[7]大地の紋章
「嵐は去った……」
タカが呟いた。リクと翔汰は顔を見合わせた。
「はァ〜」
タカの一言にリクと翔汰は一緒に溜め息をついた。翔汰が口をへの字に曲げて文句を言う。
「長かったな〜、アンパン一つであんなに怒んなくってもいいじゃん」
翔汰は一番長い説教をくらっていたのだ。リクが、ベットの側面に背を預けて、だらしなく力を抜いた。母親をなだめるのに苦労したのだ。アンパン一個で、翔汰と出会った保育園からこれまでのありとあらゆるリクと翔汰の腐れ縁が起こした問題をえんえんと説教されたのだ。
「多分てか、絶対だけど仕事で嫌な事あったってとこだな、ありゃ」
タカも、リクに賛同するように頷いた。
「唯一のストレス解消が、アンパンだからな母さんは……」
翔汰は、目を丸くして驚いていた。
「もしかしなくっても俺って唯一のなんとかを持ってきちゃったわけ。先に言えよォ。アンパンは置いてこいってさ。何で息子でもねーのにやつ当たりされてんのよォ……ババ引いた感じじゃねーか。クッソー」
リクがベットに背を預けて伸びをした。
「お前が何にも聞かずに飛び出したんじゃねーか。ばーか」
翔汰は文句を言いながら大きなクルミパンにかぶりついた。これが、結構おいしくて夢中で一気にたいらげた。リクは、伸ばした腕をそのままベットの上に投げ出して仰け反った。
翔汰が次のパンに手を伸ばそうとしたとき、横のリクが顔を真っ赤にしているのに気付いて、顔をしかめる。
「どしたのリク。唐辛子パンでも食ったのか」
横のリクを覗き込みながら首を傾げる翔汰に、タカが言った。
「イヤ……唐辛子パンなんて売って無いから、ショータ君。リクの赤面には他に理由があるんだよ」
「ほかの……りゆう」
リクの向こう側で、タカが頷いた。
「お前もそれ以上後ろは向かない方が無難だな。レンちゃんは多分……服を着てる最中だから、そんな物音だ」
翔汰の目がこれでもかと言うほど見開かれた。
「……タカ兄ちゃんはやっぱりスゲーわ。何でもわかちゃうんだ……」
そして、男三人は赤い顔を前に向けたまま黙り込んだ。
「あら、何でも解ってなんかないわよ。だって、私の着替えはもう終わってるんだから。それに、リク。見てない……わよね」
レンの言葉に、リクが息を呑む。
「見・見・見・見てない」
翔汰がリクの脇腹をつついた。
「リク、それじゃあ見たって言ってるようなもんジャン」
「見てない」
そう言いながらも、リクは真っ直ぐ前を見詰めたままだった。翔汰は、後ろを振り返ってレンに話しかけた。何も見ていない翔汰には、とても簡単な作業だったが、横にいたリクは、ビクッと肩が跳ね上がり、黙って聞いているしかなかった。
「レンちゃんどこ行ってたの。いつのまに隠れたのか全然わかんねーし、魔法で消えてたの。俺も消える魔法が欲しいなあ〜」
ベットの上のレンは、先程まで着ていたリクの服をきちんと身に付け、Tシャツの裾を揉むようにしながら、俯き加減で話しはじめた。
「消えたんじゃなくって、体を作る魔法をやめたの。でも、お母様がかなり長くいらしたから、ちょっと不安になってしまったわ。空気に溶けてしまいそうで、体が無いって本当に心細いものよ」
翔汰は、自分が無神経なことを言ってしまったと気付いた。
「そうだったんだ。そうだよな、早く自分の体にもどりてーよな。わりぃー俺、うらやましいみたいな事、言っちゃって……」
さすがの翔汰も少しうなだれて頭を下げた。レンは小さく首を振りながら微笑んだ。
「うんん、いいの体が無くなるまでは私にもわからなかった事だもの。でも、悪いって思ってくれるなら、翔汰君が今もってるパン譲ってくれないかしら。とても美味しそうだわ」
翔汰は未練がましく、持っていた、ホイップの上にパイナップルののった甘ったるそうなケーキ風のパンを見つめながら、レンに渡した。レンはニッコリ笑って、食べようとして手を止めたが、ジッとパンを見つめたまま食べようとはしない。
「レンちゃん、どしたの食わねーの」
翔汰の問いに答えたのはタカだった。
「食べられない。体が無いんじゃ無理だな。人間って不思議だな、体は無くても腹が減ったような気がする。レンちゃんが、腹いっぱい食べれる体に戻る方法をそろそろ考えるとしますか。なっリク」
バシッと、タカがいつまでも固まったままのリクの背中を思いっきり叩いた。
「イッテェ〜なっ何……」
