恋肇白読書
『【追憶】 著者 井上佐久』
私がいつも選択授業で定位置にしている、生物室の窓際の一番後ろの机。
そこに、今私が読んでいる本のタイトルが書いてあった。
滅多にこんな所に座る人なんていないはずなのに(なんだか皆黒板が見えないとか、日焼けが気になるとか言ってあまりここに座りたがらない)、と思いながらその少し右上がりの癖がついた字を見つめる。
へえ、偶然ってあるんだな。これ、面白いんだよなぁ。読もうか迷っているなら是非お勧めしたい。
もともと苦手な生物の時間だ。元からあまり集中ができないのに、ちらちらと目に入るこの走り書きのせいで、もっと気が散ってしまう。
放っておこうと思ったけれど、心がうずうずして我慢できなくなり、その字の下に小さくささっと文を書いた。
何年生なのかわからないから、とりあえず敬語で。
『面白いですよ。図書室にあるので、ぜひ読んでみてください』
次の生物の時間。
いつものように定位置に座ると、昨日と同じ所に、右上がりの小さな文字が目に入った。
この前よりも筆圧がないのは、他の人に見つかるのが嫌だったからだろうか。幾分か字も丁寧な気がする。
『ありがとう。今度読んでみる。俺としては【霧が晴れて】ってのもオススメ』
思わず、口元が緩んでしまった。
……くすぐったい。
返事を返してくれただけでなく、本まで勧めてくれるなんて。
『俺』ってことは、男の人だよね。それに敬語じゃないってことは三年生?
考えたいことは沢山あるけれど、とりあえず返事を書く。
『ありがとうございます。図書室にありますよね? 借りてみます』
走り書きであった本のタイトルも、図書館の蔵書のものだ。【霧が晴れて】は何度か背表紙でそのタイトルを見たことがある。いつも通り過ぎてしまっていたが、いい機会だ、読んでみたい。
放課後に借りに行こうかな。
そう思うと、少し心が弾んだ。
見知らぬ誰かから返事が来たことに浮かれてしまい、授業中はずっとニコニコしていた。
だって、まるで小説の中のことみたいな。素敵な偶然。
「一之瀬ー、ボーッとすんなよー」
……先生に怒られたけれど。
待ちに待った放課後がやってきた。
図書室に行くと、いつもいる上級生の当番の委員の人が目だけで挨拶をしてきた。 図書委員は他にもいるんだろうけど、私が来たときは大体この人がカウンターに座っている。
そんなわけで入学してからずっと常連な私は、きっと顔を覚えられている。
私が軽く会釈をすると、彼はすぐに読んでいた文庫本に視線を落とす。
いつものことながら、人が全くいない。
面白い本がいっぱいあるのに、何で皆来ないんだろう?
勿論私だって漫画は読む。でも、字の羅列から背景を想像して、登場人物を思い描いて。読まなければわからない、そんなわくわく感は絶対に小説の方が上なのに。
私は本の海の中へ入って行く。
この学校の図書室は、他の学校よりも本が沢山ある。
なんでも、前に卒業した先輩が大量に寄贈していっただとか。
それ以来、卒業生の中の必ず一人は本を置いていっているらしい。
私もここに一年とちょっと通っているけれど、まだまだ読みたい本がたくさんある。
「えーと、【霧が晴れて】……」
きちんと名前順に並べられた本達の一番上から背表紙を眺めていくと、その本はすぐに見つかった。
ぱらぱらと少し捲ってみると、それだけで話に吸い込まれそうになる。
主人公の躍動感が、私を飲み込む。一気に読み進められるような、スピードに乗った文章だ。
これ以上読んでいると止まらなくなりそうと思って、貸し出しのカウンターへ行く。
「あの、これ、貸し出しお願いします」
貸し出しカードに自分の名前を書き、そう言って本を渡すと、上級生はやっぱり無表情でカードに今日の日付を書き、ハンコを押した。
「……十月十四日までに返却、お願いします」
彼はぼそりと言うと、また文庫本に戻った。
家に帰って本を開いてみる。
すると、五分と経たないうちに夢中になった。
一気に読める。続きが気になってページを捲る手が止まらない。
晩御飯だと言われてもなかなか手を止められず、お母さんに怒られた。
お風呂に入る時間も惜しい。それくらい、この本から目を離したくない。
文全体に漂う知的さ、幻想的な雰囲気……それらが全部津波のように私の心を過ぎ去っていく感覚。
それらを心地よく思っていたら、最後にまさかのどんでん返し。今まで頭の中で出来上がっていた人物関係が途端に崩壊するような、そんな衝撃。
最後のページを捲ったとき、寂しさで心が埋まった。
……ああ、終わっちゃった。
そう思っているうちに、今度は満足感が広がっていく。面白かった……!
