[86] 愛してくれた人
大地の王と、ハモートの過去。
ガイダンの母。
込み入った以上の中、大地の王が考えていた事とは?
表面上は、元に戻ったような様子の大地の城の王の居室で交わされている会話は、何とも切ない昔話だった。
「ハモート……そなた、知っておったな。昔にワシが仕出かした汚い裏切りを」
ハモートは、大地の王の横で、黙ったまま首を振った。
「知っていた……いや、知らされたと言った方が良いのか。多分、闇の妖精の仕業じゃろうな。そうでなければ、そなた程の魔術師が、簡単に闇の妖精に支配されたりはせぬだろう……そうではないか」
ハモートの口から、小さな溜め息がもれた。
「陛下……私は、酷く傷ついたのでございます……いえ、現在の私ではございません。若き日の私……あの娘に恋をした頃の……」
リクは、話が中々見えてこないことに苛立ちを感じ始めていた。
「兄ちゃん……話、分かる。俺、ぜんっぜんワカンネー、つまんねー」
「バカか、それともガキかお前は、黙ってろ」
タカは、リクの口を両手で塞いだ。
『ムガっ』
大地の王が、二人を見て微笑んだ。
「そうよな、ワシとハモートにしか分からん話じゃった。ガイダンにもな……しかし、ガイダンには聞く権利がある」
大地の王の隣の椅子に腰掛けていたガイダンが、驚いたように顔を上げた。
「私ですか」
大地の王は、淡い茶色の瞳を細めて、ガイダンを見つめた。
「それはな、お前の母の話しじゃからな」
「母の……」
ハモートが、小さく咳払いをした、どことなく居心地が悪そうに見える。
「ワシはな15才も歳の離れたハモートを兄の様に慕い、早くに亡くなった父の代わりの様に依存しておったんじゃ。いつまでもハモートがワシの面倒を見続けてくれると信じておった」
ハモートが、もぞっと動いた。
「陛下、結果だけをお話しになられては如何ですか。私の事など宜しいでしょう……」
大地の王は、チラリとハモートを見たが、そのまま続けた。
「ある頃から、ワシは気付き始めた。ハモートの視線の先にあるもの……ワシと歳の変わらぬ、そう16、7歳の城の召使の娘じゃった。彼女もハモートが気になっている様子じゃった。色の白い、琥珀色の瞳がキラキラ輝く愛らしい娘で、名を、ミリアと言った」
ガイダンは、ハッと息を呑んだ。
「母さん……」
「そう、お前の母じゃ……」
「では、私の父は……ハモートなのですか」
「いえ……ガイダン様、そうではありません」
ハモートの顔は苦痛に歪んでいた。
「そこじゃよ……まだ未熟じゃったワシは、ハモートがワシの元を離れて行ってしまうと不安になった。ワシは、卑怯にも……ミリアを手篭めにしたのじゃよ」
そう言った大地の王は、自らの顔を手で覆った。
「そして、自分がワシのお手つきになったとハモートに知られる事を恐れた彼女は……この城を去った……だが、だがワシは……ハモートの視線の先を追いながら、本当は己自身も彼女に恋をしていたことに、その時になって初めて気付いたんじゃ」
その時、ハモートの手が大地の王の膝に伸ばされた。ガイダンは、黙ったまま自身の手を握り締めた。
「それならば……なぜ……何故その時に……あなたが望めば、どの様にもなったものを」
大地の王は、大きく息を継ぐとハモートを見つめた。
「そうだとも、おごっていたワシもそう思った。ミリアの実家を調べ、尋ねていった。勿論、たった一人、隠密にな……ワシは側室に来てもらおうと考えた。ワシは、何と身勝手な人間なのだろうな……お前の気持ちなど全く考えもしなかったのだから。ミリアの気持ちさえも考えなかった」
大地の王は、手で顔を覆ったが、その隙間から流れる涙は覆い隠す事は出来なかった。
「ミリアに言われた。自分は穢れていると。愛してもいない男に辱めを受け穢れた身体では、王の側室になどなれはしないと。そして、自分が愛するのは、生涯ハモートただ一人と」
大地の王の姿を横目に見ながらガイダンが椅子から立ち上がり、丸い飾り窓にもたれかかった。その淡い茶の瞳は、うす曇りの空を見上げていた。
「母は言っていた。とても愛した人がいたと。そして、とても愛してくれた人がいたとも言っていました。私は、それが自分の父で、勿論、一人の人物だと思っていた」
大地の王は、ガイダンを振り返った。
「愛した人はハモート、愛してくれた人とは、父上……あなただったのだと思います。今だから分かる。、母が存命の頃は、時折遠くの方から私達親子を見つめる人がいたことを覚えています。父上、ですよね」
「ガイダン、知っていたのか。ワシは時折、忍びで街へ下りお前たち親子の姿を見て過ごすのが唯一の楽しみだった」
