英雄伝記 (R15)
馨栄7年 ; 先王の時代より繁栄を極め、大陸でも大国と誉れ高かった慶果帝国であったが、初代から数えて57代目となる英帝がその地位に着いて7年。突如として、当時1歳であった先王の末子・オウカ皇女を除く他の王位継承者を処刑。それを契機として、政は賄賂・専横に染まり人民へ悪政と重税を課した。人々は、『山獣に食われてるも、国政に住みつく獣に殺されるも同じ事」と嘆き、獣の跋扈する山を越えて他国へと逃げ込む者も後を絶たなかった。
馨栄16年 : 帝都より西、岳彰の町であがった反乱の火は、瞬く間に帝国全土に広がる。当初、存続を危ぶまれていた解放軍だが、各地の戦にて勝利を収める度に民衆の支持を受け、総力を蓄えて行く。解放軍を指揮していたのは、8年前、奸臣達の讒言により無実の罪で処刑された、前宰相ライデンの嫡男ハクエン。当時16歳になったばかりの少年であった。
馨栄18年 : 学問の都・實華で天下の奇才と謳われたグレンを参謀に、第二の帝都と呼ばれる峯藤の街で帝都の横暴に抵抗し拘束されていた街長リョクリを総轄役に、帝国最強の武将ヒエン左将軍の娘で、ハクエンの幼馴染でもあり国軍屈指の勇将・ビャクヤを軍にそれぞれ迎え入れ、また、国内外から集まる賛同者を多数得たことで、その総力は、国軍にも勝るとも劣らない武力へと成長する。
馨栄20年 春 : 西南の街・朔鎖にて、右将軍・ガガクの軍を破り、この地に抑留されていた現王妹・オウカ皇女の開放に成功。しかし遠征中、反乱軍リーダー・ハクエンが病を受ける。
馨栄20年 秋 : ビャクヤが病に気付き、戦線の離脱を提案するが、これを聞かず、革命を続行。
馨栄21年 春 : ハクエンの病は快方に向かい、反乱軍は帝都への進撃を開始。
馨栄22年 夏 : 帝都・旬明の戦いにて、左将軍・ヒエンの軍を破る。
馨栄22年 秋 : 帝都陥落。
馨栄22年 冬 : 帝都陥落から二か月、将軍・ビャクヤが姿を消す。
馨栄23年 秋
※ ※
「やっと、やっと掴んだ・・!」
馬はすでに、限界に近い速度で疾走している。しかし、男はそれも構わず鞭をふるう。その姿は草原を走る一迅の風のようであった。
男の名は、ハクエイ。1年前に悪政にあえぐ民衆を救い、革命を成し遂げた大英雄である。
ハクエイは、一路雪深い山里をめざし、人々の目から忘れ去られた様な村の入り口で馬を止めた。
粗く息をつく馬を入り口近くの木に括り付け、さびれた村を見渡しながら民家に近寄ると、その戸をたたいた。
※ ※
見上げた丘の上には、小さな小屋が煙突から白い煙を吐きながら立っていた。
村民の話によると、1年程前からこの村に住み着いた女は、丘の上にある空き家に居を構えているという。
厚手の手袋に包まれた己の右手をじっと見つめた後、ハクエイは強い足取りで小屋へと歩み寄る。
古ぼけた戸を二度たたくと、中から聞きなれた若い女の声が答え、扉が開かれた。中から現れたのは、伸びた赤い髪を無造作に後ろで束ねた、以前見た時より一層頬の痩せた女。
しかし、ハクエイの顔を見た女は、一瞬驚きに目を見開いた後、無言で戸を閉じようとする。
「待てっ!」
荒々しく戸に手をかけ、無理やり押し入った家の中、苦しみの時も喜びの時も、ずっと隣にあった女の懐かしい香りが、ハクエイを包み込む。
「どうして、なんで俺に何も告げず、こんな手紙だけ残して勝手に姿を消した!」
大きくため息をついた後、以前よりずっと細くなった女の腕を握りしめ、その前に皺々の手紙を突き出す。
「それに、三年前にお前から渡されたこの札もグレンに調べさせた。こんなものを持たせるなんて、どういうつもりだ!」
ハクエイは胸に下げていた小さな木札を力任せに引きちぎると、手紙と一緒に床にたたきつけた。
乾いた音を立てて床に跳ね返った木札の表面は、刻まれている文字も判読できない程、ぼろぼろに傷つけられていた。
「これは、同じ札を持つ対象に病を肩代わりさせる呪具だそうだな。なぜお前はこんな事をした、答えろ!」
麻布の敷かれた床の上に力ずくで女を引き倒し、馬乗りのまま胸ぐらをつかみあげる。服につけられていた釦が引きちぎれ、露わになった細い右肩に浮かんだ蝶の痣に、ハクエイは小さく息をのむ。
「なんで、それがそこにあるんだ。」
