第8話 運命に抗うアリス
最初はただの庇護欲だった。
昔の私に似ている彼を助けることで自分には価値があるのだと思いたかったんだ。
だから、彼が私に向ける優しい目に意味があることに気づいていたけど、気づかないふりをした。そうすれば、ずっとこの友達の関係を続けられるって思ったから。
・・・ごめんね、時也くん。
・・・こんな卑怯な自分、あなたの側にいる資格なんてないのに。
・・・・・・我儘でごめんなさい。
今、私は心の中でそんな謝罪を繰り返しながら彼の病室にいる。
東都学園の別館が崩壊した事件から5日。私は事件の時、ずっと眠っていたから時也くんと店長が別館の倒壊に巻き込まれたと知ったのは半日経ってからだった。2人とも幸い一命をとりとめたけど、まだ目を覚まさない。そして、私に出来ることは2人が目を覚ますまで待つ事だけだった。
「悪いな、菊乃ちゃん。また来てもらって」
「ううん、私に出来るのはこれくらいだから」
響さんが私の隣に座った。
響さんも事件の現場にいたと聞いて私は要約事件の全貌を教えてもらえた。あの日、時也くんは誘拐された私を助けるために別館に行った事。そして、私を誘拐した店長を助けるために逃げ遅れて別館の崩壊に巻き込まれた事。全てを聞いた時、私の頭に浮かんだのは罪悪感だった。・・・だって、私が誘拐されなければ、時也くんはこんな目に遭わなかったのに。
響さんはそんな私の心中に気づいていたらしく、私の頭を撫でた。
「・・・まだ、自分のせいで時也がこんな事になったって自分を責めてるのか?」
「でも」
「大丈夫だ。時也は2年前の事故で生き残れた強運の持ち主だからな。今はショックで気を失っているだけだ。すぐに目を覚ますよ」
私はその優しい言葉が嬉しくて小さく頷いた。その時、響さんは思い出したように立ち上がった。
「ああ、そうだ!時也の事で話があるって医者に呼ばれてたんだった。ちょっと行ってくる」
響さんは病室を出ていった。
響さんの言葉はいつも優しくて温かい。時也くんが彼を慕っている理由がすごくわかる。・・・でも、この優しさにいつまでも甘えているわけにはいかない。私は静かに立ち上がり、病室の扉を開けた。そこにはある人物が立っていた。
「やっぱり、あなたはじっとしていられないんだね。菊乃さん」
「!雪兎くん、怪我はもう大丈夫なの?」
「うん、もう大丈夫。僕の頭蓋骨は人一倍丈夫だからね。・・・って言いたいところだけど、実のところは致命傷になるような怪我じゃなかったって言った方が正しいかな」
「・・・そう、やっぱり店長は私も雪兎くんも殺すつもりは無かったのね」
雪兎くんは私の言葉を肯定するように大きく頷いた。そして、彼は持っていたA4サイズの封筒を私に差し出した。
「この5日間、店長について色々調べていたんだ。これはその資料だよ。あなたにあげる」
「?どうして私に?」
封筒を受け取りながら首をかしげた私に雪兎くんはにっこり笑った。
「バイトしてる時から思っていたんだ。あなたは僕たちとは違う。あなたは僕たちの救世主。だから、この情報をきっと役立ててくれると僕は信じているよ」
私がそれに答える間も無く、雪兎くんは「じゃあね」と言って去っていった。私は彼が手元に残していった情報を見た。そこに書かれていたのは今まで全く知らなかった店長の過去だった。
店長は幼い頃に両親を亡くしてしばらく施設で暮らしていたが、10歳の時に里親に引き取られた。しかし2年後、その里親に虐待を受けていた事が発覚し、再び施設に送り返された。それからは施設で暮らし、高校卒業と共に施設を出てヨーロッパの小国マルスで就職、資金を貯めて今の店を持ったそうだ。私は資料を読んで、店長が私たちを殺さなかった意味がわかった。
(・・・そうか、店長は昔の私のように家族の愛情を求めていたんだ)
私は資料を鞄に入れると、ベッドで眠っている時也くんに話しかけた。
「時也くん、行ってきます」
短いけれど決意が籠ったその言葉は時也くんに届いたらしく、彼の口角が少し上がった。私は時也くんに微笑むと病室を出た。
やっと、今の私にしか出来ない事がわかった。それは真実を見つける事。
(落ち込むのはいつだって出来る。あの人がいつも言ってた。運命は簡単には変えられないけど覆す事は出来るって。・・・『運命だから仕方ない』なんて私は諦めたくない。力になれるかはわからないけど、今は運命に抗ってやる)
