[61] レインの匂い
夜ずっと歩いて、朝になってやっと眠った一行。
最初の見張り番は、レインです。
夜の間、ずっと歩き通しだった一行は、朝日の輝きと共に眠りについていた。朝食は、携帯用のもので軽く済ませ、見張りについているレインだけが、次の見張りに来るはずのリクを待って一人で木の陰に隠れるように座っていた。
晴れ渡る空の下、木の陰で周りに気を配っているつもりなのだが、慣れない見張りに、ついつい気が張り詰めたり、緩んだりを繰り返しながら、相当疲れていた。たったの2時間だけが、レインの担当時間だが、それさえも上手くこなせない自分にイラ付いたりもした。
一人きりになると、数日前に逃げ出してきた雲の城の事が頭をよぎる。自分が、リアルディアからやっと戻ってきた事を、あんなに喜び、安堵していた父王を裏切るように出てきてしまった。後悔しているわけではないが、心配している父王の顔が浮かんでくる。
「はァ〜……」
小さな溜め息がもれてしまった。カサッと音がして、そこを見ると、待っていた人物と目があった。
「レン、お疲れさん。替わるから休んできな」
レインの横に腰を下ろしたリクは、レインの頭を撫でながら微笑んだ。
「ありがとう……でも、もう少しここにいていい?」
「え? あっうん、いいけど」
レインは、リクの肩に自分の頭を乗せて目を瞑った。(リクといると、心が落ち着く。お父様……ごめんなさいね……でも、リクと一緒にいたいの)
リクは自分の肩に加わった重みに心地よさを感じながら、レインの長い黒髪に手を伸ばす。サラサラと風になびく美しい髪は、リクの指の間からもスルリと逃げていく。リクは、もう一度レインの髪に指を絡めると、そのまま鼻に持っていき匂いを嗅いだ。
「レンの匂いがする……」
レインの肩が、ビクッと震えた。
「嫌っ!! 何日も髪を洗ってないのにっリクのバカッ!!」
レインは、リクの指から自分の髪を引き抜くと、そっぽを向いてしまった。後姿しか見えなくても、リクにはレインの耳が真っ赤なのは見えた。きっと、顔も真っ赤なのだろうと想像する。
「レンの匂いは、いい匂いだ。100年髪の毛洗ってなくても、俺は平気なんだけどな」
「何言ってる……」
ふくれっ面で振り返ったレインの目の前に、リクの顔があった。リクは、ゆっくりと手を伸ばし、レインの頬に手を添える。ふっくらとしたレインの唇に、リクは自分の唇を寄せていく。優しく、それでも有りっ丈の熱を込めて、レインの唇を味わった。
「ふっ……」
やっとリクの口付けから解放されたレインは、それまで息を止めていたせいで、かなり息が上がっていた。
「レン? キスする時は呼吸した方がいいと思うけど」
レインの顔から火が吹いた。
「リクッ!! もう知らないっ」
リクは、またそっぽを向いてしまったレインを、背中からしっかり抱きしめた。
「だってさ、レンが息止めてたら、長いキスができねーじゃん。俺、もっと長いことキスしてたかった……レン……」
リクは、レインを抱きしめながら、レインの心を感じる事が出来る自分に気付いた。父親を思う気持ち、謝罪、リクを愛する想い。その瞬間、リクの時読みの瞳がまぶたの裏に、一度だけ見た雲の城を浮かび上がらせた。リクは、レインを抱く手を緩めて、フッと息を吐いた。
「リク……?」
レインは、リクの様子がが何となくおかしいと思った。切羽詰ったような、それでいて不安を抱えたような……(どうしたの? リク……聞いてあげたほうがいいのかしら)
どうしたものか測りかねていると、リクがすっとレインを解放した。
「ごめん。俺、ちょっと盛ってたかも……はは……」
何も聞かず、黙ってリクを見つめるレインを、リクは見ることはなかった。
「なァ、レンは雲の妖精と話が出来る?」
いきなりの振りに、レインは戸惑った。
「ェ? ええ、できるわ……でも、なぜ?」
真っ直ぐに前を見詰めたまま、リクが手を大地にあてがう。
「雲の妖精は、レンの頼みごとを一番に聞いてくれると思う?」
レインは首を傾げながら、リクの質問に答えていく。
「私は、雲の魔術師よ。彼らにとって私のお願いは絶対だわ。大地の妖精にとって、あなたの願いが絶対な様に……」
リクは、コクンと頷く。
「そっか、ならいい。俺は、大地の妖精に頼みごとをした。ちゃんと守ってくれるんだな」
「ええ、そうよ」
レインは、自信たっぷりに聞こえるように、しっかりと大きな声で答えた。(あなたが心配していたのは、妖精に頼んだことの確実さだったの?)
