勧誘。
それから一ヶ月が過ぎ、世間様の言う夏休みが終わった。
謎は謎のまま。進展がないまま時間が過ぎてしまった。
手掛かりは、こうのとり伝説。しかしいくら探しても、こうのとりは見付けられずじまい。私が見た影は、炎天下の下を歩いたせいの幻覚だったのだろうか。
「それにしても、メアーに朗報をあげたいものだ」
駅通りを一人歩きながら、ぼやいた。
メアーの家に向かう途中だ。昼の仕事が終わったので、その帰り。カツカツとパンプスで闊歩していく。まだ夏の暑さがねっとりと残っている空気を吸い込んでは、溜め息として落とした。
駆除活動も救出活動も続けてはいるが、謎ときに進展はなし。そろそろ仕事と両立がしんどい。仕事を辞めて、メアーの家に転がり込んでしまおうか。長い間家主が不在の家だけれど、家賃とかどうしてるのだろう。問題ないなら、ぜひとも転がり込んでしまいたい。
まぁ冗談なのだけれども。ゾンビ狩りで生計が立てるならいいのに。命の危険はあるが、今よりは楽なものだ。
あれ以来、メアーは定期的に私を求めてくる。
いかがわしい言い方だけれど、肌をペロペロちゅぱちゅぱしているので十分いかがわしい行為だ。メアーは夢中になって私に吸い付く。それはキスとあまり変わりがない気がする。いっそ言ってみようか。キスでことが足りるのではないか、と。面白そうだからからかって言ってみよう。そうしよう。
「……」
ふと、目に留まる一人の少年。
遠くからでも思わず注目してしまった。白銀の髪の美少年だ。肌は陶器のように真っ白で美しく、長いまつ毛も白銀。据わった瞳すらも銀に見えた。瞳は大きく、目鼻立ちがはっきりしている。外国人さんかもしれない。それにしても美少年だ。儚げなその容姿に見惚れつつも、歩みを進める。
こんな何もないような街、むしろ危険が潜む鴻巣に一人でいて大丈夫なのだろうか。ナンパついでに声をかけたくなったが、言葉が通じなかったら困るのでやめておこう。
格好は柄のワイシャツにパーカーとカジュアルでスタイリッシュ。お洒落な儚げな美少年。
私が親や友だちならば、誘拐や拉致の心配をするな。
そう思いながら、信号待ちで足を止めた。丁度円形のガードレールに腰を下ろす美少年と並ぶように立つ。美少年も私を見ている。
美少年に比べれば私なんて、全然劣るのに、彼も見惚れてくれているのかな。なんて思ったのも束の間だった。
目の前に、黒のワンボックスカーがドアを開いて現れる。次の瞬間、美少年に突き飛ばされてワンボックスカーの中に入る羽目となった。美少年も乗り込んで、車は走り出す。
拉致されたのだ。
ぽかん、と座席に座ったままでいた。
何故なら、目の前に絶世の美女がいたからだ。
艶やかな黒髪が腰まで届きそうなロングヘアー。癖があって、軽くカールしている。瞳は大きく、そして真っ赤だった。カラーコンタクトとは違う妖しい色で光って見える。ワインレッドのスーツに身を包んでいる彼女はタイトスカートを穿いていて、長い足を組んでいらっしゃった。肌はぞっとするほど透き通りそうな色白。この世で最も美しいと思える美女だった。
その隣に座るのは、白銀の髪をした色白の青年。首には狼みたいなタトゥーが施され、顔立ちからして外国人さんで美青年。
二人して、空気が堅気ではない感じ。
何より、美青年の手には白く光るナイフが握られていた。
