第4話 情報屋白ウサギ
2年前の事故以来、僕には2つの変化が起きた。1つは人の心の声が聞こえるようになった事、もう1つは解離性同一性障害、所謂多重人格だ。元々僕だったはずのそいつは主人格の僕とは少し違う部分がある。
まず、彼は頭が良い。僕が死ぬ程勉強しても彼には一生勝てないだろう。
2つ目は、洞察力が鋭い。例の奴らに絡まれた時に隙をついて逃げるのはいつも彼の役目だ。彼は僕よりも器用に逃げられるから。
そして、ここが決定的に違うんだけど、彼はコミュニケーション能力が高い。いくら誰とも馴れ合わずに生活しようと努力しても、どこかで人と関わらなくてはいけない場面はやってくる。例えば買い物の時は店員さんに会計を頼まないといけないし、レストランで食事する時は店員さん相手に注文しなければいけない。「インターネットがあるじゃん」と思う人がいるかもしれないけど、1回騙されてから僕はインターネット通販を信用しなくなり、必ず直接お店に行って買い物をしている。しかし、前にも言った通り僕は人見知りが激しいため、外での買い物は基本的に彼に頼んでいる。その影響で僕が今着ている服を含め、私服はほとんど彼の好みのものとなっていて、僕は仕方なくそれを着ている。以前、この服について異議申し立てをしたところ彼はため息をつきながらこう言った。
「だって時也は顔が綺麗だし、こういう特定の人間しか似合わない格好も似合うかなって。まあ、猫の服は僕の好みだけど。そんなに嫌なら自分で買いに行ってきたら?」
僕は反論できなくなった。人混みが苦手な上に初対面の人間相手だとまともに話せない僕が彼の協力無しに買い物に行けるわけがない。結局僕は諦めるしかなかった。
僕がその事を思い出して大きなため息をつくと、彼は急に尋ねてきた。
『ところで時也、明日はどこに行くの?』
「アリスの世界に行ってくるよ。例の奴らの事、何かわかるかもしれないから。何でも情報屋をやってる子がバイトにいるんだって菊乃が言ってた」
『・・・時也、その菊乃ちゃんっていう子の事、気になってるでしょ?』
僕は顔が真っ赤になった。彼はクスクスと笑った。
『君は相変わらず嘘をつくのが下手だね』
「べべ、別にそんなんじゃないって!ただ、その、あの子の側にいると雑音だらけの世界が静かに思えるから一緒にいて落ち着くっていうか」
『勿論、わかってるよ。さっきのはちょっとからかってみただけ』
僕ははあ~とため息をついた。彼はたまにこうして僕をからかう。彼の方が不思議の国のアリスに出てくるいたずら好きなチェシャ猫みたいだ。
僕はふと時計を見た。もう夜の10時を回っている。彼もそれに気づいたようだ。
『ああ、もうこんな時間か。もうそろそろ寝た方がいいんじゃない?』
「うん、そうするよ。おやすみなさい」
『おやすみ、時也』
彼はそう言うと僕の中に引っ込んでいった。僕は鏡で自分の顔を見ながらふと思った。
(彼は本当に僕なんだろうか)
以前もそういう疑問が湧いて解離性同一性障害について調べたところ、別人格が主人格と同じ性格になることはほぼ無く、主人格の憧れを描写した性格の別人格が構成されることが多いらしい。それを見た時、確かにコミュニケーション能力が高く、何事も器用にこなす彼は僕の憧れなのかもしれないと納得した。僕は大きな欠伸をすると寝巻きに着替えてベッドに入った。そして、今日体験した事を思い出しながら眠りについた。
次の日は土曜日で休日だった。僕は朝7時に起きて朝御飯も食べずにパソコンを立ち上げた。電子音ソフトで曲を作るのが僕の唯一の趣味で、昼から出掛けないといけないから今作成中の曲を午前中に作ってしまおうと思ったのだ。
電子音は人間の感情が籠っていないから聴いてて苦にならない。僕が普段ヘッドフォンで聴いているのはほとんどこの電子音の曲だ。今は全国に沢山の電子音ソフトの曲作りをしているプロデューサーがいて、電子音のソフトの種類も増えている。僕が使っているのはちょうど2年前に売り出された電子音ソフト「DAISY」。DAISYの声はRPGの女主人公っぽい明るめの声だから今作っている曲もストーリー性のある曲なんだ。でも、もうそろそろ題材にする物語も尽きてきた頃かな。これを作り終えたら次はどんな曲を作ろうか。
(何かあるかな?今まで使った事のない物語で、曲を作りやすいやつ)
その時、ふとアリスの格好をした菊乃が思い浮かんだ。
(そうだ!今度は不思議の国のアリスにしよう!ていうか、何で今まで思い付かなかったんだろう!)
