[9] アース〜失いしもの〜
タカは曽祖父のもう一つの形見の品から、ある事実を知ってしまいます。それは、リクとタカに関係する事・・・・・・
タカは、リクとレンが扉をくぐってレンの世界に向かってから、約束通り曽祖父の形見の品について調べる事にした。
まずは、その石を手に取り、ひっくり返したり、撫で回したりと観察してみる。何のへんてつも無いただのペンダントの様にしか見えない。魔法を感じることも無いが、昼間の明るさの中でもぼんやりと光っているのが解る。それは、タカが幼いときから知っている光源でしかなかった。
そのまま、引き出しを調べ始めた。
「確か…前に父さんに見せてもらった…あれ、どこかな…」
独り言をつぶやきながら、本棚の引き出し、クローゼットの中にある書類棚や箱の中まで引っ掻き回していた。
カチャッ
「ただいま……タカ、あなた何してるの」
突然の母の声に、ビクッとして振り返った。
「…あれ、母さん。どうしたの、こんなに早く…」
「え、ああ何かね……疲れてるのかしら、気持ちが集中できないの、仕事にならなくって、お釣り間違えてばかりで……体調が悪いって早退しちゃった」
「そう、大丈夫なの」
母は、心配そうに顔をしかめたタカの肩に手を置いて、クローゼットの中をのぞいた。
「母さんは大丈夫よ。タカの顔見たら気分が少し良くなったみたい。でも、あなた何探してるの。こんなに何もかも出しちゃって、片付けるの大変よ」
そう母に聞かれ、言い訳を考えていないのに気付いて少しあわてる。
「え、えっとあのさ……文化祭の出し物でさ、古いものを調べて研究発表しようって事になってさ。曾爺さんの形見のペンダントや、ほら日記みたいな変な文字が書いてあるやつ。あれなんか調べてみようかなって思ったんだ。ダメかな」
あわてたせいで、矢継ぎ早に説明したが、母は疑っていないようだ。ニコニコ笑って探し始めた。
「ま〜文化祭。三年生だから中学最後ね。母さんが探してあげる。探し物は母さんの方が得意だわ。あんたが探したって絶対無理なんだから」
なんだか、必死になって探し始めた母が、いつもと違うように感じる。ウソがばれてるのかとも思ったが、そんな感じでもない。何かにとりつかれた様に探し続ける。
「あった。これでしょ、曾お爺さんの日記……」
タカにそれを渡しながら、母の手は震えている。
「どうしたの、おかしいよ母さん、気分悪い」
「え……大丈夫よ。でもね……でも何か探さないとって……仕事してたって落ち着かないのよ。何か失くしたの……でも解らないのよ。こんなのってある」
とうとう母は泣き出してしまった。何がなんだか解らないまま、タカは母の肩を抱いてリビングのソファーに座らせた。こんな母の姿はみた事が無い。三人掛けのソファーに座って落ちつかなげに涙を拭いている。昨日も苛立っていたが、今日のこの様子はタカにも全く理解できない。
母の事はよく理解しているつもりだ。いつも、あまり深くものを考えず、能天気に暮らしている。何か解らないものに怯えるような繊細さは持ち合わせていないはずだ。
ふと見ると、ダイニングテーブルの上には昨日と同じ、駅前の新しいパン屋の包みが置いてあった。それを手に取り母に声を掛ける。
「はい、母さん。アンパン食べて落ち着こうよ。ね、大丈夫だから。俺が一緒に探してやるよ…ね」
袋ごとパンを母に渡す。母は袋から一つパンを出してジッと見つめている。まだ落ちつかなげに母が言った。
「ねータカ…あなた、クリームパン食べる」
どうやら、母の持っているのはクリームパンらしい。
「いや……いらないよ。母さんと一緒で俺クリームパン嫌いなの知ってるでしょ」
母の眉根がグッとよった。
「そうよね……誰も食べないの解ってるのに……絶対買わなくっちゃって……」
「誰も食べないって、リクが大好きだから、いつも買ってくるじゃないか」
