私が『いただきます』を言う訳
時は夜。場所は幻想郷の勢力の一角を担う天狗達の住処―――妖怪の山だ。
妖怪の山に建てられた天狗達の小さな里。と言っても半分共同生活みたいなものをしているこの天狗の里では、今日一日の疲れを癒そうと主に哨戒任務に就いていた白狼天狗を中心とした食事会が開かれていた。
――――別名飲み会ともいう。
料理が出来る前からやれ酒もって来いだのなんだのと、すでに飲み始めている天狗達から少し離れた所で窓から夜空を見上げながらちびちびと酒を飲む一人の白狼天狗が居た。
名前は杯地月華。腰まである長いポニーテールが特徴のそこそこ立場の偉い白狼天狗である。周りの面々が上司の愚痴を肴にしている下っ端の若い白狼天狗であるこの状況下では正直居づらい。
何より自分達上司の愚痴を言われている中へ参加する図太さがある訳でもなく少し離れた場所からちびちびと酒を飲んでいる事しかできなかった。
そんな彼女達の元に丁度料理が運ばれてきた。豪華では無いが下っ端天狗としては結構贅沢な料理が運ばれてきた。作り手の白狼天狗が料理を配る中、一匹の白狼天狗が月華の元へと料理を運んできた。
「料理です。」
「あぁ、ありがとう。」
そう言って目の前の机に料理を並べて行く。
「貴女。名前は?」
「は!い、犬走椛と言いますッ!」
急に話しかけたのがいけなかったのだろうか、慌てて自分の名前を言う白狼天狗もとい椛。
どうやら上司に料理を運ぶという事で緊張していたのだろう。失礼の内容に細心の注意を払っていたに違いない。だが、その緊張の中で驚いて反射で名前を言った彼女は持っていたお茶をこぼしてしまった。
「あちッ!」
「うわあぁッツ!?大丈夫ですかッ!?」
「大丈夫よこれくらい。」
「も、申し訳ありませんでした!!」
慌てて平謝りをする椛に対し月華は怒ることなく
「失敗は誰にでもあるわよ。それよりもごめんなさいね。いきなり話しかけてたりして。」
優しくそう言った。妖怪にも失敗はある。何より天狗社会においての地位はかなり強力な力だ。その力が上の者に何か粗相をしでかしたとあれば大変な事である。
だが、彼女はこれくらいの失敗で怒る事では無いし、上司に対して緊張を抱く気持ちは知っている。それに涙目の少女に怒鳴る趣味は彼女には無い。
「それよりも、よかったら貴女も一緒に食べない?」
―――――――――
向かい合わせに座った二人の間の机には料理が置いてある。無論椛の分も置いてある。
「さぁ、食べましょう。」
「は、はい。」
そう言って箸を持とうとする椛に対し月華は
「こら」
と言った。
「な、なんでしょう!?」
「食べる前にはちゃんと『いただきます』を言わなきゃだめよ。」
「え?あ、はい。」
「いただきます。」
「い、いただきます。」
「良く出来ました。」
両手を合わせてきちんと『いただきます』という月華。それに椛も続く。
パクパクと料理を食べ始める。無言のまま食べる二人。だがその沈黙の時間を破ったのは月華だった。
「そう言えば貴女。一応哨戒天狗よね?」
「ええ、そうですけど・・・。」
「いや、前に哨戒中にチラッと見た顔だなぁと思って。あ、そう言えば私の名前言ってなかったわね。私は杯地月華。よろしく。」
「改めまして、犬走椛です。以後よろしくお願いしますッ」
改めて自己紹介をする二人。相変わらず周りでは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだ。
だが、二人の周りにだけはそのような雰囲気は無かった。