たとえそれがどれ程残酷な真実でも受け入れる覚悟はもう出来ていた。今までだってどんなに受け入れ難い真実でも受け入れてきたんだから。今回もきっと大丈夫。
私は自分にそう言い聞かせながらある場所に向かった。
私は病院前にあるバス停からバスに乗った。事前に確認を取ったところ、目的の人物は職場にいるらしい。昼間の道路は思っていたよりも空いていて、バスは20分くらいで目的地に着いた。
ここは帝都大学の大倉キャンパス。私の同居人2人のうちの1人が通学している大学でもあるんだけど、私がここに来るのは去年の文化祭ぶりだ。半年ぶりに見ても、さすが日本一の国公立大学と名高い大学だなと思う。私が通学している普通の私大とは桁違いの風格を校舎や生徒達から感じる。学力コンプレックスではないけれど、ここに入るたびに少し緊張してしまう自分がいるのは事実だ。
私は小さく深呼吸をすると正門を潜り、同居人に聞いていた場所に向かった。偶然にも目的の人物は同居人の研究室の教授だったのだ。私は研究室の場所を確認し、教授の部屋の扉の前に立った。扉を叩くと中から声がした。
「はい」
「し、失礼します」
私は緊張しながらも扉を開けた。そこには店長にそっくりな人がいた。違うところと言えば、目の前にいる人は眼鏡をかけていて長い後ろ髪を一つに束ねているぐらいだろうか。雪兎くんの資料を読んだ後だから然程驚きはしなかったけど、想像よりも似すぎていて少し感動した。
「君が菊乃さんだね。話は琉(菊乃の同居人)から聞いているよ」
彼は立ち上がると入り口近くのソファーを勧めてきたので、私は彼と向かい合って座った。
「改めて自己紹介するよ。僕は霧崎 優雅。この帝都大学生命科学部教授・・・そして、優介の双子の兄だよ」
私はペコッと頭を下げた後、霧崎教授をじっと見つめた。彼は、そのまま微動だにしない私が面白かったのか、プッと吹き出した。
「そんなに似ているかな?僕と優介は」
「・・・あっ、すいません」
「構わないよ。僕と優介はよく間違えられていたからね。今更さ」
霧崎教授は一通り笑うと、真剣な表情になった。
「君は優介の店で働いていたんだってね。・・・優介はどんな人だったかな?」
私は彼の口から急に発せられた質問に驚いた。そのままフリーズしている私に教授は続けた。
「実は優介とは10歳の時に離ればなれになって以来、一度も会っていないんだ。僕たち2人はあの施設で浮いていたせいか、お互い以外に親しい子供もいなかった。あの場所は僕たちにとってあまりいい思い出のない場所だから、余計に会おうという気になれなかったのかもしれないな」
「・・・もしかして、何か他の子とは違う才能があったから、とか?」
彼は驚きの顔になったけど、同じく孤児院出身の私には、容姿・生い立ちの差別以外で孤児院の子供の集団の中で浮く理由はそれしか思い付かなかった。霧崎教授は大きく息を吐くと呟いた。
「その通りだよ。僕と優介には生まれた時から特殊な能力があった」
「能力?」
「・・・君は魔法を信じるかい?」
彼の言葉に私は首をかしげた。
「世の中の人々が魔法と呼んでいる能力を僕たちは生まれつき持っていた。特に優介の魔力は相当なものだった。小さい子供が魔法があったらやりたいと思うことのほとんどを出来るほどだったよ。・・・だが、それはこの日本においては差別の対象にしかならない厄介な能力以外の何者でもなかった」
私は俯いた。人は無意識に自分の常識で相手を計ってしまう生き物だ。そして、その人が自分の常識では計れない存在なら「自分とは違う」と距離を置いたり、更にその人の能力が他の人の「普通」とも違えば集団で差別する。店長が私たちに秘密主義になっていた理由がようやくわかった気がした。そして、店長がこの日本ではなくマルスで就職した理由も。
(マルスは魔術師の国だって琉が言ってた。・・・もしかしてマルスにいた間に店長に何かあったのだとしたら)
考え始めて黙りこんだ私に霧崎教授は首をかしげたが、私が顔をあげると申し訳なさそうな顔で言った。
「僕があいつについて知っているのはこれで全てだよ。ごめんね、あまり役に立てなくて」
「いいえ、店長の隠していた一面がわかったので充分です。・・・あの、他に店長と関わりのある人、誰か知りませんか?」
