屋さんを助けられるのもこの世界にとってイレギュラーである私だけなの」

思い当たる節があるのか、3人とも静かになった。私は一息つくと続けた。

「安心して。皆を巻き込むつもりはないから。・・・ごちそうさまでした」

私は、沈黙している3人に頭を下げると花畑を出た。


チェシャ猫くんの言った通り、花畑の北側には森があった。そして、城の上半身だけが森の入り口からでも見える事を考えると、どうやら赤の王様の城はとてつもなく大きいらしい。

(せめて、牢屋の場所くらいはきいてくれば良かったかな?でも、あの人たちを私の我儘に巻き込むわけにはいかないし・・・行くしかない!)

私は大きく深呼吸をすると森に入った。この森はチェシャ猫くんに初めて会った森とは違い、普通の木々が立ち並んでいる。

(これなら、案外楽に城までたどり着けるかも)

そう思っていた矢先、私は殺気を感じて立ち止まった。すると、何処かから矢が飛んできて、目の前の地面に深々と突き刺さった。

(危なかった!後2秒気づくのが遅れてたら矢が足に刺さってる所だった)

私がホッと息をついたその時、黒いローブを着た男たちが6人出てきて私を取り囲んだ。私は一応きいた。

「あなたたち、誰?」

「決まっているだろう。アリス、お前を捕らえに来たのだ。お前はこの世界にとって脅威となる存在だからな」

私が身構えると6人のうち3人が襲いかかってきた。私は前から来た敵の鳩尾に拳を入れ、相手が怯んだ隙に後ろから襲いかかってきた敵2人に肘鉄と後ろ回し蹴りを食らわせた。後の3人は少し後ずさった。

「さすがこの世界の救世主となる少女だな。しかし、魔力を持たないただの人間に私達3人は絶対に倒せない」

その言葉に、私が「どういう事?」ときき返す前に私の体は見えない風に吹っ飛ばされ、近くの木に叩きつけられた。

「きゃあ!」

「先程襲いかかった3人は魔力を持たないただの雑兵。最初からお前の相手は我々だけだったのだ」

私は木を支えにして立ち上がろうとしたけど、今度は鳩尾に見えない大きな衝撃を食らい、崩れ落ちた。敵の1人が、防ぎようのない攻撃を二度も食らって肩で息をしている私の顎を掴んで上を向かせた。

「安心しろ。お前を殺しはしない。お前が王に屈服する姿を見れば、あの諦めの悪い帽子屋も王に服従するようになるだろうからな」

「・・・そんなの、死んでもごめんだわ」

私はそう呟くと相手の手を顔を動かして振り払い、相手の手に噛みついた。

「・・・チッ、調子に乗るな!この小娘が!」

相手は私に平手打ちをした。

「どうやら、もっと痛い目にあわなければわからないようだな」

(・・・体が、動かない)

相手の手が近づいてきてもうダメかと思ったその時、声が聞こえた。

「お前ら!アリスに何をしてる!」

私がその声に驚いた瞬間、私に手を出そうとしていた敵の体が宙に浮いて吹っ飛んだ。そして、私が顔を上げるとそこにはチェシャ猫くんがいた。彼は私に振り向くと微笑んだ。

「アリス、少しの間、目を瞑っててくれる?」

私は理由はわからなかったけど、彼の顔が真剣だったため、頷くと言う通りにした。私が目を閉じると彼は小さな声で呟いた。

「アリスに手を出してタダで済むと思うなよ」

その瞬間、突風が吹く音と敵の呻き声が聞こえてきて少し怖かったけど、私はチェシャ猫くんの言う通り目を閉じたままでいた。やっと音が止み、耳元に彼の声が聞こえてきた。

「もう大丈夫だよ。目を開けて」

私が目を開けるとそこには魔力を持った敵3人が傷を負って倒れていた。

「・・・あの人たちに何をしたの?」

「秘密」

チェシャ猫くんは微笑みながらそう言った。私は多分、さっき起きた事について彼は何も話してくれないと悟り、それ以上は何も聞かないことにした。彼は私に手を差し出してきた。