「月華様、あの・・・一つ聞いてもよろしいですか?」
「ん?何?」
「どうして『いただきます』って言うんですか?」
実は、妖怪の間には『いただきます』と言う習慣が無い。これは元々人間が自らの為に犠牲となった命達への感謝の意やらなんやらで生まれた言葉であり、普段妖怪が使う言葉では無い。
「まぁ言ってしまえばこれは“約束”ね。」
「約束?」
「えぇ、約束。」
――――妖怪と人間が交わした小さな約束。
―――――――――――――
「また来たのか?どれだけキノコが好きなんだ?貴様は!」
「ははは、ここのキノコは美味しいからね。」
昔々の妖怪の山。その傍で二人の男女が話していた。一人は盾と大剣を持った哨戒天狗――月華。もう一人は竹籠を背負った青年だった。
「言って置くが山に一歩でも踏み込んだら即切り殺すからな!」
「おぉ、こわいこわい。」
そう言うと青年は、そこ等辺からキノコを採り始める。無論山には踏み込まないようにだ。この青年が現れたのは3年ほど前、山の紅葉の葉が真っ赤に染まる頃。青年は決まってキノコを採りに現れる。人里から遠く離れたこの危険地帯にわざわざキノコを取りに来る好き者である。
そして月華にとってその青年が山に踏み込まない様に見張るのはもはや日課になっていた。
そして青年がキノコを採り終わって帰ると同時に月華も他の場所へ見回りに行く。
その間二人は他愛も無い会話をしているのであった。
「なぁ、妖怪にも命ってあるのか?」
「?何を当たり前の事を聞いているんだ?」
今日の話題はそれだった。
「いや、人間の間では『いただきます』っていう言葉があってな?これは自分に食べられた命あるものに対しての感謝の意を表す言葉なんだそうだ。そして、その言葉はその生物を食すときに言うんだ。お前等は言わないのか?」
「私達妖怪にはそんな言葉をいう奴は居ないわよ。」
「ちなみに『御馳走様でした』と言う言葉もあるぞ?」
「だから妖怪は言わないわよ!」
ガーッと怒鳴り返すと青年は笑いながら、
「そうか。人間を食べる時でもあんた等妖怪は言わないのか!まぁ、今からでもいいから食事前に『いただきます』くらいは言って置けよー。」
「誰が言うかーッ!!」
その声を背に青年は行ってしまった。
だがしかし、と月華は木の枝に腰かけて考え込む。確かに自分達妖怪は『いただきます』を言わない。だが人間は言う。その違いは命への感謝の違いだ。
確かに毎日私が食べている食事もよくよく考えれば命あるものを食べている。その食材達を自分は食べられるのが当たり前だと思っていた。
だが、いざ自分が食べられる側になった時。食べられるのが当たり前という感覚で自身が食べられるというのはどうしようも無く悔しい気持ちがする事だろう。自分は貴様なんかに食べられるために生まれて来たのではないと。
それに比べ、『いただきます』と言う言葉で感謝の意を示してもらう方がまだマシである。
しかし妖怪が人間の言葉を使うというのも・・・
―――結局その『いただきます』という単語についてあれやこれやと考えている内に日が暮れ、後で上司に絞られたのは別の話である。
―――――――――――――――――――
それから1週間たった。だが、その『いただきます』という話題の日から彼が来る事は無かった。
それからさらに1ヶ月経った。さすがにもう紅い葉は落ち初め殆どの木が裸になる。その中に月華は立っていた。もしかしたら彼が来るかも知れない。
自分でもよく分からない。何故彼を待つのか?何故彼に会えない事が辛く切ないのか?