なんなんだ。この状況。よもやゾンビに囲まれるより奇怪に思える状況に遭うなんて。ワンボックスカーの中で、この世で最も美しいであろう美女美少年と一緒。助けて、メアー。
「私は笹野椿。ごめんなさいね。強引な手を使ってしまって」
チリン、と鈴が鳴ったかと思えば首のチョーカーについていた。その声も甘美なもので、絶世の美女は声も美しいものだと知る。
「私は政府の人間。最近この鴻巣で消息を絶っている人が多い事件を追っていたの。それで貴女に辿り着いた」
堅気ではないと思ったけれど、政府の人間だと名乗った。差し出された名刺には、FBI特別捜査官と書いてある。おお、初めて本物と会った。特別捜査官。
「私は関与していませんが」
そろそろ警察も騒ぎ出す頃だとは思っていた。失踪届けも出されているのだろう。救えなかった人は少なくない。
「調べはついているの。貴女が謎の空間を出入りしていることも、その謎の空間の中で起きていることも」
「……」
なんで、知っているのだろう。
「……入ったのですか?」
私の知らない間に入ったのか、観念して訊いてみた。
「いいえ。“私達”はどうやら入れないようなの」
「……入れない?」
「ええ、入りたくても入れないの」
チリン、と音を立てて、彼女は俯く。
「私の大切な人があの中に入ってから、行方がわからなくなっているの」
「大切な人が……ですか」
それなら恐らくもう、死んでいる。
「残念ですが……あちら側から戻ってきていないようなら、その方は亡くなったということです」
「いいえ、死んでいないわ」
赤い瞳で私を真っ直ぐ捉えた彼女は、断言した。
「あの人は、呆気なく死ぬような人ではないもの」
何故だろう。初めてメアーと会った時を思い出した。
彼女から異形さを感じる。メアーと似た何かをその瞳に感じた。
隣の青年も、コクリと頷く。彼にとっても大事な人のようで、白いナイフを見つめて顔を歪めた。
「単刀直入に言うわ。貴女と仲間の男を雇わせてもらいたいの」
「雇う?」
「捜索も兼ねて、市民の命を守るためにも協力していただきたいのです」
私が聞き返せば、青年が答える。おお、日本語ペラペラだ。
仲間の男とは、メアーのことだろう。メアーしかいない。
一体どこから情報が漏れているのだと思ったけれど、そう言えば夏休み中に助けた若者に説明したことがあった。彼が警察に駆け込んで話したのかもしれない。荒唐無稽としか思えない話をしたのかと思うと、ご苦労様って感じだ。でも、聞き入れた人がいた。それも政府が、だ。
「私の知る限りあの空間は市内にしかありませんが……アメリカにも似たようなものがあるのですか? FBI特別捜査官さんがお出ましになるなんて」
「今のところ確認されていないわ。肩書きはFBIだけれど、捜査対象は全国なの」
「なるほど。それで報酬は頂けるのでしょうか」
「当然、支払うつもりよ」
「引き受けましょう」
私は即決した。政府から直接のオファーがきたのだ。儲かるに決まっている。
「仲間と相談しなくてもいいのですか?」
「私、接客業と掛け持ちしていたので、ちょうど専念したいと思っていたところなのです。だから、お金になるなら私は喜んで引き受けましょう。彼のことは説得します」
メアーにとってもいいだろう。いくら主食が私でこと足りると言っても、家賃とかその辺も困ることになるだろう。
「早速ですが、報酬はいくらほど払われるのでしょうか?」
「先ずは百万。手付け金で支払うわ」
百万円ですって!! メアー!
