第2話 アリスの世界
僕は自己紹介をした後、彼女・菊乃の顔を見つめたまま固まっていると、菊乃はそれを疑問に思ったのか首を傾げた。
「あの・・・大丈夫?」
「・・・え?あ、ああ、大丈夫!その君の格好が珍しかったから驚いて」
「ああ、この服ね。これ、バイト先の制服なの。知ってる?ここから10分ぐらいのところにある『アリスの世界』っていう喫茶店」
「うん、知ってる。うちの化学の先生がたまにそこでコーヒー飲んでるって聞いた事ある」
僕はそこまで話を聞いて(あれ?)と思った。冷静になって考えたら今は平日の昼間。高校生以下の学生はまだ学校にいる時間帯だ。・・・この子、一体何歳なんだろう。
「・・・もしかして、何で平日の昼にバイトなんかしてるんだろうって思ってる?」
僕は心の中を見透かされてビクッとした。彼女はクスッと笑った。
「私、こう見えても大学4年生なんだよ。今日は講義が無い日なの」
僕は唖然とした。信じられない!だってその言葉が本当なら彼女はとっくに成人しているという事だ。全然年相応に見えない。何なら僕と同じ年でもおかしくない外見をしている。
「驚いた?この格好してるとよく間違えられるんだよね。さっきも学校をサボって徘徊している中学生に間違われて補導員に声かけられたし。ほんと、失礼しちゃうわよね」
・・・そうやって頬を膨らませて怒る子供のような仕草のせいじゃないだろうか。
僕はそう思ったけど口には出さなかった。彼女はふと思い出したように僕をじっと見つめてきた。
「え?何?・・・いや、何ですか?」
「そういえば、あなた中学生でしょ?何でこんな時間に街を歩いてるの?」
僕はギクッとしたと同時に驚いた。僕は身長は人並に166cmで顔もそこまで童顔じゃないため17,8歳に見られることが多い。それなのに彼女は僕が中学生だと見抜いたのだ。
「あの、何でわかったんですか?」
「首元を見れば大体の人の年齢はわかるの。そういう教育を受けてきたから」
彼女はそう言った後、僕が補導員に突きだされると怯えていると思ったのか続けた。
「安心して。補導員に突きだしたりはしないから。それに、年下だからって私に敬語も使わなくていいよ」
「え、でも、僕はあなたより8歳は年下だし、そんな相手に敬語なしで話すのは気が引けるというか」
「さっきまで普通だったのによそよそしくされる方が嫌なの。私のことは同じ年だと思って接してよ。それに、年下の子に同じ年みたいに接してもらえたらなんか若返った気がするから実はちょっと嬉しいの」
そう言って「えへへ」と笑う菊乃が可愛くて僕は目を逸らせなくなった。その時、菊乃はいきなり僕の手を取った。
「あの、今度は何?」
「すっかり忘れてたけど、私、バイト中だった。店に戻らなきゃ。・・・詳しい話はそこで聞くわ」
そう言えば、さっきの連中の事、まだ彼女に話してなかったな。巻き込んでしまった以上話さないわけにはいかないのだろうか。でも、彼女を巻き込んでいいものか。僕はそう迷いながらも菊乃についていった。
喫茶店「アリスの世界」は菊乃の言う通り僕たちが居た場所から10分ほど歩いたところに建っているオフィスビルの地下にあった。(こんな辺鄙なところにある喫茶店にお客が来るのだろうか)と僕が思っていると菊乃が教えてくれた。
「確かに地下にあるから穴場の喫茶店かもしれないけど、ここのコーヒーはおいしいって評判でね、このビルで働いている人は結構出前を頼んでくれるのよ」
「・・・もしかして、その恰好で出前に行くの?」
「勿論。この格好で行った方が良い宣伝になるし、ビルの管理者の許可ももらってるし、問題ないのよ」
菊乃は僕の疑問にそう答えながら店の扉を開けた。さすが「アリスの世界」というメルヘンな名前を掲げている喫茶店だ。内装はレトロな雰囲気に統一されていて、大きなカウンターが一つとテーブル席が3つあるだけの小さなお店だが、店内は静かでとても落ち着く。今の時間帯は会社でいう昼休みのはずだが、出前サービスの影響であまり直接食べに来る人は少なく、むしろ休日に直接休みに来る買い物帰りの人の方が多いらしい。菊乃は、カウンター前でコーヒーカップを磨いている30代前半ぐらいの優しそうな顔立ちの男性に話しかけた。
「店長、ただいま戻りました」
「お帰り。遅かったじゃないか。また随分と遠くまで出前に行っていたんだね」
その時、店長さんは僕に気付いた。
「おや、そちらの男の子は?」