タカの言葉に怪訝な顔の母は思いがけない質問をした。
「リク……誰? タカのお友達」
「はァ、何のジョーダン言って……」
自分の言葉に、息が止まりそうになる。タカは今朝の翔汰を思い出していた。タカによそよそしく謝罪して逃げていった翔汰。リクが幼稚園のころから、毎日のように家に遊びに来て一緒に過ごした仲なのに、あまり知らない先輩に接するような態度だった。
背中をゾクッと悪寒が走る。嫌な想像をしている自分に腹が立った。そんなはずは無い、何かのジョーダンだと思いつつも、母の顔を覗き込んで、小さな声でたずねてみる。
「母さん……俺って、母さんのたった一人の子供…」
(リクのお兄ちゃんでいるの嫌になったの。あの子バカばっかりやってるからね)と母は言うに決まっている。(バカね何言ってんのよ。リクのお兄ちゃんは辞められないわよ)と笑い飛ばされるに決まっている。いつもの様に笑いながら。そう信じたい。
でも母は笑わない。首をかしげて自分を見つめている。
「なに言ってるの……当たり前じゃない。あなたは一人っ子じゃないの。心配しなくっても私には隠し子なんていないわよ。失礼ね」
母の言葉は、タカの想像を肯定していた。母の手にあったクリームパンをとりあげて、あわてて二階に上がり、リクの部屋のドアの前に立ちドアノブに手を掛けた。そこに行けば、この部屋に入ればリクがいるとでも言うようにドアを開けて呼んでみる。
「リク……」
今朝リクは扉をくぐり異世界へと旅立った。いないのは当たり前だ。だが、リクの部屋は主が留守な訳ではないようだ。
そこは、今朝までの様子とは全く違っている。何年も、というよりはこの家が建ってからずっと、余分な物を置いておく収納部屋に使われている様だった。ここにリクが住んでいたと言う痕跡は、かけらも存在しない。
「…なぜ……お前が初めから存在しないみたいに…」
握ったクリームパンは袋の中でつぶれてクリームがはみ出している。
それを見つめてタカはぽつりとつぶやいた。
「ごめん、クリーム出ちゃたな……」
「いいじゃない、誰も食べないんだもの」
母がいつの間にか横に来ていた。自分の不安が何なのか解らないはずなのに、母親の勘なのだろうか。
無意識にタカの後を追ってきたようだ。残された子まで失うかもしれないと恐れるように、母はタカのTシャツの裾をそっと握った。
「あなたも、まだ何か探してるの、母さんが探してあげようか。見つからないと…こまる物なの……大丈夫よ母さんが、探してあげる。どんな物なの」
「……」
タカは自分より少し小さい母をしっかりと抱きしめた。
「俺が探すのは、母さんと同じもの……」
「あらあら、小さい子みたいに何…でもタカ……母さんの失くしたもの、あなた知ってるの。私が解らないのに」
「ああ、知ってる……良く知ってるよ。とっても大切なものだよ」
「そう……」
母はあまり良く理解できないようだが、何年ぶりかに抱きしめた息子の暖かさに、少し不安が収まったようだ。
「タカ……子供みたいね。おかしいわよ……でも、なんか嬉しい」
「母さん……俺に任せて。この探し物は俺にしか見つけられない」
「まァ探し物が大の苦手のあなたが。でも、あなたでないとダメなのね……」
「うん。俺でないと…無理……」
「そうか。じゃあ、お願いね……きっと探し出して。さあ、下に行って一緒にパン食べよ」
母は抱きしめてくるタカの腕をすり抜けて肩をポンと叩いた。
「……うん、俺クロワッサンがイイナ……ある」
「勿論。大事な息子の好物は忘れないわよ」
そう言った母の顔が少し曇った。
リクを完全に忘れてはいない、母親はそう簡単に息子を忘れたりしない。母の顔がそう語っているようだった。
「さっ早く食べよ。母さん」
母がこれ以上混乱して悲しい顔をするのは耐えられなかった。自分が母の気を引いておかなければ、母は何も解らぬままに壊れてしまいそうに思えた。能天気な母の性格が、いつもの様に顔を出してくれる事を祈った。それと同時に(リクを忘れないでくれ)と母の浮かない顔に希望を託す。