「うーん、そうだな・・・」
教授は手帳を捲りながらしばらく考え込んでいたが、思い出したように言った。
「そうだ、琉のお兄さんの玲魔くんなら何か知っているかもしれないな。彼も魔術師だから、優介と関わりがあったかもしれない」
「玲魔さんは今どこにいるんですか?」
「自分の部屋に閉じ籠ってるんじゃないかな。案内するよ」
明宮 玲魔さんはまた偶然にも霧崎教授と同じく生命科学部の教授だそうで、玲魔さんの部屋は霧崎教授の部屋の4つ隣の部屋だった。 霧崎教授が扉をノックすると中から声がした。
「はい」
「霧崎だ」
「どうぞ」
霧崎教授が扉を開けると、部屋の中にいたのは少し長めの金髪に青い目の美青年だった。私はその綺麗さにしばらく硬直してしまった。青年、玲魔さんは私の反応が面白かったのかクスッと笑った。その声で私は我に返った。
「す、すいません!」
「別に構わないですよ。日本に来てから先ほどのような反応を返されるのにはもう慣れましたから」
玲魔さんは私たちを部屋に入れると先程まで座っていたデスクから来客用のソファーに移動してきた。名乗っていなかったことを思い出し、私は喋り始めた。
「・・・あの、私は」
「因幡 菊乃さんですね。いつも琉がお世話になっています」
名乗るよりも先に素性を言い当てられて呆然としている私に、玲魔さんは続けた。
「すいません。驚かせてしまいましたね。僕の生まれ持った能力は読心能力。相手の心の内が読める能力なんです。だから初対面のあなたの素性もわかったんです」
そう言うと、玲魔さんは胸ポケットに入れていた眼鏡を掛けた。
「安心してください。普段はこうやって眼鏡で制御していますから」
(読心能力・・・時也くんの能力と同じだ)
玲魔さんは私をじっと見つめた。サファイアのような綺麗な瞳でみつめられ、私は顔を少し下に背けた。
「あの、何でしょうか?」
「僕に素性を言い当てられた時はすごく驚いていたのに『読心能力』と聞いてもあまり驚かない。・・・もしかして、身近な人に僕と同じような能力を持った人がいるんじゃありませんか?」
私は驚きの表情で彼を見た。
「その顔は図星ですね」
「・・・はい」
「それで、あなたはその人のために僕に読心能力の制御の仕方を教わりに来たというところでしょうか?」
「ええと、それもききたい事なんですけど、今回はそうじゃなくて・・・」
私の言葉に首をかしげた玲魔さんに、私の代わりに霧崎教授が説明した。
「玲魔くんが僕の双子の弟、霧崎 優介について何か知ってるんじゃないかと思って訪ねてきたそうだよ」
私の訪問理由に納得した玲魔さんはソファーの肘掛けに肘を乗せ、店長の事を思い出し始めた。
「・・・霧崎 優介・・・・・・魔力・・・魔術師・・・」
しばらく玲魔さんがブツブツと呟く音が部屋の中に響き、10分ほど経って、玲魔さんは口を止めた。
「何か、心当たりがあったみたいだな、玲魔くん」
「・・・ええ、随分と昔の事でしたので、思い出すのに時間が掛かってしまいましたが」
玲魔さんは霧崎教授にそう返すと話し始めた。
「ちょうど10年前、僕は王族であることを隠し、マルスで生活していました。その時、ある青年が僕に弟子入りを志願してきたんです。その青年が霧崎 優介さんでした」
「優介が玲魔くんに弟子入り?」
「ええ。しかし、弟子入りしていたと言ってもほんの1年程でしたので、思い出すのに時間が掛かってしまいましたが」
玲魔さんは霧崎教授をじっと見つめると続けた。
「成程、優雅さんと初めて会った時に感じた懐かしさはそのせいだったわけですね」
玲魔さんは、複雑な表情になった霧崎教授から目を逸らすと私に向き直った。
「実は、最初は彼の弟子入りを断るつもりだったんです。王族として殺されるはずだった僕に関わるという事は常に危険に晒される事と同義ですから。『それでも構わない』と彼は言いました。『自分には帰る場所など無く、前に進むしかないから』とね。その熱心な態度に負けて、僕は彼の弟子入りを許しました」
そこで玲魔さんは口を止め、俯いた。
「・・・でも、今思えば、彼の弟子入りを許すべきではなかったかもしれませんね。彼が僕の弟子になって1年後、彼は僕を付け狙っていた魔術師、ガルダの弟子になり、僕の元を離れていきました。それ以降、彼に会う事はありませんでしたが、まさか日本にいたとは」