「鮎沢 時也くん。ちょうどそこでお友達になったんです」
「と、友達?」
菊乃は僕を見つめて首を傾げた。
「嫌なの?」
「いや、そんなことない、けど。・・・ああ、店長さんですか?はじめまして、鮎沢 時也です」
僕は菊乃から目を反らした後、店長さんにそう挨拶した。店長さんはにっこり笑って返してきた。
「こちらこそはじめまして。私は霧崎 優介。ここの店長だよ。これから贔屓にしてもらえると嬉しいな。可愛いチェシャ猫くん」
僕は(チェシャ猫?)と首を傾げたが、思い出したように自分の全身を見渡した。・・・そういえば、僕の格好って不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫みたいだな。菊乃は僕の格好を見てやっとわかったらしく、クスッと笑った。
「確かに。私が今アリスの格好してるから余計にそう見えるかも。そうだ、時也くん、こっち」
菊乃は僕の手を引き、カウンターに座らせると自分も横に座った。優介さんは、菊乃が僕の隣りに座った事で思い出したように言った。
「そう言えば、まだ昼ごはんまだだったね。待ってて、今作るから。ところでチェシャ猫くん、君は何か食べたい物あるかい?」
「あの、あまりお金持ってないので」
「タダでいいよ。うちのご自慢のアリスがお客さんを連れてくるなんて君が初めてだし、特別サービスさ」
「・・・じゃあ、チョコレートパフェを」
「了解」
優介さんはそう言うと僕たちに背を向けて料理を作り始めた。すると、菊乃が本題に入った。
「それで、あいつらは一体何者だったの?あなたの名前を知ってたって事は、無差別な誘拐犯ってわけじゃなくて時也くんをピンポイントで狙ってきたってことよね。何か理由があるの?」
僕はまだ話すべきか迷っていたため、口をつぐんだ。菊乃は僕の態度を見て察したのか続けた。
「まあいっか。人間、他人に話したくないことの 1つや2つあるでしょうし。無理にはきかないわ。・・・でも、これだけは覚えてて」
菊乃は僕の手を取った。
「人の出会いは一期一会。人との繋がりだって同じこと。良い縁も悪い縁も含めて全て偶然から生み出されるものなんだよ。人は絶対誰かと繋がって生きてる。だから、自分は一人きりで孤独だなんて思わないで。少なくとも私は時也くんが困っていたらどんな理由があっても助けるよ」
「君は優しすぎるよ。何で今日初めて会った僕のことをそこまで信用できるのさ」
「・・・あなたが人との繋がりに苦しんで助けを求めている顔をしていたから、昔の私みたいに」
僕はその言葉に疑問を持って菊乃に振り向いたけど、菊乃が一瞬寂しそうな表情をしたからそれ以上問いかけるのを止めた。その時、タイミングよく僕の前にはチョコレートパフェ、菊乃の前にはオムライスが置かれた。
「お待たせ」
「相変わらず美味しそう!いただきま~す」
菊乃はオムライスを一口食べると、とても至福の顔をした。やっぱり菊乃の笑顔には癒しの力がある。
(可愛い)
そう僕が思っていると、優介さんが話しかけてきた。
「ほら、チェシャ猫くんも食べて食べて」
「は、はい。いただきます」
僕はチョコレートパフェを食べ始めた。ちなみに優介さんの声は菊乃と同じくらい珍しい色だ。静かに凪いでいる海の色。それも含めてこの店の静かで落ち着く雰囲気が作り出されてるんだなって思う。
「どう?美味しい?」
「はい、美味しい、です」
「それは良かった。また食べたくなったらこの店においで。何ならここでバイトするかい?」
「いや、それはちょっと。僕はまだ中学生ですし、それに・・・接客は苦手で」
(また人の心の奥底に秘めた声が聞こえてきそうで怖いから)
優介さんは、俯く僕をじっと見つめた後、笑顔で続けた。
「まあ無理強いはしないよ。君は少し人見知りなようだし、さっきのアリスとの会話を聞いていると訳ありのようだしね。気が向いたらいつでも働きにおいで。ここはそういう訳ありのバイトがたくさんいるからいつでも大歓迎だよ」
「ありがとうございます」
僕はそれから時が経つのも忘れてこの「アリスの世界」で閉店時間の午後5時までのんびりした。この喫茶店が穴場だと言った菊乃の言葉は本当で、閉店時間までほとんど客は来なかったから割とゆっくりできたのだ。
(こんなに静かな世界もあったんだな)
この時僕はまだ知らなかった。
別世界のようなこのお店と菊乃というアリスに巡り会えたことが、この先の僕の人生を大きく変えるような事件に発展することを。