「立てる?」

私はチェシャ猫くんの手をとって立ち上がろうとしたが、さっき木に叩きつけられた時に足を捻ってしまったせいか、中々立ち上がれない。すると、彼は私の側にしゃがんだ。

「ちょっとごめんね」

そう言うと、彼は私を抱き上げた。私は急にお姫様抱っこされた事に戸惑った。

「ま、待って、チェシャ猫くん!1人で歩けるから!」

「だって君、足を怪我してるんでしょ?早く手当てしないと傷が残っちゃうよ」

「でも、早くお城に行かないと帽子屋さんが!」

「帽子屋なら大丈夫だよ。こんな簡単にやられるようなヤワな奴じゃないし・・・それに、今は帽子屋よりも君の方が心配だから」

私はその言葉に赤面していると、チェシャ猫くんはクスッと笑った。

「やっと大人しくなったね」

「・・・仕方ないじゃない。ほんとに歩けないんだから」

そして、私はさっきから彼に言いたかった言葉を呟いた。

「あの・・・あ、ありがとう。助けに来てくれて」

「フフッ、どういたしまして」


「成程な。それで、お前はお姫様を王の刺客から救出してここに連れて帰ってきたわけか」

「チェシャ猫ってさ、普段適当なくせに決めるところは決めるよね」

「う、うるさいな!アリスは思い立ったら一直線な所があるからほっとけなかったんだよ」

気絶する敵の元を去った私とチェシャ猫くんは花畑まで戻ってきた。彼に抱っこされたままで帰ってきた私を見て2人はしばらく呆然としていたけど、理由を説明されて納得してくれた。そして、私は今、芋虫さんに足の具合を診てもらっている最中だ。芋虫さんは一通り見終わると口を開いた。

「まだ傷は浅い方だ。テーピングすれば普通に歩けるだろう。・・・急いでるんだったな。3分で終わらせる」

「ありがとうございます。・・・すいません、皆を巻き込まないつもりだったのに」

「心配しないでよ、アリス。僕も芋虫さんも、そしてチェシャ猫も、もう覚悟は出来てるからさ」

私が白ウサギくんの言葉に首をかしげると彼は続けた。

「僕たちもアリスと一緒にお城に向かうことにしたんだ」

「えっ!でも、もし帽子屋さんの救出に失敗したら、皆は消されてしまうかも知れないんだよ!」

「そうだな。少なくとも王は一度裏切った者を許すような寛容な奴ではない」

芋虫さんは、私の足にテーピングを施しながらそう言った。

「だがな、俺たちも大事な友人を利用する奴を見過ごせるほど冷血漢ではないんだ。今までは帽子屋(アイツ)が『王の相手は自分に任せろ。君たちを巻き込みたくないんだ』と言っていたから黙っていたが、もう我慢の限界だ。帽子屋を利用している王にも、俺達を巻き込むまいとそれを受け入れている帽子屋にも言いたいことを言ってやると決めたんだ」

「それに、アリスはこの世界の救世主なんでしょ?君がいたから僕たちも決心できたんだよ」

「でも、手下に襲われただけでこんな怪我を負った私が王相手に勝てるかどうかもわからないのに」

「確かにその通りだね。でも、もう傍観者のフリは嫌なんだ。帽子屋さんには恨まれるかもしれないけど、僕たちも連れていってよ。アリス」

私は皆の顔を見渡した。3人とも決心が固まった顔をしている。

「・・・わかった。皆で行こう。私も覚悟は決まったわ」


芋虫さんにテーピングしてもらったお陰で私は普通に歩けるようになった。チェシャ猫くんは「動けないままだったらまたお姫様抱っこしてあげたのにな~」なんて冗談を言っていたけど、私の傷が治って嬉しそうだった。

私たちは今、北側の森の入り口にいる。芋虫さんが呟いた。

「どうやら、手下たちは城に引き返したようだな。守りに撤することにしたのか?」

「まあ、僕たち4人しかいないからね。守った方が勝率高いのは確かだよ」

そんな会話をしている芋虫さんと白ウサギくんの横で私は大きく息を吐いた。そして、3人の顔を交互に見ると口を開いた。

「じゃあ、行こう。帽子屋さんを助けてこの世界を救う」

皆は私の言葉に大きく頷くと、森に入った。私はどんどん大きく見えてくる城を見ながら思った。

(・・・私はもう諦めない。大切な人をこれ以上失いたくないから)


私たちは薄暗い森の中を歩き続け、漸く林道を抜けた。

「はあ~、やっとついた。相変わらずこの城、花畑から遠すぎ!」

「俺もそう思うが、これ以上文句を言うな、チェシャ猫。大して迷わずにここまで来れただけまだマシだろう」

芋虫さんの言葉に私は小さく頷いた。この森、変な生物とかは出現しなかったけど、途中三叉路があったり、同じ場所に出たり、とにかく侵入者を疲れさせる森だったのだ。チェシャ猫くんに至っては森に入って20分でブツブツ文句を呟いていた。どうやら彼は少し短気なところがあるらしい。そこは時也くんに似ていないなと私は思った。その時、白ウサギくんは耳をゆっくり動かした。