タカに背中を叩かれて、リクは我を忘れていた事に気付いた。さっき、ほんのチラッとだけ見てしまったレンの黒髪の間からのぞいていた白い背中が頭の中をグルグル回っていたのだ。小さな白い肩、有り得ないほど細いウエストは、レンが女の子であると言う事実をリクにハッキリと教えてくれた。
まだ、ボケッとしているリクを、翔太がつつきまわした。
「何じゃねーの。こっちが聞きたいよ。何、想像してんだよ。スケベ」
翔汰のスケベの一言に、リクは体中の血がカッと沸きあがった。
「スケベって何だよ。俺のどこがスケベなんだよ。見たくて見たんじゃねーんだかんな」
「あ〜やっぱり見たんジャン。スケベヤロー」
「こんのォ〜見てねーっていっ」
ゴン、ゴン。
「イッテェ〜」 「痛いっす!」
今日二度目のタカのゲンコツはかなりキツメだった。
「バカ。お前ら幼稚園のガキか。そんなくだらん事やってる時じゃないだろーが。レンちゃんの身にもなれ。無い知恵絞って考えろ」
「わりィ〜」 「ゴメン」
反省中の二人を無視して、タカは勉強机の前の椅子にすわると背もたれに体を預け頭を後ろにそらしたまま目を閉じてた。
タカの様子をレンがジッと見ている。
「何をしているの。気分が悪いのかしら。それとも怒っているの」
リクもやっとレンの方を向いて答えた。
「違うんだ、あれ兄ちゃんの考えるポーズ。ああやってっと良く考えられるって言ってた。あのポーズの後はいっつもスッゲーいい事思い付いてんだぜ。楽しみにしてなよ」
リクの声にタカがピクッと反応した。
「……うるさい……」
リクは指を一本立てて口の前に持っていくと、そのままレンと翔汰を交互に見た。
一通りの説明を終えたタカの目を、上目づかいに見ながらリクが情けない声を出した。
「なんで俺。兄ちゃんの方が良いと思うけど……」
タカが再び目を閉じて、難しい表情になった。
「ん〜もしも、失敗したときの保険って言うか、俺が行ったんじゃ、お前が保険になるとは思えない」
「でも、俺…帰りの魔法ができないよ。それじゃあ帰れないかもジャン」
タカは薄く目を開けて、呆れたように言った。
「バカ。だから、その時は俺が迎えに行ってやる。それが保険ってことだろが」
「じゃあ最初から一緒に行ってよ。それなら安心じゃん」
往生際の悪いリクを、横目に見ていた翔汰がリクの頭を横からグリグリした。
「タカ兄ちゃんと俺は、リクのいない間こっちでアリバイ工作すんだろ。さっき言ってたジャン。ホント人の話しを聞いてねーやつだなおまえは」
「そっか。俺一人か……」
他の三人にもリクの不安はよくわかっていた。それでも、誰かがレンに体を貸して一緒に扉を通り抜けなければ、レンは元の世界には帰れない。翔汰は魔法と無縁だし、緊急事態の時にはタカでなければ対処できそうに無い。やはり、リクが適任者のようなのだ。
「お前の魔法ならレンちゃんの使う呪文も覚えられる。男だろ。頑張ってみろ」
「何だよ兄ちゃん。人のことだと思って、そんなに簡単にいかねーよ」
それまで黙っていたレンがリクの手に自分の手を重ねながら言った。
「もういいの。リク、あなたがこっちに帰れなくなったら辛いもの…私、一人でやってみるから、ごめんなさい」
重ねられた手からレンの心が流れてきて、リクは一瞬で固まった。それは、不安と後悔とが混ざり合った決意。そして、リクを思いやる心と情熱。
自分が何だかかっこ悪く思えた。レンは自分に逢うためにこんな危険な旅をしてきた。不安に怯え、レンに一人で帰る決意をさせるような……こんな自分に逢うために。リクは、ついさっき見てしまった小さくて細い背中を思い出した。(レンは女の子なんだ。お前は男じゃないか。守ってやらなきゃ)
思い出したレンの背中に、赤くなりながらリクは決心していた。
「いや…一人じゃ無理なんだろ。俺、行くよ。レン一緒に行こう……」
レンが少し涙で潤んだ瞳をリクに向けた。
「リク……」
「運命なんだろ。俺とレンは。やっぱり俺が行くしかないっしょ」
その時翔汰が立ち上がって手を挙げて朗々と語った。
「かくして、小心者のナイトは姫を守るべく勇気を奮い起こし虚空へとたびだつのだった〜って、お前ドジんなよ。帰ってこねーと俺ナニすっかわかんねーぞ。そして、ナイトは姫の傍で幸せに暮らしましたとさ。てのはナシな」
翔汰の口にパンを押し込みながらリクは翔汰の首に腕を回して締め上げた。
「※*!・・・★※※☆*!?」
