[74] 王の木
緑の王と共に、丘に着いたフーミィ、これから起きる事は、一体どんな事なのか……
かつては美しい緑に覆われていただあろう丘の頂上に、フーミィは緑の王を降ろした。緑の王の背の下で、枯れた草がカサカサと音を出していた。土は乾き、潰れた草を自分の養分にする事も出来ず、風にさらわれていくだけだった。
フーミィの手をしっかりと握り締めながら、緑の王はその瞳から涙を流した。
「ワシの力では……領域が枯れていくのは止められなかった……なんと情けない事か……そなたが来てくれなければ、此処に来る事さえ叶わなかった……ワシにもっと力があれば……」
いつの間にか緑の王の脇に、ユウリィエンとキートアルが移動の魔術で現れていた。息子達に気付いた緑の王は、流れる涙をそのままに、二人を交互に見つめた。
「不甲斐ない父ですまぬな……ワシの命をすべてつぎ込んだが……この状況を変える事は出来なかった……緑の魔術師が……いてくれたなら……違っていたのかもしれぬが」
そこまで言って、緑の王の体が痙攣し始めた。慌ててフーミィは緑の王をしっかりと抱きしめる。フーミィは枯れていく木に水を注ぐように、自分のエネルギーを王に注ぎ込んだ。そして、この丘にも霧が広がりはめていた。
「もう少し、もう少しだけなら……僕、がんばれるから」
その声に、緑の王が瞳を開く。
「ありがとう、聖なる水の者……」
ユウリィエンもフーミィの肩に手を置いて、何度も頷いた。
「王様、心配要らないよ。緑の魔術師はいるんだから……ただね、今はちょっと留守にしてるんだ。でも、僕とフィーナで迎えに行くよ」
「緑の魔術師が……まことか……」
緑の王のウグイス色の瞳は、震えながら見開かれた。ユウリィエンが、父王の頬に手を当てた。
「父上、ヒルートが……あなたの息子のヒルートが、緑の魔術師なのですよ」
「ヒルートが……まさか……ならば、何故……あのような予言が……」
緑の王の表情に、困惑と後悔と色々な感情が湧きあがってきていた。それを見ているフーミィの呼吸が乱れ始めていたが、だれも気が付かなかった。
「王様……それを聞くにはね……とっても長い時間がかかるんだっ……いつか必ず……ヒルートが話をしに……きてくれ……る」
やっとフーミィの異変に気付いたユウリィエンが肩を揺らした。
「フーミィ、どうした。フーミィ」
その時、女王がヤズアーの乗る馬に一緒に揺られながら供もつれずに、馬で丘をあがってきた。その後ろには、フィーナが同じ様に若い衛兵に馬に乗せられ登って来たが、フィーナを乗せてきた若い衛兵は、彼女を降ろすと直ぐに城へと引き返して行った。
ヤズアーの手を借り馬から下りた女王は、夫の元へ走り寄った。
「歳をとると……大事な時でさえ、身体も、魔法も言う事聞いてくれませんわ……」
そう言ってフーミィの横に並ぶように座った女王は、フーミィの異変に気付く。
「まァ、聖なる水の者、どうしたのです。こんなに身体を震わせて」
女王は、慌ててフーミィを緑の王から引き剥がした。
「だめですよ。自分の命を削って他人に命を注ぐなど」
フーミィは、ゆっくり顔を上げた。
「でも、僕もう少しなら……頑張れるんだよ……」
女王は、自分の夫の身体を包み込むように抱きしめながら辺りを見回した。細かな霧に覆われた領域が息を吹き返し始めているのがわかる。
「いいえ。あなたには十分して貰いました。私にとってどんなに大切な人であったとしても、あなたの命を吸い取ってまで、この人に少しの猶予を頂こうとは思いませんよ。領域までも癒してもらって、これ以上のことは、もう……」
フーミィは、優しい眼差しの中に、女王の決意が見えた気がした。
「ごめんなさい……僕」
「いいえ、いいのです。ありがとうと言わねばならないのに、怒ってしまって許してくださいね」
今度は、女王の息が荒くなってきている。息子達が、父と母の傍による。
「どうなさいました母上……ははうえ」
その時、意識の薄れているであろう緑の王は、母の手を取ろうとした息子の手を優しく払って微笑んだ。
「すまぬな。お前達の母を貰っていくぞ……すまぬ……すま……ぬ……」
それまで後ろに控えていたヤズアーが二人の皇子の腕を取って、父王と母から引き離した。
「ユウリィエン様、キートアル様。これから起きる事は、お二人にとってとてもお辛い事かと存じます。そして、キートアル様にはこの場を去って頂かねばなりません」
キートアルが眉間にシワを寄せ、怒りを顕わにヤズアーを睨んだ。
「ヤズアー。お前が近衛連隊の総大将であり、父上の信頼も厚いことは分かっているが、この場を去れなどと、お前に言われる筋合いはない」
ヤズアーは、静かに首を振る。