女の肩に浮き上がる黒い蝶の痣を確かめるように、震える指でなぞる。
「あの時、俺の手のひらに浮き上がった、その黒い蝶の痣を見た時、お前が言ったんだぞ、『それは【黒蝶の死病】だろう』って!それなのに、なんでそれがそこにあるんだ!やっと、やっと平和な時代が来って時に。お前はこれから、誰よりも幸せにならなきゃいけねえんだ!なのに、なんでお前が俺の病を引き受けてんだよ!」
女を睨みつけたハクエイの双眼から大粒の涙が零れ落ち、女の痩せた肩を力いっぱい抱きしめた。
「何で、いつも勝手に決めちまうんだ。お前は昔からそうだ。6歳の時、二人で山犬に襲われた時も、9歳の時、俺の助命の交換条件でお前が軍属になることを約束させられた時も、一年前の旬明の戦いで、お前がその手で父親の胸を貫いた時も!俺のせいで、どうしていつもお前が苦しまなきゃいけねぇんだ!!」
自分にしがみつき、泣きじゃくるハクエンに、女は困ったように笑った後、背中に手を回し、優しく撫でる。昔からハクエンが泣き出すと、女はいつも同じように優しく抱きしめ、背中をなでてくれた。
「お前がいきなりいなくなっちまったから、猜疑と擁護で軍が真っ二つに割れて、グレンの奴もリョクリさんも困ってんだ。なあ、帰ろうぜ。お前が帰れば馬鹿な疑いなんか一瞬で止んじまう。俺だって、今迄みたいにお前が隣で口うるさくしてくれてねぇと調子が出ねぇんだ。病気を俺に返して、そんで二人で帰ろう。」
女の懐かしい手に、少し落ち着きを取り戻したハクエイは、痩せた女の胸に耳を置き、かすかに聞こえる心臓の音に目を細めながら、独り言のようにつぶやく
しかし、そんなハクエイの言葉にも女が答えることは無く、困ったように笑いを浮かべ首を振る。
「なんでだよ!なんでお前は、肝心な所ではいつも俺の言うことは聞いてくれないんだよ!なぁ、返せよ、その病は俺のだ!頼む、俺に返してお前は生きてくれ・・・。もう大事なモノをなくすのは嫌なんだ!!お願いだ、俺を一人にしないで・・・」
床の上で、座り込ンだまま抱き合う二人の後ろ、開けっ放しだった木戸が、二度叩かれる。
「全く、今や国の大英雄となったあなたが、病人の、しかも女に抱き着いて泣きじゃくる姿なんて、誰かに見られたら減滅どころじゃ済みませんよ。」
驚いて固まる二人をよそに、肩で切りそろえられた艶やかな黒髪に、冷徹な切れ長の目。神経質そうに眼鏡を押し上げながら部屋に入ってきたのは、革命当初より、嫌味と苦言を友としてハクエイの隣で采配を振るい続けた、彼より二つ上で革命軍・参謀を務めるグレン。
「何で・・お前が。」
「何でじゃありません。もうあなた一人の体ではないのですよ。救国の英雄、逆境の大勇者。あなたは、悪政に喘いでいた人民たちの希望の柱となり、これからの国を支えてゆかねばならないのです。それが、こんな辺鄙なところに、誰にも告げず一人でノコノコ出かけるなんて、残党に狙われたらどうするつもりなのですか。以前から言ってますが、脳みその代わりに筋肉でも詰まってないか、一度しっかり調べてもらったらどうです。」
正鵠を射たグレンの言葉に、ハクエイは一瞬言葉に詰まった後、自分の濡れた頬を乱暴に拭うと、グレンには目もくれず、自分を叱るように見つめる女の眼を見つめ返す。
「すまん、グレン。だが、こいつが戻るって言わなきゃ俺も帰らねぇ。」
「はぁ、そういえば貴女もいましたね、四肢の先に現れた黒蝶の痣は、通常一年で心臓まで移動し、死に至ると言われている【黒蝶の死病】。ですが、焔将と言われるだけのことはあるのでしょうね。貴女の業火には、さすがの死の蝶も飛び込むのに二の足を踏むらしい。」
「てめぇっ!」
死病にさらされている人物に向ける言葉ではない。しかし、グレンに殴りかかろうとするハクエイの腕をつかみ、女は静かに首を振る。
「だから何度も言ったのです。貴女なら右手がなくとも剣は握れるでしょうと。黒蝶の浮き出た個所を切り落とせば病は止められたかもしれないのに『全力でなければ父の軍は破れない』等と我儘を言うから。まあ貴女が万全で無くては、貴女の父でもある軍神・ヒエンが指揮する左軍を破るには、もっと多くの時間と兵士の命が必要だったというのも、正直なところではありますが。」
「グレン!やめろ!」