「陛下がお若い頃よく街に行かれる事は知っておりました……まさか、その様な事とは、てっきり若気の至りのお遊びかと黙認しておりましたが……」
ガイダンは、ゆっくりと振り返ると、父王の瞳を見つめ返した。
「あなたは、私が生まれる前から、愛してくださっていたのですね……今の今まで分からなくて……この城を、とんでもない事に陥れるところでした。申し訳ありません、父上」
大地の王は、ゆるゆると首を振った。
「いいや。ミリアが亡くなって直ぐに訳のわからぬままのお前を、みなの反対を押し切って養子に向かえながら、ワシは、真実を言う事が出来なんだ……恥じていた、自分の過ちを……全ては、ワシの罪……二人とも許してくれ……」
リクは、それまで座っていた椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。
「話は終わった。王様さ、俺に何か頼みごと、あんだろう。早く言いなよ」
「大地の魔術師……なぜ、ワシの考えが分かる……」
リクは、ニヤっと笑ってから、自分の瞳を指さした。
「俺の瞳は、時読みの瞳なんだ。さっき、あんたが、この部屋でこのメンバーの前で頼みごとしてるのが見えたんだよ。早いトコ済まさねーとなんない事情もあるんでね」
大地の王は、心底から感じ入っている様だった。
「心の癒し手でありながら、時の魔術師とは……今、この時に、いったい何が起ころうとしているのじゃ……」
リクは、フンッと鼻を鳴らした。
「だ、か、ら、早く言ってよ。急いでんの」
「ああ済まん、そうじゃ……ワシの大地の王の紋章を、ガイダンに譲りたいのだ……こんな、汚い人間ではなく、綺麗な心を持ったガイダンに大地の王の紋章を譲りたい。今だからこそな」
リクは、溜め息をつきながら、大地の紋章を見つめ指さした。
「元気なまま、王の紋章を移すことは出来ないんじゃねーの。コイツがそう言ってるけど、あんた死ぬよ、いいの」
ガイダンが、身を乗り出した。
「父上、そんな事出来ません。私はその様なもの欲しくは無い」
「欲しくとも、欲しくなくとも、いずれはお前のものなる。お前は、大地の王となるのだからな」
リクは、ガイダンと入れ替わりに、丸い飾り窓に近寄った。
「さァ、兄ちゃん。レンが帰ってきた。嵐になるぞ。にしちゃあ、穏やかな雨雲だな……」
「何をおかしなことを言ってるんだ。レンちゃんが帰ってきたってのは本当か」
「ああ、俺がレンの気を間違うはずないだろうよ」
ハモートが、静かにリクの隣にやってきた。
「レンとは、どなたですか」
「俺の彼女。でさ、雲の城のお姫様で、雲の魔術師なんだ。すっげー怖ェ〜んだぞ」
タカが、呆れたように呟いた。
「レンちゃんに、チクっちゃおーかなァ」
「あっ兄ちゃん、それダメだって」
その時、大地の王が力いっぱい、目の前の机を叩いた。
「大地の魔術師よ。やってくれるのか、やってくれぬのか」
リクは、嫌悪の表情を大地の王に向けた。
「おっさん、それが俺じゃねーと出来ないって事は、大地の紋章が教えてくれた。でもな、短気はいただけねーわ」
大地の王が怒りも顕わに立ち上がった。
「この大地の王が、これほど頼んでいるものを、断ろうと言うのか。大地の魔術師といえど、ゆるさぬぞ」
リクは、大地の王を睨んだまま紋章を見つめていたが、すっと瞳を閉じた。少しの間、目を閉じていたが、ゆっくりと話し始めた。
「あのな、今から始まるのは、大戦争って言っても可笑しくないもんなんだよ。大勢の人間が死んでいくかもしれない……いや、実際に死ぬんだよ」
「大戦争」
部屋の中の誰もが、タカまでもが息を呑んだ。
「そう、あんたの命だって、ガイダンの命だって、どうなるかなんて分からない」
部屋の中では、誰も動けないでいた。ただ、外の喧騒だけが聞こえてくる。
「今、ここで、王様が命を落とすことはないんじゃねーか」
「ワシは、その戦いで死ぬのか」
リクは、小さく首を振った。
「いや。それは言えないし、分からない。でも、一つだけおっさんに教えてやるよ。息子を心から愛していたご褒美、かな」
タカが、しかめっ面をしている。
「リク、いい加減にしろ。礼儀は忘れていけないだろう」
「はいはい。王様の息子のガイダンは、大地の王の紋章を受け継ぐよ。それは、はっきりと見える。それが、いつかは分からないんだけどな」
リクの言葉に、大地の王はガクッと膝を折ると、椅子に座り込んだ。
「そうか……ありがとう、大地の魔術師リク」
「いーえ、どういたしまして……じゃあ、レンを迎えに行って来るわ」
レンが戻ってきた。
リクは、迎えに行きますが?