矛盾した思いがタカの心を揺さぶっていた。タカは母と階段を降りながら、もう一度リクの部屋のドアを見た。
必ず連れ戻ると心に決めていた。
「リク、緊急事態発生だ。俺はお前を迎えに行く、約束通りに……」
その手の中で、クリームパンはとても優しく握られていた。
その夜遅くに父が帰宅した。
明日に帰宅する予定を繰り上げたと話していた。珍しいこともあるものだと母が笑ったが、父は笑っていなかった。というのも母が感じた、失ったものへの不安は父の心も同じように乱していたらしい。
出張先で、家族のことで忘れている大切な事があるような気がして、どうにも落ち着かなくなり、部下に後を任せて帰ってきたらしい。
母はあきれた人ねと言って父のYシャツの袖を握り締めて泣いてしまった。父は母をそのまま寝かせると言って寝室に連れて行った。父も、何がなんだか解らないのだろうが、いつもと違う母の様子に戸惑いながらもしっかり支えていた。そんな父が、いつもより頼もしく思えた。
やっと1人になったタカは、早速曽祖父の日記を取り出した。この日記とレンが[大地の紋章]と呼んでいたペンダントしか手掛かりは無い。父と母のようすから、二人が何か知っているとも思えない。
明日の朝、扉が開くと同時に呪文を唱え扉をくぐり、リクの元に行かなければならないとタカは切実に感じていた。それまでにリクの存在が消えた理由がほんの少しでも解っていたかった。曽祖父の日記は普通の大学ノートの大きさ程に切った紙が束ねられている。表紙は長い時の流れにも耐えられるようにと考えたのか、全体を包むように目の細かい堅い布が張られていた。
幼い頃に父に見せてもらった時は、蛇がのたくる様な不規則な柄が連なっているとしか思えなかった。
父は自分も何が書いてあるか解らないと言っていた。何なのかは解らなくとも、これは代々小原家で子供に受け継ぐと約束した大切な品なのだと言った。約束させられた時は、幼い父にも解ったくらいに、じーさんは真剣だったとも言った。そう言いながらも、じーさんは変わり者だったからと笑っていたのを思い出す。
自分にも到底わかるはずもないと思うのだが、魔法を使える今は読めそうな気もしていた。恐る恐る日記を開く。
やはり、蛇がのたくっている……しばらく気落ちしたまま見つめ続けると、蛇は動き出し形を変えていった。見る見るうちに蛇はタカの知っている文字を作り始めた。
この手紙を読んでいる何代先に生まれるか解らぬ我が孫へ
これを読めると言う事は、お前が魔法の力を持っていると言う証。私は、誰にでも読むことの出来ぬよう魔術を使いこれを書いている。
私の血を継ぐ魔法使い殿、どうか私の願いを聞いて欲しい。
私の名はアース。この世界では「松田 大地」と名乗っている。妻も子も私の本当の名は知らない。
なぜなら、私はこの世界の人間ではないからだ。
私はソラルディアの[大地の城]で生まれ、大地の王子として育った。何不自由なく幸せな日々の中、平穏さに飽き飽きしていた。そんな私の元に、ある日突然素晴らしい贈り物が届いた。
それは城の中庭の、私がいつも1人で過ごすの秘密の場所に、突然現れた。
[異世界への扉]
私はこれを自分だけの秘密にした。あの頃の愚かな私は、あきあきしていた日常を劇的に変えてくれる高価なおもちゃだと思った。
色々調べ上げ、とうとう私は扉をくぐり、この世界にやってきた。そこは、太い木々の生い茂る林だった。民家は林の向こうにあり、数も少く人気も無いので、扉が見つかる心配はあまりなかった。
扉をくぐる前に、かなりの調べ物をしていた。扉の固定法方や隠し方、異世界で行動するに当たっての注意点などだ。その中に、異世界には自分の対の人間が存在するとの記述があった。