「玲魔さん、店長は小さい頃からずっと大勢の人間に偏見の目で見られ続けていたそうです。そんな店長が本人の意志で、同じく能力の所為で辛い目に遭ってきた時也くんを付け狙うなんて考えられません。そのガルダっていう魔術師が店長に何かしたんじゃないかと私は思っています。・・・それに、響さんが言っていた事も気になりますし」
「どんなことですか?」
「別館が倒壊する前にある図形が見えたそうです。丸印の中に星形がある、それこそ魔術書の表紙にありそうな図形が」
玲魔さんはその言葉を聞くと小さく呟いた。
「・・・成程、呪詛ですか」
私はその聞きなれない言葉に首を傾げた。
「呪詛?」
「簡単に言うと『呪い』ですよ。ガルダの呪術は特にタチが悪く、ある条件を満たすと呪いが発動するように設定されるものがほとんどです。優介さんの体にはその手の呪いが掛けられていた可能性が高いですね」
「じゃあ、店長が時也くんを狙ったのは」
「どのような条件かはわかりませんが、ガルダの呪いを解くためでしょうね」
「店長の呪いを解く事は出来ませんか?」
玲魔さんは悲しそうな表情で首を横に振った。
「残念ながら、呪詛は掛けた本人にしか解く事は出来ません。せめて、呪詛の条件さえ分かれば二度と発動させないように気を付ける事は出来ますが、その条件すら分からないとなると、僕でもどうしようもありません」
「・・・じゃあ、玲魔さんの能力を私が借りる事は出来ませんか?」
玲魔さんは私の言葉の意味がわからなかったらしく、呆然とした。
「すいません、説明不足でした。ええと、呪詛発動の条件さえ分かれば店長が呪いに苦しむ事は無いんですよね?じゃあ、店長の心の中を覗けばその条件がわかるんじゃないか、と思ったんです」
「・・・要するに僕の読心能力を借りて彼の心を覗いて呪詛の条件を探したい、ということですね」
私は頷いた。玲魔さんはしばらく俯いて考え込み、顔を上げた。
「他人に能力を貸すことはやった事がありませんが、試してみる価値はありますね」
「じゃあ協力してくれるんですか!?」
「優介さんがガルダに呪いを掛けられたのは僕の失態でもあります。それに、いつも琉が世話になっているお礼です」
玲魔さんはそう言うと、霧崎教授に向き直った。
「優雅さんも一緒に来てください。弟さんに万が一の事があれば協力をお願いします」
「力になれるかは分からないが、わかった」
私たちは早速先程まで私がいた病院に向かった。この前偶然知ったことだけど、店長は時也くんと同じ病院に入院しているの。響さんがそうなるようにしたみたい。「そうすれば、2人が同時に目を覚ましてもすぐに会えるからな」と響さんは言った。どうやら、響さんも店長の事が好きだったらしい。私は以前聞いていた病室まで来て扉を開けた。店長は2日前に来たときと変わらずベッドに仰向けのまま静かに眠っている。霧崎教授は店長を見て呟いた。
「・・・まるで、ドッペルゲンガーみたいだな」
「はい、霧崎教授を見た時、ほんとにそっくりだなって思いました」
私は教授の言葉にそう返した。玲魔さんは店長の体を調べ始め、首元の図形の痣に気づいた。
「成程、ここに呪詛が掛けられていたんですね。恐らく、菊乃さんの知人が見たのは呪いが発動する直前の光りだったのでしょう」
玲魔さんはそう呟きながら私に自分が着けていたブレスレットを渡してきた。
「これは?」
「意思疎通の魔法道具です。本来は離れている人間との連絡用の道具なのですが、連絡を取る相手がたとえ異世界にいても連絡が取れるハイテクなものです。・・・一般人が人の心の中に入るなんて、何が起こるかわかりませんから念のため身に付けていてください」
私は頷くとブレスレットを装着した。
「それでは菊乃さん、優介さんの手を取ってください。あなたの意識と優介さんの心を繋ぎます」
「わかりました」
私は店長の手を取った。・・・店長の手は相変わらず少し温かい。そう言えば、「あの人」の手の感覚と少し似ていて、初めて店長の手に触れた時、懐かしくて泣きそうになったな。
私がそんな事を思っていると玲魔さんが私の肩に手を置いた。
「それでは、行きますよ」
「・・・はい!」
玲魔さんの手から発せられた光が私を包む。私は思わず目を瞑った。