「陛下は私に、ご自身の生まれ変わりを見届ける後見人を任されたのです。あなた様方の御婆様の時も、私が陛下と女王陛下にご一緒させていただきました。そして、キートアル様、生まれ変わりの儀式は、この境域を治める王となる者とその後見人にのみ明かされる聖なる儀式。ご理解くださいませ」
キートアルは、ぐっと奥歯を噛締めると空を仰ぎ、そのまま移動の魔術を使うとその場から去っていった。フィーナは、この場にヒルートがいたなら、キートアルと同じに王位継承権の無い彼もまた、同じ様に淋しい思いをしたのだろうと、キートアルが可哀相になった。そして、自分もこの場にふさわしくないと思い、歩いて緑の城に向かった。
フィーナは、真っ直ぐに緑の城に向かいながら自分にも強い魔法の力があれば、キートアルを追って行って話し相手ぐらいにはなって差し上げられたのにと、ヒルートにも、誰にも着いていくこと出来なかった自分を、不甲斐なく思った。
丘の中腹までフィーナが下りてくると、ユウリィエンのものと思われる叫び声が聞こえてきた。フィーナの背筋に冷たいものが走る。何か人智を超えたことが事が起こっていると、知らせるように心臓が早鐘を打った。振り向いて見てしまいたい。いいや、決して見てはいけない、許されない事……でも…………フィーナの心の中で、色々な思いがせめぎあっていた。
どれ程の間、フィーナはその場に佇んでいたのだろうか。馬の緩やかな足音に、はっと我に返った。
「さァ、おじょうさん一緒に帰りましょう」
フィーナの目の前にヤズアーの白い手袋をはめた大きな手が差し出された。コクリと頷くと手を取って、馬に引き上げてもらった。馬をくるりと反転させたヤズアーは丘の上を見つめた。
フィーナの目にも、その光景が映った。
「まぁ…………あれは……」
「先代の緑の王の木です。何故か今回は女王の木まで一緒になってしまった。そんな予感はしていたが……」
眼を細めて見つめるヤズアーの瞳には、キラリと涙が光っていた。フィーナの瞳には、大きな木にもう一本、細い頼りなげな木が、絡みつくように立っているのが映った。
緑の葉も、勿論、実もなく、決して元気そうでは無いけれど、なぜか幸せそうに見えた。緑の王と、その愛する妻の笑顔が見えてくるような気がした。
ヤズアーは、フィーナの手を取ると、緑色に輝く小さな石のついた鎖を掌にのせた。
「これは、女王陛下でありヒルート皇子の母君からの贈り物です。どうか息子を末永く愛して欲しいとのことでした。このブレスレットは、陛下が奥様に贈られた初めての愛の証だそうでございます」
フィーナは、自分の掌で輝く石に魅了されていた。愛しいヒルートの母親であり、緑の女王様の大切な宝物をこの手にしていることが、信じられなかった。知らぬ間に、頬を涙が伝った。
女王は、ヒルートの母は、自分達の事を許して認めてくれるのか……そんな事が……
フィーナは、疑問に思ったことを口にした。
「ヤズアー様、女王様は……私が召使だとご存知のはず。もしかして、ヒルート様の守り人だから、守れとおっしゃりたかった」
ヤズアーは、首を振った。
「いいえ、女王陛下はあなたの事を、ヒルート様の妻として認めるとおっしゃいました。でなければ、此処にはお連れいたしません」
「でも」
「実は、女王陛下は純粋なエルフなのですよ。この事はあまり知られていない事ですが、陛下がお若い頃にエルフの乙女と恋に落ちた。それは城中が大変な騒ぎになって……一度は無理やり離れ離れにされましたが、その時に陛下が魔法で自分の思いを詰め込まれ、エルフの乙女に贈られたのが、そのブレスレット……それは、それは激しい恋で」
フンっと鼻を鳴らしてヤズアーは笑った。フィーナは、身体が嬉しさに震えるのを止められなかった。
ヤズアーは、鼻声になりながら呟くように話した。
「王の木が愛する者まで連れて行くなど聞いた事が無い……あの方達は、どれほど愛し合われておいでだったのか。分かっているとは思っていたが……」
フィーナはただジッと、丘の上に佇む大きな木をみつめていた。ヤズアーは、まるでフィーナに聞いて欲しいかのように、続けて話した。
「エルフは人間に一番近い緑の妖精だから、陛下について行く事がおできになられたのかも知れんな……」
「エルフ。でも、エルフはとても長生きのはずだし、あまり歳を取らないと聞いています。でも、女王様は……」
ヤズアーは、柔らかく微笑む。
「ああ、この領域がこのような状態になるまでは、女王陛下も少女の様に若々しかった」
夫を失おうとしている時に、自分の姿かたちも衰えていく。そんな震えるほど恐ろしい事があるだろうか。女王が夫について行ったのも分かる気がするフィーナだった。
それと同時に、ヒルートに付いて行けなかった事が、この上なく悲しく、悔しかった。
フィーナが眼にした王の木と女王の木、愛し合う者同志は、やはり離れるのは辛いこと……
年齢を重ねても、それが変わらぬことは、とても大事な事でしょうね……