私の好きな文章を書く人だなぁ、この作者さん好きかも。
まぁ、ようするにハマったのだ。
いきなりアタリを当てるなって凄いな、あの人。
結局一晩で読み終えてしまった。枕元に置いた本の表紙の装飾が誇らしげに光っている。
ふと思い浮かぶ、疑問。
あの人は、どんな話が好きなんだろう?
こういうのが好きで、私の読んでたジャンルも好きってことは……ううん。
顔も名前も知らない人の好みに考えを巡らせているうちに、眠りに落ちていた。
次の生物の授業の日。
いつもと同じ所にメッセージが書かれていた。
『本、読んだ。面白かった。今まであの人の小説、ノーマークだったんだけど、今度から読んでみようかなぁ。同じ作家の【慈】もいいよ』
驚いた。
本、借りてくれたんだ……。
しかも、好きになってくれた。
もしかして、私と本の好みが合うのかな。
だとしたら嬉しいな。
『私も【霧が晴れて】、読みました。私もあの作家さん、好きになりました! もしかしたら好みが合うのかもしれないですね。次の本も読んでみます。ありがとうございます。私は佐藤広の【赤い国】っていうのも好きですね。ファンタジーなんですけど……』
こうして、彼が紹介してくれた本を図書室で借り、感想を机に書き……という私たちの本紹介のやり取りは、二ヶ月ほど続いた。
彼も私の紹介した本を読んでくれていて、感想を書いてくれる。
そうしているうちに、私と彼の好みが本当に似ている、ということが判明した。
注目する所が同じ、とか、登場人物の性格がいいよね、とか。
でもやっぱり少し違う捉え方や見方をしていたりして、その違いも面白い。
この本はこの作家さんにしてはハズレだったよね、とかいう話もできるようになっていた。
顔も名前も知らないけれど、本のことで私とこんなに語れる人は、彼くらいではないか、と思う。わからないのに彼は私ととても近い存在になっていった。
いつの間にか、苦手だった生物の時間が楽しみになっていた。
もうすぐ冬休み。休みが終われば三年生は自由登校になってしまう。
そうなるとこの本紹介も終わってしまうだろう。
寂しい。もっと彼と話をしたい。……欲を言えば、顔を少しでいいから見てみたい。
そんな私の想いが届いたように、冬休み一週間前、ある出来事が起こった。
その日の放課後も、紹介してもらった本を借りるため図書室にいた。
なかなか本が見つからなかったのと、面白そうな本をたくさん見つけて思わず足を止めてしまい、本を借りる時間が閉室間際になってしまった。
慌ててカウンターへ行くと、例の当番の上級生はもう帰り支度を始めていた。
「あの、まだ貸し出しって間に合いますか?」
上級生は無表情に頷くと、私から本を受け取る。
「十一月二十五日までに返却して下さい」
貸し出しの処理を終え、本を差し出す。
もうすぐクリスマスだ。もう一ヶ月前に迫っていたとは。
クリスマスを過ぎれば冬休みは目前だ。
休み中に借りる本の目星を付けておかないと。いつも直前で悩むんだよなぁ。
彼に訊いたらなにかいいのを教えてくれるだろうか。
そう呑気に考えながら、本を受け取った。
その時。
「えっ」
がしっと、手首を掴まれた。
ひんやりとした感覚が、余計私を驚かせる。
「あ……、あの。どうかしましたか?」
じぃっと穴が空く程私を見つめてくる上級生に、やっぱり表情はなくて。
何を考えているんだろうと思っていたら、唐突に彼は口を開いた。
「俺、三年二組の真田肇」
さなだはじめ?
いきなり名のってどうしたのだろう。とりあえず私も……
「あ、私、二年三組の」
「一之瀬 白姫でしょ?」
驚きで持っていた本を床にバラバラと落としてしまう。
静かな図書室に本の落ちる音が響いた。
え、何で名前知っているんですか? 超能力者?