「レン、雲の妖精に頼んで欲しい。雲の紋章が無事かどうか……レンのお父さんが無事なのかどうか」
やっとレインの方を見たリクの顔は、少し苦しそうだった。レインは、リクの瞳を見つめた。自分の愛しいリクの瞳なのか、それとも時の魔術師の瞳なのか、それが知りたかったが、何も分からない。
「どういうこと? まっまさか……お父様……そうなの? リク、おしえて……」
リクは、首を振りながら、レインを抱きしめた。
「分からないんだ。だから、確かめて欲しい。無事だと安心したいんだ……」
リクは、レインの顎に手を添えて、上を向かせ、その柔らかい唇にもう一度キスをした。どこまでも優しく、どこまでも包み込むように、癒しの魔法をレインに送り込んだ。
雨が降る……
癒しの雨、生命のリズム……それに合わせて、リクの唇と合わさったレインの唇から、呪文が流れ出る。さっきまで晴れていた空に、雲が現れた。唇を離し、空を見上げた二人の周りを薄い雲が立ち込めている。バチッ バッチッと稲光が、二人の周りに起こる。
「レン、雷雲じゃなくてもよかったんじゃない?」
癒しの雨だけでなく、雷雲と共に来た雨雲が降らせる雨は、二人の身体をずぶ濡れにしていた。
「昔から、私の呼びかけに一番に答えてくれるのは、雷雲だったのよ」
「レンらしいな」
レインは呪文を唱えながら、自分の手とリクの手を取って祈るように合わせた。
「お願い……父上がご無事でいらっしゃいますように……」
リクは、目の前のレインの額に口付けをした。レインの不安が少しでも軽くなるように、自分自身の不安も軽くなるようにと想いを込めてレインをもう一度抱きしめた。
「ごめんなさいね、リク。直ぐに魔術で乾かすから」
レインが魔術を唱え始める前に、リクの身体からジュワッと蒸気が立ち上った。
「どう? 俺って結構うまいだろう」
レインが、また不安に襲われない様に、務めて明るくリクは微笑んだ。
「ええ、私のも頼もうかしら」
レインが、言い終わる前に、彼女の身体からも蒸気が立った。リクの心遣いは、レインにはよく分かったし、嬉しくもあったが、まだ父王の事は気になっていた。
ガサッ
「リク、俺たちのも乾かしてもらおうかなァ」
寝ていたはずのタカが、フーミィとフィーナを後ろに従えて現れた。
「お前ら、何やってるんだよ。頼むから寝てる時には雨は降らせえないでくれ。泥だらけだ」
タカは、横に向くと泥だらけになった片側を、リクとレインに見せた。レインが慌ててリクの前に出ると、頭を下げた。
「ごめんなさい、私なの雷雲と雨雲を呼んでしまって。本当にごめんなさい」
タカが、フーッと溜め息を漏らした。
「でっ? 今度は何が起こったわけ?」
レインが伏せ目がちになりながら、答えた。
「雲の紋章と、雲の王が安全であるかどうか……雲の妖精に調べに行ってもらったの」
タカの表情が一気にかげった。
「リク? まさか、雲の城に行くつもりじゃないだろうな……そんなこっ」
「黙ってろよっ! 兄ちゃん、今そんな事言っても仕方ない」
歩み寄ったタカの腕を掴んで、リクは首を振った。
「それ以上は、やめてくれ」
何の説明もしないまま、自分に詮索するのを止めろと言っている弟の姿に、何故か悲壮なものを感じて、何も言えなくなった。レインは、リクの後姿を見つめながら、不安そうに立っている。
その時、クルリと振り返ったリクは、ぐるぐるっと目を回しておどけたようにしながら、座り込んだ。
「今は止めてよ、兄ちゃん。俺の見張りは、もう終わりって事で、兄ちゃん頼んだよ」
「はァ〜? リクッ!! まだ、終わってないだろーが」
リクは、慌てたようにレインの手を掴むと逃げ出した。
「後はお願い!! 兄ちゃん」
タカは、弟がレインに知られたくない事柄を、兄である自分にばらされてしまうのを恐れている様に見えた。その場を逃れようとしているリクに向かって、フーミィが心に直接語りかけた。
『リークっ待って。誰か来るよ』
振り返ったリクの目にも、空から降りてくる者の姿を見ることができた。
「あれは……」
みなの目の前に降り立ったのは、灰色の大きな狼に乗った青年だった。
「間に合って良かった。皆さんにお知らせしなければならないことがあります」