「翔汰、心配してんの、バカにしてんの、どっち。俺かえってくるぜ。お前を1人にしたら何でもでっち上げて皆に話すからな。ほっとけるか」
「ゴホッガッホ。で・で・でも、ホントに 人の体に入れんのかな。…ケホッ…お前キツスギ……」
リクは笑いながら翔汰を放した。しばらく誰も何も言わず時間が流れた。
レンが静かに口を開いた。
「無理じゃあないと思う。相手が拒絶しなければ、私にも出来ると思うの。でも、本当にいいの、リク怖いんでしょう。無理はさせられないわ。最初から自分だけで始めた事ですもの」
胸を張ってリクは答える。
「俺はレンを拒絶なんかしない。それに、俺に逢いに来たレンを家まで送るのは…やっぱり俺の役目じゃねーか。さっきも言ったろ、一緒に行くって」
タカが、リクの頭をグシャと撫でた。
「それじゃあ、話は決まりだ。明日の朝、扉がひらいてる時に決行する。リクの中にレンちゃんが入って、魔術を使って向こうに帰る。体力を回復させる為にリクは一日休んで、覚えた呪文でこっちに戻る。俺と翔汰はこっちでリクのアリバイ工作。一日経ってもリクが戻らないときは俺が迎えに行く、以上。これが、今回のミッションの流れだ。一人一人最善を尽くせ」
映画のセリフのようにかっこうをつけて親指を立てたタカを見て、全員の顔がパッと明るくなった。
「イェッサー」
翔汰がひときわ大きな声で叫んでリクの背中を叩いた。
「いってェ〜…バカショータ…」
本当は、納得したわけではない翔汰だった。リクが帰れない事になるかもしれないと不安だった。それでも、自分が一番にリクの背中を押してやりたいと思ったし、そうする事で、リクが必ず帰って来ると思いたかった。
時計は真夜中の12時をかなりまわっていた。
でも明日の事を考えると、なかなか瞼は重くなってはくれないようだった。起きていると生理現象も眠りにはつかない。トイレに行こうとベット替わりの大きなクッションから起き上がった。
ベットにはレンが寝ている。レンを起こさないように、そっと部屋から出たつもりだった。用をたしてトイレから出たリクはフワフワと漂うようにリビングに入っていくレンを見て度肝を抜かれた。本物の幽霊と勘違いしてしまったせいだ。
「何してんだよ」
「ヒャ……リック…ビックリさせないで」
「ビックリはこっちだよ。寝てなかったの」
「うん、寝つけなくって。リクが出て行ったから、後を追って来たの…」
「トイレだよ」
リクは少し顔を赤らめたが、薄暗いリビングではレンには解らなかったろう。
「あれは、なに」
レンが指さした方を見るとリビングの本棚の中でほのかに光っているものが目に入った。
「あの光ってるやつのこと」
「そうよ」
「あ〜あれは、う〜ん俺からするとヒージーちゃんになんのかな。そのジーちゃんの形見らしいんだけど、俺もよく知らないんだ。いつも光ってるみたいで、電源もねーし、光る石って感じ」
「見せてもらえるかしら」
リクは軽く返事をすると本棚からそれを取り出してレンに渡した。
それは掌くらいの大きさで、平らな面には山と木のデザインが彫りこんであり、そのもの自体が発光している様である。
手触りはツルツルしていて、大理石のペンダントとでもいった感じだろうか。
「大地の紋章……」
「だいちのもんしょう」
「なぜ、こんな物がリクの家に……」
「なんなの。それ…レンは知ってるの」
「ソラルディアは、空・大地・水と三つに分かれているの。空の中に雲と風の領域が存在して、大地の中に緑と山の領域、水の中に命と死の領域が存在する。水の空間は私達には侵すことの出来ない神の持ち物だけれど、空と大地は私達生きる者の領域よ。その其々を統治しているのが城の主である王族なの。私のいる[雲の城]もその一つよ」
そこまで説明を聞いていたリクがいぶかしげに眉をひそめる。
「それで、俺のヒージーちゃんの形見はなんなわけ」
「大地の紋章。王族のである証となる小さな紋章なら私も10歳の誕生日に父から与えられたわ。今も眠っているはずの私の首からは紋章が下がっている、と思う。でもこれは……それよりも大きいとなると、大地の紋章そのもの。本物ならば」
「本物って、そんなもんが何で……」
「わからない。調べるには時間がないわ。それに本物は大地の城にあるはずだもの。なければ大変な事よ。本物の筈はないわ。でも私が知らないだけで本当は大地の紋章が失われていたとしたら……」