そう尋ねる前に上級生……真田先輩は、貸し出しの図書カードを本から取り出し、私に向かって見せた。
よく考えれば当たり前のことだ。脱力して呟く。
「そういうことですか」
その貸し出し欄に、しっかりと私の名前が書かれていた。
私が納得して先輩を見ると、彼は俯いていた。
少し長めの黒い髪に顔が隠れてよく見えない。まぁ、見えたとしても無表情だろうから感情はわからないんだけど。
どうしたんだろう?
呼び止めたからには、用があるはずなのに。
「あの、ご用は何でしょう?」
一応訊いてみる。
すると先輩は顔を下げたまま、小さく言う。
「……別に」
「そうですか……?」
不思議に思ったが、本人がそう言うからそうなのだろう。
床に散らばった本を拾い集め、先輩に軽く頭を下げて図書室から出ようとドアに手をかけた時。
「あの、さ」
また先輩が声をかけた。
さっきみたいに何を言おうか迷っているような声じゃなくて、何かをはっきり伝えようという意志の通った声だった。
「紹介してくれた、【プレリュード】って、面白かった。この後何が起きるのかなって、読んでいてわくわくした。まさに前奏曲だね」
「え」
今先輩が言った本のタイトルは、私が生物室の彼に勧めた本だった。
時間が止まったような気がした。でもそれは私の頭が真っ白になっただけで。
頭の中で、ただひとつ大きく迫ってくるものがある。
嘘、それじゃあ、
「生物室の、方ですか……?」
先輩は無表情に頷く。
そして、手近な紙に、さらさらと自分の名前を書いた。
『真田肇』
真っ白い紙に黒く浮き出たその文字は、まさに私がこの二ヶ月、ずっと眺めていた右上がりの癖字だった。
「じゃあ私が貴方に勧めてもらった本を借りていたこと、ずっと見ていたんですか?」
「そりゃあ。だって貸し出してるの、俺だし」
うわぁ。
両手で顔を覆おうとしたけれど、両手に本を抱えていたのでできなかった。
驚きよりなによりも、恥ずかしすぎる。
「でも、何で今まで黙っていたんですか? 私、三日に一度のペースでここ来ていますよね? いつでも言えたはずなのに、何で今更?」
私が尋ねると、先輩は目をそらした。
頬が赤い……気がするのは気のせいかな?
「言えるわけないよ。アンタが、あんなに嬉しそうに本を借りていくから。言い出して、関係が崩れるのが嫌だった」
俺だって、あのやり取り楽しかったし。
最後にぼそっと付け加えられた言葉は、まともに私の思考に入った。
先輩も楽しかったの? 私だけじゃなくてよかった。
……一方通行じゃなくてよかった。
先輩は真っ直ぐに私を見る。
「今更っていうのは、もう、我慢が出来なくなったから。だって好きな子が、俺の勧めた本を嬉しそうに借りていく姿、見ているだけじゃつまらないでしょ? 折角趣味が合うんだから、もっとたくさん話をしてみたくて。でも言い出して終わっちゃうのも勿体ないっていうか」
俺がどんだけ我慢してたか知らないだろ、と告げる先輩の言葉は、半分頭に入って半分頭から抜けていく。
あ、これって、話を四分の一しか聴いていないことになっちゃう。
そんなことよりも、私は先輩の言葉に囚われてしまっていた。
今、『好きな子』って言った?
