美人は私一人で十分
「本当に美人なんだって。一度見に行こうぜ~?」
「はぁ・・・。まぁ、貴方がそこまで言うなら、お付き合いしますけどね。」
礼拝堂から大聖堂に続く扉をくぐり抜け、入口の階段を降りると、雷矢の耳に聞き覚えのある話し声が入ってきた。
この声は、ホークとオーリーか?
あたりを見渡し、声の主を探す。
中庭の片隅で、がっしりとした短髪の青年将校が、熱心に文官の友人を誘っていた。
「ホーク。オーリー。そんなとこで何の話をしてるんだ?」
問い掛けながら近寄ると、階段を下りきった辺りでどこからともなくルイが現れ、ついてくる。いつものことだった。
王子の姿を認め、ホークと呼ばれた将校と、オーリーと呼ばれた文官は少し姿勢を正した。
「これは雷矢様」
「礼拝堂の中にまで彼の声が響きましたか?今度からもう少し小さい声で話すよう、注意しておきます。」
「いや、大丈夫だ。そのままでいい。気にするな。」
頭を下げようとする二人を押しとどめ、話の続きを促す。
この近くには裏門がある。彼らはこれからどこかに出かけようとしているようだった。
比較的よく話す間柄の青年将校が、親しげに小指を上げ、にひひと笑う。
「女ですよ、女。絶世の舞姫が今城下にいるんです。」
三十を半ば過ぎたぐらいのホークはかなりの女好きで、夜勤のない日は大抵花街にいるという噂だった。とはいえ、おおらかな雰囲気と精悍な顔立ちが、ねちっこいスケベ親父と一線を画しており、年の割に高い地位も合わさって、結構モテているらしい。
様々なところに出入りすることが多い分、情報が早いこの将校を、雷矢はそれなりに信頼していた。
「貴方の頭はいつもそれですね。」
そんな相棒に溜め息をついているのは、無類の本好きである文官のオーリーだ。
明晰な頭脳は、今まで読んだ本を知識に変え、彼に若くして宰相補佐官という位を与えた。
ただ、そんな高官であるはずの彼の給料は、九割方が本に変わるため、着ている服はいつも慎ましやかだ。
趣味も仕事もあまりかぶらなさそうな二人だが、八年前の内乱の時に仲良く牢屋に放り込まれるという衝撃的な出会いして以来、よくつるんでいるらしく、今では阿吽のコンビと言われるほどだった。
自分と十年の付き合いになる傍迷惑な美貌の従者に、毎日のごとく手を焼いている雷矢としては、羨ましい限りだ。
「雷矢様も、もし良ければ一緒にどーです?」
誘われて少し考える。
自分も男なので、美しいと評判の舞姫なら見てみたい。
というか、狼漢が倒れてから婚約式を除き働きづめで、気分転換が必要だ。今日を逃せば、またしばらく外にも出にくくなる。今のうちに羽を伸ばしておくのもいいだろう。
が、それを遮る者がいた。
「美人は私一人で十分だろう。雷矢様をそんなものに誘うな。」
このとんでもなく自信家な台詞を吐いたのはいつも雷矢の後ろに控え、主に心酔している男、ルイである。
近くに女がいたら刺されるぞ、と雷矢は思ったが口にはしなかった。
極めて不本意だが、どんな相手であっても彼の言を否定することは難しいからだ。
漆黒の髪はまぶしいばかりの光を放ちながら風になびき、深海を思わせる瑠璃色の瞳は宝石よりも美しい。
おまけにシミ一つない肌の下の骨格はありえないほど整っていて、画家が匙を投げそうな勢いだ。
雷矢は今まで彼以上に美に恵まれた相手など見たことがなかった。そして、彼以上に宝の持ち腐れと言う言葉が似合う相手も知らなかった。
黙っていれば神々の芸術作品である彼は、その美貌に比例して、奇怪な頭の作りになっていた。天は彼に美以外にも何物か与えているが、一番大事な物を忘れたに違いない。
ルイに泣き付かれた記憶がよみがえってきて、げんなりする。
射干玉の黒髪で装飾された形のよい頭の中にはおよそ常識というものがなかった。
だが、そこでホークがそんな過去を一気に覆す発言をする。
「噂の舞姫は、そこの黒髪の従者より美人ですぜ。」
「えっ」
ルイより美人。その言葉に不覚にも雷矢はときめいた。
そこらの美女に五寸釘を打たれるほど美しい従者。しかし男。
雷矢としては、性格は置いといて、せめてルイが女だったら・・・と思うことがしばしばである。
同じ美貌なら異性の方がいい。絶対いい。
そんなルイより美人だという噂の舞姫。
若き王子の心は弾んだ。
「行くっ」
がぜん行く気になった雷矢の心情が返事にも表れる。
一方、麗しき従者は、相当の衝撃を受けたようだった。
「そんな、雷矢様、浮気なんてひどいっ!」
彼の脳内では、いつの間にか雷矢が舞姫とよろしくやっていることになっている。
次の瞬間、泣きながら抱き付いてきた。
「嫌です、雷矢様。私を捨てて他の女の所になんて、行かないで下さい~」
「て、そもそもお前は単なる従者で、舞姫は噂を知ったばかりの赤の他人だろうが!
何でそうなるんだっ!?」
叫びながら離そうとするが、意地でもへばりついてくる。
こないだの悪夢、再びである。
訂正。ルイが女じゃなくて良かった。今でさえ地獄まで憑いて来そうなしつこさなのに、万一にも性転換して悪化したら、始末におえない。
だが、そこで阿吽コンビが助け船を出してくれた。
「んなに気になるなら、お前も来て確かめりゃいいんじゃねぇの?」
「そうですね。こそこそ浮気をされるより、目の前でされた方が気も楽でしょうし。」
『浮気って・・・。』
雷矢とルイの声が重なる。
否。彼らが差し出したのは、血の池行きの船かもしれなかった。
「そうかぁ? 普通、浮気は隠すもんじゃねぇの?」
「隠し通せない人は、そういう台詞を言わない方が良いと思います。」
「うわ。オーリー、お前キツっ!」
「八年以上の付き合いですからね。スネの傷の数も知ってます。とゆうか、僕、よく巻き込まれてます し。何でしたら、一つずつ思い出してみますか」
「あー。そういやお前、結構根に持つんだよな。ごめん。悪かった。反省してるって。」
黒豹の顔面にねこじゃらしを投げ付け、呑気に会話を交わす二人。幸か不幸か、雷矢の側で震えている時限爆弾には気付かない。
「そう・・・だな。」
頷いて雷矢から離れたルイの声は、何故か剣が風を切る音に似ていた。
彼の中で何らかの思考が終わったらしい。
主がおそるおそる尋ねる。
「もし、舞姫がお前より美人だったら、どーするんだ?」
「雷矢様に捨てられる前に、斬ります。」
・・・・・・・沈黙。
「舞姫がお前より美人じゃなかったら?」
「雷矢様に惚れる前に、斬ります。」
・・・・・・・再び沈黙。
覗き込んだ瑠璃色の目は微塵も笑っていない。
「ぜっったい、お前は連れていかねー!!」
金髪の主は血の池に着く前に、船から従者を蹴落すことを決意した。