[78] タナトシュは?
ショウヤに案内されてやってきた居酒屋。
何だか、窓もない個室に案内されて、かなりの間待たされることに……
ユティは、ガウと共に居酒屋の奥にある個室で、かなりの時間ショウヤを待っていた。店の主人は、ユティが食事をしている間、ガウにも生肉を与えてくれたが、部屋の中に入ってくるのは恐ろしいのか、ユティの食事同様にガウの食事も部屋の外に置いてノックだけすると逃げてしまった。
この居酒屋は、ショウヤの妹夫婦が経営しているらしく、店の主人はショウヤの義理の弟にあたる。ショウヤもかなりの頻度で利用していると言っていたからか、義弟の連れて来た珍客を、恐る恐る見に来るショウヤの友人は後を絶たなかった。そんな野次馬たちがの訪問が少なくなった頃、ユティは、テーブルの上に載っているギャンブル用と思われるカードを手に取った。
「ガウ、このカードでする遊びは、どんなものだろうね。炎の民の村にはカードなんかなかったから、書物で見たことがあるだけだけど、かなり面白いらしい。金品を掛けて戦う事もあると書いてあったな」
ガウは、ユティの言葉に、ガルルと唸りながら左右に首を振った。
「なんだよ、面白くないって言うのかい。ガウだって知らないだろう……もしかして知ってるとか……まァいい、お前の過去をほじくり返しても私には何の得も無いのだから」
グルゥッグルゥッと、小さな声でガウは唸った。ユティがガウの頭をなでてからカードをテーブルに戻した時、ドカドカと大きな足音と共に、ショウヤがドアを開けて入ってきた。
「待たせたな。ガウ、大人しくしてるじゃないか。やっぱり、違うなァまるで人間みたいだ」
そう言ったショウヤの後ろから、黒いマントに身を包んだ紳士が入ってきた。
「ほう。これがお前の言っていた、人間の言葉が分かる狼か」
その紳士の顔を、ユティは油断なく観察してみる。本当に、ガウに興味を抱いているのか、眼が細められ微笑み、マントの下から伸びた手は今にもガウの喉元を撫でようとしていた。
ガウの灰色の瞳が、ユティへと向けられた。その瞳を追うように、紳士の瞳もユティへと向けられる。
ユティは、椅子から立ち上がると、深々と頭を下げた。
「大地の民ユティと申します」
「私は、タナトシュ、雲の城で働いている」
タナトシュも、ほんの少しだけユティに頭を下げた。
「ところで、ユティ殿。はるばる大地の領域からこの雲の城に来られたのは何のためかな」
タナトシュは、ユティから目を離さず、真っ直ぐに見つめてきた。
「タナトシュ様。私のような若造に気をお使いになる事はございません。ユティとおよびください」
タナトシュの眉が、ピクリと上がった。
「そうか、こんな年寄りに気を使われては、君もやりずらいのだろうな。では、ユティ……何が目的で、この城に来たのだ」
ユティを見るタナトシュの目に、強い光が宿った。ユティは、その瞳から逃れるのは止めようと思った。闇の妖精の影が少しでも見えはしないかと、しっかりと見つめ返す。タナトシュは、きつく睨まれても物怖じしないユティの態度を、どのように受け取ればよいのか迷っているようだ。目を逸らさないまま、ユティは答える。
「私は、ある方に賢者になる者と予言を受けております。それ故、知識を蓄え見聞を広め、己を高める為に旅をしているのです。この度は、雲の城にてある蔵書を拝見したく参ったのでございます」
タナトシュは、ユティを頭の先からつま先まで眺めていった。
「ほう、賢者となる予言とは。いったい、何処の預言者かな。大地の領域に大いなる予言者がいるとは聞いていないが。私が無知なだけなのだろうか」
ユティは、そっと微笑む。
「タナトシュ様が今のままつつがなくお過ごしであれば、いつか会うことになるでしょう、必ず」
タナトシュは、眉間にシワを寄せた。
「何とも、意味深な言い方をするものだな賢者様は」
それまで黙って見ていたショウヤは、ここまで来るとタナトシュが怒るかもしれないと、仲を取り持ちに入った。
「まあ、まあ、お互いの品定めみたいな事はもういいだろう。タナトシュ、お前いつもよりイラついてないか。何か変だぞ。城でまた何かあったのか」
