[64] レインの決意
フィーナの強い想いを聞いていたレインは、一人考え始めた……
フィーナが、リクに聞いた。
「キートアル様は、先日の森にまだいらっしゃるでしょうか? それとも……」
リクは、戸惑う事無く答えた。
「キートアルの自分の城じゃないかな、この間の森も彼の領地だし、取りあえず城に行くのが一番だろうな。キートアルに緑の城に行ってもらうのがいいと思う。事情を説明して彼に紋章を取ってきてもらうんだ。二人は、それを直ぐに持って帰ってくれ。大地の城で落ち合おう」
「ええ、あの人がこの世界に戻るよりも早く、必ず帰ってきます」
その時リクの腕の中で、フィーナの決意に唇を噛んで聞き入っていたのはレインだった。ヒルートが闇の世界に行ってしまってから、フィーナは一人耐え続けてきた。いつ戻るか分からない愛しい人を想い、安否を気遣い、募る想いに心を震わせていたに違いないのだ。その間、自分はどうしていたのだろう、とレインは思った。リクがいつでも自分の傍にいて、優しく見つめてくれていた。一緒にいることが幸せだったし、当たり前に思い始めていた。一人で頑張っているフィーナに心を配ることも疎かにして、リクとの時間にばかり浸っていた。
そして、今も……。レインは恥じていた。雲の城で自分が戦わなくてはならないなら、きっと緑の城でも同じはず。自分には、強い魔力があるし、魔術も使えるが、フィーナはヒルートの守り人である魔法の力以外には、強い魔力はないのだ。だから、リクはフィーナと一緒にフーミィを行かせることにしたのだろう。
自分は、雲の魔術師なのだ。このソラルディアでも指折りの魔力を持っているはず。一人でも戦える、そして勝って戻る、リクの為に、ソラルディアのために、命を懸けても惜しくない……レインの中で、何かが弾けとんだ。
そう思ったレインの耳に、リクの声が聞こえてきた。
「フーミィ、緑の城に近付いたら隠れてるんだぞ。逃げる時に一気に姿を現すんだ。緑の紋章を掻っ攫って来い。そして、俺たちのトコに戻って来い」
そこまでリクが話したとき、レインがグイッと顔をあげた。その瞳は、真っ黒でありながら、渦巻くような雷雲を思わせた。
「そして、私が雲の紋章を持ち帰るわ。必ず! 私だけ、いつまでも泣いていられない。リクの為だって言うなら、私は誰よりも強くなる」
リクは、レインの瞳をじっと覗き込んだ。覗き込んだ瞳は、優しく微笑んでいた。
「怖いなァ、レンは……そう来ると思ってた。気ィ強いもんナ。あァ怖い……でも、それ以上に……レンがスッゴク好きだ」
「リクっ何……」
リクは、人目もはばからず、レインをきつく抱きしめた。
「レイン、必ず、帰ってきて、俺のところに……愛してるから」
「……ええ」
タカが、目を手で覆って上を向いた。
「そんなクサイセリフとやり口は、どこで覚えたんだ? 13才の弟よ。俺には思いつかん」
小さく呟いたタカの言葉は、しっかりとリクの耳に届いたようで、ニヤッと笑った。フィーナとフーミィは顔を見合わせて笑っている。
それから、リクはユティに向き合った。
「ユティ、ガウと一緒にレンに着いて行ってもらえないかな」
レインが慌てて手を振った。
「私は大丈夫よ。一人で戦える。何とか頑張ってみるから心配はしないで」
今度は、ユティが手を振った。
「いえ、レイン姫それはどうかな。あなた一人でいいなら、リクは私などに頼みはしない。そうですね、リク?」
「……賢者は何事もお見通しか? そうだ、ハッキリとはわかんねーけど。でも、雲の城に闇の妖精が入り込んでるのは間違いない」
一瞬にして、レインの表情が曇る。
「誰かの身体を乗っ取っているの? お父様?」
