ナイトメアー。
その後は、映画館で身を潜める。映画館だと防音もあってゾンビが寄ってくる心配もないので、そこで休める。更にはメアーが肘掛を壊して、なんとか横になれるようにしてもらった。毛布も持参して、くるまる。
メアーは隣に座った。ソファーで寛ぐように、背凭れに腕を置く。私はすぐそばで横になっていたけれど、眠れなくて起き上がった。
「ねぇ、メアー」
「なんだ」
今まで聞けなかったことを訊いてみようと思い立つ。ずっと疑問に思っていたことだ。
「メアーは何を食べてるの?」
「……」
メアーの主食を尋ねた。
メアーは、私があげているものは味わって食べていない。ただ咀嚼しているだけに思える。それに私が差し出さなければ、何も食べようとしない。異様な姿に変わってしまった彼の主食は何か。
「……さーな」
メアーはそう答えた。とぼけたようにも見えるけれど、本心でわからないと言ったようにも思える。
「腹は空かない。ただ……血の匂いが甘美に香る気がする」
血の匂いに惹かれるらしい。それはつまり、ゾンビと同じく人間のことを喰らうのかもしれないということだ。
「試しに舐める?」
「……は?」
確認しようと私は手を差し出した。
「私の血を、舐めてみて確かめてみようよ」
「おまえな……」
メアーは私に呆れたけれど手を取り、メアーの爪で指先を切る。匂いが鼻に届いたのか、メアーが微かに震えた。
「どうなっても知らないぞ」
「メアーを信じる」
メアーを信頼していると笑いかけるが、彼には視えていないだろう。メアーは観念したように私の手を持った。
メアーが指先を舐める。ざらついた舌は赤みが強く、そしてとても長い。押し込んで傷から血を出させて、またレロと舐めた。それを繰り返したかと思えば、パクリとメアーが指をくわえるものだから驚いてしまう。メアーの尖った歯をその指に感じた。
「メアー、食べないでよね」
「んっ」
釘をさしておくけれど、メアーは曖昧な返事をする。もしかしたら返事じゃないのかも。興奮した息遣いが、少々怖い。尖った歯が私の人差し指を食いちぎるかもしれないと不安が過ぎってしまう。
メアーは傷口から血を吸い出しては舌で舐めとる。むずむずする。でも、ちょっともう少しその感覚を味わいたい気もしてしまう。もう少しだけ強く吸われたい。なんて、マゾな願望が湧いてくるなんて、どうかしているかな。
メアーが大きく口を開いたかと思えば、指の間に舌を滑り込ませてきた。私は目を瞬く。
「メアー?」
メアーの呼吸が乱れたままだ。表情がわからないから、よくなっているのかどうか、言ってくれないとわからない。顔に触れてみると、その手を掴まれた。そして、両手首を片手で押さえつけられて、押し倒される。
「メ、メアー!? ちょっと!」
私の首にメアーが顔を埋めたから、ビクッと震え上がった。
噛み付くような勢いで、吸い付く。荒い息を吐きながら、鎖骨の上を、首を肩を、舐めては吸い付いた。
「やっ、メ、メアー!」
くすぐったいし、怖い。それでも、メアーは押さえつけたまま、その行為を続ける。味わうように、貪るように、舌を這わせては、激しいキスをするように唇で吸った。
「あっ」
息を吐くと、声が漏れてしまう。
「あんっ」
だめ、これは、だめ。続けられてしまうと、もう……だめ。
感じてしまう快楽の震えを堪える。
「はぁ……んっ……ん」
息を零して、舌を這わせるメアーは、止まりそうにもない。ちゅるっといやらしい音が聞こえる。
ああだめ。私、耳が性感帯だから、メアーの息遣いもその音も、だめな方に持っていかれてしまう。
「あっ……め、メア……あっ」
「んー、んっ」
とろん、としてしまった私の身体はだんだん力が抜けていって、やがて意識が途切れた。
癖のある黒い髪。コートを着た男の人が、私の頭を膝に乗せて寝かせていた。そっと私の頭を撫でる彼は、煙草の煙を吐き出す。その男の人の顔はーー。
目を覚ます。夢を見ていたみたいだ。私の頭はメアーの膝の上にあって、彼が見下ろしていた。視ているかどうかは定かではないけれど。
「美味しかった?」
「……」
起き上がらずに尋ねてみた。メアーは答えない。
「俺に喰われてもよかったのか?」
「命の恩人なら仕方ないかなぁ」
「馬鹿か」
命の恩人の為に自分を差し出すってすごくない?