私は、自分の対の存在に興味を持った。書物の記述によれば、対の人間同士は引き合うものらしい。かなり早く出会えるだろうと思っていた。私は魔術で扉を固定し、その後人々の住まう村へと向かった。私は自分の対の人間に出会うのを楽しみに、その村で数日を過ごした。
対の人間は、見た目が瓜二つですぐに見分けられるはずだった。しかし、何日たってもそれは現れず、私も意地になっていた。もう少しだけと、滞在期間を一日一日延ばしていった。
持ってきた携帯用の保存食も底をつき、そろそろソラルディアに帰ろうと思っていたが、その時、美しい乙女と出会ってしまった。彼女は、薄汚れた変わった服装の私を怖がることなく話しかけてきた。話すうちに、私が腹を空かしていることを知り、自宅に招いてご馳走してくれた。
彼女は、早くに両親に先立たれ一人で暮らしていると言った。私は、この美しく優しい凛とした女性に、自分には無い強さを感じた。若い故の愚かさか、自分の素性も忘れ、私は彼女を愛してしまった。
彼女も私を受け入れ、ともに生活するようになった。私は彼女との二人の生活に溺れていった。数ヶ月はアッと言う間に過ぎた。
さすがの私も、このままではいられないと気付き、 彼女には何も告げず扉をくぐりソラルディアに戻った。旅立った時と変わらぬ生活が待っていると、信じて疑わなかった。
だが、それは間違いだった。城の誰も、私のことを知らないのだ。忘れたのではない、初めから存在しないのだ。王である父も、母も、弟も私など知らぬと言い放った。
私は無断で城に侵入した罪で、裁かれる事になってしまった。だが、母のはからいで城の下働きの仕事を与えられる事となった。その時母は、
「可哀想に、きっと行くところも無くさまよっていたのでしょう。こんなに大きな体をしていても、生きてゆく術も知らぬのでしょう。それなら罰を与えるより、城で仕事を与えてあげなくては哀れというものですわ」
と二言三言、父にとりなしてくれたと聞いた。自分を王子だと言い張る私を、頭のおかしな哀れな者と思ったのだろう。私は、生まれた城に下男として暮らす事となった。
以前とのあまりの違いに、私はひどく打ちのめされた。何故こんな事になったのかと調べようにも手段が無い。時間は、日々の慣れない労働にめまぐるしく過ぎていった。
そんな時、城の図書館の床磨きの仕事が与えられた。やっとチャンスが巡ってきたと思った。床磨きもそこそこに、私は異世界に関する書物を片っ端から調べていった。どうしても、元の状態に戻す手掛かりが欲しかった。ようやく、それらしき記述に行き当たった。
「異世界に対になる人間を持たぬ者は、扉をくぐるべからず」
「その者、扉をくぐるならばこの世界から存在全てが失われると知るべし」
「扉をくぐりて後、数日で対の人間に出会う事無くばそれと知るべし」
「これを元に戻す術なく、それは人の行う領分にあらず」
その四行に全ては記されていた。私は、取り返しのつかぬ事をしてしまったのだ。自暴自棄になった私は、恐ろしい思いに囚われた。私は、王の居室にに忍び込み[大地の王の紋章]を盗んだ。
これは、私が受け継ぐべき物。私の10歳の誕生日に、父王から贈られた物とは違う、王の証であり大地の領域そのものに繋がるもの。大地の王のみが持つ事を許され、大地の領域に恵みをもたらす魔法の石。
何もかも失ったのなら、これだけは貰っていこう。愚かにも私は[大地の王の紋章]を持ったまま、扉をもう一度くぐった。
二人で暮らしたみすぼらしい家で、彼女は私を待っていてくれた。「必ず戻ってきてくれると信じていた」と涙を流した。
ここに、私を忘れず待っていた人間がいた事は、私を歓喜させた。彼女のお腹には私の子供が宿っていた。失った家族と地位よりも、私を待っていた彼女とお腹の子が愛しかった。