「どうしたの?白ウサギくん」

「兵隊たちの足音がする。やっぱり、奴らは僕たちを待ち受けて倒す算段だったみたいだ」

「・・・仕方ないか」

芋虫さんはそう呟くと私とチェシャ猫くんに向き直った。

「アリス、チェシャ猫と一緒に別の入口から城に入るんだ。チェシャ猫はこの城の構造を大体把握しているから、案内役には最適だ」

「芋虫さんと白ウサギくんは何をするつもりなんですか?」

「俺たちは、お前たちが城に潜入しやすくなるようにここで敵を惹き付ける」

不安そうな表情になった私の頭を芋虫さんは撫でた。

「大丈夫だ。俺も白ウサギもこの世界で今日まで生き延びてこれたんだから、簡単には死なないさ」

芋虫さんの手は少しごついけど温かくて安心できて、私は小さく頷いた。芋虫さんは私の頭から手を離すと、チェシャ猫くんに顔を向けた。

「チェシャ猫、アリスを頼んだぞ。・・・そして、必ず帽子屋を連れ戻してくれ」

「任せといてよ」

チェシャ猫くんは芋虫さんにそう答えると私の手をとった。

「アリス、行こう」

私は彼の言葉に頷くと、彼と共に走り出した。


チェシャ猫くんが城の構造に詳しいと言った芋虫さんの言葉は本当で、彼は秘密の入口を早速見つけ、思っていたよりも簡単に城に入る事が出来た。城の中は静まり返っている。芋虫さんと白ウサギくんが表で敵を惹き付けてくれているお陰だろう。チェシャ猫くんと私は誰もいない回廊を歩き続け、彼はある扉の前で立ち止まった。

「ここから地下の牢屋に行けるんだ」

扉を開けると冷たそうな地下まで続く石段が目の前にあった。消えかかっている電灯の僅かな明かりを便りに私たちは地下に下りた。漸く地下の牢屋にたどり着くとそこには見張りの男が2人立っていた。

「・・・あの牢屋に帽子屋さんがいるの?」

「うん、間違いないよ」

「でも、見張りがいる。どうしよう」

「アリス、君はここにいて。僕がアイツらを引き受けるよ」

「えっ、でも」

「さっき芋虫も言ってただろう?僕たちはこの世界で今日まで生きてきたんだ。だから大丈夫だよ」

チェシャ猫くんはそう言うと私の頬にキスをした。真っ赤になっている私に彼はいたずら好きな笑顔で言った。

「アリス、絶対に帽子屋を救ってね。信じてるから」

彼は牢屋の前に飛び出した。見張りの2人は身構えた。

「お前は、チェシャ猫!どうやってここに!?」

「・・・知りたければ、僕を捕まえてみなよ」

チェシャ猫くんは2人に舌を出すと走り出した。2人は神経を逆撫でされ、自分達の見張りの仕事も忘れてチェシャ猫くんを追っていった。


私は足音が聞こえなくなると隠れていた場所から出て牢屋に近づいた。中を覗くとそこには「アリスの世界」で見慣れた店長が隅で踞っていた。

「店長」

私が呼び掛けると相手は俯けていた顔を上げた。でも、その瞳はどこか虚ろで普段店で見る店長と雰囲気が全く違った。・・・いや、もしかしたらこっちの方が店長の本当の姿なのかもしれない。

「アリス、まさか君が私の心の世界に来るとはね。やはり君は只者じゃなかったようだ」

「店長、こんなところに閉じ籠ってないで帰りましょう。私たちの世界へ」

店長は私の言葉に首を横に振った。

「私はもうあの世界には帰らない。・・・幼い頃からずっとあの世界は私を嫌っていた。それでもなお、私は居場所を探し求めた。そして、あの『アリスの世界』で君たちに出会って、やっとそれが手に入ったと思ったのに、呪いの進行を恐れて大事な絆すら自ら壊してしまった。もうあの世界に私の居場所など何処にもない。それなら、誰かに傷つけられる事も誰かを傷つける事もない一人ぼっちのこの世界にずっと取り残されていた方がマシだ」