私はクスクスと笑ってしまう。でも結果オーライだ。
「血じゃなくてもいいみたいだね。正気? でも吸ったのかな。意識を失っちゃった」
「……さーな」
無我夢中で貪っていたくせに、わからないらしい。
それほど私は美味しかったのだろう。
「メアー、満腹?」
「満腹だ」
「それはよかった。いつぶりの満腹?」
「……」
メアーは沈黙した。
「もう。沈黙ばっかり!」
こっちは食事を提供したんだぞ。ちょっとは、はっきり答えてくれてもいいではないか。むくれてしまう。
すると、メアーは溜め息を降らせてきた。
「……わからん。俺はこうなってしまった前の、記憶がない」
「え。記憶喪失なの?」
「ああ。名前も元の姿も俺は知らない」
私は言葉を失う。名前も、元の姿も、メアーは知らない。だから私が訊いても、メアーは本名を答えなかったのか。
「この鴻巣に住んでいるのか、たまたま訪ねてきたのか、それさえもわからない。あの家は最初に助けた男の家だ。結局、食い殺されて死んだがな」
「……そうだったの……」
「記憶もない。だから俺は人助けをしながら、ここに入り浸っている」
わからないまま、メアーはここに居る。
人を救えても、自分が救えないメアー。
私は手を伸ばして、メアーの頬を包んだ。蠢いている皮膚。異形な姿。異形な身体。異形な存在。
「話してくれてありがとう、メアー」
「……」
隠されていた秘密を知れてよかった。私は嬉しい。
「私のナイトメアー」
私を守ってくれるメアー。
「この謎をといたら、元に戻れるといいね」
「……ああ」
メアーは短く返事をする。
この異空間の謎をとく。それにますます力を入れよう。
また一眠りしたら、今度こそ起きて背伸びをした。今日はゾンビの駆除だ。駅に向かって、そこを彷徨っていたゾンビ達を一掃する。一つ、また一つ、ゾンビを倒す。
空は淀んだ灰色。でも昼だということがわかる不気味な明るさ。
これでゾンビの数は、減っただろう。ふぅ。
一仕事を終えたあと、私は駅の縁に座った。
「今日は線路を辿ってみようか」
私は上り線を指差す。
電車には乗れない。無駄かもしれないけれど、提案してみた。メアーは別に反対することなく、私についてくる。
線路の上をバランス崩さないように進んだ。
すると、何かが頭上を横切った。影が通り過ぎたのを目にしたのだ。それは鳥に見えた。おかしい。鳥はいないはず。それにカラスや雀ではなさそう。それほど大きな鳥だった。きっと。
「コウノトリ!」
「は?」
「今、コウノトリが飛んだ!」
「……鳥なんて、いるわけないだろ」
メアーは羽ばたきを聞かなかったらしく、呆れながらも上を見上げた。メアーもこの世界で鳥は見たことがないらしい。
「いるんだよ! コウノトリ! きっとコウノトリ伝説が関わってるんだよ! 絶対そうだ!」
「……」
メアーは何も言わない。私が勝手に興奮するだけ。この謎の解決の糸口は、きっとコウノトリ伝説にある!
「メアー! 絶対にこの謎をといて、メアーの正体も暴いてあげる!」
私はサムズアップして見せた。きっと視えないだろうけれど、それでも笑顔を見せ付ける。
メアーは笑った気がした。
またもや謎を残したまま完結の形をとらせていただきます。
メアーと赤音のイチャイチャが書けてよかったです。
続きが書けるとしたら、ネタバレですが、
裏現実のハウンくんや椿ちゃんが出る予定です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
20170717




