[71] 分からない悪意
フィーナとフーミィの隠し事……
ユウリィエンとキートアルの心配事……
少しずつ絡み合っていきます。
フィーナは、だんだんと自分が追い詰められていくような気になっていた。
リク達と別れた時は、最初目的地をキートアルの城に置いた。キートアルなら、世界を救う使命の事も、自分とヒルートの事も知っている。きっと、緑の紋章を手に入れるために手を貸してくれると思っていた。だが、先に出会ってしまったのは、キートアルよりもずっと生真面目で、融通の利かないユウリィエンだった。これからどうすればいいのだろうと不安が募っていく。
キートアルも、緑の城の状態を目の前の二人に話してよいものかどうか思案しているようだった。そっと、兄のユウリィエンの顔色を窺がっている。やはり、兄の意見を尊重しなければならないようだ。
キートアルの様子に、ユウリィエンが、眉をしかめ、自分から話し始めた。
「今……、わが城は、いや、わが領域は、とても不安定な状態にある。全ての緑が失われようとしているのだ。二日前の明け方から……領域の空気が変わった。あっと言う間に、木々が枯れ始め草花もしおれた……そして、気が付いたときには緑の紋章は、いつもの輝きを失い、父上はお倒れになった」
フィーナとフーミィが顔を見合わせた。
「二日前の明け方……まさか」
ユウリィエンが、訝しげに二人を見た。
「どうしたと言うのだ?」
「はい、二日前の明け方に、ヒルート様は闇の世界に入られたのです……」
兄弟が一斉に目を見開いた。ユウリィエンが拳を床に打ち付けた。
「闇の世界だと。探求の旅などと言いおって、あいつは何を考えているんだ。なぜそんなところへ行かねばならん。今度こそ正直に話してもらうぞフィーナ」
あまりの剣幕にフィーナが身を固くした。フーミィがフィーナの前に身を乗り出し、ユウリィエンをにらんだ。
「フィーナを怖がらせないで。彼女はもう十分に恐ろしい思いをしてるんだよ。ヒルートを送り出す時、フィーナは自分の守り人の力を全部ヒルートに送ったんだ。この髪はヒルートを守る証なんだよ。誰もフィーナを責めたりできないんだ」
キートアルがすっと手を挙げ兄をなだめるようにうなずいた。
「兄上。ヒルート兄上は、緑の魔術師だったのです。生命の女神がそう教えてくれたと話していました。きっと、兄上が闇の世界に行かれたことと、領域の今の状況には関係があるのではないですか?」
ユウリィエンの表情が硬くなった。
「ヒルートが緑の魔術師だったのか……たしか、ヒルートが生まれたその時に、先代の緑の魔術師はその場で急死した……同じ時に、領域の魔術師は一人しか存在する事はできない……」
キートアルは興奮気味に、ユウリィエンの方へ身を乗り出した。
「ええ、そして、領域の魔術師は、その領域の紋章と深く関わっている。紋章は領域を安定させ豊かにするもの……バランスが崩れたかと……」
「でも、大地の城にあった紋章は、随分昔に、ターカのヒーおジーちゃんが、リアルディアに持って行っちゃたんだよ。大地の魔術師だって、いなかったじゃないか」
フィーナが首を振った。
「いいえ、大地の魔術師はいたわ。ローショさんのお父様、大地の魔術師トワイシィ様が洞窟で永い眠りについていただけ……大地の紋章だって、ソラルディアになかっただけで、対の世界のリアルディアには存在してたのだもの……」
ユウリィエンは、感心したようにフィーナを見つめた。
「先ほどはあまりの衝撃に、すまなかった。だがさすが、ヒルートと共に暮らし、仕えてきただけの事はあるのだな。頭の回転がいいようだ。感心したぞフィーナ」
謝罪の言葉にフィーナとフーミィが一緒に息を吐きだした。キートアルも、フッと溜め息をついた。
「その様な事に感心している場合ではないでしょう、兄上っ」
「いいや、そうでもない。フィーナの意見をもう少し聞いてみようじゃないか」
緑の城の皇子二人を前に、あつかましく自分の考えを言ってしまった事に気付いて、真っ赤になって俯いてしまったフィーナだった。
「どうした、フィーナ続きを聞きたいのだが?」
「え……あのう、多分ヒルート様が、闇の世界に入ってしまわれたことで、この世界とヒルート様の緑の魔術師としての力が遮断されたのではと……でも、ヒルート様を責めないで下さい。あの方は……使命の為に、その為だけに……仕方がなかったのです。闇の世界への扉はこちら側からは閉められない。ヒルート様は自分を犠牲にしてまでも使命を貫いたのです」