しばらくの間は彼女の愛情に身をゆだね全てを忘れた。数日たち落ち着いてくると、自分のしでかした事の重大さに身震いした。
[大地の王の紋章]を返さなくては。
何かにせかされるように扉のある林の裏手へと走っていった。毎日同じ時刻に同じ場所に現れた扉は、なぜかその日現れなかった。そう、もう二度とそこに現れることは無かった。
私がソラルディアに戻っている間に固定の魔術は薄れていたらしい。
恐ろしい罪を犯したと思った。王の紋章を失うことは、領域にどのような影響を与えるのだろう。私には、それを知る術はもう無い。
こうして、[大地の王の紋章]を持ったまま、この世界で生きる事になった。
これまでの数十年の間の家族との生活は幸せなものだった。だが、至福の時間を削っても探し続けなければならないものがあった。それは、ソラルディアとこの世界を永遠に繋ぐという[空と大地の門]
この世界のどこかに、門は存在する。これをくぐって、今一度ソラルディアに戻り、紋章を返すこと。
それだけが私の生かされる意味なのだと思った。
私の子供には魔法の力は与えられなかった。孫達にも、魔法の力は今はまだ感じられない。
いつ魔法の力を持つ子が生まれるのか、私にも解らない。もう私の罪を償うことは無理なのかもしれないとも思う。そしてとうとう私の命も残り少なくなってきたようだ。
この手紙を私の形見として[大地の王の紋章]と共に我が孫に託す。いつか必ず、未来の魔法使いに届くと信じて。魔法使い殿、私の代わりに[大地の王の紋章]を元の場所に返して欲しい。
死に行く年寄りのたった一つの頼みごと。どうか聞き届けて欲しい。
門を探す魔法使い殿の力が、私よりも強いことを神に願おう。
1970年 雪の降る夜に アース
次のページにはアースが[空と大地の門]を探した場所が記され、その次には扉をくぐる呪文が丁寧に注釈つきで書かれてあった。
読み終わったタカの体はブルブルと震えていた。この手紙には、リクの存在が失われた真相が書かれている。そればかりか、自分達兄弟がソラルディアの人間の血を受け継いでいた事実。
この手紙を読み終えた今、レンがリクの前に現れた事は、必然であったように思えた。
レンは運命だと言った。リクもそれを受け入れているようだった。
「リクはソラルディアに[大地の王の紋章]を戻す為に、この世界に生まれたとでも言うのか」
タカは強張った体を無理にそらし椅子の背に体を預けていつもの様に考え始めた。
どれくらいの間そうしていたのか、タカにも解らなかった。もう明け方近くなのは周りの空気が教えてくれる。机の上に置いたペンダントらしき物を手に握り締めてた。
「いいや、これは俺の使命だ。そう[大地の王の紋章]は今俺の手にあるのだから」
自分の決意を確かめるように、タカは声に出して語り続ける。
「俺は曾じーさん……いやアース、あんたの願いを叶えてやる。そして、リクをつれて帰る。あんたは誰も覚えていなかったと言うが、リクには俺がいる。何故だか解らないが、俺はリクを忘れていない。これからも絶対に忘れないし、母さんも父さんも完全にリクを忘れたわけじゃない……まだ間に合う。間に合うはずなんだ」
自分に言い聞かせているようなタカだった。
(あの時、俺がレンと一緒に行っていれば、どうだっただろう……リクには対の人間がいないらしい。では、俺にはいるのか。対の人間が…俺達二人とも対の人間がいなかっら……この世界に戻ってきた時どうすればいい)タカの心は不安に揺れていた。
椅子から立ち上がりベットに寝転んだ。いつもの冷静な自分を取り戻そうと、目を閉じて大きく息を吸って吐き出す。明け方の5時過ぎを指している時計は、静かな夜明け前の部屋に、コチコチとうるさく響いた。
目を閉じたままタカは、そこにいないリクに話しかける。