「今更何を甘えた事を言っているのです。革命軍に彼女を引き入れれば、最終的に父子の戦いとなるというのは既知の事象だったはず、言葉を濁す必要などどこにもないでしょう。それに、連れ戻すといっても、戦えない将軍を連れ帰っても可哀想なだけでしょう。」
「だまれ!」
自分の腕をつかんでいた女の手を払いのけ、ハクエイがグレンの左頬を殴りつけた。弾き飛んだグレンの眼鏡が、乾いた音を立てて床の上を滑る。
「正しいからって、何言っても許されると思ったら大間違いだ!!」
「実情から目を背け、願望だけを口にするのはもっと許されませんね。今更『こうなるなんて思ってもいなかった』などと、甘いことを言わないでくださいね。革命という選択肢を選べば、後戻りはできないと、私もあなたもわかっていた。そこにいる彼女にも。そして、現在につながる選択肢にまで導いたのは、私でも彼女でもない、ハクエン、統率者たる貴方です。革命は成ってしまった。私たちに残された選択肢は、これ以上国力を減らさずにどのように国をまとめるかということだけです。」
切れた左唇から流れる血を手の甲で拭い、殴られた衝撃で罅の入った眼鏡と一緒に、先ほどグレンが投げ捨てた手紙を拾い上げ、その上に目を走らせる。
「それに、彼女だって手紙で言っているではないですか。『オウカ皇女と幸せになって。』と。賢帝と誉れ高かった56第皇帝のただ一人残存する正統血統であるオウカ皇女の夫となる人物となると、現貴族では民衆が納得しないでしょう。かといって他国の王族では、現状の国力の差から国政に関与される可能性が予想されます。となると、残るはハクエン、年齢差にも無理のない貴方の他にはいないのですよ。それに、あの牢獄の様な地から助け出してくれた貴方の事を皇女も憎からず思っているでしょう。」
「うるさい!こんなもの!」
グレンが手にした手紙を奪い取り、破り捨てようとしたハクエンの腕を女が抑える。
「なんでだよ!なんでお前までこんなこと言うんだよ!なんで・・・俺は、ずっと昔からお前の事が!」
自分の腕をつかむ女の細い手首をにぎり、引き寄せようとしたところで、女がいきなり体をくの字に曲げてひどく咳き込む。
口元を抑えた女の指の隙間から落ちた雫が、床の木板の上に数滴の赤い斑点を作る。
「なにをぼんやりしているのです。早く彼女を寝床へ。」
「あ、ああ、わかった。」
床に落ちた血に、茫然となるハクエンを促し、寝床へとつながっているのであろう、奥の木戸をあける。
※ ※
「あれは、俺が5歳、こいつが6歳の時だった。」
ひどい咳が収まり眠りについた女の枕元に座り、その寝顔を見降ろしながら、ハクエイが力なくつぶやく。
「親父に初めて剣を握らせてもらえて、俺、すっげぇうれしかった。そんで、調子に乗っちまってよ。こいつが止めるのも聞かないで、裏山を縄張りにしていた山犬退治に行ったんだ。」
「なるほど、あなたの頭の軽さはその頃からの増えなかったのですね、惜しいことに。」
「へへ・・グレンはひでえな。うん、でな。案の定、山犬の群れに囲まれちまって、もう逃げられないって時に、こいつが現れたんだ。お前にも見せてやりたかったぜ。昔語りに出てくる戦神が降臨りてきたのかと思う程、すっげえ強くってさ。がたがた震えてる俺を木の洞に押し込んで、入り口に陣取ったまんま、血だらけになりながらも親父たちが到着するまで剣振るい続けたんだ。」
「ええ、確かその時の剣捌きが噂となり、後に女の身でありながら国軍からの誘いが来たと聞きました。」
「見たことあっか?コイツの左腕と右肩。他にも、左の太ももとふくらはぎに二か所と脇腹にも、今でもその時の傷が残ってんだ。」
そう言って、眠る女の左腕を持ち上げ、腕に残る細かい傷の中でも、いっそう深く不自然に凹んだ傷を、いとおしげに指でなぞる。
「後な・・・コイツの体、女にしてはペタンコだろ?左はかろうじてわかるけど、右胸なんか全然無ぇだろ?当たり前だよな・・・剣を振るうのに邪魔だからって削がされちまったんだからよォ・・っ・。」
女の眠る布団の角に顔を押し付け、声を殺して泣くハクエンの震える背中を無言で見下ろすグレン。
