第21話
礼庵の診療所-
シロは木陰で寝ていたが、総司が近づくとくいっと頭を上げた。
総司「シロ…ごめん。起こしてしまったね。」
駆け寄ってきたシロを、総司は抱きあげた。
可憐「まぁ!かわいい…」
可憐が総司の後ろで、そう思わず声をあげた。
総司がシロを可憐に向けると、シロは可憐の顔に鼻を近づけ、くんくんとにおいをかいだ。
そして、今にも可憐に飛び移らんばかりの勢いで、総司の手を振り払おうとしている。
総司「だめだ、シロ…。着物を汚してしまうからね。」
可憐「まぁ、そんなこと構いませんわ。」
総司は笑って首を振った。可憐の着物に犬の足跡などつけて家へ帰すわけにはいかなかった。
「総司殿」
その声に、総司がはっと振り返ると、礼庵がこちらへ駆け寄ってきていた。
礼庵「総司殿こそ、お召し物が汚れていますよ。」
そう言って、総司の手からシロを引き取ると、持っていた手ぬぐいを可憐に差し出した。
礼庵「すいません。これで総司殿のお着物についている泥を払ってあげてくださいませんか。」
礼庵はシロに頬をぺろぺろとなめられながら言った。
総司「いや…自分で…」
と言ったが、可憐はもう総司の胸元についた泥を手ぬぐいで払っていた。
総司は頬を染めて、黙ってされるがままに、突っ立っている。
礼庵は縁側に座り膝の上にシロを置いて、そんな二人の様子をにこにこと見ている。
総司がその礼庵の姿をふと見た時、東が言った「彼」という言葉が頭によぎった。
総司(東先生は…本当に、あの人を男だと思っているのだろうか?…それとも私の前だからそう言ったのだろうか?)
まだ総司の心に何かがわだかまっている。
……
総司は可憐を後ろに帰り道を歩いていた。
肩を並べて歩きたいが、可憐が遠慮した。
いつも待合せ場所にしている川辺まで来ると、総司は立ち止まり、可憐に振り返った。
総司「ここからは一緒に行けません…申し訳ないが…」
誰が見ているかわからないのはこの川辺でも同じことなのだが、可憐の家の傍まで行くわけにもいかなかった。
可憐は「いいえ」と言い、首を振った。
可憐「…今日は突然に申し訳ございませんでした。」
総司「いえ…会えて嬉しかった…。礼庵殿に感謝しなければ。」
可憐「ええ…。」
二人はそこでしばらく黙り込んだ。
総司「じゃぁ…気をつけて…」
可憐「…はい…またお会いできる日を楽しみにしています。」
総司「私の方こそ。」
可憐は寂しそうにうなずいた。そして、総司に促されて背を向け、去って行った。
小さい背が見えなくなったとき、後ろから、人が走ってくる足音がした。
総司「?」
総司は振り返った。
総司「!礼庵殿…?」
礼庵が息せき切って走ってきていた。手に薬箱を持っている。
駆け寄ってきた礼庵に総司は「どうしました?」と尋ねた。
礼庵「往診を1軒忘れていたのです。…可憐殿はもう帰ってしまわれましたか?」
総司「いえ…今、別れたところなので…」
礼庵「ちょうど同じ方向だから、送っていきますよ。…女一人で歩いてちゃ危ないでしょう。」
総司「それはあなたも同じでしょう」
そう言ってから、総司ははっとした。が、礼庵はからからと笑った。
礼庵「医者が一人歩きを恐れていたら、仕事になりませんからね。…では…可憐殿をつかまえなきゃ。」
礼庵はそう言って手を上げ、走り去っていった。
総司「…ありがとう…礼庵殿…」
総司は走る礼庵の後姿にそっと呟いた。…そして…
総司(あの人には…「彼」という言葉は似合わない…)
なぜかそう強く思った。