ちゃんと話を聴こうとすればするほど、頭が働かなくなる。
「……大丈夫?」
ふっと気が付けば、心配そうに覗き込む先輩の顔があって。さらりと黒髪が一房、白い先輩の頬にかかる。
びっくりして、勢い良く後ろに下がった。
「ごめん」
申し訳なさそうに頭を掻く先輩。
「あ、あの、好きな子って、どういう、意味ですか」
驚きすぎてうまく出てこない言葉をどうにか繋ぐ。
「そのまま。俺は君が好きだよ」
表情を少しも変えずにそういうことを言う先輩を尊敬します……。
そんな私の心の中を知らない先輩は、つらつらと説明をしていく。
「前からさ、この子、俺と趣味一緒なんだなって、なんとなく気になっていた。それで、俺がまだ読んだことない本を借りていったから、俺も読んでみようと思ってタイトルをメモした。そしたら消し忘れちゃったみたいで。そこが」
「生物室の、あの席だったんですか」
「うん。驚いたよ。まさか君もあそこに座っていたなんて。それで何か嬉しくなっちゃって返事を書いたら、君も返してくれるし」
だって大好きな話だったから、手が勝手に……。
「その後も、勧めた本全部借りてくれるし、感想まで書いてくれてさ。俺、本を借りていく君の姿見るのに何度にやけそうになったことか」
じゃあ、あの鉄壁の無表情は何だったのだろう。
全く気が付かなかった。
「それで、思った。こんな子と一緒にいられたら楽しいだろうなって」
顔に一気に熱が集まるのがわかった。
こんなこと言われたの、生まれて初めてだ。
どう返事をしていいのか、わからない。
「それは……私じゃなくちゃ駄目なんですか?」
我ながら馬鹿な質問だと思う。でも訊かずにはいられない。
先輩がまた無表情に頷く。
「駄目。言ったでしょ、好きになったって。よくわからないけれど、君じゃなくちゃ嫌だ」
好き、という言葉がさっきよりも頭に響くのは、少しずつ冷静になってきたからだろうか。
あまりにも、突然すぎる。
何も考えられない頭の中で、必死に考えをまとめようとするが、できない。
「あの、少し……考えさせて下さい」
少女漫画で王道のあの台詞を、まさか自分が言うことになろうとは。
先輩の返事を聞かずに走って図書室を出た。
もしかして夢だったのかもしれない。
そう思って、その日はいつもよりも早く布団に入った。
でも次の朝になっても記憶ははっきりしている。
夢を見た後のような曖昧な所は何一つない。
全部、鮮明に覚えている。
彼、真田肇先輩があいかわらずの無表情であったこと。
先輩があの生物室の人であったこと。
そして、先輩が私のことを好きだと言ったこと。
「夢じゃなかった……」
言葉に出すと、もっと現実味を帯びて迫ってくる気がする。
結局答えが導き出せないまま、学校へ行く時間になって、重い足を引きずるようにして家を出た。
運がいいのか悪いのか、その日の一時間目は生物の時間だった。
いつもの席に座ろうかどうか迷ったけれど、やめておいた。
何か書かれていたら、動揺して授業中に変な行動をとってしまうかもしれない。
それにまた本を勧めてくれていたら、きっと借りにいってしまう。先輩が勧めてくれる本、全部面白いんだもん。
そしたら、そこで先輩と顔を合わせることになるのは確実で……。
どんな顔をして会ったらいいか、わからない。
それなら、最初から行かない方がマシだ。
いつもの指定席から一番離れた席に座った。
「おー、一ノ瀬珍しいなー」
「……まぁ」
どう答えようものかと悩んで、二週間が経った。
今日が、借りた本の返却日。
否が応でも図書室へ行かなければならない。
どうしよう、どうしようと悩んでいるうちに、あっという間に放課後になってしまった。
図書室の前に来てみても、中へ入る勇気がない。
うだうだ悩んでいるなんて、私らしくない。そう思っても、足が進んでくれない。
時間は待ってくれなくて、時計の針はどんどん進んでいく。いつの間にか、閉室時間の一〇分前を指していた。
ああ、早くしないと閉まっちゃう。
覚悟を決めてドアに手を掛けようとしたときだった。
ガラガラッと音を立てて、ドアが開いた。
中から出てきたのは、
「真田先輩……」
もう帰ろうとしていたのだろうか、コートを着て鞄を持った先輩が出てきた。
相変わらずの無表情。
それでも、「びっくりした」と呟いた。
「久しぶり。返却?」
先輩は私の手の中の本を見ると、カウンターへ引き返す。
「え、帰ろうとしていたんじゃなかったんですか」
「まぁね。でも、いいよ。そんなに手間じゃないし。それに、閉室時間より前に帰ろうとした俺が悪い」
そう言いつつ、手早く今日の日付を貸し出しカードに書き込み、返却処理を終える。
呆然とそれを見ている私。
先輩は本を棚に戻し、再び鞄を背負う。
「気をつけて帰るんだよ。じゃ」
片手を上げ、図書室から出て行く先輩のコートの裾を思わず掴んだ。
自然に先輩は立ち止まる。振り返りながら、
「どうしたの。……期待してもいいのかな」
そうは言っても、声は諦めたようなトーンだ。
どうしたのだろう。自分でもわからない。
ただ思わず、掴んでしまった。
なんでもないですよ。ごめんなさい。
そう言おうと思って、開いた口からは全く別の言葉が飛び出てきた。
「好きです」
その時、初めて先輩の表情が崩れるのを見た。
目を丸くして、いかにも『驚いている』感じだ。
「い、今、なんて?」
明らかに動揺している先輩はちょっと可愛いと思う。
「貴方が好きです、真田先輩」
私も自分自身が言った言葉が信じられなくて、驚いていた。
だが口は止まらない。
「あの、私もやり取りしていて思ったんです。こんな人と一緒にいられたらいいなぁって。この二週間、ずっと考えていました。私じゃなきゃ駄目な理由を。でも、今ならわかる気がします。私も、真田先輩じゃなくちゃ、嫌です。先輩以外、好きになれない」
一気にそこまで言うと、フッと息をついた。
先輩は呆然と私の話を聞いていた。
本当に聞いているのかと思うほど、身じろぎもせずに。
そうやって先輩が黙っているものだから、今更恥ずかしくなってきた。
何言ってるんだろ、あんなに捲し立てて! そりゃぁ先輩だって困るよね。ああもう、穴があったら入りたい気分。
耐えきれずに下を向くと、上から笑い声が聞こえてきた。
「っ、何かおかしいですか!」
つい、怒ったような口調になってしまった。
「いや、おかしくない。むしろ嬉しい。……こっち向いて?」
恐る恐る顔を上げると、優しく微笑む先輩がいた。
……初めて、笑った?
