1と3
「サン」
「イチ?」
サンが顔をあげると、木の枝に腰かけたイチがへらへらと笑っていた。
「夜更かしはお肌に悪いですよ?」
「心配してるのか」
「まあね。レディには優しくしなくちゃ」
イチがにんまり笑う。
「紳士だな」
「油断してると、狼になっちゃうけど」
イチが両手をかかげてガオーと吠えると、サンがくすくすと笑った。
「子犬だな」
「オオカミだってば!油断してると食べちゃうよ?」
「それは怖い怖い」とサンが笑う。イチもへらへらと笑っている。
「イチ、なんでそんなところにいるんだ?」
「眠れなかったんで散歩がてら登ったら、降りられなくなった」
あはは、とイチが笑う。
「高いところ、苦手なの忘れてた」
「忘れることか?」
サンはやれやれとため息をつくと、両手を広げた。
「ほら、飛び降りろ。受け止めてやるから」
「俺の愛が試されてる?」
「アホたれ。さっさと降りてこい」
「……」
「怖いのか?」
「ま、まさかあ!」
イチは青ざめた顔で笑うと、頷きながら手を左右に振った。
「どっちだ?」
「…怖いです、はい」
イチが肩を落とすと、サンが優しく微笑みかける。
「イチ、僕が必ず受け止めるから」
「…サン」
「僕を信じてほしい」
イチは頷き返すと息をのみ、枝を蹴った。
どさっと音かする。
イチの下で、サンがにっと笑った。
「ほら、受け止めたろ?」
「受け止めたというより…下敷き?」
「細かい」
「細かくない細かくない」
イチが腹を抱えて笑うと、サンもふっと笑みをこぼした。
「…ありがとう」
サンの額にイチがキスをする。
サンの顔が赤く染まる。
「あほっ!なにして…」
「嫌?」
「…その質問は…ずるい」
*******
ソファーにうつ伏せに寝転がって、イチはBeL-mouを眺めている。
サンはソファーの背もたれに腰かけると、ぼんやりとイチを眺めた。
ふたりだけの室内で、ページをめくる音がやけに大きく聞こえる。
「なあ、イチ」
「ん?」
「なんで人間が嫌なんだ?なんで接するのが恐い?」「……」
「誰かと会っているとき、何を感じている?」
サンの問いかけに、ページをめくる手が止まる。
イチは身体を仰向けにすると、顔を目元まで両手で覆い隠した。
相手と距離をとりたいときの、彼の癖だ。
「答えたくないなら、答えなくてもいい」
「いや…訊かれたら答えるよ」
彼の目が困ったように笑っている。珍しくまじめな口調だ。
彼はしばらく言いにくそうに唸っていたが、ふいにサンの腕を掴むとぐいっと引いた。
サンがバランスを崩し、イチの上に倒れ込む。
「イチ、急にどうした?」
「うん」
イチはぼんやりと部屋の隅を眺めている。サンが視線を追うが、そこには何もなかった。
「考えているのか?」
「…自分でもわからないことだからなあ」
「無理して答えることはない」
サンの犬耳がしゅんっと垂れる。
「あはは、気にしないで」とイチが笑う。
彼はさっと身体を起こすと、首をかしげる間も与えずにサンを押し倒した。
彼女の腕を掴むと、イチがぐいっと顔を寄せる。
「考えてもわからないから…サンに触れて、確かめてみようか」
「イチ、はぐらかすな」
「はぐらかしてない。俺がなにを感じているのか、サンが教えてよ」
イチがサンの胸元に手を添える。
サンは身体を起こすと、そのままイチを押し倒した。
「サン?」
「教えてやる」
「え?あの…あれ?」
サンがにやりと笑うと、イチが笑顔がひきつる。
逃げようとするイチの退路を手足で塞ぐと、サンはそのまま彼に身体をすり寄せた。
「サン…ほら、さのすけさんが読んでるからさあ…もっと健全に」
「男に二言はないだろ?」
「ちょっ!やめっ…サンってば!シャツ!シャツ返して!」
*******
「イチ、はいるぞ」
サンがそっと部屋を除きこむ。
床には資料が散乱し、散らかった机の隅には飲みかけのペットボトルと、空の薬瓶が転がっていた。
薄暗い部屋のベッドで、イチは寝ていた。
「寝てるのか?」
「…サンに襲われるのを待ってる、なんちゃって」
飄々とした口調だが、どこか弱々しい。
右腕に覆われて、表情はわからない。
サンは資料を拾いながら、イチのベッドに辿り着いた。
束になった資料を机に置くと、イチの腕をそっと退ける。
「どうした?」
「夢をみただけ」
「そうか」
「……」
「……」
サンが突然、イチに馬乗りになる。
イチの両腕をすばやく押さえつけると、サンはぐっと顔を寄せた。
イチがきょとんとした顔をしている。
「サン?」
「待ってたんだろ?」
「え?…えぇ?」
イチが間をあけてから、耳まで赤くする。
「違っ!あれは冗談で!」
「おまえのは冗談か本気かわからん」
「冗談!冗談だから!」
「知るか」
「えええ!??Σ(´□`;)」
イチが身を捩って抵抗するが、サンはびくともしない。
彼女は知らん顔で、イチのシャツを開けている。
「サン!サンってば!」
「…なんだ?」
「真面目に話します!ちゃんと話すから!」
「まったく…初めからそうすればいいものを」
サンがやれやれと手を離すと、イチが渋々口を開く。
「過去の夢をみました」
「それだけ?」
「それだけ」
サンはイチの太股に右手を伸ばすと、左手で彼の顎をくいっとあげる。
「待って待って待って!ちゃんと話す!話すから!」