親衛隊長の厄日
「うっ・・・・」
天上の神々が作りたもうた至高の芸術品は、あでやかな紐で縛り上げられ、床に転がされた状態で目を覚ました。頬にかかる乱れた髪がたいへん色っぽい。
その様子を見た親衛隊長は、自分が女好きで特殊な趣味を持っていなくてよかったと心の底から思った。
「あ。起きたようだね」
「おい、大丈夫か」
「・・・・頭は大丈夫ですか」
少し離れた場所からから声が降ってくる。
ルイは半分だけ覚醒した頭で、状況を整理した。
どうやらここは先ほどいた部屋のようだ。
縛られ、床に転がされている自分の身体。
茶を飲みながら、自分を見下ろしてくる人影たち。
だが、そこに敬愛する主の姿はない。
「雷矢様は・・・?」
目の前にホークとオーリーがいる以上、雷矢様は近くにいるはず。すぐに向かえるようにと、四肢に力を籠めると、動きを封じている紐が思った以上の強度で体に食い込んだ。
「第一声がそれか・・・。」
「どうやら、ロリコンに目覚めたわけではないようですね」
宰相補佐官と親衛隊長が少し疲れた表情で、黒髪の従者を見つめる。
「つか、何で、城にいるはずのお前がこんなところにいたんだ。しかもあんな10歳前後の少女に色気たっぷりで迫って・・・」
湯呑を置き、近づきながらホークが尋ねる。
「迫ってなどいない」
ムッとしてルイは言い返した。
自分が雷矢様以外に迫る?ありえない。
「では、何をしていたと? 正直に答えなさい。えぇ、正直に。」
やたら黒いオーラを出しながら、司法も管轄する有能な宰相補佐官はほほ笑んだ。
本気で怒ると、彼の瞳の色は薄緑から深赤に変わる。
その笑みに、スネに傷を持つ親衛隊長が汗を流す。何かいろいろ思い出したようだ。
「オーリー。ちょっと落ち着け。言い分を聞く前からその顔はやめろ。」
だが、彼はほほ笑む顔を維持しながら、冷めた目で二人を眺める。
眼鏡の縁にできた紅い影が、彼の心情を物語っていた。
「ふふふ。君たち面白いね」
ふと、それまで黙っていた舞姫が、鈴のような声で口元を抑えながら笑い出した。
ルイの眉間にしわが寄る。
もとはといえば、こいつがあんなことを言い出したのが原因だ。
そのせいで、自分は敬愛し尊敬し何を置いても仕えると決めたただ一人の主に誤解され、リンゴ飴アタックをくらい、縛られて床に転がされているというのに。
鼻につく笑い声をとめてやろうと、靴に仕込んだ隠し刀を起動させ、縛られている紐の一部を切る。
少しはやり返さないと気が済まない。
不快な気分を隠そうともせず、ルイは暴れ馬のような瞳でにらみつけた。
その視線を受け、ようやく相手も態度を改める。
「あはは。ごめん。まさかあんなに面白いとは思わなかったよ。
けど、誤解はちゃんと解いた方がいいかな? 彼のさっきの行為は、私のお願いなんだ。口説いていたわけじゃなく、医療行為の一環みたいなものだよ。」
「どういうことだ」
「どういうことでしょう」
医療行為という言葉に疑問符を浮かべる二人。
そんな彼らに舞姫は分かりやすく説明する。
「私の妹は八年前の内乱で両親を失い、心に傷を負ってしまってね。
一時は見ることも聞くことも話すこともできなかったんだ。けれど、それも時間をかけて少しずつ治っ てきた。あとは、声さえ戻れば以前と同じ・・・。
だから、多少強引でも、つい声をあげてしまうような強いショックを与えれば戻るんじゃないかと思っ て、そこの彼にお願いして、その状況を作り出してみたんだよ。」
「強い・・・」
「ショック・・・」
思いがけず、しんみりするような話に戸惑う二人。
確かに、目の前の芸術品ともいえる男に切なげな表情で色気たっぷりに口説かれるのは、女性として夢のような状況だろう。10歳を女性という範疇に入るかはともかく、ドキドキして舞い上がり思わず「YES」と叫びたくなるほどの衝撃を与えるかもしれない。
だが、薬が強すぎで、ふるふるしていたような気がする。
しかも姉は爆笑して助けようともしなかった。
はっきり言って、絶対確信犯じゃないか?
そうでなかったら、何で自分たちの入室をとめなかったんだ舞姫!
心の中で突っ込みながらも、顔をうつむけ切なげに眉を寄せる絶世の美姫に反論はしにくい。
女性には優しくをモットーにしている親衛隊長は、かわりに黒髪の従者に聞くことにした。
「そうなのか、ルイ?」
残った紐を隠し刀で切り裂き、危なげなく立ち上がる男に尋ねる。
「あぁ。そいつの言うとおりだ。もし、あの娘の声を戻すことができたら、探し人の居場所を教えてや ると言われてな」
「なるほど」
「よくわかりました」
つまり、彼はいつも通り、主のこと以外考えてなかった。
同僚をロリコンなる刑でしょっぴく必要がなくなり、ホッとする。
「けど、一番大切な相手に誤解されちまってるよな」
「自業自得ですけどね」
「で、雷矢様はどこだ!?」
「この建物の中にはおられるかと」
「あぁ。多分、別室におられる。俺が説明してくるから、ちょっと待ってろ」
「は? 何故お前が先に行って説明する必要がある。私が直接お話しすればすむだろう」
すぐにでも主の元に行こうとするルイを止め、反射的に部屋の入り口の前に立つ。
黒髪の従者は手首に巻き付いたままの紐を口にくわえて解きながら、苛々とこちらを睨み付けた。
少し薄暗い室内の中、ちらりと見える舌が、あでやかな紐と絡まって、色っぽい。
自分が女好きで本当によかったと思いながら、ホークは真摯に語りかけた。
「一度疑われた男は、信用を取り戻すのが大変なんだよ! 今お前が言って素直に聞いてくださるはず がないだろう。こういう誤解は第三者を間に入れて、客観的な意見を交えながら進めた方がまだうまくいくもんだ。ここは俺に任せろって!」
「へぇ。ほぉ。・・・手慣れてますね、修羅場に。」
「オーリー、不機嫌なのはわかったから、ちょっと落ち着け。いい加減、俺を言葉でえぐるのはやめろ! もうお前を修羅場には巻き込まんから! 本気で悪かったって!!」
いまだ瞳が赤いままなのがメチャメチャ気になる。
いったい何を思い出しているのか。
歴史的な価値のある本を贈り、しばらくは絶対外出に誘うまい。と彼は心に誓った。
まったく今日はとんだ厄日だ。
そんな三者三様の状態に、切なげな姉の顔から一転し、再び吹き出しそうな口元を抑える美姫。
だが、花のような顔から発せられたのは、笑いを含んだ別の言葉だった。
「その必要はないみたいだよ」
紫水晶の瞳が、ホークの後ろに流し目を送る。
その視線を追って振り返ると同時に扉が開き、人影が現れた。
それは、今まさしく話題の渦中にあった主君と少女だった。