私は必死にポーカーフェイスを貫いた。美女こと笹野さんは淡々としていて、隣の美青年は真剣な表情だし、美少年も無表情で黙っている。はしゃいではいけない。空気を読んだ。えらい、私。
「それから必要に応じて報酬は支払うつもりよ」
「必要に応じて、ですか……」
どんなに危ない現場かわかったら、その分報酬が上がるのだろうか。
「手付金で差し引いても構いませんので、とある家を政府の力で購入して欲しいのですが」
「あなたの仲間とあなたが出入りしている家のことかしら」
「……ええ、それです」
私達をどこまで把握しているのだろう。見張られているなんて、全然気付かなかった。政府って怖ぁい。
「活動拠点が欲しかったの。そこで構わないかしら」
「活動拠点? ……それって」
私は首を傾げる。クルクルにしたボブの髪が揺れた。
「もしかして私達以外に、あの異空間に人を投入する気でいるのですか?」
「そうよ。戦闘に長けた軍人が五人、準備が出来ているわ。あと一般市民が二人、志願しているの。彼らはあなた達に救われた若者よ」
眉を潜める。
「一度あの異空間に入った若者達はともかく……その軍人さんは入ったことがあるのですか?」
「例の空間に入れば、変異をするかまたはしない。その二択があることは聞いているし、話してもいるわ。軍人の彼らも、死の覚悟はしている」
「はっきり言って、入った瞬間に無駄死にするだけってこともありますよ。変異する確率は低いですが、全員が変異して実質死亡ってこともあり得ます」
私は冷酷に告げた。変異イコール死亡なのだ。
「みすみす死なせに行かせるのはどうかと」
「任務遂行のために命を懸ける。それが彼らよ。出来ることなら私自身が行きたいところだけれども……。彼らにも守るべきものがある。話によれば、怪物が増えるとこちら側に溢れてくるのでしょう? あなた達は、世界を守ると言っても過言ではないわ」
反対は認めない。そう言いたげなほど、威圧的な口調だった。
世界を守る、か。スケールが大きくて、いまいち自覚は出来ない。
自分自身がいけないことを悔やんでいるようで、その言葉の最中、組んでいた腕を握り締めていた。
「……わかりました。軍人さんが壊滅しても、一切責任は負いませんので、そのつもりでいてください」
「……」
美青年は、何か言いたげだ。
背けるように、ふとスモーク硝子の向こうを見てみれば、見慣れた駅通り。どうやら話している間、駅前をぐるぐると回っているようだ。
「つまり私達はあちら側について教えつつ、あなた方が捜す人の捜索を手伝えばいいのですね? しっかり世界も守りながら」
「ええ。それで、あなたの仲間の男のことだけれど、説得出来るのよね?」
笹野さんの赤い瞳が、一層妖しい光を宿した気がする。
「ええ、出来ますよ」
私の押しにメアーが敵うわけないのだ。ふふふ。
「ナイトメアー。そういう名前だと聞いているのだけれど、本名かしら?」
「いえ、私が名付けた名ですよ。メアーって呼んでます」
彼が記憶を失くしていることは、今は話さなくてもいいだろう。
「ナイトメアー。名は体を表すというけれども、ナイトメアーは悪夢を指す。メアーは悪魔のことを指すともされているわ。その姿、悪魔のようだけれど……果たして信用してもいいのかしら?」
顎に手を当てて頬杖をついた笹野さんのその仕草は、優美なものだった。
見惚れてしまった次の瞬間だ。
身体が振り回された。いや違う。ワンボックスカーが、横転したのだ。
反射的に地面になったドアに足をついて、天井に両手をついた。
美少年が笹野さんの頭を守るように抱き締めていて、美青年が腰を抱いている。でも笹野さんは、平然としていた。まるでこの事態に驚いていない。
「俺の赤音を返せっ!!!」
外から聞こえたのは、紛れもなくメアーの声だ。
どうやらメアーが拉致られたと知り、助けに来てくれたもよう。それにしてはやり方が乱暴である。
座席の頭を踏み付けて、私はドアを開いて脱出した。
「メアー! 聞いて、ゾンビ狩りに報酬が出ることになったよ!!」
グッとサムズアップ。
「…………はっ?」
道路の真ん中で立っているメアーは、今日も黒のパーカー姿。でもフードは外れていて、その漆黒の頭が露わになっている。黒に塗り潰されたようで、目なんてない。ただ閉じられた瞼が、かろうじて見える。見慣れているせいだろうか、その輪郭と鼻の形もわかった。
「笹野さん」
私はそこから退いて、下にいる笹野さんを呼んだ。
「最初は悪夢のような出逢いだったので、ナイトメアーと呼んでいましたが今は違います。私を守ってくれる騎士のメアーです」
そう誇らしげに笑って見せた。
「メアーは信用出来ますよ。私が保証しましょう」
胸に手を当てて、私は告げる。
「で? どこにサインすればいいですか?」
さっさと今の職場に辞表を出して、私はゾンビ狩りに就職をしよう。
20180624