その感情が何だか分からなかった。とりあえず彼と会ってまた話そう。そうすればこの辛く切ない気持ちも消えるだろう。そう思った。
そして、彼は来た。たった1ヶ月間の間だったが、月華にとってはとても長い時間に感じられた。だが、彼女が見た青年の姿は1ヵ月前の彼とは大違いだった。体は痩せ、目が虚ろになった彼の姿。まるで亡霊の様なその姿を見た途端月華は駆け出していた。
「いったいどうしたのよその有様は!」
そう言って青年の肩を掴む。
「この一ヶ月に一体何があったのよ!?」
「お・・・落ち着けって・・・。今説明するから・・・・。」
小さな声でそう言う青年は、近場にあった木の傍に座って背を預ける。月華は彼の体をさすっている。
青年は小さな声で話始めた。
「実は・・・俺の体は・・・もう長くは無いって言われてたんだよね・・・。」
「え?」
「医者から言われてたんだ・・・。どうやらこの病はじわじわと体を侵す不治の病らしい。神様に祈っても、良く効くって言う薬を飲んでも治らなかった・・・。3年前くらいからだ・・・この病気の事が分かったのは・・・。医者からは余命数年って言われてた・・・。」
「何で・・・そんな体で・・・?」
「最初は、病で苦しみながら死ぬくらいなら妖怪にでも食べられて貰おうかと思ったんだ・・・。だけど・・・そこで君を見た・・・。
月夜になびく白銀の髪。凛とした顔立ち。綺麗だった・・・。一目ぼれだった・・・。
それからかな?なんか死ぬ気がしなくなったのは・・・・。病に侵されたこの体を引きずって毎日キノコ採りって称して君に会いに行っていたんだ・・・。」
「それで・・・」
青年は辛そうに息をしながら話し続ける。
「はは・・・おかしいよな・・・。人間が妖怪に会いに通い続けるなんて・・・・・・でも・・・君と会いたかった。話したかった・・・。
だけど・・・もう限界みたい・・・だ・・・・・・。」
そう言った瞬間青年は吐血した。
「は・・・はは・・・見ての通りさ・・・もう長くは無い。」
「そんな体で・・・一体何をしに来たのよ!?」
その問いに青年はあっさりと答える。
「君に・・・食べられに・・・。」
「――――――――――――――」
言葉を失う月華に、青年は笑いながら
「どうせこんな体だ。病で死ぬより君に食べられて死んだ方が良い・・・。それに・・・さっきから食べたくて仕方が無いんだろう?・・・涎が垂れてるぜ?」
そう言われて慌てて涎を拭く月華。
だが青年は構わずに続ける。
「妖怪としての本能が・・・あるんだろう?目の前に・・・格好の食い物があるんだ・・。食べなきゃ損だぜ?」
「わ、私は・・・私は・・・貴女ともっとお話を・・・。」
「違うね。」
即答で答える青年に月華は驚く。
「君の眼は俺を唯の食糧としてしか見ていなかった。・・・・理由さえあれば今すぐにでも食べてやる。っていう眼だ・・・。」
「ちがう・・・・ちがうよ・・・・。」
「いい加減認めてしまえ・・・。その方がお互い楽になれる・・・。」
犬歯を剥き出しにし涎を垂らし、まるで獲物を食す直前の狼のような顔をする月華の顔をそっと撫でる青年。
「もう・・・血の匂いを嗅いで・・・抑えが利かなくなって・・・・きているんだろう?だからもう・・・楽になれよ・・・・・・・俺の事も・・・楽にしてくれよ?」
「らく・・・に・・・・。」
「そう・・・だ・・・楽に・・・だ・・・。」
そう言われて自身の大剣に手が伸びる月華。
漂う血の匂いに、本能が叫ぶ。この男を殺して食べろと。
大剣を振り被る月華の姿を見た青年は優しく笑って
「最後に・・・一つ言って置く・・・・。」
――――『いただきます』を・・・ちゃんと言えよ?――――
「い゛だだぎ・・・・ま゛ずっつ!!」
大剣が振り下ろされた。
――――――――――――――
「それからかしら。私が食事前に『いただきます』を言うようになったのは。」
「そうだったんですか・・・。」
自身が『いただきます』を言うようになった訳を話した月華。気が付けば料理は無くなっており、上にあるのは酒だけだ。
相変わらずチビチビと酒を飲みながら話続ける月華とそれを聞く椛。
「結局は、唯妖怪が人間を喰らう当たり前の話で、その中の約束を私が律儀に守っているだけなんだけどね・・・。」
「でも、それならどうして最初にその男を見た時食べなかったんですか?」
その問いに、月華は一旦盃に入った酒を飲み干してから答える。
「何でかしらね?もう忘れてしまったわ。」