王子は今日もため息をつく
ことの起こりは、一ヶ月前まで溯る。
その数日前から、雷矢の祖父であり現セイト王、狼漢は、病床に臥していた。
そんな折、セイト王国の王都レインローズでもひときわ美しいといわれるリオリア城に、突然、玲奈王女を名乗る娘が訪ねてきたのである。
前王の遺児である玲奈王女は、八年前の王位争いの際に行方不明となっており、長年生死も分からない状態だった。
しかし、その娘は玲奈王女が先王から譲り受けたと言うドレスを証拠として見せ、さらに前王の時代から宮中に使える右大臣、狩野・マーラを後見としていた。
これにより一気に信憑性が増し、玲奈王女帰還の速報、そして王位継承の問題が浮上してきたのである。
そもそもセイト王国は、五百年ほど前に李音・クシュトーナ・ラ・ウォークが、作り上げた国である。それ以前といえば、アデラ、タイト、ナーラの三国が争いを繰り返す混乱の時代が続いていた。
しかし、戦いは人々から容赦なく多くの物を奪っていく。三国間の戦いが小競り合いでおさまらなくなってから丸二年、戦場も街中も同じようなありさまとなった時、立ち上がった者がいた。
それが、セイト王国の初代国王、李音・クシュトーナ・ラ・ウォークである。
彼女は、双子の弟である李明と共に、剣を取って、この三巴の戦を終わらせ、自分達の手で平和を取り戻すことを説いた。そして、一丸となる心を重んじ、自身の故郷であるタイト国の民だけでなく、アデラやナーラの民も同志として迎え入れていったのである。やがて、国を問わず多くの平民が、時には貴族も加わり、李音率いる軍団は、各国の王を撃破。
ついに三国は統一され、李音を女王とする新たな国が生まれたのである。
弟の李明は宰相となり、その手腕を駆使して、残る反乱分子を一掃した。
貴族でも何でもない、元は平民であった者が、三国統一を成し遂げたのにはわけがあるに違いない。李音と李明には、おそらく神がついていたのだ。
そう考えた人々は、李音と李明を混迷の世界を終わらせた神の御使い、「聖なる使徒」と呼び、国の名を「聖なる使徒が王となった国」、つまり「セイト王国」としたのである。
それから五百年、李音の子孫が王位を、李明の子孫が宰相の位を継いできた。
途中、様々な王や宰相がおり、二度の大きな内乱と自然災害にみまわれたが、建国当時から身分を問わず有用な人材を採用する制度が続いていたことと国が概ね平和だったことから、李音の子孫が王位を、李明の子孫が宰相の位を継ぐという伝統は変わらず守られていた。
しかし、八年前、その流れが大きく変わる。
当時の王であった流幇・クシュトーナ・ラ・ウォークが齢四十にて急死したのである。
元々病弱だった王太子は、その知らせを聞いた途端倒れ込み、第二王子は無能。第一王女はまだ十歳だった。
次の王を誰にするか、国は揺れに揺れた。
二代続けて好色だったため、急死した流幇には、相当数の兄弟と妾、そして諸子がいる。「我こそは・・・」と互いに名乗りを上げあい、内乱が起こった。
しかし、長引くかと思われた内乱は、突然その幕を下ろす。
当時の宰相であり、人望のあった雷矢の父が母ともども何者かに殺されたからである。
怒り狂った祖父狼漢は、ありとあらゆる手段を駆使して、伝説の暗殺者と呼ばれたカガ・カンスをも雇い、行方不明となった玲奈王女を除いて、内乱の引き金となった者達を皆殺しにした。
いや、一切の証拠がないため「した」と言われている。
いずれにせよ、修羅のような形相の狼漢が再びリオリア城に現れたときには、城内にいた3分の1の者が姿を消していた。
そして彼は、腹心の部下であった萩野に宰相を任せ、自らセイト王国の王座についたのである。
つまり、現在王子という立場にいるが、本来ならば雷矢は次期宰相となるはずの人間であり、初代女王である李音の弟、李明の子孫だった。
そのため、内乱が治まり八年がたった今、前王の直系である玲奈王女を探し出し譲位してはという意見が出ては消える。
今年で七十を越える狼漢が孫である雷矢を王位につかせたがっていることは明白で、ずっと狼漢に頭を押さえられ、甘い汁を吸えなかったもの達にとって、これ以上彼の時代が続くことは耐えがたかった。
次期宰相として英才教育を受けてきた雷矢よりも、政治にまったく関わっていない玲奈王女の方が何かと扱いやすいだろう。
そう考えた彼らは、李音の子孫が王位を、李明の子孫が宰相の位を継ぐという伝統を守るべきだと叫びだしたのである。
内乱後の国がなかなか立ち行かないのは、本来は宰相の血筋である狼漢が王位についているからだ、との噂は、伝統を重んじる有力者達を巻き込んで宮中を二分する勢力を作り上げていった。
それでも、一ヶ月前までは玲奈王女が行方不明である以上、話はそこでとまり、両陣営は睨みあっているだけだったのである。
しかし、玲奈王女を名乗るものが現れてから事態が一気に加速した。