キートアルが、もう一度フィーナの肩を優しさをこめポンポンと叩いた。
「分かっている、心配はいらない。私も、ユウリィエン兄上も、ヒルート兄上を信頼しているし、愛しているのだから」
ユウリィエンもフィーナを見て微笑んでいる。
ヒルートを信頼し愛しているなら、もしかしたら、二人ともに全てを話してしまっていいのかもしれない……いや、まだ……とフィーナの心は揺れていた。
その時、フーミィの手がフィーナの手に重なった。フーミィの癒しの魔法がフィーナに送り込まれる。
『落ち着いて……今はまだ、その時じゃないよ……』
フィーナに流れこんできたフーミィの魔法が、そう言っていた。フィーナは、そっとフーミィの手を握って感謝の気持ちを伝えた。
フィーナが、これからどういい訳を作って緑の城に入れてもらうかを考えていると、フーミィがいきなり、あっと声を上げた。
「あのね、僕、心の癒し手なんだよ。キートアルはヒルートに聞いてるでしょう」
「ああ、聞いてる。だが、それが……」
フーミィはニッコリと笑ってから、ユウリィエンの手を握った。
「僕の魔法を感じて。嘘じゃないと分かるから」
ユウリィエンは、一度引っ込めそうになった手を、そのままフーミィに委ねた。心の癒し手などに出会ったことなどなかった。元来、心の癒し手は大地の魔術師と決まっていたし、ここ千年以上の間、大地の魔術師は存在していないから、出会った者などいるはずもなかった。ユウリィエンは、好奇心の赴くままに、フーミィと手を握っていた。
「緑の城の王様を癒して上げられる。もしかしたら、森も緑も少しなら助けられるかもしれないよ」
ユウリィエンが、がばっと立ち上がった。
「父上を癒せるというかのかっ。どの様な状態なのかさえ分からず、何の根拠があっていっているのだっ」
フーミィは、ユウリィエンの剣幕に押される事なく、微笑んでいた。
「だって、僕は竜だよ。竜の癒しの力は、人間の魔術師よりも大きいんだ。それに、心の癒し手は、僕とリクしかいない。緑の王様を治せるとしたら、それは僕だよ」
キートアルが、ユウリィエンを見上げた。
「兄上……試してみるだけの価値はあります。ただ黙って父上が衰弱していくのを見ているよりはいいではありませんか」
「…………」
しばらくの間、小さな空間に沈黙が続いた。苦い顔をしたユウリィエンが、フーミィを見つめる。
フーミィの心の癒しの魔法が、ユウリィエンの心を癒し始めていた。
「私も……お前達を信じたい。しかし、まだ、お前達の行動の全てを信じたわけではないと言うことは覚えておいて欲しい。助けようと言ってくれるお前達には申し訳なく思うが、今は何を信じれば良いのか……分からんのだ」
フーミィが、ユウリィエンの手を強く握った。フーミィの心の癒しの魔法が、手を伝わってユウリィエンに流れ込み、また戻ってくる。
フーミィは、ユウリィエンの心の中の痛みを知った。その痛みの中に隠れる、ユウリィエンのものではない悪意までも、フーミィは感じ取っていた。
「誰も信じられなくても、自分の事だけは信じなくちゃダメなんだよ。ユウリィエンは、自分の事も信じてないでしょう?」
「そんな事はっ……」
フーミィはブンブンと首を横に振った。
「うんん、信じて。誰が信じてくれなくても、自分だけは自分を信じなきゃ、ユウリィエンが可哀相だよ」
「これは、心の癒しか……気持ちが軽くなる、温かい……」
ユウリィエンは、その場に座り込んでしまった。
「私の存在が……父上の身体を弱らせていく……そう思えてならなかった……でも、……」
フーミィが小さく頷いた。
「そう、それは違うかもしれないよ……緑の城で、何かが起きてる……」
「フーミィ……」
真っ黒なフーミィの瞳が、遥か彼方を透かすように一点を見つめるのを、フィーナは不安げに見ていた。
「フーミィ……、何か分かるの……」
フィーナの質問に、フーミィは静かに答えた。
「フィーナの守りの力を借りないといけないかもしれない……僕には、ユウリィエンの心から流れ込んでくる悲しみと不安、それに何か分からない悪意しか感じられないんだ……」
「何か分からない……悪意……それってっ」
フーミィが、ユウリィエンとキートアルをちらりと見てから頷いた。
「多分……そうだよ」
ユウリィエンとキートアルの顔が、不安げに揺れた。
何か分からない悪意、それはフィーナの守りの力と関係するもの……
それは、やはり……