ユティを見つめ、リクは、眉間にシワを寄せて、元の場所にレインをつれて戻った。
「俺が頼んだのは、空の城に応援を行ってくれる様に、なんだけどサ。どう言うこと?」
「リク、その件は祖父が……いえローショさんが行ってくれました。洞窟も闇の世界への扉も、村長とランガ達長老衆が、あっ私の長老としての権限は、やはりランガに譲ったのです。ですから、皆で炎の竜と共に守っています。安心してください」
「で? 何を?」
リクは、今までになくイラ付いているような様子だった。ユティは、ガウから降りると、リクの前にやってきて古い本を開いた。
「ここにあるのは、長い間、私と村長で調べていた古い書物です。何を意味しているのか分からない部分が、昨日……やっと分かったのです」
ユティは、リクとタカを交互に見つめた。
「あなた達の出現が、この謎を解いてくれた」
感慨深げに、ユティは古い本を撫でた。
「大地の紋章をお持ちですね。それを大地の城に戻されるのを、お止めいただきたいのです」
タカが、ユティににじり寄った。
「何を言っている。この紋章を返して、俺たちは元の世界に帰るんだ。そのつもりで、ここまで旅してきた」
「空の紋章を、闇の妖精が狙っているとリクからの伝言を大地の妖精が持って来た時、何もかも分かったのです。あの感激は忘れられない。直ぐにでもあなた方に伝えなければと、ガウと共にここへやってきたのです」
タカは、大きく溜め息をついた。
「ユティさんっ簡潔に話してもらえませんか」
「申し訳ありません。長い間、調べて分からなかった事柄が、はっきり見えたもので、つい」
ユティの横に黙って寄り添っていたガウが、ユティの腕を鼻面でコツンと打った。
「そうだねガウ、早く話さなければ」
一息ついて、ユティは語り始めた。
「このソラルディアでは、大地の紋章、空の紋章、雲の紋章、緑の紋章、水の紋章とそれぞれの領域にそれぞれの紋章があります。紋章はその城に深く繋がりを持っていて、領域自体にも影響を及ぼすものです。お互いの領域を侵害すれば、バランスが崩れて、このソラルディアは崩壊してしまうと言われている。でも、その位置関係は、あまり変わる事はありません。浮遊城である、空の城が領域を超えない限りは無理だった」
そこまで聞いたとき、タカがユティの顔をじっと見つめた。
「でも、俺はこの大地の紋章を雲の城に持ち込んだ」
「ええ、でも何も起こらなかった。それは、領域を超えて紋章同士が近付いても問題がないからではありませんか?」
それを聞いて、レイン頷いた。
「空の城は本当に稀だけれど、雲の城の近くまで来るわ。それをタブーだとは聞いた事がないもの。元々、大丈夫な事なのよ」
ユティは、小さく首を振った。
「いいえ、空の領域に存在する雲の国の雲の城、属性が同じなのです。でも、大地の紋章は属性が違う。大地の紋章が近付いても良いとされてきたのは、緑の紋章のみです。そう言い伝えられてきた。そうでしょう、レイン姫。思い出してください」
レインは、自分の頬を押さえると、真っ赤になった。
「そっそうね、忘れていたわ……」
すっかり忘れてしまっていた自分を、レインはとても恥じているようだった。リクが、レインの肩をポンポンと叩いて慰める。そんな二人の姿を横目に見ながら、タカは、空を睨みつけるように上を向いた。
「なァ、領域を侵してはならないなんて嘘じゃあないかな。何故そんな言い伝えが必要だったんだろう」
ユティは、手に乗せた古い本の一節を指でなぞった。
「空と大地出会いしとき、緑と雲は水に救いを求め、現し世の王、青き門をくぐらん」
はーっと、今度はリクが溜め息をついた。
「そう言うことか……」
タカが、リクの腕を掴んだ。
「どう言うことなんだ? リク、今回は話してもらうぞ」
リクは、両手を挙げて万歳をするような格好をした。
「空と大地の門が開くんだ。たぶん、大地の城の上にナ。兄ちゃんは、そこから帰るんだよ。元の世界、リアルディアにな」
「空と大地の門……」
空と大地の門、何処にあるのか、なにも分からずに旅を始めましたが、やっと見つかるかも?
でも、この不安な感じは何でしょうか?
ユティは、何故それを阻止しようとするのでしょう……