このままいけば、再度の内乱が避けられない。そんな険悪なムードが漂いだした城内を治めるため、一部の穏健派の者達から妥協案が出され・・・結果として、雷矢は好きでもない女と婚約を強いられたのであった。
「ったく…。」
ステンドグラスを通り抜けた光が大理石の床に虹を描き、黄金の髪を照らす。様々な美術品が捧げられ、リオリア城の中でも一際美しいと讃えられる礼拝堂。
その場に似つかわしくない、舌打ちの音が響いた。
音の主は、雷矢・クルーガー・ラ・ウォーク。
初代セイト王、李音の実弟かつ宰相となった李明・クルーガー・ラ・ウォークの直系の子孫であり、彼の祖父、狼漢が王位についていることから、現在王子と呼ばれる立場にいるものである。
彼は今、歴代の王や宰相の像などが飾られているリオリア城の礼拝堂内部に一人佇んでいた。
目の前にはセイト建国の母と呼ばれる初代国王、李音・クシュトーナ・ラ・ウォークの像がある。
神嫌いの彼の従者は滅多なことで礼拝堂に入らない。
そのため、どこまでもついてくる従者から離れ、一人になりたいとき、雷矢はよくここに足を運んだ。
いや、あるいは、主のことになるとどこまでも暴走する黒髪の従者も、雷矢の気持ちを重んじ、この場所だけは遠慮しているのかもしれない。
やさしく微笑む初代国王姉弟の石像、建国に大きく貢献した英雄達の絵。
そこは雷矢にとって特別な・・・とても大切な空間だった。
「李音」
まるでそこにその相手がいるかのように、呼びかける。
防音性の高い礼拝堂の壁に、雷矢の声が響いて消えた。
「オレ、昨日お前の子孫に会ったよ。だいぶオレの好みから外れた・・・お前ともあんまり似てない娘だった。外見で似てるのは紫色の髪と目ぐらいで・・・かなり気が強そうだな。顔立ちはどっちかってーと江藤の血かな。鼻が高いとことか、少し似てる」
李音像の後ろにある英雄達の絵には初代女王の夫である江藤・クシュトーナ・ラ・ウォークも描かれている。雷矢が表現したとおり、若干鼻が高く、真面目そうな好青年だった。
三白眼でその男を見つめながら、雷矢は言葉を続ける。
「前王の流幇も、外見は江藤によく似ていた。・・・内面はかなり違ったがな。お前達が見たらきっと絶望しただろうな。自分達の子孫があんな風になるなんて。」
そこで言葉を区切って、李音の隣に立ったセイト王国初代宰相、李明の像を見上げ、しわくちゃの狼漢の顔を思い出した。
「オレも、まさかあんなに血の気の多いジジィが自分の子孫だなんて思わなかったよ。そして、自分の子孫として・・・死後に作られた自分の石像を見上げる日が来るなんて。」
黄金の瞳が、ほうっというため息とともに細められる。
在りし日の英雄達の姿が残った場所。国民全てにとって憧れの対象であるである彼らの姿は、雷矢にとって・・・いや、かつてこの国の初代宰相の座につき、李明と呼ばれていた者にとっては懐かしさを抱かせるものだった。
前世の出来事が自分の中にあふれ出したのがいつだったか覚えていない。
ただ、父母の死後、王位継承の争いの最中に刺客に命を狙われ一度死に掛けたことで、徐々に李明として生きた頃の記憶が鮮明になっていったことは覚えている。
何百回とフラッシュバックを繰り返すその混乱の中で、雷矢は自分がかつて目指した国の姿が、まったく違うものになっているという事実に気づかざるを得なかった。
五百年前、自分達が必死になってしてきたことは一体なんだったのか。
彼は荒れに荒れた。
しかし、言動の全ては実の両親の死による奇行として片付けられる。
子どもだった彼は無力感を覚え、防音性の高いこの度礼拝堂に足を運んだ。
ここにきて、遠い昔・・・理想の国を目指した日々を思い出し、自分を戒め・・・そして、かつての自分の双子の姉に想いはせる。
泣き虫だった彼の双子の姉は、今どうしているのだろう。自分と同じくこの世に再び生を受けているのだろうか。あるいはもう去ってしまったのか。
しかし、もし生を受けていたとしたら。
「必ず見つける。そして、今度こそ五百年先も幸せな国を一緒に作ろう」
政略的な婚約も結婚さえもどうということはない。
どれほどの時間が経っても代わらないただ一人の大切な相手。
その相手を笑顔にできるならば、自分はどんなことでもできる。
灰色の石像は返事をしない。
それでも彼は、その姿に微笑みかけた。
「必ず守る。オレの・・・女王陛下」
誓いの儀式のように、冷たい手に口付けを落とす。
永遠にも思える沈黙の時間。
その静けさは、彼を日常へ・・・雷矢へと戻す明るい声が響くまでしばらく続いた。
---建国の少女Ⅰ----
誰かが優しく自分を呼んだ気がする。
だが、振り返ることはできなかった。
目の前の男が笑いながら、剣を振るう。
視界が一面赤く染まった。
進まなければ。
頬にかかった温かい血が冷えてゆく。
進まなければ・・・。
けれど、どこにいけばいいのかさえ分からなかった。