「いや、お父さんじゃねーよ。でも、お父さんの近くにいるのは間違いないんだ。俺の見ているのは、そいつの目を通した未来の断片だと思う……だから、誰なのか分からない」
レインは、素早く呪文を唱え始めた。
嵐雲が集まってくる。
「ああっ、また嵐雲だわ。でも仕方ない」
「ハハッ、レンらしい」
たちまち辺りにパチパチと電流が流れるように光が爆ぜる。タカが、爆ぜる光を避けながら、リクに言った。
「水の紋章は? 誰が取ってくるんだ?」
リクの表情は、一気に険しくなった。
「分からないんだ。でも、それぞれの紋章が集まるときにはそこにある……そう思える」
ユティが口を挟んだ。
「水の紋章は、誰も何も知らないのですよ。存在しているとは言われていますが、見た者はいない。神々の領域に入る事の出来る人間なんていませんからね。必ず樹海が妨げるのです」
タカが、首を傾げながらフーミィを見つめた。
「水の領域には、生と死の両方が存在するって聞いてる。紋章もそれぞれに存在するんだろうか?」
「いえ、空なら空の魔術師、大地なら大地の魔術師と言う様に、紋章はその領域の魔術師と強く結ばれています。水の領域の魔術師は、生命の巫女なのです。でも、生命の巫女は生も死も両方を司る。それから考えると、紋章は一つなのではないかと思うのですが……」
リクは、思い切ったように手をパンッと叩いた。
「考えても分からない。あの女神さんなら、必ず紋章を持ってきてくれるって信じるしかないでしょう……それしかないんだよ、兄ちゃん」
タカは、大きく溜め息をついた。
「まさか、フーミィって事はないよな……水の紋章を持ち帰る役目……」
リクは、首を振ってタカを見た。
「違うよ。フーミィはフィーナと一緒に行くんだ。その後は……」
リクがクルッ目を回してみせた。
「その後は? 何なんだっ」
「わっかんねーの。いいじゃん、きっと大丈夫だよ……なっ」
「いい加減なんだか、肝が据わってんだか分からないな……リク、お前は小さい頃からそうだった……そして……」
「そして、俺が尻拭いしたって言いたいのか、兄ちゃん?」
「ああ、そうだ……でも、今回は違ってる事を祈るよ」
そうこうしているうちに、レインの集めた雷雲は強度を増し、人間を乗せて飛べる位に強くなっていた。レインは、素早く嵐雲に乗った。レインの足元で、激しく稲光がしている。
リクは、目を見張った。
「あんなのに、よく乗ってられるなァ……やっぱ、こえーやレンは……」
リクが言った言葉が聞こえたのか、レインがキッとリクを睨んだ。
「タカお兄さま。水の紋章の事は女神様に祈りましょう。じゃぁリクっ待ってて。直ぐに戻るから……戻ったら、覚悟しておいてね!」
ユティが、フッと笑みを漏らす。
「レイン姫は、かなり行動的ならしい。将来のお二人が楽しみですよ。さァ、レイン姫を怒らせないうちに、私達も行こうか、ガウ?」
リクが、ユティとガウに駆け寄った。
「ちょっと、ガウ、いい?」
名前を呼ばれた狼は、リクの足元に近寄る。クゥ? ガウは、不思議そうにリクを見上げた。顔を上げれば、ちょうどリクの顎の辺りに鼻面がくる。リクは、少し屈みこんで、ガウの耳にそっと顔を近づけ、小さな声で囁いた。
「ガウ? いや、バグ……それとも炎の民タルバと呼んだ方がいいか?」
ガウの狼の目が、大きく見開かれた。
「炎の民のあんただから頼みがある。聞いてくれるか?」
ガウは、ガルゥっと小さく唸ると頷くように頭を下げた。
「もしも、もうダメだって思っても、迷わず自分が助かる方を選んで欲しい。あんたに死なれちゃ困るんだ。それが最低な事だって思っても迷わないでくれ、絶対に……レンを、レンを頼む」
ガウは、リクの言葉を噛締めるかのように俯いてから、顔を上げると、リクの顔をぺろりと舐めあげた。まるで、自分は人間ではない、狼だと、ただの動物なのだと言いたげな様子だ。