「リク、今お前がここにいたら、俺を癒してくれるか……バカ兄ちゃんって言いながら、それでも癒してくれるんだろうな……今お前が必要だよ…お前がいたから、俺は強くいられた。お前の大好きな兄ちゃんでいる為に……」
ほとんど寝ていないにもかかわらず、タカの頭は冴えていた。
母と一緒に朝食をとりながら、母の様子をそれとなくうかがう。
「母さん、今日は仕事、それとも休み」
「うん、休む事にしたの。父さんも疲れたから有休取るって言うから」
「そう……たまには、ゆっくり休まないとね。父さんも母さんも」
タカは二人とも家にいるとなると、十分注意が必要だと思い、頭をめぐらす。
扉をくぐる時に見られるのもマズイが、その前に学校に行っている時間に家に隠れているのを見つかるのは、もっとマズイ。学校に行かなかった言い訳をしている間に、扉が消える可能性が高い。母の説教は、途中で眠気に負けそうになるほど長いのだ。
リクはいつも途中で寝てしまい、さらに怒りのバロメーターを上げていたのを思い出す。(あいつは上げたバロメーターを下げる事を知らない。上げるのはあいつ、下げるのはいつも俺の役目だった……イヤ、母さんの機嫌を治していたのは、やっぱりリクの笑顔だったのかもしれない。それとも、魔法か)リクの事を思い出すたびタカは決意を高めていく。そうすれば、自分の不安を押さえ込めるような気がした。
その時、母がタカの目を見つめて聞いた。
「タカ、あなた今日は学校いくのよね」
「ブッ」
あまりに的を得ている質問に、噴出すのを抑えられなかった。昔から、よからぬ事を企んでいると、必ずこういう的を得た質問をしてくる母だった。(どこの母親も同じなのだろうか。これは女の勘か、いいや母親の勘だ)
取り乱してなどいない様に平然とした様子を演じる。わきの下に変な汗を感じる。
「母さん大丈夫? 当たり前のこと聞かないでよ。まだ調子良くないなら、俺も学校休んで一緒にいようか」
母はあわてて首を振る。作戦成功らしい。
「大丈夫よ。バカね今日はお父さんもいるし心配しないで学校行ってちょーだい」
「わかったよ。勿論学校にいきますよ。おかあさま」
タカが、母親の体調不良を理由に学校を休むなど、考えられない母だった。そんな事は十分心得ているタカである。この単純な思考を持つ母がタカは好きだった。その単純な思考はリクだけに遺伝したらしい、タカは母とリクが羨ましいと思った。そして、大好きだと確信した。
「じゃっ行ってきます」
「行ってらっしゃい。はい、お弁当、今日のはチョット豪華なの。早くから目が覚めちゃって……ほら、早く行きなさい」
「……ありがと、母さん」
「今日は早く帰ってね。久しぶりの父さんとの夕食だから」
「……うん、わかった……」
タカは母の弁当をしっかり抱えて玄関を出た。
自分がもし失敗したら、母はどうなるのだろうと思う。それは一番触れたくない不安の核心だった。しかし、今それを考えれば決心が揺らぐ。タカは玄関の横を通り過ぎ、庭とは反対の方から家の裏へまわる。年末の大掃除の時ぐらいしか、誰も来る事のない物置の裏手に入り込み、しゃがみ込む。
ここで30分ほど待たなくては、扉は現われない。タカは一心にリクの笑顔を思い浮かべる。そうすれば、使命感は不安を上回るとタカは知っていた。幼いときから、リクの面倒を見る事は、母から課せられた使命のようなものだった。
「リク。兄ちゃんが迎えに行ってやる。アースのじーさんが調べ落とした事があるはずだ。向こうに行けば、元に戻す方法を見つけられる。俺が見つけてみせるさ。なっ、いつもお前を助けるのは、俺なんだから」
もう季節は秋だが、ジッとしていてもまだまだ暑く汗が背中や額を流れ落ちる。
抱えていた母の作ってくれた弁当をカバンにしまい、替わりにタオルを取り出して汗を拭く。
ふと見るとタオルの端に
〜RIKU〜 と刺繍してあった。
タカは無事リクの存在を取り戻せるのでしょうか?
これからの展開は作者にも分からないかも?