「・・・じゃあ、どうしてそんなに苦しそうな顔をしているんですか?」

店長は図星だったのか、一瞬動揺した。

「一人でいた方がマシだって言うなら、どうしてチェシャ猫くんたちをこの世界の住人として造ったんですか?孤独でいる事を望むならあなた以外は誰もいない世界を作るはずです」

「・・・それは」

「この世界に来た私が最初にいた場所は店長の事を迫害する声が聞こえる森でした。そして、現世の関わった人たちにそっくりな容姿の住人たち。孤独でありたいなら外の世界からの影響なんて気にしないはずです。あなたは孤独である方が自分が傷つかないことを知っていても、外の世界で人と繋がりを持つ事を望んでいるんじゃないんですか?」

店長は再び顔を俯けた。

「アリス、君は私の事を何も分かっていないよ。私はウサギくんを傷つけ、君を誘拐し、チェシャ猫くんを死の危険に晒した張本人だ。そして、私は呪いのせいでもうすぐ君たちの記憶の中から消える。僕みたいな危険な存在はこの世界から消えてしまった方がいいんだ」

「・・・何もわかっていないのは店長の方です!」

私は店長の手を握った。店長は顔を上げた。

「店長が求めていたものはまだ壊れていません。私はあなたの本心が知りたくてここに来た。そして、響さんや雪兎くんもあなたと時也くんが帰ってくるのをあの世界で待っています。あなたが『アリスの世界』をかけがいのない居場所だと思っているのと同じくらい、私たちにとってもあのお店は大事な居場所なんです。でも、そこに店長がいないなら、私たちはあのお店で笑えません。・・・それが、あなたがあの『アリスの世界』で築いてきたものです」

私はいつの間にか泣いていた。

「だから、店長、私たちが暮らしていたあの世界を嫌わないでください!・・・帰ってきて、ください!」

店長は牢屋の格子の隙間から手を出すと私の頭を撫でた。

「・・・君と初めて会った時の事を思い出したよ。君は、私のカバンを引ったくった犯人を簡単に倒して私を助けてくれた。その姿は昔夢見ていたヒーローそのものだった。君をバイトとして雇ったのはきっと、君を側において観察すれば、自分に無いものがわかると思ったからだろうね」

私は顔を上げた。その時、私と店長を隔てていた鉄格子が急に消滅した。店長は私の涙を指で拭うといつも通りの優しい笑顔で微笑んだ。

「ありがとう、アリス。私を助けに来てくれて。私はもう外の世界に怯えるのは止めるよ。魔法に頼らずとも困難に立ち向かう勇気さえあれば人は運命だって変えられる。・・・君が教えてくれたことだよ」

私は店長の笑顔につられて笑顔になった。その時、誰かが石段を駆け下りてくる音が聞こえてきた。私と店長が音のした方を向くとそこにはチェシャ猫くんが立っていた。

「チェシャ猫くん!無事で良かった!」

「あいつら、意外と足が速くて巻くの大変だったよ~」

彼はあくびをしながらそう言うと、店長に駆け寄った。

「どうやら、吹っ切れたようだね。帽子屋」

「ああ、何故私が君たちを造ったのか、アリスのお陰で漸く思い出せたよ」

店長は笑顔でそう言うと、今度は真剣な表情になった。

「だから、私も戦わなくてはならない。私の中で好き勝手に暴れている『呪い』という王様とね」

「私も手伝います!」

すると、店長は首を横に振った。

「君にはこの世界を救うよりももっと大事な仕事を頼みたいんだ」

「大事な仕事?」

店長は私の疑問の声に頷いた。

「この牢屋に入る前にチェシャ猫くんが私を呼ぶ声が聞こえた。気になって彼の居場所を探ってみたが、どうやら彼も私と同じで、自身の心に捕らわれているようだ」

「時也くんが!?」

「だから、アリスにはチェシャ猫くんを助けに行ってほしい」

私は店長の言葉に頷くと、肝心なことを思い出して店長にきいた。

「でも、どうやって時也くんに会いに行けばいいんですか?」

「私が送ろう。呪いに魔力をほとんど吸収されてしまったが、君1人を誰かの心に送るくらいの魔力はまだ残っているからね」

店長はそう言うと私の手を取り、呪文を唱えると、私の体は光に包まれた。最後に店長の声が聞こえた。

「アリス、現世でまた会おう」

未来に希望を取り戻したその声に私は大きく頷いた。


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