「長い間ユティを守ってきた守護神のようなあんただから……頼むんだ。炎の民であった自分を捨てた事を恥じる必要はない」
ガウの身体が振るえた。狼のガウの瞳から涙が零れた。普通の狼なら、決してない事だろう。
「ユヴィを守り、ユティの守護神となることが、あんたの使命だっただけなんだ」
オオォォ〜〜とガウは吼えた。
今まで溜まっていた心の削りかすを吹き飛ばすように鳴いていた。
「ありがとう。頼んだぞガウ」
(ありがとう……心の癒し手リク)ガウの目がそう言っていた。黙って見ていたユティが、ガウにすっと手を伸ばした。
「さァ、レイン姫が待っている。行くよガウ」
「ユティ、レインを頼む」
リクが手を差し出した。
「ええ、確かに。でも、ガウのほうが頼りになりそうだ。私は武道はからっきしだからね」
はにかむように微笑むユティに、リクは真顔で答えた。
「あんたの守護神を、レンのために貸してもらうよ。戦いはレンとガウに、戦略はあんたにってね」
「ええ……ガウはどんな者よりも心強い守護神です。私も知恵では誰にも負けない」
そう言って、ユティはガウに跨り、雪鷲の羽根をガウの口に咥えさせる。舞い上がったガウは、レインと合流した。一気に加速して遠ざかって行くレインは、一度も振り向かなかった。
フィーナも、フーミィの背中に乗って出発しようとしている。フーミィの首から、胴にかけてロープが何重にも掛かっていた。
「たったぶん……これで大丈夫……落ちたりしないわ」
フィーナはかなり緊張しているようだ。
「ありゃァあぶねーって」
リクが頭を抱えた。それもそのはずで、一人で竜に乗るのは初めてなのだから仕方ない。
「リク、魔法のネットを張るぞ。フィーナが振り落とされないようにナ」
タカとリクは、顔を見合わせると、魔法の力を集中してフーミィの背中にフィーナの身体を保護するように魔法のネットを張った。
「フィーナ、大丈夫。フーミィがついてるから心配ない」
タカは、フーミィと視線を交わしながら微笑んだ。
「フーミィ、俺の背中が淋しいから、早く帰って来い。でも、気を付けるんだぞ」
キュルルっと鳴いて、フーミィは飛び立った。キャァ〜〜〜 悲鳴が一緒に舞い上がって行った。
二人だけになった兄弟は、空を見上げていた。
「兄ちゃん、二人だけになっちまったな」
「何だ、淋しいのか? そりゃァそうだろうな、あんなクサイ事言える恋人がいなくなったんだからな」
リクは、いやらしい笑顔になった。
「兄ちゃん? あのセリフとやり口、どこで覚えたか知りたい?」
「あ? 知りたくないね、くだらない」
リクは、首を左右に揺らしながら、眉を両方上げた。ふざけているのは明らかだ。
「未来の断片ってな、時々、声も聞こえんのよ。でェ……未来の男前が言ってたんだ。自分の女にさ」
タカが、眉間にシワを寄せて睨んだ。
「誰なんだよ、俺の知ってる奴か」
「うん、知ってる奴。だって、俺の目の前にいるもん」
「!!ってこのからかいやがって。嘘つくな!」
ガッツッ
タカが、リクの頭を殴った。
「いってなァ〜。言ってたんだよ」
「……」
「フミ、お前は怖いよ……でも、それ以上に愛しい。愛してるってさ」
「フミ?……」
タカの眉が、ピクピクとひくついた。
「ああ、フーミィじゃねーか? でも、今よりもっと、すっげー美人で、ナイスバディになってたけどね。それに、すっげー怒ってたみたい」
「……フーミィ……が」
タカが、呆然と立ち尽くすのを横目に、リクは少し休んでおこうと横になりに行った。
「フーミィ……早く帰って来い……ナイスバディか……ナッ何考えてるんだ……」
タカは、リクの後を追った。
「リクっ待ってって!!」
沢山いた仲間が、今は兄弟二人だけ、これから何が待っているのだろう……