不思議の国のアリスはメルヘンでストーリー性もあり、曲にするのにぴったりの題材だ。題材が決まってしまえば後は早い。僕は作業速度を上げ、以前から作っていた曲を仕上げ、出掛ける時間になるまでに新しい曲の作曲を終わらせた。
(作詞は今日帰ってからやろう)
僕が出掛ける支度を終えて1階に降りるとリビングで寛いでいる一ノ瀬先生、いや響に会った。昨日の騒動のせいで言い忘れてたけど、響は真子さんの一人息子なんだ。僕は一ノ瀬家に世話になっている事を校長以外には話していないし、学校では先生と呼べって言われてるから生徒たちは誰も知らないけど。
「時也、今から出掛けるのか?」
「うん、アリスの世界に行ってくる」
響はそれを聞くとゆっくり立ち上がった。
「じゃあ、俺も行こうかな」
「えっ、何で?」
「親父に聞いたぞ。昨日、あのクズ野郎が来たそうだな。蹴られた腹は大丈夫なのか?」
「うん、平気」
「そりゃ良かった。驚いたぜ。あの男を追い返したのが親父じゃなくて菊乃ちゃんだったって聞いてさ」
「えっ?菊乃と知り合いなの?」
「・・・お前、俺がアリスの世界の常連だって事、忘れてるんじゃないか?」
僕はその言葉を聞いてようやく思い出した。
「今週は忙しくて中々あの店に行けなかったから優介さんの淹れてくれるコーヒーが飲みたいんだよ。ついでに時也が世話になったからそのお礼を菊乃ちゃんに言っとこうと思ってな」
響は一見チャラいけどこういうところはきちんとしている。やっぱり真子さんの息子だな。
その後、僕と響はビジネス街まで歩き、アリスの世界までやって来た。今日は休日だからか、昨日よりもお客さんが多い。バイトも昨日は菊乃だけだったんだけど、今日は菊乃を含めてバイトが3人いる。1人は白ウサギの格好をした金髪に青い目の美少年、もう1人はハートの女王の格好をした赤い髪の美少女。今日わかったけど、このお店の繁盛の理由はバイトと店長の顔面偏差値の高さにあるんじゃないだろうか。勿論、響みたいにこの店のコーヒーが好きで来ている人もいるんだろうけど。僕たちが店に入ると菊乃が駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ!・・・あれ?響さん、時也くんの知り合いだったの?」
「ていうか、同じ家に住んでんだよ。俺は真子さんの息子だからな」
「へえ、そうだったんだ!ああ、そういえば、どことなく響さんって真子さんに似てるかも。女装したら更にそっくりかもね!」
「それは勘弁してくれ」
その時、優介さんが菊乃に声を掛けた。
「アリス!早くお客さんを席に案内して!今忙しいんだから!」
「はい、店長!では、お席の方にご案内します!」
菊乃はにっこり笑うと僕たちをカウンター席に案内した。菊乃は僕たちを優介さんの真ん前の席に案内すると別の席のお客さんのオーダーを聞きに行った。
「注文は何にしますか?」
「ホットコーヒー。時也、お前はやっぱりチョコレートパフェか?」
僕は響に尋ねられて小さく頷いた。僕は、店内を忙しく動き回る菊乃を目で追った。店内のお客さんたちは菊乃の笑顔に癒されに来る人がほとんどらしく、僕と同じように菊乃を目で追っている人が結構いる。
「アリスは働き者だろう?あの子は正にこの店の太陽なんだ。いるだけで店の雰囲気が優しくなるんだよ」
僕が菊乃を見ていることに気づいていたらしく、優介さんがそう声を掛けてきた(ついでにチョコレートパフェも僕の目の前に来た)。僕は優介さんの言葉に少し笑って頷いた。その時、響がホットコーヒーを飲みながら僕の事をニヤニヤしながら見ていることに気づいた。
「・・・何?」
「一応言っとくが、あの子、競争率高ぇぞ。客に告白されてる場面を何度も見たし、出前先のこのオフィスビルの企業は皆彼女を欲しがってるって噂だしな」
「噂じゃなく本当だよ。彼女はああ見えて有能だからね。あんなに華奢なのに空手の腕前は達人レベルっていうのもギャップがあるよね」
優介さんがそう付け加えた。響はそれでやっとわかったらしく、僕に耳打ちした。
「・・・ああ、昨日家の塀を破壊したのあの子か」
「うん。すごかった」
僕は昨日の事を思い出してそうとしか言えなかった。ちなみに、一ノ瀬家の塀は真子さんが修理業者に依頼済みで、明日の夕方に補修が完了する予定だ。
僕がチョコレートパフェを食べ終えた頃、要約アリスの世界は昼の忙しいピークを越えたらしく、お客さんは僕と響以外誰も居なくなった。せわしなく店の中を走り回っていた菊乃が僕の隣りに座り、残りのバイト2人も菊乃の横に並んで座った。
「皆、お疲れ様。ちょっと待ってて、昼御飯作るから」