思わずドキッとしてしまうのは、やっぱり好きだからなのかな。
「嬉しい。君が俺のことで頭をいっぱいにしてくれてたなんて」
「あ、それ、【心の栓】ですね? ヒロインと仲が良かった男の子の台詞」
前先輩が教えてくれた本だ。
「流石。覚えてくれてたんだ。ありがとう」
ふわりと頭を撫でられて声も出なくなる。
今私の顔は絶対に真っ赤だ。タコより赤いに違いない。
「好きだよ。……改めて、これからよろしくね」
「……こちらこそ、です」
先輩の笑顔に釣られて、私も頬が緩んでいく。
知りたい。真田先輩のこと。もっと色んな本の話もしたいけど、それ以外のことも。先輩自身のことも、知りたい。
……こんなに強欲になっている自分に驚く。前、読んだ本で『恋愛は欲張りだ』と書いていたけれど、本当らしい。
『それを止められなくなるのも、また恋なのだ』とも。全くその通りだ。
頭の上に置かれた少し冷たい彼の手が、火照った身体に心地よくて目を細めた。
すると先輩もますます笑顔になる。
ああ、幸せってこういうことを言うのかな。なんて考えていたら、急にドアが開いた。
「おーい、そろそろ下校時間……っと」
今年度からこの学校に来た若い先生だった。
先生は私たちを見ると、困ったように眉を下げた。
「悪い、邪魔したな」
そう言ってドアを閉めた。
取り残された私たちは……。
「……帰ろうか」
「……そうですね」
外に出ると、あたりはもう薄暗かった。
真っ白い雪がよく栄えている。
「さっむい」
先輩はマフラーに口元まで埋めて息を吐く。
「冬ですからね」
「……寒くないの?」
「寒いですよ」
「じゃあ」
きゅっと手を掴まれた。いや、繋がれた。
「……嫌だったら、言ってくだ、さい……」
恥ずかしさからか明後日の方を向きながら片言で言う先輩。
それが伝染したように、私もやっとおさまってきた顔の火照りが再発する。
「嫌ではない、です」
恥ずかしいだけで。
私も少し顔をそらすと、先輩はふふふと笑う。
もっと顔に血が集まるのがわかって俯いた。
次の日の生物の時間。
気まずくて座っていなかった定位置に座る。
(いきなりこんなことするのはちょっと明らかすぎるかな……?)
そう思いながらふと机に目をやると、
『昨日は嬉しかったし楽しかった。ありがと。……今日も一緒に帰りませんか? 図書室で待ってます』
思わず顔が緩んだ。
きっと私よりも先に先輩は生物の授業があったのだろう。
勿体ないと思ったけれど、消しゴムでこの文章を消す。
こんな恥ずかしい文章、他の人には見せられないし、見せたくない。私だけが知っていたい。ああ、やっぱり欲張りだ。
……先輩に相談してみようかな。
もうあの机のやり取りはやめませんかって。
ちゃんと顔を見て話しませんかって。
そっちの方が、もっと楽しいと思うから。
その日を境に、生物室での本紹介は終わった。
その代わり人気のなかったはずの放課後の図書室からは、毎日静かで楽しそうな二人の声が聞こえて来たそうな。
初投稿です。
これはある賞に応募して落っこちちゃったものです。
まだまだなところがたくさんあると思いますが、ここまで読んで下さってありがとうございました!
【追記】一周年記念として加筆、修正しました。