「体だけじゃない、自分の父親でさえ、俺のせいで亡くしちまった。その上、残った命まで!!こんなことなら、あの時コイツの言うことを聞いていれば良かった!革命軍の為だなんて勿体ぶって、右手なんか惜しんだせいで!」
己の腰に差していたナイフを抜こうとしたハクエンの手を、グレンが押さえつける。
「後悔ならいくらでもすれば良い。バカな己への戒めとなるのならば止めはしません。でも、自傷行為に走るのは唯の自己満足です。そんな自慰行為、見せつけられたこちらが不愉快です。それに、あまり騒ぐとせっかく眠った彼女を起こすのではないですか。」
自分に冷たい視線を向けた後、寝床の方に視線を送るグレンに、あわてて口を閉じ、女の顔を覗き込む。
「すまん・・。」
女が目を覚ましていないことに安堵しつつ、ハクエンは泣きそうな顔のままグレンに顔を向ける。
「なぁ、グレン。頼みがあるんだ、一生のお願いだ。聞いてくれたら、これ以降、俺はお前の言うことに従う。全部だ。」
「フッ・・・英雄相手に怖い権限を持たされたもんですね。それに、一生のお願いなどと久々に耳にしましたよ。で、なんです。」
「あのな、こいつが逝っちまうまでの時間、少し目を閉じててもらえないか。」
眠ったままの女の手を握り、その指へ愛しげに唇を置くハクエンの横顔に、グレンは小さく目を見張る。
「物騒な事なんか考えてねえよ。こいつの残されたちょっとの時間、ここにいる事に目をつぶってて欲しいんだ。」
「黒蝶はもう右肩まで来ているのですよ。通常なら一か月程度で心臓まで到達するはずです。その短い時間のために、今後の自分の人生を、国のために捧げられるというのですか?」
ハクエンは、女の寝顔を見つめながら、うれしそうな笑顔のまま大きくうなずく。その横顔に、続けようとしていた言葉を奪われ、グレンは一時押し黙った後、大きくため息をついて立ち上がる。
「ええ、分かりました。戻ってきたら軍馬のように駆け回ってもらいましょう。しかし罹患して二年以上経過した現在でさえ、黒蝶は腕までしか到達していない。下手をすると一年以上永らえる可能性だって考えられますね。ですから、私が目を閉じているのは二年までです。それ以上は待ちません。首に縄をかけてでも、彼女と一緒に帝都へ引っ張って行きますから、そのつもりで。後、今から一つ目の命令を伝えておきます。帰ったらすぐに皇女と式を挙げてもらいます。まぁ、その間皇女が待っていてくれればの話ですが。」
「わかった。二年以内に、彼女を連れて必ず帝都に戻る。約束する。」
「本当にわかってる居るのですかね。まあいいでしょう、あなた方が幸せな時間を過ごせる事を、遠い帝都の地から祈っていますよ。」
眠る女の手を握りしめたまま、振り返ろうともしないハクエンの背中を、普段は絶対に見せないような優しさを含んだ瞳で見つめた後、グレンは静かに木戸を閉めた。
※ ※
馨栄24年 春 : オウカ皇女が慶果帝国始まって以来、初代女帝・鶯帝として即位する。これ以降、年号を馨栄から華郭へと改める。
華郭 元年 秋 : 鶯帝と革命の四英雄の一人との婚礼の儀が、帝都・旬明にて、盛大に執り行われる。
華郭 2年 春 : 鶯帝に第一子・レンカ公子誕生。
華郭 2年 夏 : 鶯帝の密命を受け、長く帝都を留守にしていた、ハクエンが帝都に帰還。その後、元帥となり軍規を正し統轄に従事。
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編纂者より、結びに変えて。
元帥・ハクエンは、解放戦争直後、姿を消した焔将・ビャクヤとの間に儲けたとされる、後に右将軍・左将軍となるライエン・ビャクエンの二子と共に、戦力基盤の統制に奔走。
混乱の残る慶果帝国をリョクリ宰相と共に鎮定した。
その後も長きにわたり鶯帝を支え、現在に至るまでの慶果帝国の安寧秩序を築き上げた。
焔の紋と共に祀られている彼の霊廟を訪れる参拝者は、現在でも後を絶たない。
オウカ皇女の夫になったのは、グレンでした。オウカ+グレン(黄+赤)=レンカ(オレンジ)
年表にグレンの名前が無かったのは、彼が要職に就かなかった為。
後世の為、国のトップになる人物の身内が、要職に就くことを禁止する前例となる為、あえて歴史の裏に消えました。
でもハクエンとの『絶対服従』の約束があるので、その気になれば操りたい放題でした。