優介さんは僕たちの側から離れて料理を始めた。菊乃は自分の横に座った白ウサギの格好をした子を僕に紹介した。
「時也くん、この白ウサギの格好した子が昨日話してた情報屋さんだよ。名前は高峰 雪兎くん」
「はじめまして、君の事は菊乃さんに今朝聞いたよ。ちょっと待っててね」
雪兎さんはそう言うと従業員控室に行き、パソコンを持ってきた。
「基本的に依頼人と直接会う事は無いんだ。僕、表だけでなく裏の情報もたくさん持ってるから、直接接触するのは危険が伴う事もあるからね。でも、今回は特別だよ」
「えっと、ありがとうございます」
「アハハ、敬語使わなくていいよ。僕まだ16歳だし、2歳しか違わないんだから」
「う、うん、ありがとう」
響は僕の態度を見てクスッと笑った。
「珍しいな、時也がこんなに初対面の人と喋るなんてな。この店の雰囲気のおかげかもしれねえけど」
「う、うるさいな」
僕は俯きながらそう呟いた。そう言っている間にも雪兎くんはパソコンを高速で操作している。菊乃が画面を横から覗きこんだ。
「今って何してるの?」
「昨日の午前12時半頃の防犯カメラの映像を解析して、時也くんを探してるところ。ちょうどこれくらいの時間に怪しい奴らから時也くんを助けたって菊乃さんに聞いたからさ」
雪兎くんは5分ぐらい経つと手を止め、僕に映像を見せてきた。
「これ、時也くんだよね?」
そこには昨日男たちに囲まれた僕が映っていた。僕が頷くと雪兎くんは別アングルから撮られた映像も同時に画面に出すと、スマホを取り出し、何か画面に打ち込み、パソコンも操作するという神業をやり始めた。しばらく雪兎くんがパソコンのキーボードをタイピングする音とスマホを操作する音が響き、雪兎くんは要約手を止めた。
「あの、雪兎くん、こいつらが何者かわかったの?」
「うん、こいつら何処かで見覚えあると思ったら、請け負い業者だったよ」
「請け負い業者?」
「依頼人の依頼で動く雇われの何でも屋の事。こういう手の裏の業者は偽造・誘拐・殺人、犯罪紛いの事も請け負う厄介な奴らだよ。ただ、君を狙っているこいつらはド素人に近いと思うけどね」
僕が(何でそんなことがわかるんだろう)と思っていると雪兎くんが説明してくれた。
「こういう奴らは危険な商売や仕事をしているから人一倍慎重なんだ。例えば、特定の人物の誘拐を頼まれて失敗した場合、もっとその人物の身辺や行動の調査・自分達の犯行だとバレない場所の特定に時間を掛けてもう一度犯行に及ぶのが普通だ。でも、君は短期間で何度も頻繁に狙われてる。場数で何とかしようとする素人丸出しの仕事だよ」
更に雪兎くんはパソコンの画面を指でなぞりながら続けた。
「それに、この手のプロが一番恐れるのは映像・記録が残ることなんだ。日本の鑑識・鑑定技術はすごく進歩してるから、ちょっと映像が残っただけで身元を特定されかねない。複数の監視カメラに犯行の瞬間を撮られるなんて論外だね」
・・・成程。確かに、別人格とはいえ中学生の標的に何度も逃げられている点から考えても、彼らはプロの請け負い業者である可能性は低いだろう。その時、今まで黙って話を聞いていた響が雪兎くんに尋ねた。
「依頼主は特定できそうか?」
「難しいですね。彼らがプロだったなら依頼料が法外な事が多いので特定は出来たかもしれませんが、こんなド素人たちなら一般人でも格安で簡単に雇えますから」
雪兎くんは響にそう答えながらパソコンを閉じた。
「とりあえず、今回提供できる情報はこれだけだよ。後は粘り強くこの周辺で聞き込みをしてみるから、何か分かったら教えるよ」
「うん、分かったよ。ありがとう、雪兎くん」
「いえいえ、これが僕の仕事だからね」
その時、優介さんがパンと1回手を叩いた。
「さあ、休憩はおしまい。皆、午後もよろしく頼むよ」
「「「はい!」」」
バイトたちは店長の言葉に元気よく答え、カウンターを離れていった。すると、響もカウンターの椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、俺たちも帰るか。これ以上長居したら迷惑になりそうだしな」
「うん、そうだね」
響は優介さんに飲食代を支払い、出入り口に向かった。僕も響の後に続いて店を出た。
「また来てね!時也くん!」
店を出る時に菊乃が笑顔で手を振ってきたので、僕は少し笑って小さく手を振り返した。
店を出てすぐ、ビジネス街近くのショッピングモールに用があった響と別れて僕は家路に着いた。
この時点で気づくべきだったんだ。
物事がうまく進んでいる時には決まって不運な事が起こるって。