「兄ちゃんに話して調べといてもらおう。俺たちはソラルディアだっけ、に行ってから調べてみようよ。もしかして俺たちホントに運命かもよ。そんなすっげーもんの本物が家にあるんならさ」
二カッと笑ったリクの鼻を、キュッとひねってレンが言った。
「最初から運命です」
「はい。運命でした……」
鼻をなでながらボソッと言ったリクの顔がおかしくてレンはプッと吹き出した。リクは、レンといるとドキドキする自分と、レンの言葉に凹む自分が交互にあらわれるのはどうしてだろうと考えていた。
レンは大地の紋章の事を考えていた。大地の紋章は大地の城の中になくてはならない。それがなくては大地の領域は安定を保つことはできないのだから。だが、大地の紋章が失われたなどと聞いたことはない。レンの心に新たな不安が起こっていた。
其々に頭を悩ませながら、少しでも多く睡眠をとるために急いで二階に上がっていった。
リクとタカと朝早くからやってきた翔汰は[異世界への扉]の前に集まっている。
翔汰はにやけた顔でリクを見ている。
「じゃっ、頑張れよ。ナイト様…しっかり姫を守れ」
翔汰の肩を、リクは軽く小突いた。
「うっせーよ。俺の帰り、首長くして待ってやがれ」
そう言ったリクの肩を翔汰がキツク叩いた。
「イテ〜よバカぢから。アリバイ頼んだぞ」
二人の後ろからタカが言った。
「そっちは心配すんな。翔汰だけじゃない、俺がいる。お前は無事に帰れることだけ考えろ。曾爺さんの形見の件も調べてみるよ」
タカの真っ直ぐな眼差しに、リクは何となくホッとした気持ちになる自分がまだ頼りない子供の様に感じたが、ぐっと腹に力を入れて返事をした。
「うん頼む。ほんじゃ、行ってくるわ」
母親はサービス業の為、日曜日である今朝も早くから出勤していた。
父は先週から長期出張で留守だった。
まるでレンを送り帰す準備が前からされていたように思える。
もうすでにリクの中に入っているレンはリクの口を借りてタカと翔汰に挨拶する。
『色々ありがとう。タカお兄さま、翔汰くん』
翔汰が顔をしかめた。
「なんか、キモイ。お前の口からレンちゃんの声ちゅーのは、俺にはムリ」
リクも同じ様に顔をしかめる。
「それを言うなっての。結構二人とも辛いちゅーやつなんだよ。ばか」
「わりぃ〜でもキモイ」
またしてもリクの口を借りてレンが話した。
『ごめんなさいね……リクは必ず返すから。今だけがまんして』
翔汰は、真面目に頷いた。タカも大真面目な顔で、それでも少し微笑みながら言った。
「ああ、必ず……返してくれ。リクが居ないと母さんが悲しむ」
翔汰は靴のつま先で土を掘りながらつぶやいた。
「お、俺もかなしーぞ」
『ええ、そうね。じゃあ、さようなら……』
翔汰が自分のつま先から目を上げた。
「レンちゃんも次は体ごと来てくれよな…」
リクの微笑んだ顔から、レンの声が震えながら聞こえてきた。
『ええ、体ごと来るわ。皆に逢いに……』
翔汰も微笑んだ。
「ああ……」
やっとの事で言った翔汰の返事が震えていたのは、お人好しの翔汰らしいとリクは思った。リクの心から、レンも同じ様に翔汰の人の良さを感じ取っていた。
『翔汰くんありがとう。じゃあ始めるわね』
レンはそう言ったが早いか、リクの体をクルリと回転させて扉の方をむかせた。
それに逆らうように、リクはもう一度、顔だけタカと翔汰の方を見た。
「俺も兄ちゃんに嫉妬してたんだぞ。母さんは兄ちゃんばっか見てるって」
「ばーか」
タカははにかむように笑った。
続けてリクが翔汰に言った。
「翔汰、先輩達に部活休む理由、上手く言っといてくれよ」
翔汰がニヤッと笑った。
「どーしよっかなァ」
リクが反論する前に、直ぐに呪文は始まった。タカは食い入るようにレンを見つめ、もしもの時のために全てを記憶に留めようと自分の力を総動員した。
アッと言う間だった。雨の音と風の中にリクは消えた。
タカは、しばらくの間ジッとそのまま動けなかった。体は痺れた感じだ。魔法を使いすぎたからかもしれない。
翔汰に声を掛けられてやっと振り向いた。
「あのー……小原先輩ですよね。あれ、オレっ何してんの。先輩の家の門の中まで勝手に入っちゃって。 す・す・す・スンマセンッす」
「ショータ」
翔汰はそのまま逃げ出してしまった。
「あいつ……また、何のジョーダンなんだ」
やっとレンは帰路につきました。これからは舞台をソラルディアに移してリクとレンの話しは続きます。