タナトシュが、ショウヤの言葉に大きく溜め息をついた。
「はぁ〜すまん。本当に少し疲れているのかも知れんな。これでも色々あってな。さァ、狼をもう一度見せてもらおうかな」
タナトシュがガウの方を見る一瞬前に、ガウはユティと視線を交わしていた。ユティが、小さく頷くのを確認したガウは、タナトシュの瞳をジッと見つめた。闇の妖精に支配されていなければ、ガウがほんの一時でもタナトシュの身体に入れるはずだった。闇の妖精に支配されているかを確かめる為には、この方法しかないと初めから決めていた。怪しい人物に会ったときは、この計画を実行するように、ユティがガウに説明してあった。
しかしガウが確認する前に、タナトシュがいきなり床に崩れるように倒れてしまった。ショウヤが、慌てて抱き起こした。
「タナトシュ。どうした大丈夫か」
タナトシュが、薄っすらと眼をあけたが、まだボーっとしている。ユティは、タナトシュの額に手をあて、その後に手首を掴んで脈をとった。
「熱はないようですし脈もハッキリしています。少し横にして差し上げれば、楽になられるかもしれません」
ユティがそう言うのを聞いていたのか、自分の手首を握るユティの手を振り払ったタナトシュは、起き上がろうとショウヤの腕の中でもがいた。
「私は、城に帰らねばならん……ショウヤ、頼む……肩を貸してくれ」
「タナトシュ、無理をするなって、この店の二階は宿屋にもなってるのは知ってるだろう。泊まっていけばいい。帰るのは明日の朝でもかまわんだろうが」
それでもタナトシュは、無理やりに起き上がった。
「いいや。せねばならん事がある。私は城に帰らねばならんのだ。私が何とかせねばならんのだ。私がやらねば、やらねばならん」
ふらつきながらドアに向かうタナトシュを、ショウヤが支えた。
「言い出したら聞かないのは、昔からだからな、クソッ」
ドアノブに手を掛けて、タナトシュが振り返った。
「賢者殿、明日の朝、城に来られるが良かろう。君の目的が何であれ、大地の領域の賢者が守り神を連れて参られたのであれば、ご招待せぬは、わが王の恥となろう」
ユティは、深く腰をおった。
「ありがとうございますタナトシュ様」
タナトシュは何も答えずそのままドアは閉まった。ユティは、ガウの背中を撫でた。
「ガウ、彼は闇の妖精に支配されてはいなかったのか」
ガウは、首を横に振った。
「では、彼は闇の妖精に支配されていたのだな」
ガウは、またも首を横に振った。
「分からないのかい。確かめられなかったんだな」
ガウが首を縦に振ってガルゥとうなった。
「でも、雲の城で何かが起こっているって言ったリク殿の話は本当だったんだ。あの執事は、何かを知っている気がする。でも、誰にも打ち明けられず、自分だけで解決しようとしている気がするよ」
ガルルルルゥっとガウが同意するように小さくうなる。
「もしかすると、誰かを庇ってる……誰を。でも、彼自身が闇の妖精に支配されている可能性は捨てきれない……」
ユティは、レインに聞いている城内で働く者たち、特に雲の王の近くに仕える者達の事を思い出していた。その中にタナトシュが庇う誰かがいるはずで、その誰かは、何をしようとしているのだろう……ユティの頭の中は、フル回転していた。
コンコンとノックの音の後に、ドアが少し開いて、店主の声が聞こえてきた。
「ちょっとあんた。二階の一番奥の部屋なら用意できるよ。兄さんに頼まれたから……でも、客が帰ってから移動してくれ。こっちも、客商売だからな、勘弁してくれ」
「あ、ありがとうございます。でも、無理はなさらないで下さい。私達は外でも寝られますから」
店主は、ドアの向こうで舌打ちした。
「チッそれが困るんだよ。町の衆が怖がるだろうが。二階の奥の部屋は……申し訳ないが、外から頑丈な鍵が掛けられるようになってるんだ。ちょっとした事情があってな、帰せねェ客のお泊り用さな」
「そうですか……」
ユティとガウは、顔を見合わせた。
タナトシュに出会ったユティとガウ。
彼が、闇の妖精に身体を支配されていない保証は何もない。